京都市立学校・幼稚園
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荒瀬克己学校長「最後の授業?」〜また会おう〜(2012.3.31)

 4階アリーナで荒瀬克己学校長の「最後の授業?」が行われました。
 卒業生、在校生、保護者など、300名近くが集まりました。
 参加してくださった皆様、メッセージを送っていただいた皆様、この企画にご協力いただいたすべての皆様、本当にありがとうございました。

写真上:授業?の様子
写真中:卒業生からのメッセージが書かれた横断幕
写真下:花道を退場する学校長
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13期生(1年生)進路ガイダンス「卒業生に学ぶ」(2012.3.26)

 13期生のために、この春卒業した11期生40名あまりが来校してくれました。「志望校・志望学部を決めた理由や時期」、「高校2年生・3年生の過ごし方」、「モチベーションの維持方法」など、先輩から具体的な体験談を聞き、13期生は今後の高校生活に対して具体的なイメージを構築しました。

写真:グループに分かれての分科会

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離任式が行われました(2012.3.26)

 今年度で堀川高校を離れる教職員の離任式が行われました。
 
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ユリノキ

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 これまで読んでくださった方々に感謝します。
 ありがとうございました。

 お世話になったみなさん。
 本当にありがとうございました。
 また,お会いできるのを楽しみにしています。

 数年前に朝日新聞の文化欄に書いた文章です。
 すべての揺れる心に贈ります。


 冬に玄関前のユリノキが枝を伐られた。天に向かって伸び,若葉を茂らせ,木陰をつくり,秋,黄色い葉が美しかった。
 それが冬のある日,知らないうちに枝をはらわれた。広がっていた梢が短くなって,寒々とした空に突き刺さっていた。
 職員に尋ねると,あんまり広がって時計が見えなくなると困るから伐った,ということだった。時計は見えなくなってもいいから,これからはそのままにしておくようにと頼んだ。
 先日,二十四歳になる卒業生がやってきた。相談があると言う。「仕事を辞めようと思うんですが」。「どうするの」。「音楽をやりたいんです」。
 檀一雄は子どもたちへ,「お前たちの人生が多難であることを祈る」と書いたそうだ。親がわが子に多難を祈るというのを不可解に思う人もあるだろうが,私はこの言葉に,絶対の愛とも呼ぶべきものを感じている。
 それで,卒業生にもこの話をした。彼は言った。「消去法で今の会社を選びました。でも,自分の中に,本当にやりたいことをやってみたいという声が響くようになって。先のことはあんまり考えていないんですが」。「大変ですよ。しかし,先を考えないのは若者の特権とも言える。まあエイヤアッだよね」。一緒に食事をした後,「じゃあ元気で」。握手をして別れた。
 歩いていたら,生徒が近づいてきた。「先生,この木,短くなりましたね」。ユリノキをさして言う。「ねえ。そのままがよかったんですが」。「私,この木が好きなんです。なんか伸び伸びしていましたから」。「去年葉が落ちた後,気がついたら枝がなくなっていたんです。ちょっと寂しいことですね」。
 「ユリノキっていうんですか」と言って生徒が枝を見上げた。そして小さく叫んだ。「あっ,先生,あそこに緑が。あれ,葉っぱになるんでしょうか」。
 三月,進路がかなわなかった三年生,何かで傷ついた二年生,思いのままにいかない一年生。彼らにかける言葉はふるえる。
 高校生はずいぶんおとなでもあるが,それでも若いから,目の前のものが世界のすべてであるように受けとることがある。だから,何かの失敗が自己否定につながることもある。逆に,幸運に出会って有頂天になることもある。よくも悪くも,それが決してそうとばかりではないということを言っても,本人には届きにくい。
 そういうときには,言葉にするようにと言う。うまくいったこと,いかなかったこと,なぜそうなったのか,どういう思いでいるのか,どうしたいのか,それらを言葉にしてみる。書いてみるのも有効だ。そうすると,少し自分と距離が保てる。目の前のことが,世界のすべてではないことに気がつける。そして,次にどうしたらよいのかが見えてくることさえある。
 とある会合で知り合って以来たまに会う,同い年の友人がいる。心地よい毒舌家だ。神戸に家を買ったが,気が付いたら管理職になっていて,単身赴任が続いている。次はどこに行くのかと思っていたら,「まず行くことはない」はずだった東京に,この春転勤することになった。二人でささやかな送別会をした。「波のまにまに漂う人生さ」。苦笑いをして,彼は盃を干した。
 ユリノキは不格好な枝にささやかな芽をつけた。目の前の木は貧弱な姿だが,確かに春を内包していた。仕事を辞めて挑戦する卒業生にも,さまざまな思いの生徒にも,そして東京に行く友人にも伝えたい。
 ユリノキハ,キット咲クヨ。

                      45号(2012.03.29)……荒瀬克己

子と親

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27日に新校長が校内人事を発表して,昨日28日は座席の移動です。そのあと職員室の大掃除。
私の机は……。



 2010年の秋に,「内外教育」という教育関係の情報誌のコラムに書いた文章です。

………………………
 「かわいい子には旅をさせよ」と考える親はどれほどいるだろう。また、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と思う大人はどうだろう。
 抜け道はよくないが,近道を探す若者がいるのはいまに始まったことではない。かつてはそれを戒めるのが親や大人の役目であった。しかしいまは,簡便に快適にそして少しでも早く、というのが親子共通の願いになってさえいるのではないかと感じる。これは,私の思い込みだろうか。
 苦労や失敗や挫折はしないほうがよい。いまの子どもたちはそういうことに耐えられない。そのように考える人もいる。よって,できる限り安心できる道を選ぶほうが無難だ、となる。
 面倒なことも避けた方がよい、手っ取り早く簡単な方法があれば少々お金がかかっても手に入れるほうがよい、と考える人もいる。
 このようにして、親や大人は子どもたちに様々なものを与えてきた。手軽に、悩まずに、失敗のないように。答えも、先回りして用意してきた。
 総務省統計局の資料によると,平成20年の若年無業者(15〜34歳)は約64万人,フリーターは170万人に上り,また,厚生労働省の調査によれば,就職後3年以内に離職する率が中学校卒で7割,高等学校卒で5割,大学等卒で4割になるという。これらの原因は単純ではないだろうが,この数字には驚く。このような状況について,中教審キャリア教育・職業教育特別部会は審議経過報告(平成21年7月)において,「次代を担うべき若者が,社会的・職業的に十分自立できておらず,将来に夢や希望を持ちにくくなっている」と指摘している。なぜこういうことになるのか。
 子どもたちに問題が生じているとしたら,直接か間接かは別にして,すべての大人に責任がある。子どもたちは,育てられたように育つものだ。悪意をもって子どもを育てる人はなかろう。しかし,善意が,よかれと思ってすることが,本当にそれでよいのか。大人の責任として考えねばならない。
………………………

 海外研修に行った13期生の保護者の方からメールをいただきました。

………………………
 太平洋の向こう、親から数千キロも隔てた場所へ、かつて無いほどの時間を離れて過ごす息子には、命に危険のないぎりぎりのところで留まるくらいの、ヒヤリとするくらいまでの経験をしてきてほしいとまで願う、今や、ライオンの親心です。
 私が近くにいたのでは、絶対に彼は成長しない。
 いつも寸でのところで助けてしまう自分にも腹が立ちますし(笑)

 「振り子」のトミーのようにまではいかないまでも、堀川高校で真剣に人や物事に取り組み、そこでしか、その時間でしか、その出会いでしか成しえない奇跡に触れてほしいと思います。
 私が願えば願うほど、くるりと踵を返し反対を向いてしまう息子に、私の存在こそが彼の成長を阻んでいるのではないかと自己嫌悪にさえ陥る毎日です。

 「振り子」の答辞を読んで、トミーが過ごした堀川での3年間が、どれほど有意義で価値のある時間であったかが、まったくトミーを知らない私にもじんじん伝わってきて、読みながら涙がこみ上げてきました。
 青年が、置かれた環境の中で、困難と闘い、苦労し、助けを受け、学びながら糧を得て、ぐんぐんと空に向かって伸びていこうとするエネルギッシュな姿は、きらきらと眩しく、たくましく、周囲に感動と元気を与えますね。
 その成長をご覧になる先生たちのお幸せを羨ましく思います。

 主のいない子供部屋は少し寒いと感じました。
 読みかけの本、整理されていないプリント、ファイル、教科書・・・
 どれもみな、大きくなって帰ってくる主を期待して待っています。
 誰よりも、私が。心から・・・。
………………………

 「その成長をご覧になる先生たちのお幸せ」を忘れないで,新しい仕事に立ち向かおうと思っています。

                      44号(2012.03.29)……荒瀬克己

荒瀬克己学校長「最後の授業?」〜また会おう〜

卒業生諸君、あなたも彼も彼女もみんな集まれ! 

・日時:平成24年3月31日(土)
・場所:本校4階アリーナ   
・プログラム  
 13時30分 
    □受付開始(アリーナ前で卒業年度別に受付)
 14時 
    ■開会
    ■卒業生有志からのメッセージ
      (当日受付でも調整しますが、事前に打ち合わせなど
       必要であれば下記アドレスへお知らせください)
    ■荒瀬克己学校長 「最後の授業?」〜また会おう〜
    ■閉会(15時30分頃) 
 
 お問合せなどは下記アドレスへお送りください。
   saigono@horikawa.edu.city.kyoto.jp

 卒業生の保護者の方から参加の問い合わせをいただきました。
卒業生を主な対象にした会ですが、保護者の方もよろしければご参加ください。

未定稿

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上は1月15日のグラウンド。雪と思われるかもしれませんが,実は人工芝を新しく張り替える前の状態です。こういうふうに土台があって,ものは成るのですね。
下は玄関前に立つ,米田貞一郎元校長先生の「絆」の石碑。校舎が写り込んでいます。堀川をこよなく愛してくださる米田先生の碑に,生徒はいつも見守られています。



 昨日の日曜日,堀川の教員の結婚式に行きました。会場は新装された大阪駅の上のビルの28階。式場に入ると,正面と左側が全面ガラス。天井が高くて,とてもすがすがしくて,新しい生活を始めようとするさわやかな二人にふさわしい場所だと思いました。
 新婦が父親に伴われて入場し新郎の前に近づいたとき,正面のガラスの壁の,はるか向こうの大きな白い雲を背景に,小さな飛行機がゆっくりと飛ぶのが見えました。
 雲の上には澄んだ青い空。

 式が終わって退場する二人に,参列していた家族や同僚や友人たちに交じって生徒たちも花びらをまきました。新婦が担任をしている2年生の生徒たちです。披露宴には,彼女が顧問をしている男子バレーボール部の生徒たちが突然入場して,やや照れながら一言ずつお祝いの言葉を贈っていました。

 横一列に並んだ生徒たちのいちばん端っこから少し離れて,ドアのすぐ前に,かれらと一緒に来た男性の顧問が大きな体を小さくするようにして立っています。彼は,40号「春一番?」で紹介した,モロヘイヤと素麺の教員です。生徒が話すのをにこにこして見やり,一言もしゃべらず,まったく目立ちません。クロコに徹しています。見事でした。

 さて,「校長室から」は45号までお届けしたいと思っています。
 今回は,以前に書きかけて途中でやめたものをいくつかご紹介します。

…………………………
 2003年だったか,アトリウムにフーコーの振り子を設置しようとしていたとき,4期生から「抗議文」を受けとりました。
 「学校が生徒のためにいろいろと考えてくださっているのは承知しています。しかし,アトリウムはぼくたちの場所です。そこに半永久的に何かをつくろうとするのに,なぜ事前にぼくたちへの相談がなされないのでしょうか。これはまるで無駄なダムと同じです……」
 文書はA4用紙で何枚かありました。この文書が届けられる前にひとりの女子生徒が,「いま何人かが先生に言いたいことをまとめています。受けとってあげてください」と頼みにきました。
 「生徒の言いたいことなら喜んで受けとりますよ」と答えると,「その文章は,何というか,抗議みたいな文章なんですが,それでも受けとってもらえますか」と,少し心配そうに言います。「内容がどんなものでも,きっちりと言いたいこと言おうとするものなら受けとるから,心配しなくていいよ」と返すと,「よかった。あの人たちは本当に真剣に考えていますから」とにっこり笑って,ぺこりと頭を下げて戻って行きました。この生徒はいまアメリカで,星の誕生について研究しています。
 さて,「抗議文」を読んだあと,生徒たちと話しました。事前に伝えて了解を得なかったことは不十分な対応であったと謝りました。また,君たちがアトリウムを自分たちの空間として大切にしていることを知ってうれしいと伝えました。そして,振り子を設置するのは,地球の自転を日常的に目で見て知ってほしいこと,こういった先人たちの工夫や発見によって科学が進歩してきたことについて考えてほしいことなどが趣旨であることを説明しました。加えて,ダムという比喩がこの場合は不適切であることも言っておきました。
 実は,私たちも考えていました。それで,邪魔になる場合は鉄球をはずして,ワイヤーは危なくないように固定できる設計にしてもらっていたのですが,だからといって,生徒に伝えていなかったことの言い訳にはなりません。「君たちのために」ということで先回りをして,生徒が考える機会をおろそかにしてしまいました。それを生徒から指摘されました。シマッタとヤラレタを同時に思いました。
…………………………
 2001年の秋,図書館で1期生と話しました。
 当時,探究科の海外研修はアメリカの首都ワシントンとボストンのいずれかを選択して,最後にフロリダ州オーランドで合流するというものでした。2001年は3期生が入学した年で,翌年の3月には当然アメリカに行く予定でした。ところが,あの同時多発テロが起こり,事態は急変しました。生徒の研修旅行委員会,アセンブリが何度もありました。なぜこういうことが起きたのかについての勉強会もしました。保護者会も5回行いました。校内での検討を進め関係機関とも協議し,結局,行先をニュージーランドにするということになりました。
 そうこうしていた秋のある日の放課後,図書館に行くと3年生の一人に声をかけられました。
 「1年生はアメリカに行けないんですか?」
 「そうやね。いま検討しているけど,海外研修そのものができるかどうか難しいからね」
 「そうですね」
 彼女がまだ何か話したそうにしているので「どうしたの?」と尋ねると,アメリカのテレビ局がアフガニスタンで,タリバンと戦う北部同盟の兵士に取材をしていたのを観たと言います。ずっと銃を脇に抱えて緊張している兵士が,最後にインタヴュアーから「もしも戦争がなかったとしたら何がしたかったか」と問われて答えた言葉に驚いたと話してくれました。
 「無表情だった兵士が,少しはにかむようにして。そしたら,ずいぶん若い人なんです。私よりもずっと下かもしれないくらい。それで『学校というところに行ってみたかった』と答えたんです」
 私は「そう」としか返事ができないまま,生徒が何を見たのかを考えていました。
…………………………
 久しぶりに会う知人と待ち合わせた店に行くと,彼はすでに来ていました。席に着いて,秋に行った韓国の話を私がひとしきりしたあと,聞いてほしいことがあると言って彼はおもむろに話し出しました。
 近所の友人が休みに子どもを海に連れて行くことになった。子どもの友だちも行きたいと言う。近所の親しい知り合いの子だ。自分の子ども二人とその子と,三人の小学生を連れて行った。しばらく泳いだが,風が強くなったので帰ることにした。ひとりは浜に上がっていたが,残りの二人が波の流れの中で遊んでいて戻って来ない。早く上がるようにと声をかけたとき,二人は波に引かれて沖に流された。友人は浮き輪を投げた。ひとりはつかまることができたが,もうひとりはそのまま流され姿が見えなくなった。友人は必死に探した。子どもたちに人を呼びに走らせた。波にのまれたひとりはそのあと浜に打ち上げられ,息を吹き返すことはなかった。自分の子ども二人は無事で,知り合いの子が亡くなった。子ども同士は仲良しで,何をするのも一緒だった。友人も,その子の両親と親しくつきあっていた。葬儀で,友人の子どもは棺を抱くようにして泣いた。同級生たちも泣いていた。亡くなった子の父親も体を震わせて泣いていた。友人は黙ってうなだれていた。
 一息にそう話したあと,「おれはずっとそばにいるだけで何の言葉もかけられなかった」と知人はつぶやきました。乾ききっているように感じられる知人の眼を,私は見ていました。
…………………………
 生徒への手紙です。

 子どものころ影踏みをよくした。地面に映る影は時間によって,季節によって,変化する。面白かった。日が落ちるまで遊んでいた。
 夕方の壁に映る影が好きだった。自分の動きをそのまま映す。指でつくる影絵も自在だ。鏡は余計なものまで見えるのでつまらない。壁の影は,形だけを映す。おまけに電信柱の上だけ切り取って,小学生の背丈と同じにしてしまう。木でも鳥でも,色を消して形だけにしてくれる。
 ある日,石垣のでこぼこに映った影を見て,自分というものが在るのを感じた。自分の影を見ている自分がいることを知った。音のない影には思いも感情もないだろうに,影の元の自分には声があったり鼓動があったり,気持ちや考えがあることに気がついた。自分以外の人もそうなのだろうかと思った。
 あれ以来,その自分を抱えて生きてきた。自分なりにいろいろと知り,さまざまに経験した。失敗もした。迷惑もかけた。
 よかったことばかりでは決してない。しかし,後悔したり恨んだりはしないでおこうと思っている。でも,気分のすぐれないときにはあれこれ思う。たまに影を見て,自分を振り返ったりもする。
 シッカリシタイナア。
 いろいろあるだろうけど,どうか元気で。


                      43号(2012.03.26)……荒瀬克己

準備

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今日2時から,京都堀川音楽高校ホールで吹奏楽部の演奏会を行います。堀音には本当にお世話になります。
20日にアトリウムで本番に向けてリハーサル行う部員たち。普段と向きを変えているのはホールの幅に合わせてのことだそうです。先日,OBが位置決めなどいろいろと指導してくれていました。
すてきな招待状をもらったのですが,今日はこれから結婚式に出席するため,私は聴きに行けません。盛会を祈ります。立派なホールで思いっきり楽しんで演奏してください。



 シラバス2012年度版ができます。教育課程の大幅な見直しを行い,巻頭言も新しくしました。

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すべては君の「知りたい」から始まる

 君たちに三つのことを求めます。
 学校教育法第51条に,高等学校教育の目標が挙げられており,その中に「健全な批判力」を養うということが書かれています。批判とは,誤りや欠点を指摘する意味もありますが,物事に検討を加えて判定し評価するという意味もあり,こちらが重要です。
 批判するということは,まず角度を変えて見つめることから始まります。自分にとってはそうだということも,他の人にとってはどうかわかりません。いまこうであると言えることも,時間が経てばどうかはわかりません。また,ここでそうであることが,どこでもそうであるとは限りません。時間の軸,空間の軸,個人の軸,集団の軸などを変えて考えてみると,同じ対象が違ったものとして浮かび上がります。
 それらを吟味して,その対象がどういう意味をもつのか,その対象にどのように関わっていくのかを考える,ということまでが,批判するという行為の意味するところです。
 正当で健全な批判力を養うよう求めます。

 次に求めるのは,メタ認知能力の向上です。メタ認知とは,人間が自分自身を認識する場合において,自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識することで,それを行う能力がメタ認知能力です。
 アレクサンダー大王は,これを解く者がアジアの支配者になるという伝説のあった,複雑に絡み合った「ゴルディアスの結び目」を一刀のもとに切断し,「運命とは伝説によってもたらされるものではなく,自らの剣によって切り拓くものだ」と宣言したそうです。手に負えない問題を,誰も思いつかなかった大胆な方法で解決することのメタファー(暗喩)として使われるこの逸話について,君たちはどう思うでしょうか。
 複雑な問題に対応するときに有効な方法は,対象を要素に分解し,その一つ一つについて吟味し,全体の解決方法を探ることです。その際に,使いやすい要素だけを選び取って,不都合な,あるいは面倒な要素を捨てたり排除したりするといった思考の単純化をしてしまっては,問題の本質的な解決から遠ざかります。
 その意味であえて言えば,アレクサンダーは問題そのものをすり替えた可能性があります。だから天才なのだということもできるかもしれません。しかし,私たちは,結び目がどれほど解くのに困難であっても,また,時間がかかっても,人間の知恵で,知恵の結集で,丹念かつ誠実に,ほどいていかなければならないでしょう。
 その方法を見いだすためにも,メタ認知が必要になります。

 最後は,疑問を大切にすることです。それは,「知りたい」という思いを抱き続けることです。答えは容易に出ないでしょうが,求め続けください。また,答えと思ったことが,新たな疑問や悩みの始まりになるかもしれません。しかし,学ぶということは,それを繰り返すことで,そうすることによって君たちは成長していくのです。
 君たちがこの堀川で思索し,行動し,自立するひとりの人間として,よりよく生きていくことを期待しています。
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 23日金曜日,香川大にいる卒業生が訪ねてくれました。香川に戻る前にということで会いに来てくれたのですが,夕方から校長会があってずいぶん待たせてしまいました。そのおかげで,というのも申し訳なのですが,後期で合格した11期生にいろいろとアドバイスをしてくれていたそうです。
 この卒業生は3年生にしてすでに医者の雰囲気を備えています。それを言うと,「気のせいです」。横から進路部長が,「過度の謙遜は嫌味になるよ」と言って,にやり。これは,10号「自慢話」で書いた姫路西高校の中杉先生の言葉。
 さて,後期の発表が続き,結果が出そろいました。
 希望が叶った人は,気を引き締めて。
 捲土重来を期する諸君。次回に向けてまずはしっかりと基礎を。もう始めているか?
 思いの叶わなかった諸君。しかし悩んだ末に選んだのなら,その道を愛せ。
 諸君。さあ準備を始めよう。

 四条堀川をほんの少し東に行くと,北側に「楊」という看板が逆さになった中華料理店があります。
 「看板がひっくり返っていますね」と言って店を覗く人がいるけれど,理由だけ聞いてそのまま行ってしまう,と店主の楊正武さんは苦笑い。この方は堀川高校の卒業生です。

 「倒」と「到」が同じ発音なので,「福」という字を逆さ(倒)にして,福が到来するという意味を表わす。そこからひねって,店の看板をひっくり返した。お客さんに,いらっしゃいませ,ありがとうございました,と頭を下げてるんや。

 楊さんは,30年にわたって中華料理の出張奉仕を行っている「琢磨会」の会長です。会員は京都を中心に約40人。店内にはあちらこちらからの感謝状や表彰状がずらり。

 37歳から始めた。42歳のときに5周年を迎えた。尊敬する先生から「だいたいこんな会は3年ぐらいでつぶれるものだが,よくここまでやった」とほめられた。その言葉が忘れられない。しんどいこともあったが,なにくそと思って意地で今日までやってきた。年も年やし,でも鍋が振れるあいだはやれるやろうから,やっていく。

 このほどその活動が1000回を迎えて,3月15日付の京都新聞に大きくとり上げられました。児童養護施設の子どもが書いた「社会に出て一生懸命働いたら楊さんの店に食べに行きます」という手紙が紹介されています。
 記事は楊さんの言葉で結ばれています。
 「きちんとした食事をすることで体にも心にも栄養になることを知ってほしい」
 「長く健康でいられたのは福祉活動のおかげと私が感謝している。不況で本業も厳しく会員も減ったが,まだまだ続けたい」

 準備をするだけでも大変だと思うのです。それを30年。1000回。ふう。気が遠くなります。意地と言うてはったなあ。肩の力を抜いて淡々と続けるような意地もあるのか。

 「それで先生のあとは誰がしはるんですか」
 「川浪さんです」
 「そら,ええわ。でもさびしいね」
 「まあ,どこかでキリがあるものやから」
 「そうやね。しかし,まだまだこれからやで」

                      42号(2012.03.25)……荒瀬克己

荒瀬克己学校長「最後の授業」

 このたび、長年堀川高校を支えてこられた荒瀬克己学校長が京都市教育委員会事務局に転出されることになりました。つきましては、堀川高校の卒業生を対象に、荒瀬克己学校長「最後の授業」を行います。ぜひ、思い出の母校堀川高校へ。卒業生集まれ!!

日時:平成24年3月31日(土)
     受付 13:30〜
     授業 14:00〜15:30頃

場所:京都市立堀川高等学校 4階 アリーナ

お問合せなどは下記アドレスへお送りください。
  saigono@horikawa.edu.city.kyoto.jp


担当(堀川高校教員)
   伊東沙織(平成13年度卒業生) 上杉まり(平成14年度卒業生) 



平成23年度 離任される教職員の紹介です。

平成23年度 離任される教職員は以下の通りです。
(敬称略,教科順) 
○のついている方は,離任式に出席される予定です。

荒瀬 克己 (校長) ○
石橋 宏美 (国語) ○
廣瀬 悠起 (国語) ○
小林 孝由 (地歴公民) ○
南郷 丈志 (数学)
松倉 啓行 (数学) ○
北村 洋一 (保健体育)
杉本 和歌子 (英語) ○
富永 優 (家庭) ○
駒井 利昭 (実習助手)
細川 恵美子 (管理用務員)
樋原 拓勇 (事務職員)
鈴木 操  (事務員)
豊田 彩  (事務員)
礒辺 康子 (事務員)
酒井 幸治 (事務員)
糸井 佐津 (学校薬剤師)

離任式は 3月26日(月)11:00〜 本校 アリーナにて行います。
離任式の列席対象者は,本校在校生及び今年の卒業生です。
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行事予定
3/31 PSTなし
4/5 新1年登校日(クラス発表・制服頒布・学習状況テスト等)
京都市立堀川高等学校
〒604-8254
京都市中京区東堀川通錦小路上ル四坊堀川町622-2
TEL:075-211-5351
FAX:075-211-8975
E-mail: horikawa@edu.city.kyoto.jp