京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/27
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

3月20日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 3月20日記事 
 「終業式の日に “一日”」

こちらから→https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?...

校長室ウェブログ(3月20日) 終業式の日に  「一日」

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  終業式の日に

               一日

 平成29年度(2017年度)の終業式の日を迎えました。1年間使ってきたホームルーム教室、専攻実習室も基本的には今日が最後。4月からは新しい部屋へ移ります。次の人に美しい状態で譲れるようにしましょう。

 ここにカウントダウンのカレンダーをもってきました。これは以前、私が3年生の担任をしていたとき、クラスの生徒が、3年生の12月になって高校生活も残り少なくなってきた頃、この高校での残された一日一日を大事に過ごしたいと言って、生徒たちが作ったものです。クラス全員と私とでひとり一枚、一日分ずつ日付と残り何日かを書いて、卒業の日まで、一日の重みを感じ高校生活を大事に送りながら、一日一枚めくっていくということをしました。そんなことをやりだしてから、クラスの生徒の表情や過ごし方が、私から観て、少し変わったように思いました。私が一日を大切に過ごしなさい、充実した時間の使い方をしなさいと“指導”するよりも遙かに重みがあったように思います。

 今年度を振り返って、あの日、あの一日と思い出される日はありますか、特定の日を思い出さなくても、中身が詰まった一日がたくさんありましたか。朝起きて、いろいろ用意をして、学校へ登校することにずいぶんエネルギーを使った人もいるでしょう。様々なことを考えながら、しんどいことと向き合い、不安定感とつきあいながら一日一日を過ごした人もいるでしょう。しかし今年度は今日が最後。よく今日まで頑張りましたね。落ち込んだり、悩んだり、もがいたりしたことを後悔する必要はありません。そのことの先に今の自分があるのですから。

 私が心配しているのは、むしろ、朝起きるところから夜眠るまでただただその日任せに過ごしてしまった人はいなかったかということです。時間の刻みをあまり意識せず、何をしたか、何をしなかったか、あるいは何をしたかったのか、何ができて何ができなかったのか、そのようなことを自分で振り替えることができない、把握できでいないとしたら、それはたいへん残念なことです。この春休みそのようなことをもう一度自分で確かめて、新年度を迎えてほしいと思います。

 特別な日に近づいてから、カウントダウンをして時間を大事に過ごすことも大切ですが、それ以上に、この先の自分の姿を想像しながら、1ヶ月後は、半年後は、そして1年後は、と月ごとのカレンダーや、1年分1枚のカレンダーの中に自分を置いてみて、こうありたい、こうなりたいと自分なりのイメージをもって、新年度4月から過ごしてほしいと願っています。

 2018年3月20日
                      校長  吉田 功

第38回 卒業式 式辞

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              式   辞
 春浅き鴨川の水音に、三年(みとせ)の月日の流れを感じる今日の佳き日、三年生の巣立ちの日となりました。

 本日、京都市教育委員会をはじめ、PTA役員の皆様、並びに、平素よりご支援をいただいております、美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会よりお越しくださいましたご来賓の皆様、そして多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、第三十八回京都市立銅駝美術工芸高等学校卒業式を挙行できますことを、心より感謝し、教職員を代表いたしましてお礼申し上げます。

 先ほど、九十名の生徒の皆さんに、卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。美術専門高校での三年間の学びを全うし、ここに晴れて卒業の日を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。
保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様は本校で確かな力を身に着けられ、立派に成長されました。この三年間、本校の教育活動に深いご理解と温かいご協力を賜りましたこと、高い所からではございますが厚くお礼申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん。皆さんは明治十三年、一八八○年に創立された京都府画学校以来、一三八年の歴史と伝統をもつ美術学校の卒業生として、社会に巣立ちます。その誇りと、大きな志をもって、それぞれの新しい道を、歩み始めてください。

 皆さんが本校に入学した二〇一五年四月、私も他校から異動し校長として着任しました。立場は異なっても、私自身、皆さんと同じように、まっさらの気持ちで本校での生活をスタートさせました。私の最初の驚きは、入学後すぐに実施された新入生美術研修の日です。国立近代美術館で美術の鑑賞について講義を熱心に聴く姿勢、館内の作品をしっかり鑑賞する目差し、小雨が降る中、動物園で熱心に動物を観察して描いている姿に、心を動かされました。私はその後も、皆さんの学校生活の様々な場面を見届けてきました。本日、成長した皆さんの晴れの姿を見て、この三年間皆さんの成長に寄り添い、関わることができた教職員のひとりとして、心からうれしく思っています。

 その皆さんに、校長として三つの話をします。

 一つ目。私は、銅駝に来てから八枚の似顔絵を描いてもらいました。今年の卒業生の皆さんも、描いてくれましたね。第三者が八枚の似顔絵を見ると、どれが一番私に似ているか、というような評価をつけるかもしれません。しかし私は、八枚ともすべて私という人間をうまく表現して描いてもらったと思っています。描いてくれた八人の作者の観察、私と交わした言葉、私に対する印象や思い、それぞれに捉えられた八枚の似顔絵は、他者から観た全部正解の「私」だと思うのです。私が、鏡で私を見ても、捉えることのできなかった多様な「私」。私を映す鏡を超える八枚の絵の力に救われ、感謝しています。「私はこんな人間だ」、しばしば会話に出てくる言い方ですが、そんな簡単に「私」というものを決定することはできない、そう皆さんにも考えてほしいと思います。
 皆さんを迎えた入学式の式辞で、私は皆さんに「出会い」の素晴らしさをお話ししました。本校での三年間で出会った人やもの、こと、それはすべて皆さんの成長と変化に力となり、皆さんを形作ってきました。ひとは他者と関わり、その出会いと経験により自己の在り方を考え、変化し、広さと深みを増します。「私」であれ「他者」であれ、ひとを一面的に評価したり、レッテルを貼るのではなく、これからもポジティブに出会いを求め、自らの表面積を広げ、他者に対する感度を高くして生活をしてください。

 二つ目は、二〇一六年四月二十六日の「ニューヨークタイムズ」に掲載された「アートは警察官の観察眼を育てる」という記事です。ニューヨーク市警の警察官の定期研修で行われている、メトロポリタン美術館でのアート作品の鑑賞プログラムでは、視覚認知の専門家エイミー・E・ハーマンが講師となり、警察官に、ピカソや、フェルメール、エル・グレコなどの作品を見せ、言葉で描写させ、その意見を交換させます。この研修で、日頃、鋭い眼光でパトロールをしたり、事件現場で状況証拠から推察する仕事をしている彼らが、これまでの経験から来る固定概念でものを観るのではなく、絵画鑑賞をグループの対話を通じて行うことで、豊かで細やかな観察力を養い、確かな分析力や判断力を磨けるようにしているそうです。皆さんが本校での学びで存分に行ってきた、「観ること」「感じること」「考えること」「表現すること」は、美術の学びだけでなく、人間にとって、とても大切な営みです。デジタルネイティブ世代と呼ばれ、モバイルを難なく使いこなす皆さんは、ICTに留まらず、もののインターネット接続IOTの時代に生活し、人工知能AIとどのように共存するか、という時代に生きていきます。情報の入手、共有、発信が瞬時に垣根なく行える社会で、「観る」「感じる」「考える」「表現する」とはどういうことか、美術専門高校で学んだ皆さんだからこそ、この営みを主体的に日常的に行い、安易な判断や同調を退け、五感をはたらかせ、多角的で細やかな分析力と、深い洞察力で、課題解決に力を発揮してほしいと願っています。

 最後にもう一つ。大学で哲学、大学院で美術史学を研究し、現在外資系コンサルタント会社で働く山口周さんは、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という著書で、グローバル企業が、幹部候補生を著名なアートスクールに送り込み、また、ニューヨークやロンドンの専門職が、早朝のギャラリートークに参加していることを紹介しています。現代のビジネスにおいては、数値を用いた分析や評価を重視する「サイエンス型」や、これまで得た知識や経験に基づく「クラフト型」に偏重しすぎていると指摘し、不確実、不安定な時代に、ワクワクするようなビジョンをたて、創造的な発展を成し遂げるには、「アート」をトップにおき、「サイエンス」と「クラフト」で両翼を固めながら、感性や直感、美意識に基づいた意思決定が必要である、と述べています。

 アートは作家の作品制作に留まるものではなく、変化の激しい複雑な社会において、展望を切り拓き、社会を変革していくために欠かせないものであり、また、ひとが生きていく上で、心身にエネルギーと安定を与えるものであると、私は考えます。
多感な高校生の時代に、銅駝で巡り会った人々と織りなした三年間の日々。アートを専門に学び、ひたむきに、伸びやかに、多様な力を身につけた皆さんは、本校の誇りです。皆さんが、これからその力をますます磨き、発揮することを大いに期待するとともに、未来に向けて、アートが希望を創り、社会を動かし、いのちと心を育む、ということを、皆さんの営みで確かなものにしていって欲しい、その願いを託し、式辞といたします。

平成三十年三月一日
                   
           京都市立銅駝美術工芸高等学校長 吉田 功

1月9日 授業開始 新年の生徒向けメッセージ

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 本日、ホームルームで、新年の生徒向けメッセージを出しました。

 メッセージは、校長室ウェブログに掲載しています。
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1月9日 授業開始 新年生徒向けメッセージ

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              カラダの話

 2018年を迎えました。皆さんどんな思いで新年を迎えたでしょうか。

 昨年、1年生は高校受験で見事合格を手にし、銅駝での生活が始まりました。新鮮で、発見や面白さのある毎日、しかし一方で戸惑いや新しい悩みも生じてきたことでしょう。2年生は、専攻の授業が始まり、美術専門高校ならではの制作活動に意欲的に取り組みつつ、進路目標を探るという大きな課題に向き合ってきました。3年生は、高校での集大成として卒業制作に取り組みながら、進路実現に向けて自分なりの挑戦をしてきたことと思います。

 大晦日の夜、いつもより長めに湯船につかりながら様々な思いに浸っていました。一年を振り返りながら、普段思いをかけない自分のカラダについて考えてみました。私の「足」や「手」、「眼」や「耳」、そして「口」や「鼻」もよく“はたらき”ました。「足」は毎日の通勤だけでなく、教室や実習室に、皆さんが活動する校外の場所へ、そして市内各所、他府県、外国へも行きました。「手」は、書類や筆記具、スマートフォンだけでなく、本を手にしたり、握手をしたり、樹や花、動物に触れたり。「眼」は、皆さんの日常の姿を、作品を、そして多くの人の顔や景色を。「耳」は、皆さんの声、出会った人の話、鴨川や校庭から聞こえる鳥の囀り。そして皆さんや保護者の方、教職員、中学生、研修や講演で関わっていただいた多くの方々と言葉を交わした「口」。「鼻」と言えばやはり実習室の匂い、食堂の匂い、美術見学旅行の時の瀬戸内の海の匂いでしょうか。自分のカラダがよくはたらいた充実した一年でした。皆さんはどのようにカラダを動かしどんなことを得たでしょうか。せっかくの場面で意識を向けず、あるいは敬遠して、自身のカラダを使わず、逃したことはありませんか? かく言う私も、いくつか逃していたかもしれません。

 ところで「目の見えない人」は「目の見える人」に比べて得るべき情報が限られ、学びや成長にとって「マイナス」を被っているのでしょうか。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗 著/光文社新書)という本を読むと、それは大きな間違いであると書かれていました。「目の見えないこと」と目の見える人が「目をつぶる」ことは同じではなく、「目の見えない人」は、視覚のないカラダできちんとバランスをとっているのだそうです。さらに言えば、「目の見える人」はある視点からものを見ているので必ず死角があるけれど、「目の見えない人」は「見るときに見えない場所が存在する」ということが成立しないので、ものごとの在り方を「どう見えるか」ではなく「それぞれの部分が客観的にどうなっているのか」という把握をするのだそうです。

 私たちは、それぞれこの世に二人といない唯一の存在。カラダもすべて異なります。カラダの違いは、優劣でも有利不利でもない。それぞれのカラダを精一杯大切に使っているか、カラダのもつ力を十分生かしているか、また、それを磨き、鍛えてその力を伸ばしているか、ということが大事なのでしょう。そしてカラダの異なる自分と他者を認め合いながら共にものを考えたり、対話したり、サポートしたりできるのが学校であり社会であるはずです。昨年10月、京都大学の塩瀬隆之先生の講演で投げかけていただいたテーマ「『ために』から『ともに』へ」はまさにそのことを指しているのでしょう。

 自分のカラダは、単なるパーツの合体したものではありません。つながってはたらく、かけがえのないものです。今年一年、あらためて自分のカラダをよく知りうまく付き合い、カラダの機能をトータルではたらかせて、好き嫌いをせずたくさんのこと、多様なことを吸収しましょう。

 自分の限界なんて、頭の中で先に決めることではないのですから。

2018年1月9日             校長  吉田 功

12月4日(月) 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 12月4日記事 
 「アートのうまれるところ」

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校長室ウェブログ(12月4日) アートのうまれるところ

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           アートのうまれるところ

 今秋も多くの作品展、個展、共同展の案内をいただき、素晴らしい作品に出会わせていただきました。銅駝に着任するまでは考えられなかったことです。学校では週末に公務が入ることが多く、それなりに予定しておかないと期間が過ぎてしまうので、案内をもらうと行けそうな日を探して書き込むようにしています。銅駝で勤務していると、日々、生徒の制作を間近に見ることができ、それだけでも素晴らしい日常だと思っていますが、校外から案内をいただくと、実際に行くまでちょっとしたワクワク感があります。アートが“わかる”とか“わからない”とかということではなく、これまで見たこともないものと出会い、美しい、かっこいい、不思議、どのようにして作られたのだろうという疑問や制作者への敬意、そんなことを経験できる機会として足を運んでいます。多忙であっても、そんな日常に豊かさを感じています。

 昨日は、卒業生の共同展に行ってきました。各々の場所で活動している7人の卒業生が10年目に開催した共同展です。ギャラリーは、その卒業生のひとりが友人と古い町家を見つけて2年がかりで自力でリフォームしたCAFÉ兼工房です。アートを生み出す空間を自ら創りだしたというわけです。作品のおもしろさはもちろん、そのバイタリティとユニークな町家に感心しました。

 11月末、3年生のひとつの講座の生徒が、老人介護施設に行ってアートのワークショップに取り組みました。施設入所者の方がアートを楽しむために、自分たちができることは何か、入所者の心身の状態からどんな活動であれば楽しく取り組めるのかを考え、準備を進めました。事前に学校の授業で模造紙に春と夏の風景を描き、花や鳥や動物の手作りスタンプや、塗り絵の用紙を作りました。当日、生徒は入所者の方と会話しながら介助して制作を進めました。午後の限られた時間ではありましたが、制作中は入所者の表情が柔らかく穏やかに見えました。完成した大きな作品は廊下の壁面に貼り出し、その前で全員で記念写真。生徒や入所者のどちらにとっても今まで経験しなかった豊かな時間となり、施設の何もなかった空間にアートが生まれました。アートに触れる時間は人の心身に力を与える、アートの作品があることで空間を変え、さらにその空間にいる人を変える、そう思いました。

 学校では今年もホスピタルアートの講演をしていただきました。外国では、ホスピタルに専門のアートスタッフを配置するのだそうです。調べてみるとスウェーデン政府は公共建築の新築・改築に際して、全体予算の最低1%をアートに充てることを法律で定めており、病院の場合は2%を上限としてアートを採用する旨が示されているとのこと。アートは、“空いている”スペースのためのものでもなく、“あとで添える”ものでもない、そして“余分”で存在しているわけでもない。豊かな時間、空間を保障せず素晴らしいアートが生まれるはずがない。アートが豊かな時間と空間に支えられ、教育の中で、生活の中で当たり前に存在している、そのことが非常に重要なのだと思います。

               2017年12月4日        
                        校長  吉田 功

10月30日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 10月30日記事 
 「作品が語る 作者が語る」

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校長室ウェブログ(10月30日) 作品が語る 作者が語る

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           作品が語る 作者が語る

 10月が終わろうとしています。第38回の美工作品展が15日に閉じてからも様々な余韻の中にいました。美術工芸の作品は、作者の観察、思考に基づく表現であるとともに、鑑賞者の心を揺さぶり考えさせるメッセージを発出します。美工作品展は、4日間、2会場あわせて約5800名の方々にご来場いただきましたが、1年生から3年生まで270名の表現した作品が、来場者の方に何かしらとどけたものがあったと思います。各専攻では、生徒と教員が合評の中で作品について言葉を出し合いました。また、たくさんの方々に聴いていただいたギャラリートークでは、作者である生徒が制作の意図や制作過程、作品で表現したかったことを言葉にしました。「絶対悔いの残らない作品にしたかった」「17歳でこのように絵が描けて幸せだった」「作品と自分が一体となった」、作者である生徒が語ったことは、新鮮であり深く印象に残るものでした。

 生徒の作品すべてを鑑賞して、私は私なりに、美しいとか、構図や形がおもしろいとか、また引き寄せられる感じがするとか、作者を思い浮かべながら様々な印象をもちました。それは、私の持ちあわせている物や色に対するとらえ方やイメージ、ものごとの感じ方、もっといえば、自分のこれまでの経験や生き方を背景にしたものであり、作者の考えや他の人の感じ方とは異なっていたかもしれません。しかし、そのことの自由が保障されているのが美術、芸術であり、その意義はたいへん大きいと思います。「モチーフが先にあったのではなく、テーマがまず先にあってモチーフを決めた」という言葉には驚かされました。『ありがとう』という作品です。自分と弟を描いた『霞み瞬く』という作品で、「亡くなった母の視線で」描いたという作者の語りには、胸中に大きな波が寄せてくる感じがしました。自分なりの鑑賞の後、作者と言葉を交わして作品のとらえ方が変わり、作品から発せられるメッセージの深さ、重さをあらためて感じたことがたくさんありました。

 美工作品展に限らず、展覧会の案内、個展の案内をよくいただくようになりました。作品を鑑賞する機会を増えたのも、行こうという気持ちが高まったのも本校に勤めてからです。中学生の時担任であった美術の先生、前任校の先生や本校の先生、本校の卒業生、やはり秋は機会が増えます。“作品が語る”こと、“作者が語る”こと、鑑賞して自らの中にわき上がる感覚とそれを語ること、そういうことを叙述された長い文章ではなく、目の前に置かれた作品と向き合ってやりとりする。日常の中にそのような時間があること大事にしたいと思います。幼い頃より、図画工作や美術が好きで、作る、描くという活動だけを楽しいと感じていた自分が、今、鑑賞することに豊かさや幸福感をもてるようになりました。先日、進路講演会にお招きした京都大学総合博物館の塩瀬隆之先生のご講演、「共創時代に生きる『表現』〜『ために』から『ともに』へ〜」のお話を今一度重ね合わせて、美術の作品制作、表現、作品鑑賞のもつ可能性や力をあらためて感じているところです。
 
 2017年10月30日       
           校長  吉田 功

10月4日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 10月4日記事 
 「観る 感じる 考える 表現する 〜第38回美工作品展を前に〜」

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