京都市立学校・幼稚園
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若き狩人!

 10月20日は、堀川高校の創立記念日です。
 今年は京都市立堀川高等学校としては創立70周年の年で、「京都市立高等女学校」から数えると創立110周年となります。今日の創立記念日に際しまして、「堀川高等学校校歌」のお話と、現在みんなで歌う機会がなくなって久しい、「堀川高等学校生徒歌」のお話をしたいと思います。
 堀川高校の校歌ですが、1980年(昭和55年)2月23日に、校旗とともに制定されました。えっ、と思いますよね。38年くらいしか歌われていないことになりますからね。そうなんです、堀川高校には創立当初からしばらくの間、校歌がなかったのです。そこで、まず、堀川高校の歴史をダイジェストでお伝えしたいと思います。
 1908年(明治41年)に設立された「京都市立高等女学校」の伝統を受け継ぎ、現在の校名「京都市立堀川高等学校」になったのが1948年(昭和23年)の6・3・3制の学制改革の時でした。この年の4月から学校の再編があり、10月20日に開校式が行われ、普通課程・商業課程・家庭課程・音楽課程の四課程を設置する学校として、70年前に再スタートしました。ですから、この日が創立記念日となったのです。1963年に普通課程、音楽課程の二課程となり、1997年に音楽科は京都市立音楽高等学校として独立しました。
 その後、堀川高等学校は、1999年(平成11年)に校舎を全面改築するとともに、普通科に加えて、新しい専門学科「人間探究科」「自然探究科」を設置して、新たな伝統への一歩を踏み出しました。
 さて、ここまで堀川高校の歴史をダイジェストでお伝えしました。110年の歴史の中で、校歌は1980年に制定されました。校歌に関わる話として、70年前、1948年の京都市立堀川高等学校がスタートした年に、実は、校歌を作ろうとして、在校生の生徒から校歌の歌詞を募集しました。生徒から歌詞を募集するというのは、まさに自主・自立を尊ぶ堀川高校らしいと思います。その時にトップで選ばれたのが、連隆文さんの詞だったのです。ところが、選ばれはしたのですが、歌詞の中に「堀川高校」という校名が使われていないことなどから、校歌としてはふさわしくないということで、「堀川高等学校生徒歌」と呼ぶことになったのです。作詞のご本人さんも、まさに適切な命名だったと、のちに回想しています。この詩に当時の音楽課程の岩上先生が作曲されて、生徒歌が完成し、1980年まで校歌の代わりとして歌ってきたのです。この生徒歌は今も生徒手帳に載っています。生徒全員で生徒歌を歌う機会がなくなって久しくなりますが、その生徒歌「緑なす森に」を少しでも身近にしようと、その第一歩として、今年の3月、17期生の卒業生たちが、卒業記念品として、校内のチャイム機器を贈っていただき、そのチャイムの中に、卒業生がピアノで演奏した生徒歌の「緑なす森に」のメロディの一部を、8時25分の朝の授業が始まる前に流しています。そして、生徒歌「緑なす森に」の歌詞の中にある、「若き狩人」という言葉は、現在の堀川高校の「進路のしおり」のタイトルとしても引き継いでいます。
 生徒歌の歌詞です。
 
 緑なす森 風にそよげり 木の間もれ来る 明き光に
 若き狩人 獲物追ひつつ 口笛の音の 及ばむかぎり
 逃すはあらじ 若き狩人
  立てや立て 心のままに 立てや立て 汝は得撓まじ

 緑なす森 風にそよげり 流れに映る 青雲の影
 若き狩人 あゆみ移せば 繁き露にぞ その身潤ほい
 樹々の間深く 木霊呼ぶなり
  踏めや踏め やさしき脚に 踏めや踏め 汝は得撓まじ

 緑なす森 常盤の森に 風立ち騒ぎ 変りありとも
 若き狩人 たゆむことなく 永久に住みつつ かけ廻りなん
 若き狩人 汝に幸あれ
  集へいざ 心のままに いざやいざ 共に讃へん

 作詞者の連隆文さんは、創立記念誌「あゝ 我が青春の堀川」で、歌詞の一番は「知」、二番は「情」、三番は「意」という隠れたテーマを設定し、構成したとおっしゃっています。当時の高校生の創作した「緑なす森に」は、まさに堀高生の原点です。創立記念日のこの日に、校歌とともに生徒歌「緑なす森に」を今一度振り返る機会として、現在の若き狩人たちは何を、どう感じ、どう思い、何を考えるのか、そんな時間を少し作ってみてほしいと思います。願わくは、堀高生の原点、若き狩人の意思を受け継ぎ、そして未来の堀高生、後輩につなぐ役を担ってほしいと思っています。

 学校長 谷内 秀一

 
 写真:堀川高校「メモリアルスペース」


 詳しい学校の沿革については、以下のリンク先をご覧ください。
    ↓
https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?...


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「好き」なものを「知りたい」自分

 泉鏡花の小説や戯曲が好きで、特に「お化け」ものと呼ばれるものを高校、大学の時によく読んだ。中でも戯曲の「夜叉ヶ池」が大好きだ。坂東玉三郎主演で映画化されたときには、映画館に7回足を運んだ。原典のイメージと私なりに一致したからだろう。人間と龍神の交わした約束を敢えて人間が破るにいたる物語で、どちら側にも「愛」がベースとなっている。物語中に主人公の百合が月を愛でながら「……。月は可(よ)し、灯を消して戸をしめて。」と、人形を抱っこしながらささやくシーンがある。もともと「月」が大好きな私は、この「月は可し」にやられてしまった。読みながらその場面が頭の中に鮮明に想像でされ、自己陶酔に陥った。美しい情景が心に焼き付く。しかし、妖怪たちより人間たちの方が「欲」深い。そこには有限の命というものがあるからだろう。長びく旱に生贄を捧げようとする生への行動。社会情勢が不安定で生きることに精一杯で極限的な状況であるからこそ、そう行動せざるを得ないこともあるだろう。今の世界情勢をみても似たような場面はある。
 「欲」は我々に日常的につきまとってくる。本能的な欲から社会的、心理的な欲まで多種多様な欲がある。欲は善にも悪にもなりうる。どちらかというと現代社会では悪のイメージの方が強いかもしれない。アメリカの心理学者アブハム・マズローは、欲求をピラミッド型で五段階に分類していて、第一段階は「生理的欲求」でその上に「安全欲求」、「社会的欲求」、「承認欲求」、そして一番上には「自己実現欲求」を位置づけている。第一段から三段までは「外的に満たされたい欲求」とし、四段階の「承認欲求」と五段階の「自己実現欲求」は「内的に満たされたい欲求」としている。
 大切なのはやはり自己実現に向けての欲求行動であり、探究基礎における「好きでたまらない」、だから「もっと知りたい」、そして知ることで自己認識が堅固となる一方で、知らないことが後からついてきて、悶絶し、また知りたくてたまらなくなってくるという無間地獄に陥る。もやもやするが清々しさを同居させる活動だ。前もって自分なりの帰結先を根拠とともに用意し、他者に伝えるという営みは社会の中では当たり前に成り立っている。だからこそ、世の中が求める生き抜く力とその営みを現前化することの有意義性は重要となる。
 堀川高校の探究基礎発表会にはその有意義的な営みが集結している。お互いの自己実現欲求を交流しようではないか。一人ひとりそれぞれの自己実現プロセスは、他の四段階欲求も満たされているかの確認も今後必要か。
 人の集合体全体がお互いの自己実現プロセスを受け入れ合って、我々の住む世界は「月は可し、灯を消して戸をしめて。」と、月を愛でながら一日を終える、そんなGlobeでありたいものだ。

 星野道夫曰く、「本当にやりたいと強く思うことは、時として勇気を生む。」

 (探究基礎発表会予稿集より)



 学校長 谷内 秀一
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12/1 PST  3年:河合塾センタープレテスト2  施設開放
12/2 3年:駿台模試(校外)  施設開放
12/3 3年:特別時間割1期開始
12/5 2年後期中間考査  1・3年金曜振替授業
12/6 1・2年後期中間考査  3年生を励ます会  スクールカウンセラー来校日
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