最新更新日:2024/04/01 | |
本日:1
昨日:8 総数:432234 |
洛陽メモリアル 移りゆく生徒会
生徒の自治を前面に打ち出して出発した生徒会活動ですが、昭和25年(1950年)ころ転換期を迎えました。『洛陽生徒会史』には、「生徒会の形態が落ち着いてくるにつれて、ただ若さを発揮し常に新しい目標を掲げ、生徒会を進める時代は終わった。生徒も社会の落ち着きを取り戻しつつある時に存在し、大学入試の厳しさが表面化し、また、一部大学・高校生徒会の思想運動への関係から、生徒会役員の色眼鏡がかかり始めるなどの情勢をもたらし、その活動は派手な面を失い、何をすべきかという模索の時期であった。」と記されています。
こうした背景から生徒会存続の危機が始まりました。昭和27年(1952年)前期会長の選出は難航、決定までに3回の選挙が繰り返されました。 その後の洛陽生徒会は「生徒のための生徒会」をスローガンにして建て直しが試みられ、昭和30年(1955年)以降は文化活動を中心にさまざまな模索が続けられ、その結果昭和32年(1957年)には『クラブ十年史』、昭和34年(1959年)には、『洛陽生徒会史』が編纂・刊行されました。(洛陽高百年史より引用) |
|