最新更新日:2024/04/01 | |
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京都市立第一工業学校 弁論部の活躍
昭和12年から20年頃まで、京一工では、射撃部、グライダー部などと共に弁論部が活躍し、明るい話題を提供しました。
弁論部は昭和12年(1937年)から13年にかけて、各大会で上位入賞は果たしつつも優勝からは見放されていました。転機は、昭和14年(1939年)大阪城東商業学校の優勝弁論大会で工業化学科4年生の生徒が優勝、他に建築科4年生、機械科4年生など各科の生徒が各地の優勝弁論大会で上位入賞し、「雄弁の京一工」が復活したと記されています。 (洛陽工高百年史より引用) 京都市立第一工業学校 好調な就職
産業界の活発化につれて、昭和13年(1938年)頃の京一工の求人状況は、きわめて好調でした。昭和13年(1938年)3月卒業生は、本科生177名のうち自営業・進学者を除く7割が就職希望者でしたが、採用申込みが殺到し応対に苦慮したそうです。
機械科は20倍、電気科は15倍、工業技術科は13倍におよび、他の科もほとんど前年の7月までに内定してしまうほどの盛況でした。また、昭和14年(1939年)3月卒業生も前年までに就職先はほとんど内定、翌年の卒業生に対する採用申込みまで多数あったと記されています。 就職先は、色染・機織・工業化学は、人絹工場、染料工場、紡績工場、製薬工場など、電気科は、鉄道・電力・航空機・機械工場などで、機械科は航空機関連が最も多く、汽車・自動車関連工場もあったようです。 (洛陽工高百年史より引用) 京都市立第一工業学校 入学試験
昭和13年ごろの入学試験は、府学務課の方針により、内申・口頭試問・身体検査を総合して合否の判定が行われていました。例外的に色染・機織・建築の三科のみ指定の図画が課されていたようです。翌14年については、府の方針で国語のうち綴り方が学力検査として実施され課題は「友達」で所要時間は60分だったと記録されています。
(洛陽工高百年史より引用) 京都市立第一工業学校 工業大意・実習講習会開催
昭和16年(1941年)8月1日から6日間にわたって、京一工工業普及館では「工業大意ならびに実習講習会」が開催されました。これは京都市主催の研修会で、工業立国、科学振興という時代要請に基づくもので、国民学校理数科の主任約60名が参加、講師は各科目とも京一工の教諭が務めたそうです。
研修の内容は、紡織工業、色染法、化学工業、電気工業、一般機械製作法、自動車工学、建築一般と多岐にわたり、京一工が学校教育だけにとどまらず、ひろく京都の工業教育の一翼を担う存在であったことを示しています。 京都市立第一工業学校 工業普及館
京都市立第一工業学校では、創立50周年事業の一つとして昭和13年(1938年)に「工業普及館」を開設しました。木造平屋建て85坪、陳列場は150人収容の講堂と映写設備があるだけの小規模なものでしたが、全国でも初めての試みで、関係諸方面から注目されました。
工業普及館は生徒の生きた学習の場とすると共に、小・中学生、一般市民の工業知識の普及に貢献することが何よりの狙いでした。開館まもなくのころは、設備費、経費もなく運営は職員・生徒の創意工夫と関係各方面の援助に委ねることになったようです。 このようにして開館した工業普及館には、官公庁・企業・有志家の寄贈品、学校所有の器具、標本、生徒の実習作品、研究試作品が展示され、内容的にも充実した学校博物館となり、全国的にも新しい試みとして高く評価されたと記されています。 (洛陽工高百年史より引用) |
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