京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/03/18
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はなむけ。

 昨夜までの雨があがり、弥生3月となったこの日、本校ホールにて午前10時より、京都市立京都堀川音楽高等学校 第14回 卒業証書授与式を挙行し、75期39名に卒業証書を授与することができました。

 ご多忙のなか、ご臨席を賜りました、京都市教育委員会学校指導課指導主事 田中佑明様、城巽自治連合会会長 香川史朗様、京都堀川音楽高等学校PTA音友会会長 石原かおり様 他役員の皆さま、京都・堀音同窓会会長 塩見亮様、堀音父母の会会長 樋口千鶴様、また多くの卒業生の保護者の皆さまに、心より御礼申し上げます。おかげさまで、温かで引き締まった式となりました。

 在校生全員が参列する本校の卒業式。3学年が心を合わせて歌う校歌合唱は、胸に響くものがありました。京都・堀音同窓会長の塩見先生のお祝辞では、ピアニストとして、また、本校や京都市立芸術大学などでも生徒・学生をご指導なさっているお立場から、若き音楽家としての卒業生に、お心のこもったエールを頂戴いたしました。2年生の生徒代表の送辞は、本校の縦のつながりの強さが垣間見える、先輩方への感謝にあふれるものでした。語り終わると、卒業生たちから自然に大きな拍手が起こったのも、堀音らしい瞬間でした。

 卒業生代表の答辞は、この3年間の「宝物」と言える時間を振り返り、最後に、3年次の文化祭で取り組んだ「レ・ミゼラブル」の作者、ヴィクトル・ユゴーの言葉「人間は、鎖を引きずって歩くためにではなく、翼を広げて天翔けるためにつくられているのです。」を紹介し、「何にも縛られず、人間が自由を謳歌できる社会を作るため、私たちは音楽でできることを考え続けていく」と抱負を述べました。

 以下、本日の学校長式辞の一部を掲載いたします。長くなりますが、お読みいただけますならば幸いです。
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 この4月からあなた方とこの校舎で過ごす時間の中で、ある一つの言葉をしばしば思い出しました。大学では哲学を専攻していたという前任校の国語の後輩教員が、ある時私に教えてくれた言葉です。それは「ヴァルトアインザムカイト」。「ヴァルト」は森、「アインザムカイト」は孤独。単純に日本語に訳せば「森の孤独」となります。「孤独」というとネガティブな印象を抱くかもしれませんが…とその後輩教員は次のように説明してくれました。
 この言葉はドイツ語ならではの意味の拡がりを持っている。森の中にひとりたたずんでいるとき、私たちの心に往来するさまざまな気持ち、寂寥感や哀愁、そういう気持ちのみならず、豊かで恵み深い森に包まれる安心感や、再生の場としての森からエネルギーを得る高揚感をも含む、独特で複雑なニュアンスを持つ言葉、そんなふうな説明でした。

 「ヴァルトアインザムカイト」ということばを教わったときに、私は「ことば」「言語」というものを考えるときに有効な単語だと思いました。例えば、私たちは同じ日本語を使って、お互いのコミュニケーションをとっています。自分の思いや考えも、ことばを選びながら、なんとか伝えようと努めます。しかしそれが本当に相手に届いたのか、自分の思っているとおりに受け取ってもらえたか、これは厳しく言えば何の保証もありません。
 一方で、作り手が「言葉」の持つ孤独に耐えて、もしくはそれに後押しされて、そうして紡ぎ出した文学作品は、人々の多様な受け止めの豊かさを身にまといながら、名作、古典となっていくのでしょう。
 あなた方が音楽に対して、こう表現したい、こんなふうにこの音楽を伝えたいと演奏するとき、どこまでも楽譜を読込み、表現したいことが表現できるよう練習を重ねる。アンサンブルや合唱・合奏では、まず仲間同士で相互理解が必要、先生方がご教示くださることはたくさんあっても、最後は自分の音楽。そして、さきほどお話した「ことば」と同じようにそれを聞き手がどうけ取るか、どのように感じるかはきっと何の保証もない。趣味の音楽は自分さえ楽しければそれで問題ない。しかし、音楽に志すということは、その「孤独」を道連れにする、厳しいことなのだ、と感じることが、この数か月で何度かありました。
 しかし、「孤独」であって、「孤立」ではない。「音楽」そのものが恵み深くエネルギーをもたらす「森」として人を包みこむこと、また、その「孤独」を内に抱える仲間の存在があること。「孤独」を引き受けるがゆえに、人は本当の意味でつながることができる、引き合う引力を持つ、そんなこともあなた方は自然に会得していっているように思えました。

 もうひとつ、「ヴァルトアインザムカイト」ということばから辿って、思ったことがあります。後輩教員が教えてくれたように、この言葉にはドイツ語ならではの意味の拡がり、文化の背景があり、日本で、日本語で暮らす者には、その言葉の持つ真の意味をとらえることは難しいかもしれません。
 しかし、音楽は、言葉や文化の壁を超えていく。その確信が、大きな戦争が終って、人々の日々の生活も、日本の国としての国際社会での立場も、たいへん困難な状況にあった、昭和23年というあの時代に、新制高等学校に西洋クラシック音楽を専門に学ぶ、音楽課程を作ろう、という、常識の枠外の悲願を生んだのではないかと思います。そうして堀音を誕生させた、京都の先人たちの卓越したセンスに、私は圧倒されます。
 今、私たちの回りには、人類の、「進歩」「発展」ゆえに、人が、世界が、請け負うことになった、複雑な課題が多く横たわっているように思います。そんな中で、あなた方が言葉や文化の壁を超えることのできる音楽に志していくことは、とても確かで深い意味があると、私は思います。堀音の先輩方が、また多くの西洋クラシック音楽を愛した方々が、東洋人の誇りをもって、また先ごろ逝去された小澤征爾さんのお言葉を借りれば、「外様にしか見つけられない本質」を求めて、壁を突破し続けていらしたことの恵みを受けて、あなた方のくもりなき眼(まなこ)でことの本質をみつめ、音楽を通して多くの人とつながりあって、ご自分の、また周囲の人々の幸いを探り当てていってほしいと願います。

 あなた方の堀音での時間の傍らにあって、今お話ししてきたように、音楽の力を私なりに感じとることができました。音楽というものを本気で追究するなら、音楽の悦びを感じ続けるなら、変化のスピードが激しく、先行き不透明なこれからの世界を、ヒトが人たる神髄を大事にしながら、多様な人々と互いを受容しながら、ときにはやりすごしながら、前に進んでいく力と知恵を、得ることができるのだと、あなた方から教わったように思っています。
 だから、「大丈夫」。そう言って、あなた方を送り出せます。
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卒業生のこれからの日々が、生み出す音楽が、豊かなれ、と願うばかりです。
校長 中村 陸子


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令和6年度 京都堀川音楽高等学校 教員公募募集要項

エレガントに。〜令和5年度前期を終えて〜

4月の着任から半年が経ちました。この間、保護者の皆さま、この校舎に関わる団体等の方々、地元城巽自治連合会関係の皆さま、同窓会・卒業生の皆さまに不行届きをご寛如いただきながら、応援を頂戴いたしましたことに、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

生徒へは、終業式に、プロの意識をもって高みをめざしながら、高校生の今しかできない表現を追究する演奏(それは一回性のかけがえのない一瞬)、をたくさん聴かせてもらったこと、それを支える堀音らしい学びの場面を日常に垣間見させてもらえたことに感謝を伝えました。

また、高校生はやはり可能性のかたまり。堀音生はとびきりの感受性と集中力を持っている、と肌で感じる半年でもありました。入学式の式辞で生徒みなにお願いした、「自分の呼吸のリズムを持ち、そして多様な他者と呼吸をあわせていける力を育んでほしい」ということを、仲間同士いろいろな形で実現している。そういうことを感じる場面も多くあったことも報告しました。それに続けて、私から生徒たちに以下のような1つのお願いをしました。

この秋休み、そして後期の時間、「わかったふうになる」ことをお願いしたい。これは「しったかぶりをする」という意味ではない。「わかろうとする」とイコールだし、もっと言えば「わからないという感覚を拒まない、できれば心地よくたゆたう」とも言い換えたい。

あなた方は、音楽というカテゴリーの中ではこれをうまく実践していると感心している。校外の音楽の高いレベルのプロから直接教えを得る機会がたくさんある。佐渡裕先生はもちろん、特設講座や公開レッスンの先生方のおっしゃることはとても奥深い。マインドのお話の中でも、人生経験の浅いあなた方高校生に対して、音楽を志す未来ある人として、完全に大人扱いしてとても深いことをお伝えになるし、逆説的な表現も容赦なくお使いになる。多分そのすべてを理解することは難しいはず。でもあなた方は、「わかったふうになる」力を持っている。今の自分の音楽に引き寄せて、自分なりに「わかった」と消化できるところは消化するうえで、消化しきれない部分も受け入れつつ、その後の宿題として心と頭と身体のどこかにキープしている、そしてどうも確実に栄養として取り込んでいる。そんなふうに見えている。

では、音楽と少し距離があると感じていることに対してはどうだろう。学校の普通教科でも(3年生は共通テストの勉強でも)、美術鑑賞でも読書でも、映画鑑賞でも、「わかったふうになる」時間、「わからないという感覚を拒まない、できれば心地よくたゆたう」機会を持ってほしいと。

そして、その機会を与えてくれる絶好の機会として、京都市教育委員会と京都大学の連携で、11月11日(土)午後 京都大学にて実施の「京都大学2023」の参加を呼びかけました。京都大学の8人の院生が講師となって分科会を持ち、それぞれ自分の研究テーマのおもしろさや、自分の高校時代についてなどを話したり、対話をしたりという機会です。今年度、2年生と3年生が授業を受けている、本校理科の非常勤講師 古田 悠馬先生も講師のおひとりです。
分科会には、音楽を志す堀音生が自分事としてとらえるべきテーマ−例えば科学技術とヒトは、社会は、どう関係性を持っていくのか など−がいくつもあります。若い研究者のお話は自分の常識や知識をぐんと超えて、難解なところもあるかもしれない。だからこそ「わかったふうになる」ことで世界が広がります。

もう一つこの京大研修の魅力は、京都市立高校の他の学校の生徒たちと触れ合えることです。ぜひ堀音生の人間的な魅力を知ってもらって、この人の演奏を聴きたい、ホリオンの演奏会に行ってみたいというファンを発掘してほしいと思う、ということも伝えました。自分の魅力で演奏会に足をはこんでもらう、クラシック音楽を発信する、このことは京大研修に限らず意識を持っていてほしいところです。

「わかったふうになる」ということを別の面からみると、「自分をひらく」ということかもしれません。かたくなにならない、自分を閉ざさないということともいえるかもしれません。そういう世界への向き合い方も、私は「エレガント」な姿であると考えます。自分を開いていると、むこうからいろんなものが自分に飛び込んできます。今日から始まった秋期休業中、そして後期と、そんな経験をたくさんしてほしいと願っています。そして、私自身もそうあろうと思います。

堀音に関わる全ての皆さまの、生徒たちへの、また本校への応援を、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
                                 校長 中村 陸子   


呼吸のリズム  〜第77期生入学式の日に〜

 人に、街に、降り注ぐ、日差しの明るさとぬくもりを、また、さわやかな春風に舞う桜吹雪を、久方ぶりに晴れやかな気持ちで受け入れられる、そんな季節を迎えることができたこの春。今日4月10日、多くの来賓の方々、保護者の方々のご臨席を賜り、京都市立堀川音楽高等学校 第14回入学式を挙行いたしました。

 今年度は、新入生ひとりひとりの名前を担任が読上げ、40名の入学を許可いたしました。令和5年度入学生は、本校が昭和23年に「堀川高校音楽課程」として創設されてから数えて、第77期生と呼ばれることになります。

 堀音ホールで、在校生が全員列席する本校の入学式、新入生たちは、本校音楽科教員の伴奏での、校歌「海を遠く」の合唱で歓迎を受けました。式辞では、その校歌に込められえた願いについて、作詞者の山本純子先生の言葉をお借りして、新入生たちに次のように伝えました。

 さきほど、在校生が入学生のために歌った、校歌「海を遠く」。作詞者の山本純子先生は、歌詞についてのメッセージの中で、「海の波のように、私たちの内側にも呼吸という波が、寄せては返しています。その呼吸のリズムが、ひとりひとりの個性の源なのでしょう。」と語り、また、「人が集まって何かを創り上げるということは、それぞれの呼吸を合わせることでもあります。いろんな場面でさまざまな人と、自由自在に呼吸を合わせていく、やわらかさとしなやかさを養ってほしい。」と堀音の生徒への願いを綴ってくださっています。
 そのときどきの自分の呼吸のリズムを自覚することや、いろいろな状況の下で、自分とは異なる他者の呼吸を、時には受容しながら、しなやかにあわせていくことは、たやすいことではないと思います。ただ、山本先生は、音楽を志す若い皆さんになら、それは叶う、それを愉しめる、そう願って素敵な歌詞をくださったのではないでしょうか。私は皆さんが、音楽に真摯に向き合っていく中で、きっとそんな力を培っていく、豊かに育んでいく、そう期待しています。
 自分の呼吸のリズムを持ち、そして多様な他者と呼吸をあわせていける力。それは、これからの世界に生きる人々に、最も必要な力でもあるように思えます。

 入学生代表のことばを述べてくれた生徒は、私たちはそれぞれ、将来の、音楽の夢を持って入学した。私は将来、オペラやミュージカルなどの舞台に立って歌い、お客様から大きな拍手をもらうことを夢見ている。迷ったり立ち止ったりする時には、「堀音」の仲間とともに、励ましあって自分の音楽を創り上げていきたい、と緊張のなかにも力強く語ってくれました。
 15歳にして、自分が向き合いたい何かを見つけ、自ら「音楽」を専門に学ぶ本校を選んでくれた新入生たちの志にどう応えていけるのか、教職員とともに考え続けたいと思います。

 77期生の40名が、今日の新鮮な気持ちを大切に、仲間とともに、濃密な時間を積み重ねていってくれることを、心から願っています。    

校長 中村 陸子 

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ご挨拶

 いつもの年より幾分早く、桜爛漫の京都となりました。「春」という言葉を、期待をもって受け止めることのできる日々が戻りつつあるこの時に、新しい年度を始めることができますことを、たいへん有難く存じます。

 本日付けで京都市立京都堀川音楽高等学校の校長を拝命いたしました、中村 陸子(なかむら みちこ)と申します。ここ数年、「高校」においても、「音楽」においても、たいへん厳しい時間が流れておりました。そんな中、前任の北村 光司校長が、生徒・教職員の方々と心を合わせ、工夫を重ねながら、学びを止めずに「堀音」らしく、教育活動を進めてこられました。そのご熱意と行動力をお手本としながら、また、城巽学区自治連合会の皆さまはじめ地域の方々、同窓会の皆さま、この校舎を拠点に活動されている音楽関係者の皆さま、「堀音」にお気持ちを寄せてくださる多くの方々、そして生徒・保護者の皆さまにご意見やご教示をいただきながら、誠実に務めを果たしてまいりたいと存じます。おぼつかないところも多くあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 昭和23年、価値観の大きな変わり目の中で、これからの日本を背負っていく若者を育成する新しい形の高等学校に、「音楽」に特化したコースを置こう、とお考えになった先人の知性と勇気に、また、それを良しとした、京都市民の文化力とも言うべき懐の深さに、改めて心を震わせる思いでおります。そのスタートから70余年、時代に応じて、またある時は時代を先駆けながら、年月を紡いできた「堀音」。昨今の急速な日本や世界の変化の中で、大事なものを見失うことなく、また、そのために変わることも時には視野に入れながら、生徒・教職員とともに、歩みを進めていきたいと思います。私自身、生徒ひとりひとりの日常に寄り添い、彼らの奏でるさまざまな「音楽」に、耳を傾けてまいりたいと存じます。

 今年度も、皆さま方の本校への一層のお支えとお見守りを、何卒よろしくお願い申し上げます。

令和5年4月1日
京都市立京都堀川音楽高等学校 校長 中村 陸子

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