京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

本校の歴史 染織学校烏丸校舎の落成

 明治44年(1911年3月)に全面移転した先の烏丸校舎ですが、規模は敷地3,000坪(9,900平方メートル)、建坪929坪(3,066平方メートル)でした。事務室と普通教室の2棟の校舎は2階建て、実習工場は平屋建て、屋根はのこぎり型の12棟になっていたと記されています。
 教室は140坪(462平方メートル)で、1階に普通教室3、理科教室、同準備室、特別教室、2階は図画教室、普通教室4と記録されており、当時としては十分な規模だったようです。
 新築の披露をかねた落成式は卒業証書授与式とともに3月27日に行われ、多数の来賓が招待されて生徒や卒業生の製品が展示され即売会も催されたそうです。

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本校の歴史 染織学校 烏丸相国寺畔への新築移転

 明治42年(1909年)3月、染織学校の相国寺畔への新築移転が京都市会で決定、同年11月には文部省の認可が下りて、烏丸上立売上る相国寺畔に新校舎の建築工事が始まりました。    
 新校舎の建設は、まず実習工場から開始、明治43年(1910年)9月に機織部の実習工場が完成、9月12日から新校舎で実習授業が始められるようになりました。また、色染部の実習工場も翌年3月に完成、順次設備を移転して新しい校舎で実習が始まりました。
 新校舎のすべての工事は明治44年(1911年)3月に完成、烏丸上立売上る相国寺畔の新校舎へ全面移転、京都市染織学校は新たな時代へと踏み出しました。

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本校の歴史 染織学校の移転・新築の経緯

 明治40年(1907年)前後の京都市染織学校は、教職員14〜15名、生徒数114名〜150名でした。校舎もバラック建てに等しく、運動場もテニスコート1面が取れないほど狭かったそうです。ボール投げをしてもすぐにボールが塀を超えて道路に飛び出すためスポーツは禁止されていました。
 そのような折、当時の文部省視学官が明治41年(1908年)視察に訪れ、校舎初め学校設備があまりに粗末であることに驚嘆。京都の染織学校は全国の模範でなければならないにもかかわらず、他府県の学校設備よりも整備されていないとの報告がなされました。
 これを受けて文部省から実業学校としての施設整備が不十分であるとの勧告があり染織学校の移転新築が緊急課題として持ち上がりました。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 染織学校の草創期

 京都市染織学校の釜座校舎(1895〜1911)時代には午前中の授業は普通教科、午後の時間は実習にあてられていました。開校当時から明治30年代の前半は、教師10人、生徒数は約100人あまりだったそうです。工業学校としての性格上、普通教科よりも実習に重点がおかれていました。明治31年(1898年)11月制定の「京都染織学校校則」によると、本科の教科のうち読書、作文、習字、数学、英語の5教科については生徒の学力によって省略、その時間は実習に充てられたとあります。
 普通教科の中には、すでに外国語に英語が取り入れられていました。外国語が正式に教科に加えられるようになるのは「工業学校規定」が施行された明治33年(1900年)からで、京都市染織学校は他の同種の学校に比べて独自の教育が展開されていたことがわかります。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校の歴史 京都市立染織学校の様子

 京都市立染織学校の釜座校舎の建築は、明治27年11月1日の開校と同時に開始され、翌年の3月に竣工、紅屋の跡地にあった京都染工講習所時代の校舎から新校舎への移転は明治28年(1895年)4月4日に行われました。新校舎落成式は同年12月1日に実施、第一回卒業証書の授与式も行われ、このときの卒業生は色染科2名だったそうです。
 校舎は教室114坪、事務所96坪、機械室24坪、分析室6坪、物置7坪で極めて小規模なもので雨漏りが激しく、ガラスも破れてほとんどあばら屋のようだったと記録されています。設備も整わず生徒数も少ない徒弟学校で、草創期の染織学校はこのような状態から出発しました。
(洛陽工高百年史より引用)

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1935年4月25日、本校唐橋校舎に移動

 今から80年前の1935年4月25日、それまでの烏丸校舎から生徒、教職員合わせて1,000人が教職員と全校生徒がそろって、隊列をなして現在の本校である唐橋校舎に移動、ブラスバンドを先頭に校旗を掲げ、烏丸通りを南下しました。
 また、翌26日は新校舎で初めての授業が行われた記念すべき日です。写真は上から烏丸校舎、移転当時の唐橋校舎、そして現在の校舎です。校舎前が大きく様変わりしている様子がよく分かります。歴史を感じる写真です。
(『洛陽工高百年史』より一部引用)

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本校の源流 京都市立染織学校

 設立当初、京都染業組合によって運営されていた本校の始まりである京都染工講習所ですが、その後財産を京都市に寄付、市はこれを基礎にして市立の染織学校として、明治27年(1894年)10月27日、京都市上京区釜座通椹木町に「京都市立染織学校」として創立しました。
 わが国最初の染織学校であるとともに、全国初の中等クラスの工業学校としての実体を備えており、開校は11月1日で新しい生徒の募集と併せて、元染工講習所の生徒も編入試験の結果により相当学年に編入されました。
(洛陽工高百年史より引用)

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本校創立当時の校舎

 本校は、今年(平成27年)創立130年を迎えますが、その歴史は染業組合を中心に設立された京都染工講習所から始まります。染業工業の振興をめざすものとして、京都に誕生した最初の工業学校で、校地は油小路下売上る近衛町でそこは大きな紅屋の跡地でした。
 写真は当時の面影を残す貴重なものです。
  (『洛陽工高百年史』より引用)
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正門の普賢象桜が満開です。

 正門にある普賢象桜が見ごろを迎えています。八重咲きの大輪で生徒たちの登下校を見守っています。卒業生の方による寄贈で記念植樹された頃の写真(平成元年撮影)と比較すると非常に立派な桜となりました。

※創立百周年記念樹「普賢象桜」:昭和62年3月14日 創立百周年記念館開館式にあわせて植樹(京都市立第一工業学校色染科昭和十五年卒業十五色会の卒業生I氏により寄贈)

 創立130年を迎えるにあたり、洛陽メモリアルコーナーを新設いたしました。今後、洛陽の歴史についても紹介していきます。
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行事予定
3/3 午前中45分授業1,2,3,4限
3/4 1,2年学年末考査(〜10)
3/7 1,2年学年末考査(〜10)
3/8 1,2年学年末考査(〜10)

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