最新更新日:2024/05/02 | |
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自慢話
四校会については6月15日号でご紹介しました。一昨年の四校会のことです。
会議が終わって,ライトアップされた姫路城を眺めながら食事をしているときに堀川の話題になって,姫路西高校の中杉校長が,「本当にすごい仕事をしたね」と言ってくださいました。 「私はこれといって何もしていませんよ」と答えたら,すぐさま「荒瀬さん,過度の謙遜は嫌みになるよ」と返されました。驚きました。そんなふうに言われたのは初めてで,とても新鮮な驚きでした。 「教育委員会がすごかったのと,堀川の教職員がとても意欲的に取り組んだから何とかここまでやってきたんですが」と言葉をつなぎましたが,別れて帰りの新幹線に乗って,ぼんやり夜景を見ながらつらつらと考えました。 自分はいつ何をどのようにしてきたんだろうか? 保護者からメールです。 ……………………………………………………………………………………………… 最終章の終止符 長い長い物語がやっと終わった その物語には常に白いボールがあった 若い雄渾なる青年達がいた 大歓声の中,夢のような舞台にいた しかし,最終章はとても静かに終わった 読み終わって,目を閉じ,滲み出る感涙を抑えながら, この物語に続きがあるのかを考え始めていた。 3年間の大会を通して感動したことは,荒瀬校長の「最後まであきらめない」応援姿勢でした。雨の試合も灼熱の試合も凛と起立され,大声量による応援,微動だにしないその姿に,いつも感謝と尊敬の念を持って拝見していました。また負けそうな試合展開で,親すらあきらめのムードの中,最後まで必死の応援を続けていただき,言葉では言い尽くせない気持ちがありました。大応援,本当にありがとうございました。 アインシュタインの言葉で,Education is that which remains if one has forgotten everything he learned in school. 教育とは学校で学んだすべての事を忘れ去った後に残るもの,とありますが,子どもが数学や英語を忘れ去った後にも必ず堀川高校で学んだいろんな事,野球や先生や友達や総合探究や言葉や形にできないすべての事がたくさん残る事は間違いないと思います。 ……………………………………………………………………………………………… 野球部3年生のおかあさんからのありがたい言葉。お尋ねしたら掲載してもよいとのことでしたのでご紹介しました。 学校というのは,ひとりで何かできるものではありません。ましてやつくることなど。できていないことがいっぱいあります。課題もまた山積。 それを十分承知で,しかし,こういうメールをもらったということを,中杉先生に自慢してみたいと思いました。 夏休み。町の中でも子どもたちは元気です。 …… 荒瀬克己 ナデシコ
ナデシコは「撫子」。広辞苑では,「ナデシコ科の多年草。秋の七草の一。日当たりのよい草地・川原などに自生。高さ数十センチメートル。葉は線形で先端がとがる。八,九月頃,淡紅色,まれに白色の花を開く。花弁は五枚で上端が深く細裂。種子は黒色で小さく,利尿に有効。カワラナデシコ。ヤマトナデシコ。とこなつ」。「襲(かさね)の色目。表は紅,裏は紫。または,表は紅梅,裏は青。とこなつ」。「紋所の名。ナデシコの花を取り合わせて描いたもの」。「愛撫する子。和歌などで,多く植物のナデシコにかけて用いる」。
「やまと(大和)」を引くと,「大和撫子」があって,「ナデシコの異称」,「日本女性の美称」。 ちなみに,ナデシコは堀川高校の前身である堀川高等女学校の校章です。堀川高女では,戦前から英語が正課であったそうです。日本人女性初のオリンピックメダリストである,陸上競技の人見絹江さんが勤めていたこともありました。いま玄関前には,第27回卒業の有志の方々からいただいたソメイヨシノが青々と葉をつけています。 7月18日月曜日は「海の日」。明け方からサッカー女子ワールドカップ決勝戦の中継を観ました。格上のアメリカチームを相手に,圧倒されても,先にゴールを決められても,90分間を最後まであきらめずに粘り強く闘って同点にした「なでしこジャパン」。延長戦でも先取され,それにも耐えて後半引き分けに持ち込み,迎えたPK戦でついに勝利。 2時間余りに及ぶ試合で2度追いついて,やっと頂点に立つという壮絶の栄光を得た選手たちの軽やかな笑顔を見て,彼女たちの必ずしも恵まれてはいない練習環境やそれぞれの苦闘とも呼ぶべき努力を思わずにはいられませんでした。それにもかかわらず,こんな小さな体のどこにあんなエネルギーがあったのだろうか,と胸が熱くなりました。 興奮の後の表彰式と閉会式。勝者をたたえて舞い降りてくる数知れぬ金色のテープ。それがとても似合う,しなやかな「なでしこ」たち。陰りのない笑顔。実にさわやかな笑顔。 7月17日は祇園祭の山鉾巡行でした。優雅で力強い祇園囃子とともに,さまざまに意匠を凝らした32基の山鉾が,炎天下の都大路をゆっくりと動いて行きます。 今年は月鉾,放下(ほうか)鉾,浄妙(じょうみょう)山3基の曳き手に堀川高校の生徒が加わりました。巡行の終点にあたる御池通りと新町通りの交差点の傍らに設けられた本部テントにも,スタッフユニフォームを着た堀川の生徒たちが詰めていました。巡行の状況を把握しつつ,到着した山鉾の関係者にお茶を出して慰労します。 祇園祭の曳き手や本部スタッフに高校単位で参加するのは堀川だけです。地元にある高校だということで参加の機会をいただいています。それを受け,堀川では「町へ出よう!プロジェクト」という企画の一つに位置付けています。この企画は,生徒たちに学校外での多様な体験を促すものです。今回は,在学中に経験した卒業生が来て,参加する生徒たち約60名を準備段階から束ねてくれました。 栄冠をめざす取り組みも,数百年の伝統を守る取り組みも,また,何らかの研究や問題解決も社会への参加や貢献も,表舞台だけしか見えないことが多くありますが,表舞台が円滑に動くためには,舞台裏での周到な準備が不可欠です。 見えるものは,見えないところで用意されている……あらためてこのことを思います。 いつ解決するかわからない,どうやったら答えに至るか見えない,そういう取り組みもまた,試行錯誤と研究と,それを続ける努力が欠かせません。それらに支えられて,事は動いていきます。あることが成功するか否か,それは誰にもわかりません。しかし,望む結果を,求める成果を得ようとして懸命に取り組むことによってのみ,期待した,あるいは望外の果実がもたらされる可能性があるのであって,何事も為さない限り,何一つ成されることはありません。 謙虚であれ。 笑顔を忘れぬ挑戦者であれ。 17日の朝,巡行を見るために四条通りに行こうと思って家を出たら,セミの声。いつもは梅雨明けに鳴き始めたセミが,今年は早く梅雨が明けたのにどうして鳴かないのかと心配していましたが,とうとう鳴きました。地上に出て木に登り短い命を力の限り謳歌するためには,セミもまたしかるべき準備が必要だったのでしょう。 …… 荒瀬克己 明日へ
昨日,宮津球場で洛水高校と対戦。敗れました。0対4。残念ながら,堀川に風は吹きませんでした。
選手,保護者会,OB,吹奏楽部,応援してくださったみなさん,そして監督とコーチに感謝します。ありがとうございました。 洛水高校は,実に気持ちのいいチームでした。攻守がかみ合い,チャンスをしっかりと得点に結び付けました。3回戦以降の健闘を心から祈ります。 薄曇りで,試合途中からぽつぽつと雨も降った宮津球場。 試合の直前,応援団のエール交換が始まらないので団長に尋ねると,「洛水の応援団が調整中みたいで,いま送ると向こうが返せないので,もう少ししてからやります」。 差し入れのペットボトルを入れたアイスボックスを持ってスタンドに向かおうとしたとき,吹奏楽部顧問が「だれか荷物の少ない人はいないですか」。すぐさま女子生徒が二人で駆け寄ってきて,「先生,持ちます」。 タオルを濡らそうとしていたら,野球部の保護者が「こっちに冷たい水がありますから」。「はい,どうぞ」。キャンデーもいただきました。 試合終了後の球場前。キャプテンが走ってきて,「遠いところまで応援に来ていただいてありがとうございました」。 レギュラーの一人が「もう1回勝つのを見てもらいたかったんですが」。「私も見たかった。チーム全体で秋につないでいってね」。 京都新聞の記者の方が,「何人かに取材しましたが,みんなとってもきっちりと話してくれました」。 綾部から特急はしだて6号に乗り,5時過ぎに学校に戻りました。部活の女子生徒たちが口々に「こんにちは」。よれよれになった私の様子を見て小声で,「野球部の応援に行ってはったんや」。「いいなあ」。 行きのバスから宮津湾が見えたとき,吹奏楽部の生徒たちが「海が見える」と喜んでいた,と聞きました。私も見ていました。 球場に送ってもらう車中で若い友人からメールが届きました。御母堂の逝去の報せ。海を見ながら思いました。「海」という文字には「母」が抱かれている……。 5時半。一人の生徒が校長室にやって来ました。今日を生き明日に向き合おうとする高校生の思念はさまざまに交錯します。 「一生勉強ですよ。どうであれ,勉強だけはいろいろとしておきなさい」 「勉強ばかりし続けて,後悔しないでしょうか?」 「どういう勉強をイメージしているの? 勉強しないでいたら,後悔ばかりし続けますよ」 「そういうもんでしょうか?」 「はい」 勉強するというのはどういうことかを書いた,数学の教員の文章を渡しました。 「これ読んで,感想聞かせて」 「はい。じゃあまた来ます」 次に来たら,「100メートル全力疾走しているか」と尋ねようと思います。 「校長室から」は火曜日に出すことにしていますが,昨日のことが記憶に新しいうちにと思って書きました。次回は19日の予定です。 …… 荒瀬克己 白い帽子
勝ちました。7月10日,第93回全国高校野球選手権京都大会二日目の第2試合。対戦相手は府立工業高校。
選手諸君よかったね。この1勝を大切にして次もしっかりと。吹奏楽部の諸君,お疲れさま。応援をしてくださったみなさん,ありがとうございました。 11時半開始の予定が,始まったのは約1時間遅れでした。 11時頃に西京極のわかさスタジアムに着いたら大きな喚声。西京対京都明徳は6回まで4対5。8回表に西京が1点返して同点。延長になって,10回表に西京が勝ち越しの1点。それを守り切り西京の勝利となりました。 そしていよいよ堀川。行事の都合で来られない副校長たちにメールで速報を送ることになっていましたが,試合が始まったらそれどころではなくなりました。 梅雨が明けて二日目の日曜日。とにかく暑い。京都地方気象台によれば,最高気温は36.5度。でも,球場はもっと暑かったに違いありません。メガホンを持つ手のひらが汗でびしょびしょ。野球部保護者会が用意してくださった飲み物をガブガブいただきました。 3回1対1,5回3対1,7回3対2.そして迎えた9回裏。2アウト。途中で足がつったにもかかわらず,投げ続けてきた2年生投手。彼の投球にスタンドの応援団は懸命の声援を送ります。最後まであきらめることなく攻める府立工業の選手たちと3塁側スタンドの吹奏楽と力のこもった大きな声援。それに対抗して守備を支えようとする1塁側の声援。選手の動き,土の色,わずかに吹く風。青い夏空の下で繰り広げられる,たった1個のボールをめぐる汗と力のぶつかり合い。スタンドの大声援が一瞬遠くに聞こえるような,そして何か尊いものを見ているような気持ちになったそのとき,最後のバッターの打ち上げた球が青い空からゆっくり落ちてきて野手のグラブに吸い込まれ,試合が終了しました。 スタンドで応援をしていたとき,ひとかたならぬお世話になっているO先生が来てくださいました。大先輩で,いまも高野連の役員をなさっています。「頑張って応援してるね。でも暑いから気をつけて。帽子を持ってないの?」 少し思うところがあって,あえて帽子を持ってきていませんでした。 しばらくして,こちらもまたお世話になっている別の役員の方が来られて,「O先生から持って行ってあげてと言われました。どうぞ」。真っ白い帽子を持ってきてくださいました。日に焼けた笑顔で,「いい試合ですね」。「はい。ありがとうございました」。 本当にありがたいことです。自分のことでなく,他人のためにわざわざ動いてくださっている。どうしようかと思いましたが,せっかく持ってきてくださった帽子ですので,少し手に持ったあと,後ろ側の帯をいちばん長くしながら,ふっと,別にそうしなくても誰にもとがめられないのに,ということを思いました。 考えてみれば,仕事を休んで揃いのTシャツ姿で応援に来てくださっている保護者会OBも,野球部OBも,保護者も,卒業生も,生徒たちも,教職員も,みんなこの暑い中でグラウンドに向かって声の限り,あるいは祈るようなまなざしで,懸命に応援しています。別にそうしなくても誰にもとがめられないのに。 帽子をかぶるとすっと頭が涼しくなって,そのことに少し驚きました。 本日12日は第2回戦です。宮津市民球場の第2試合で,洛水高校と対戦します。日程を調整してもらったので,吹奏楽部の諸君と一緒に応援に行ってきます。今日は帽子を持って。 …… 荒瀬克己 100メートル全力疾走
7月1日のロングホームルームで3年生に話しました。
夏休みを控え,これからの勉強に向けて「気合い」を入れる。ただし学年主任からは,文化祭のこともお忘れなく,と言われていました。 高校3年生の文化祭は生涯に1度しかありません。大学入試は毎年あります……保護者は,みなさん苦笑。すみません。でも,こういう気概がなければ,と思うのです。 7月が近づくと,校舎内外のあちらこちらで3年生が三々五々何やら打ち合わせをしたり,身振り手振りを合わせたり,学校がどことなく静かに色めき立ってきます。高校3年生の2か月に及ぶ文化祭の始まりです。 1999年に入学した生徒たちを,敢えて1期生と呼んだということは第1回でお伝えしました。1期生が3年生になったときに学年主任が,「文化祭は9月だから準備や本番の興奮に流されて勉強に身が入らないようになるのではないか。生徒の中にはそういった心配のいらない人もいるが,そうでない人も少なくない。よって,3年生については全クラスとも文化祭への参加を見合わせたい」ということを言ってきました。そうだろうかとは思いましたが,関係者が話し合った結果,生徒の意向を十分に聴くようにという注文を付けた上で,学年主任の意思を尊重することにしました。 このころは,学年主導体制を構築するということが大きな課題でした。前例踏襲ではなく,その学年の集団特性に応じた指導体制を整えて教育効果を上げる。そのためにどうすればよいか。 いまも続いていますが,初めて企画会議という場を設け,いろいろなことを議論し,実行に移していきました。いわば戦略会議です。最初は学年主任と企画部長と教頭の3人だけの会議でした。企画会議については,いずれまたご紹介することにします。 2001年初夏。1期生の一人が担任に尋ねたそうです。 「クラスとして文化祭への参加はしないということになりましたが,有志で参加するのはいいでしょうか?」 担任は学年主任に相談した上で答えました。 「有志が無理のない形で参加するならいいよ。ただ,講堂もアリーナも教室も全部,1年生や2年生やクラブが使うから,場所はどこにするの?」 「アトリウムはだめでしょうか?」 「アトリウム? なるほど,あそこはどこも使わないね」 初めて来ていただいた方に堀川は開放感があると言われるのは,30メートルの吹き抜けの,3方がガラス張りの空間があるからでしょう。東西65メートル,幅8メートル。狭い敷地の小さな校舎ながらも,せめてもの贅沢。アトリウムは堀川のメインストリートです。正面玄関から入ったすぐの所には,ガラスの天井から吊り下げたフーコーの振り子が,ゆっくりと規則的に動いています。 結局,「有志」とは1期生の全員でした。学年主任は苦笑いをして,「やられました」。そして付け加えました。「でも,これでいいはずがない。彼らはいま文化祭を楽しめるような状態ではない」。 この学年主任は,生徒に対して厳しい教員でした。日ごろから,勉強するのは高校生の仕事であると言っていました。その仕事を生徒がしていない,とも。しかし,各クラスの「有志」たちの,照れながらも楽しげに演じるパフォーマンスを,目をしばたたかせて見つめていたのもまたこの学年主任でした。 そのころは文化祭に続いて体育祭があり,体育祭の最後が学園祭の閉会式でした。体育祭は,いまも広沢の池の畔にある堀川高校嵯峨野グラウンドで行っています。その年,閉会式で「その事件」が起こりました。 閉会式が終わった後,3年生の中から学年主任の名を連呼する声が上がりました。声は広がり,3年生全員の大合唱になっていきました。2年生や1年生が場所を譲って遠巻きに見守る中,促されて学年主任が壇上に立ちました。3年生の大合唱はやみません。中には泣きながら声を上げている生徒もいます。嵯峨野グラウンドの広い空の下,自分を包み囲んでいる生徒たちを見回しつつ言葉をかける学年主任の目にも光るものがありました。 2001年。残暑の中で秋が始まろうとしていました。私たちが知らないうちに,1期生たちはそれぞれの卒業に向けて歩き出していました。私たちに,経験したことのなかった多くの苦労と,それらを超える数限りない感動とを与えてくれながら。 1期生はパイオニア,すべての道を拓いた……「堀川高校物語」の第1ページです。いまに続くアトリウムでの3年生のパフォーマンスは,このようにして始まりました。 さて,先週7月1日。11期生である3年生に話したのは,くれぐれも交通事故に気をつけること,志をもって進路実現に取り組むこと,最後の文化祭のパフォーマンスを楽しみにしていること……そこで終わるつもりでしたが,まっすぐ見つめてくれる,見慣れた多くの顔につい引き寄せられて,つい言葉を続けました。 「かつて私服時代の堀川には,『高校生らしい服装を』というポスターが貼ってありました。不思議に思って先輩の先生に,高校生らしい服装ってどんな格好ですか,と尋ねました。そしたら,どんな答えが返ってきたと思う?」 私としては満を持して,「で,高校生らしい服装はどんな服装かと尋ねると,その先生は事もなげに,『100メートル全力疾走できる服装やね』って……」。 聞いていた教員の中にはにっこりしたり,声をあげて笑ったりする人もいましたが,生徒は概ねきょとんとしていました。あらら。しかし,くじけてはならじと続けました。 「考えてごらん。君たちそれぞれにとって『100メートル全力疾走する』ってどういうことか」 …… 荒瀬克己 |
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