最新更新日:2024/04/01 | |
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洛陽メモリアル 陸上部の躍進
昭和26年(1951年)には、陸上競技部はやり投げ、110mハードル、走高跳の選手が台頭、近畿大会で総合優勝してインターハイに出場、入賞は逃しましたが陸上部の底辺を広げました。昭和27年(1952年)には、京都府高校総合体育大会で110m、走高跳と二種目優勝、近畿大会でも110メートル、走高跳で近畿高校新記録を出して優勝しています。昭和28年(1953年)から29年にはインターハイ、国体で同じく110mハードルで優勝、このころから「ハードルの洛陽」として全国的に知られるようになりました。
昭和31年(1956年)からは、トラック競技、フィールド競技ともにバランスが取れた選手構成となりインターハイ総合優勝も夢ではないほど有力選手がそろっていました。 このように昭和37年(1962年)ごろまで陸上競技部は第一線級の選手を輩出したと記されています。(洛陽工高百年史より引用) |
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