最新更新日:2024/04/01 | |
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洛陽メモリアル 文芸部の発足
文芸部も洛陽高のスタートと同時に始まっています。洛陽工高と洛南高が同居していた二部授業時代、両校ともに文芸部がありました。洛陽工高は詩・短歌、洛南は詩・創作が中心でした。それぞれ性格を異にしていたため再編成によって洛陽高校が誕生しても、文芸部が一本化するには紆余曲折がありましたが、洛陽顧問が洛南高の部員に働きかけて新しい文芸部が生まれたようです。
昭和24年(1949年)4月から本格的な活動を開始したころの部員は15、6名でした。作品発表の場として文芸誌が発行されることになり、誌名は「木窓」と名づけられました。「木窓」は当時の学校そのものを象徴するもので、当時は物資不足で教室の窓ガラスの修復も思うにまかせず、木の板が打ち付けられておりこうした戦後の状況をとらえて命名されたと記されています。 「木窓」創刊号は昭和24年7月1日に刊行され、謄写版印刷41ページ、発行部数は約50部でした。 (洛陽高校百年史より引用) |
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