京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

染織学校に皇太子殿下ご来校

 烏丸校舎に移転して2年後の大正2年(1913年)4月2日、二条離宮にご滞在中の皇太子殿下と淳宮さま、光宮さまが染織学校観覧のためご来校されました。9時15分ごろ馬の蹄の音がかすかに聞こえてきて、やがて護衛の警官を先頭にお車がゆっくりと校門にさしかかり、生徒たちが敬礼するなかを、皇太子殿下と宮さまがたは9時30分に校内にお入りになりました。
 校長の案内で2階の控室に入られ、実習工場から順次校内をご覧になり、機織実習工場では機織部の4年生が繻珍織機を運転するとともに、手織機によるリボンの製織をご覧にいれたそうです。また、色染実習工場では浸染実習、型染実習、引染実習を行い、色染の機械を運転してご覧にいれ、聯隊旗と国旗を染めてのちに校長を通じて献納したとあります。
 皇太子と宮さまがたは、それぞれを興味深くご観覧になったあと、再び控室に落ち着かれたのち、午前10時に学校を出発されました。染織学校としては光栄なことで関係者は大いに励みにしたと記録されています。
(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校 開校20周年の様子

 染織学校は大正3年(1914年)開校20周年を迎えました。その当時の様子が以下のように記されています。
「染織学校として開校20周年を迎えた京都市染織学校は、その年の10月27日、午前9時より記念式典を挙行した。校長の式辞に始まり、(中略)祝辞があった。当日の来賓は市会議員、学校評議員、商議員、市内の小、中学校長、報道関係者などを含めておよそ70名だった。校内では染物、織物工場の実習、別室では生徒の製作品を展示し、学校あげて染織学校の喧伝に努めた。
 その日の午後2時から翌日にかけては、校内は一般公開され、各工場の見学会、展示製品の即売が行われた。とくに28日は、記念陸上大運動会が開催されたので、校内は、記念の日にふさわしい賑わいぶりだった。」
 これを示す当時の写真は見当たりませんが、文面からかなり盛大なものだったことがうかがえます。
(洛陽工高百年史より引用)

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染織学校当時の修学旅行

 明治後半から大正初期にかけて染織学校当時の修学旅行の様子を記録から紹介します。
「毎年、春季、秋季の2回行われ、生徒のすべてが参加する全校行事だった。行き先は関西近郊で姫路、和歌山、名古屋、伊勢、宇治石山方面で、一泊二日、あるいは二泊三日の日程であった。修学旅行は校外学習として重要な役割を果たすものと位置づけられたのは、やはり情報の少なかった当時ならではのことだったのだろう。各地の工場見学や博覧会などの見学に重点がおかれていた。」とあります。

 目的地に関しては、「明治42年(1909年)の姫路・大阪旅行では日本毛織会社のほか神戸税関、花筳試験場、造幣局。
 明治43年(1910年)の名古屋旅行では第一回製産品共進会。
 大正元年(1912年)の大阪・箕面旅行では、大阪職工学校、毛斯綸紡績会社。
 同2年(1913年)の和歌山旅行では和歌山第一綿ネル会社、和歌山紡績会社。
 同3年(1914年)の大阪・神戸旅行では第二回発明博覧会、大阪市立工業学校、貿易製産品共進会、大阪府立工業試験所などを見学している。
 修学旅行は娯楽の少ない当時とあって、生徒たちには何よりの楽しみだった。」と記されており、交通手段含め時代背景が異なる現在と違って、修学旅行が貴重な工場見学の場だったことが伺い知れます。
なお、写真は平安神宮での遠足の写真です。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽の歴史 当時の実習設備

 明治44年(1911年)烏丸校舎に移転した染織学校ですが、色染部、機織部とともに実習設備はこの時代に充実されました。最新式の設備が設置され、当時の卒業生は「実習室は鋸屋根になっていた。がっちりとしたおそらくは舶来らしい十馬力のモーターが据えてあり、端西製のルーチの両四丁の力織機が据えられ、上にはベルドールの紋織機があり、その回りには薄地絹を織る仏国製のジードリッヒの織機が据わっていた。(中略)私の生徒時代には、最も進歩した優れた機械で、ながめるだけでも何だか楽しかった。」と述べています。
 『ベルドール機はリヨン留学生が西陣に伝えた最新式の紋織機で、高速運転で初めてその真価を発揮する機械だったので、当時の西陣ではまだ時期尚早だった。このため一般的にはならなかったが、染織学校ではいち早くこの最新式の機械が導入された』と記録されています。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 染織学校烏丸校舎の落成

 明治44年(1911年3月)に全面移転した先の烏丸校舎ですが、規模は敷地3,000坪(9,900平方メートル)、建坪929坪(3,066平方メートル)でした。事務室と普通教室の2棟の校舎は2階建て、実習工場は平屋建て、屋根はのこぎり型の12棟になっていたと記されています。
 教室は140坪(462平方メートル)で、1階に普通教室3、理科教室、同準備室、特別教室、2階は図画教室、普通教室4と記録されており、当時としては十分な規模だったようです。
 新築の披露をかねた落成式は卒業証書授与式とともに3月27日に行われ、多数の来賓が招待されて生徒や卒業生の製品が展示され即売会も催されたそうです。

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本校の歴史 染織学校 烏丸相国寺畔への新築移転

 明治42年(1909年)3月、染織学校の相国寺畔への新築移転が京都市会で決定、同年11月には文部省の認可が下りて、烏丸上立売上る相国寺畔に新校舎の建築工事が始まりました。    
 新校舎の建設は、まず実習工場から開始、明治43年(1910年)9月に機織部の実習工場が完成、9月12日から新校舎で実習授業が始められるようになりました。また、色染部の実習工場も翌年3月に完成、順次設備を移転して新しい校舎で実習が始まりました。
 新校舎のすべての工事は明治44年(1911年)3月に完成、烏丸上立売上る相国寺畔の新校舎へ全面移転、京都市染織学校は新たな時代へと踏み出しました。

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本校の歴史 染織学校の移転・新築の経緯

 明治40年(1907年)前後の京都市染織学校は、教職員14〜15名、生徒数114名〜150名でした。校舎もバラック建てに等しく、運動場もテニスコート1面が取れないほど狭かったそうです。ボール投げをしてもすぐにボールが塀を超えて道路に飛び出すためスポーツは禁止されていました。
 そのような折、当時の文部省視学官が明治41年(1908年)視察に訪れ、校舎初め学校設備があまりに粗末であることに驚嘆。京都の染織学校は全国の模範でなければならないにもかかわらず、他府県の学校設備よりも整備されていないとの報告がなされました。
 これを受けて文部省から実業学校としての施設整備が不十分であるとの勧告があり染織学校の移転新築が緊急課題として持ち上がりました。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 染織学校の草創期

 京都市染織学校の釜座校舎(1895〜1911)時代には午前中の授業は普通教科、午後の時間は実習にあてられていました。開校当時から明治30年代の前半は、教師10人、生徒数は約100人あまりだったそうです。工業学校としての性格上、普通教科よりも実習に重点がおかれていました。明治31年(1898年)11月制定の「京都染織学校校則」によると、本科の教科のうち読書、作文、習字、数学、英語の5教科については生徒の学力によって省略、その時間は実習に充てられたとあります。
 普通教科の中には、すでに外国語に英語が取り入れられていました。外国語が正式に教科に加えられるようになるのは「工業学校規定」が施行された明治33年(1900年)からで、京都市染織学校は他の同種の学校に比べて独自の教育が展開されていたことがわかります。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 京都市立染織学校の様子

 京都市立染織学校の釜座校舎の建築は、明治27年11月1日の開校と同時に開始され、翌年の3月に竣工、紅屋の跡地にあった京都染工講習所時代の校舎から新校舎への移転は明治28年(1895年)4月4日に行われました。新校舎落成式は同年12月1日に実施、第一回卒業証書の授与式も行われ、このときの卒業生は色染科2名だったそうです。
 校舎は教室114坪、事務所96坪、機械室24坪、分析室6坪、物置7坪で極めて小規模なもので雨漏りが激しく、ガラスも破れてほとんどあばら屋のようだったと記録されています。設備も整わず生徒数も少ない徒弟学校で、草創期の染織学校はこのような状態から出発しました。
(洛陽工高百年史より引用)

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1935年4月25日、本校唐橋校舎に移動

 今から80年前の1935年4月25日、それまでの烏丸校舎から生徒、教職員合わせて1,000人が教職員と全校生徒がそろって、隊列をなして現在の本校である唐橋校舎に移動、ブラスバンドを先頭に校旗を掲げ、烏丸通りを南下しました。
 また、翌26日は新校舎で初めての授業が行われた記念すべき日です。写真は上から烏丸校舎、移転当時の唐橋校舎、そして現在の校舎です。校舎前が大きく様変わりしている様子がよく分かります。歴史を感じる写真です。
(『洛陽工高百年史』より一部引用)

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3/13 唐橋一斉清掃
3/18 3学期終業式,新3年教科書販売,さくら咲かそうプロジェクト(東日本大震災被災地支援活動〜21)
3/19 高校生就職ガイダンス(2年),さくら咲かそうプロジェクト(東日本大震災被災地支援活動〜21)

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