京都市立学校・幼稚園
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

校長室ウェブログを更新しました。 5月27日記事 “普通”から自由になる

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 5月27日、校長室ウェブログ記事を更新しました。

 こちらから→5月27日記事

5月27日 校長室ウェブログ “普通”から自由になる

           “普通”から自由になる

 本校の卒業生は、卒業後、作家として、あるいは別の仕事をもちながらも制作活動を続け、作品展を開催される方がたくさんおられます。案内をいただくと、できるだけ足を運んで鑑賞させていただいていますが、京都から離れたところでの作品展はなかなか行くことはできません。先週3日間は、東京と埼玉で全国の高等学校校長会の会合があり、出張に出掛ける前日、本校の卒業生が東京で作品展を開催しているという情報をもらいました。普段あきらめている貴重なチャンスが巡ってきて、出張の最終日、帰京する前に見に行きました。卒業生は湊 茉莉さん。本校卒業後、京都市立芸術大学・大学院で日本画を専攻したあとパリ高等美術学校に留学、現在はフランスを拠点に作家活動をされています。作品展の場所は「銀座メゾンエルメス フォーラム」(主催エルメス財団)。湊さんの日本で初の作品展のタイトル「うつろひ、たゆたひといとなみ」は、「うつろいゆく世界と人々の営み」を意味するそうです。このような機会がなければ、私は足を踏み入れないであろう銀座エルメスの店舗。8階のギャラリーはガラスブロックの外壁から光が入り、その空間にゆったりと作品が展示されていましたが、作品はそれだけではなく、メゾンエルメスのビルのガラスブロックで造られた外壁そのものに絵が描かれていました。ビルのガラスの外壁には、一日の中で時間によって様々な光が当たり、作品も時間とともに表情を変えます。作品のスケールの大きさに圧倒されるとともに、世界的に著名なエルメスのビルそのものに作品が描かれていることに驚きました。私の中の“普通”という勝手なイメージ、認識が吹っ飛んでしまいました。

 私は「普通科」の教員で「普通科高校」に長く勤務していましたが、美術専門高校の銅駝に転勤してから、自分の“普通”という言葉に当てはまらないことばかりに出会ってきました。2016年7月11日「校長室ウェブログ」に「普通って何?」という記事を書きましたが、銅駝の生徒は、自らの個性、感性、表現力で人と異なるものを創作する毎日。異なるものが当たり前に存在しそれぞれに価値があり、それぞれが認められることが“普通”なんだ、ということを自然に理解できる環境です。

 昨日、「京都21世紀教育創造フォーラム」という催しがあり参加してきました。「日本の未来と人づくり グローバル人材育成の要諦」というテーマで基調講演、パネルディスカッションがあり未来を担う青年の育成、教育にどういうことが求められるかという内容でした。パネラーのひとり門川大作市長は、京都市職員採用試験の一部において、公務員試験では“普通”当たり前の教養試験や専門試験を実施せず全ての試験段階で人物重視の選考「京都方式」の導入について話されました。また、パネラーの堀場厚・堀場製作所会長の「これからは平均のない時代になる」、また出口治明・立命館アジア太平洋大学長の「普通の子どもであれ、という教えから自由になれ」という言葉は印象に残りました。

 予測不可能な変化の激しい社会で生きるには、蓄えた知識だけでは解答が見つけられず、正解は一つであるとも限らないと言われています。これまでの経験則や多数が指示する“普通”から自由になり、いわゆる“前例”や“無難”に疑問をもつこと、自分で観る、感じる、考えることを大切にしなければならない、そう思いました。

2019年(令和元)5月27日
                       校長  吉田 功


○2016年7月11日記事はこちら→https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?...


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平成31年度 前期始業式 校長の話

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●始業式 校長の話


 本日午前中、銅駝美術工芸高校の第40回入学式を行い、93名の新入生を迎えました。教職員も退職、新任、転任の教職員が17名変わりました。この新しいメンバーで第40回目の始業式ということになります。

 4月は人の動きの大きい時です。自分の立ち位置が変わり、いた人がいなくなったり、いなかった人が現れたり。心の動きもいつもとは違う時期だと思います。新鮮でワクワクするような、しかし何となく落ち着かず、不安や戸惑いの生じるこの4月の初めに、少々心をゆるめる話をします。

 皆さんは新聞や雑誌で「間違い探し」というのを見たことがありませんか。よく似た絵が二枚並んでいて、その中に何カ所か「違う」ところがあるのをを探す遊びです。計算して答えが一つという問題なら、結果が違うのは「間違い」ですが、並べられた絵を見比べて違うところを探すこの遊びは、「違う」ところは、間違っている、ミステイクなわけではないのに「間違い探し」という名称になっているのです。そんなことを思っていたら、この前、我が家の新聞に同じように2枚の絵を見比べる遊びが載っていましたが、「間違い探し」ではなく「同じもの探し」と書いてありました。

 「違い」と「間違い」は別物です。英語で言えば、diffrence と mistake あるいはerrorでしょうか。人は、人と違うことを意識して落ちこんだり、自分がダメだと思ったり、逆に他の人の自分と違うところが気になって、避けたり、拒否したりということがあります。「違う」ことは「間違い」「誤り」「悪い」ことではないのに、自分を責めたり、人を傷つけたりすることほど悲しいことはありません。「違い」を見つけられたら、むしろ喜ぶべきではないか、人と違うことが認識できてこそ、自分も他の人もかけがえのない唯一の存在だと思えるのです。新しいクラスになり、新しい人と出会ったときに、違うこと恐れたり、避けたり、あるいは「同調」することにエネルギーを使ったりすることをせず、違うことをそのままに関わり合ってください。そして我が家の新聞の「同じもの探し」のように、ささやかなことでも「同じ」であることを見つけて、「共感」を重ねてください。「同調」は他のモノに調子を合わすこと。「共感」は違いを認め合った上で相手のことに思いをはせることです。

 私が最後に担任をした学年も、一部のクラスを除いて毎年、クラス替えをやっていました。やはり、4月という年度の変わり目は、何かしら気持ちの上で負荷がかかるのですが、私のクラスでは、生徒の発案で全員の誕生日を聞いて、月ごとにイラスト入りで名前と誕生日を書き、その日が来るとSHRで、全員でその生徒に拍手を送るということをし始めました。もちろん私も入れてもらいました。みんな特性、個性があるなか、特別に深くつきあうわけではなくても、誕生月の同じ生徒を1枚の紙に名前を書いて張り出すと、ささやかな「同じもの」が見つかり緩やかなつながりができるのです。違いばかり意識していると忘れがちですが、みんな必ず誕生日があり、だから今ここに生きているという点では同じ。あの人は違う、あの人は受け入れられないという構え方は、モノを生み出しません。何としてでもこの銅駝に入学したいと思って入試を受け入学できたということは、みんな同じ。正面から向かいあって合う合わない、好き、嫌いと評価ばかりせず、横に並んだり、ナナメから見たりしてみてください。そのひととの共通点や魅力が見つかり、気持ちが楽になります。

 新しい年度が始まります。皆さんが、「違い探し」で違いを認め合うことと、「同じもの探し」でつながりを感じ、緩やかな関係性をつくることを願っています。


平成31年4月8日 前期始業式
                  校長  吉田 功

平成31年度 第40回入学式 式辞

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              式  辞

 東山の稜線から明るい日差しがとどき、まさしく桜花爛漫の季節、通り過ぎた雨で花の色が鮮やかに映る今日の佳き日、京都市教育委員会をはじめ、PTA会長・役員の皆様、平素より本校にご支援をいただいております美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会のご来賓の皆様、そして、多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、平成31年度、京都市立銅駝美術工芸高等学校、第40回入学式を挙行できますことは、誠に大きな喜びであり、本校教職員を代表いたしまして、心よりお礼申し上げます。

 ただ今、93名の新入生の入学を許可いたしました。まずは、新入生の皆さん、ご入学、おめでとうございます。教職員一同皆さんを、大切にお迎えしたいと思います。

 保護者の皆様、本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。お子様のご入学を心よりお祝いいたします。お子様が本校を志望されるにあたり、保護者の皆様が本校の教育をご理解いただき、進路実現を目指すお子様を励まし、ご入学までお導きいただきましたことに感謝申し上げます。これからの三年間、教職員一同、力を尽くしてお子様の成長を支援してまいります。どうかご理解、ご協力を賜りますようおい申し上げます。

 本校は、明治13年、1880年に、「京都府画学校」として創立され、今年で140年目、現校地で銅駝美術工芸高校として開校してから40回目の入学生を迎えることとなりました。長い歴史と伝統をもつ本校を卒業された諸先輩方は、美術界、産業界、教育界ほか、各方面で活躍されておられます。皆さんは、本日、晴れてこの歴史と伝統のある学校の生徒になりました。銅駝美術工芸高校の生徒として、しっかりとした自覚と誇りをもって、志高く学習に取り組んでほしいと思います。皆さんは、今、期待と不安の交錯する気持ちでこの場所に臨んでいると思います。その新鮮な感覚を大切にして第一歩を踏み出してください。

 さて、学校のそばを流れる鴨川の河畔は、今を盛りに桜が咲き誇っています。桜は、春に花を咲かせるために、何ヶ月も前から桜の樹の中でその準備をするのだ、と言うことを聞いたことがあります。桜の花は、開花してから散るまで約2週間ほどでしょうか。その2週間ほど人々の目を楽しませる桜の開花には、桜の樹がずっと前の季節から命の営みを続けてこなければ実現しないのです。桜色の糸を染めるには、桜の樹が花を咲かせようと時間をかけてその力を全身にみなぎらせてきた時に、その樹の枝や皮を伐って使うのだそうです。京都在住の染織作家、志村ふくみさんは、そのことを『色を奏でる』というエッセイのなかで書いておられます。志村さんは、ある人が本を見ながら草木染めしてみたが思うような色にならなかったということを聞いて、「私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいただくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が、その幹や枝に貯えている色をしっかり受けとめて、織の中に生かす。その道程がなくては、自然を犯すことになる」とその思いを述べられています。日本国内だけでも数百種類あると言われる桜。言わずもがな、同じ桜の樹は2本とこの世にはありません。数知れない桜の樹は、根付いた場所、日差しや雨や、風や雪、それぞれの環境の中で、自然の力を吸収してエネルギーとし、生きています。私は、人間も同じではないかと思います。人はこの世に生を受けて、あまたの力をいただきながら様々な環境の中で命の営みを続けてきています。銅駝に入学した皆さんは、これから銅駝の高校生活の営みの中で、皆さん自身の色を出すのです。皆さんは、すでにひとり一人、自分の色を出す力をもっています。もし色が変わるとすれば、それは皆さん自身の中から湧き起こった力で変わるのです。私たち教職員の役割は、そのお手伝いをすることです。今までの色にこだわる必要はありません。どうか新しい色を創り出してください。加えて大切なことは、この世に二人として同じ人間はいない、人は多様で、ひとり一人がかけがえのない存在であるという重みを忘れてはならないということです。奇跡のような縁で、93名の新しい生徒がこの銅駝に入学しました。この不思議な縁に感謝し、人が多様であることの素晴らしさを理解して、自分と異なる人を受容し、向き合い、対話することを疎かにしないでください。

 志村ふくみさんは、植物を使う作家として、植物を単に色を作るための材料とするのではなく、命あるものとして尊び理解し、その植物の大切なものを生かし切ることを追求されています。厳し謙虚な姿勢で制作に臨む志村さんは、文化勲章を受章された陶芸作家の富本憲吉さんから、かつて次のように言われました。「工芸の仕事をするものが陶器なら陶器、織物なら織物と、そのことだけに一心になればそれでよいか、必ずゆきづまりが来る。何でもいい、何か別のことを勉強しなさい。」「画家がただ絵だけ描いていたらそれでよいと思う人はいないだろう。」「あなたは何が好きか。文学ならば、国文学でも仏文学でも何でもよい。勉強しなさい。私はこれから数学がやりたいと思っている。若い頃英国に留学したとき、建築をやりたいと勉強したが、それが今大いに役立っていると思う」と。その言葉を志村ふくみさんは重く心にとどめ、制作する際の軸としてきたと『一色一生』という著書に書かれています。銅駝では、美術の専門的な学びをじっくり取り組むことができます。しかし、美術の学び、あるいは、作品の制作だけをする学校ではありません。普通科の科目、総合的な探究の時間、学校行事やホームルーム活動、生徒会活動、国際交流、社会とつながる課題研究など多様な学びがあります。アートを学ぶとともにアート以外の学びも主体的に取り組んで総合力を身につける、それが銅駝美術工芸高校の教育です。今日からその学びがスタートします。

 皆さんが学校生活を過ごす本校の本館は、昭和初期に改築された銅駝小学校の建物です。今年は、全国に先駆けて京都で小学校が設立されてから150年目。京都では、明治維新の翌年1869年から、地元の人々の教育に対する熱い思いと資金供出の中で小学校が建設されました。銅駝小学校の前身、「上京第三十一番組小学校」もその最初の年に設立されました。昭和に改築された本館は、その後、数多くの子どもたちの学び舎として大切に使われ、戦後銅駝中学校として引き継がれました。ひとりひとりの人生にとって、また社会にとって「学校」はとても大切な存在です。
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「学校は希望を創るところ」だ、

 そう私は考えています。

 学校は人と出会い、学びと出会い、時には悩みや課題と出会いながらも、自己を磨き、変革していくところ、そして未来の自分に向けて可能性を広げるところです。戦前から多くの人々の学び舎として歴史を重ねてきたこの場所で、皆さんが、「見る、感じる、考える、表現する」という素晴らしい営みを旺盛に進め、皆さんらしい「希望を創る」3年間になることを願い、式辞といたします。


平成31年4月8日

                  京都市立銅駝美術工芸高等学校長
                   吉田 功

新年度のご挨拶

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               ご挨拶

 鴨川河畔の桜がようやく開花し、1週間後には満開の中で入学式、始業式を行えるのではと心待ちにしております。

 いよいよ今日から新年度となります。本日元号が発表され、5月からは「令和」という時代を刻むことになりました。

 本校が「京都府画学校」として創立したのは、明治13年(1880年)。美術専門教育を行う学校として139年の月日が流れました。明治初年、四条派の画家であった幸野楳嶺が望月玉泉らとともに京都府知事に出した画学校設立の建議書には、「画業は諸々の技術の長で有り、国家にとって極めて有益な業である」と述べられており、絵画を学校という機関で教育することの重要性を訴えていました。画学校の設立が国家にとって重要であるという考え方は、明治初年の国内外の情勢をよく反映していますが、美術、工芸、芸術活動の発展とその社会への影響に強い期待が寄せられ、本校の歴史が重ねられてきました。

 昨年京都市では、明治150年記念事業が行われましたが、その一つとして「銅駝美術工芸高校の所属作品展」を開催させていただき、本校卒業の著名な作家の方々の寄贈作品を多くの皆様にご観覧いただきました。また、京都市交通局と連携した生徒の課題研究で「地下鉄の魅力向上」のデザイン・企画提案を行い、具体的なチラシや商品として実現していただきました。今春3月18日から運行されている京都市バス観光系統(洛バス)の車内アートも本校生徒が課題研究として制作に取り組み完成させたものです。美術と社会がつながる教育活動がさらに充実、発展しました。

 そして今年は、全国に先駆けて設立された番組小学校ができて150周年。現在の本校の校地は、番組小学校「上京第三十一番組小学校」に源をもつ銅駝小学校、銅駝中学校であったところです。地域の人々の教育に対する熱い思いに支えられて多くの子どもたちが学んできた場所です。その様な場所で教育活動をさせていただいてきたことにあらためて感謝し、2023年、4年後の予定されている京都駅東部崇仁地区への新築移転という次のステージへ歩んでいきたいと考えております。

 「学校は希望を創るところ」です。

 本校は、明治・大正・昭和・平成、そして令和と、元号で言えば5つの時代をまたいで美術専門教育に取り組んできました。今後も「本校が美術専門高校であること」「本校のような美術専門高校があること」の重みをゆるがせにせず、伝統ある美術専門高校として、今を生きる高校生の豊かな学びを保障し、アートの力で未来を切り拓く青年の育成に努めてまいります。

 今年度も本校の教育活動にご理解ご協力を賜わりますよう、よろしくお願い申し上げます。

2019年(平成31年)4月1日               
                    校長 吉田 功

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