京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

京都市立第一工業学校 工業普及館

 京都市立第一工業学校では、創立50周年事業の一つとして昭和13年(1938年)に「工業普及館」を開設しました。木造平屋建て85坪、陳列場は150人収容の講堂と映写設備があるだけの小規模なものでしたが、全国でも初めての試みで、関係諸方面から注目されました。
 工業普及館は生徒の生きた学習の場とすると共に、小・中学生、一般市民の工業知識の普及に貢献することが何よりの狙いでした。開館まもなくのころは、設備費、経費もなく運営は職員・生徒の創意工夫と関係各方面の援助に委ねることになったようです。
 このようにして開館した工業普及館には、官公庁・企業・有志家の寄贈品、学校所有の器具、標本、生徒の実習作品、研究試作品が展示され、内容的にも充実した学校博物館となり、全国的にも新しい試みとして高く評価されたと記されています。 
(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立第一工業学校 課外講義

 京都市立第一工業学校のユニークな教育に、「特別研究」に加えて「課外講義」が挙げられます。
 これは昭和10年(1935年)ごろに始まった新しい試みで、分野ごとの専門家による講義や実習で、各科別に実施されていました。機織科では鐘紡の主任技師による講義・実習指導、色染科では風俗研究所長による「服飾史」「染織史」の講義、機械科は島津製作所の技師による「鋼焼入れ理論」や実習、工業化学科は第一工業製薬の工場長や研究部長による石鹸製造法など実務家による研修だったと記されています。
 課外講義は、実務を具体的に教育しなければならないという当時の教育方針に基づいたものだったようです。
 (洛陽工高百年史より引用)
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京都市立第一工業学校 特別研究

 京都市立第一工業学校のユニークな教育のあり方として、「特別研究」が挙げられます。現在の選択科目に似たものを自由研究方式で学習させるというもので、第三学年以上を対象とし毎週木曜日の午後の3時間、原則として生徒は自分の好きな教科を選んで自主的に研究するというシステムで、それぞれに指導の教員が付けられました。それぞれの専門分野を研究する生徒や、国語で俳句を選択したり、数学を選択する生徒とさまざまだったようです。
 生徒たちはそれぞれのテーマについての研究を一年間続け、学年末には代表者が講堂で全生徒を前に7分間、成果発表を行って締めくくるというもので、発表者に対して講評がありそれぞれの研究部のメダルが与えられました。特別研究は全国の中等学校初めての試みで、内外から注目され見学者も多かったと記されています。
(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立第一工業学校 創立50周年記念工展

 創立50周年の記念式典に併せて開催された工展は、非常に大規模なもので2日間の開催期間中に約3万人の観客が訪れました。昭和10年11月4日〜5日にかけて開催されこの年の展示・実習内容は以下のものがありました。

・色染科:最新染色機械の展示と実習、染色展
・機織科:織機による実習、紫外線による繊維の識別
・工業化学科:「日常化学展」をテーマに市販の日用品・食料品の化学分析
・機械科:エアーハンマーの実習、アセチレンガスによる鉄の溶接、グライダー、自動車の分解
・電気科:舞台照明の実演、配光の実験
・建築科:現代住宅模型、原始住居展、時代別瓦の陳列
 併せて毎年好評の特別展として、「図案展」、「統計展」、「染織展」、「名家筆跡展」などが開催されました。(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立第一工業学校 第二本科設立

 市立第一工業学校では、昭和12年(1937年)3月に第二本科が設立されました。これは甲種の夜間工業学校で修業期間は4年、電気科1科で出発、昭和16年(1941年)4月には機械科も設置されています。初年度の入学志願者数は52名を超え、32名が入学を許可されました。
 試験科目は算術、国語、国史の筆記と口頭試問、身体検査でした。卒業生は電気事業法に基づく第三種主任技術者の資格が逓信省から与えられました。修業期間5年の全日制工業学校でもこの資格を与えられる学校は少なく、京都で初めての甲種夜間工業学校として注目を集めました。(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立第一工業学校 創立50周年記念行事

 昭和10年11月2日、創立50周年記念式典が唐橋新校舎の竣工記念式と併せて行われ、盛大な祝典が催されました。当日は好天に恵まれ、校庭の東端にテント席を設け紅白の大天幕が張りめぐらされて、250坪の式場に礼服姿の来賓が入場、参列者は1800人に上ったと記録されています。
 式典は11月2日に「竣工ならびに50周年記念式」に始まり、京都市、学校、記念事業協賛会を中心に企画された祝賀宴会、校内施設参観、京工会総会、工業展覧会、記念柔道大会、記念剣道大会、記念講演会、記念運動会などが組まれ6日間に亘り、11月8日まで執り行われました。
(洛陽工高百年史より引用)
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工展の歴史

 11月7日(土)、今年も工展が開催されます。第一回目の工展は京都市立工業学校時代の大正10年(1921年)に開催され、その後学校の重要な広報活動の1つとなったと記録されています。展示会に出品した作品は、低価格で市民に販売したので回を重ねるにつれて人気を呼び、やがて京都の名物行事の一つにもなったそうです。
 大正13年の展示即売の記録では、以下のような製品が出展され、朝早くから列ができ開門と同時に、多くの人が目的の実習室に駆け込み製品を買っていったそうです。
・色染科:カーテン、テーブルクロス、浴衣、友禅染、ネクタイ
・機織科:タオル、ストッキング、帯、足袋、
・工業化学科:石鹸、香水
・機械科:アイロン、金槌
・電気科:スイッチ
・金工科:灰皿、カフスボタン、指輪、文鎮
・木工科:椅子、机、本箱
・玩具科:各種玩具類
(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立工業学校 創立30周年当時の生徒数

 大正13年(1924年)に染織学校創立のときから30周年を迎えるころ、急激に学校の規模も大きくなり、開校当時は百十数名にすぎなかった在校生徒数は新設の7科を加えて9科合計で796名になっていました。
 当時の定員は本校の甲種6科(色染、機織、工業化学、電気、機械、建築)は750名、分教場の乙種3科(木工、金工、玩具)は108名、合計858名で定員に対してはまだ不足していましたが年を追って増加の兆しが見られました。
(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立工業学校 企業求人が急増

 染織学校の生徒はほとんどが西陣をはじめとして全国各地の染織業者の子弟だったため、卒業後は家業につくものが比較的多かったようです。工業学校時代になると工業の急速な発展という社会情勢もあって、新興の企業からの求人がにわかに増え始めました。色染科や機織科の卒業生は従来通り家業を継ぐものが多かったものの、新設科の卒業生は就職する者が次第に増えていきました。
 第一回の求人状況は、工業化学科は卒業生8名に対して求人は10名、電気科は12名に対して20名、機械科は7名に対して13名といずれも求人数が上回っており、求人企業も当時の一流企業だったと記されています。
(洛陽工高百年史より引用)

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京都市立工業学校 校章のデザイン

 染織学校から工業学校に呼称変更された大正8年(1919年) 5月には、校章も新しいデザインのものに改められ、「京一工」時代にも引き継がれました。
 新しい校章は古代エジプトで崇拝されていたスカラブカブトムシを、当時の図案・美工史の担当教員がデザインしたもので、生徒や卒業生たちをスカラブになぞらえて創意工夫に富んだ人間として、社会に飛び立ってほしいという願いが込められていました。
(洛陽工高100年史より引用)

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行事予定
3/7 1,2年学年末考査(〜10)
3/8 1,2年学年末考査(〜10)
3/9 1,2年学年末考査(〜10)
3/10 1,2年学年末考査,インターンシップ報告会(13:30〜),電気工事技能講習会(PM)
3/11 第2種電気主任技術者実務模擬講習会
3/13 唐橋一斉清掃

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