京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/30
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

10月30日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 10月30日記事 
 「作品が語る 作者が語る」

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校長室ウェブログ(10月30日) 作品が語る 作者が語る

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           作品が語る 作者が語る

 10月が終わろうとしています。第38回の美工作品展が15日に閉じてからも様々な余韻の中にいました。美術工芸の作品は、作者の観察、思考に基づく表現であるとともに、鑑賞者の心を揺さぶり考えさせるメッセージを発出します。美工作品展は、4日間、2会場あわせて約5800名の方々にご来場いただきましたが、1年生から3年生まで270名の表現した作品が、来場者の方に何かしらとどけたものがあったと思います。各専攻では、生徒と教員が合評の中で作品について言葉を出し合いました。また、たくさんの方々に聴いていただいたギャラリートークでは、作者である生徒が制作の意図や制作過程、作品で表現したかったことを言葉にしました。「絶対悔いの残らない作品にしたかった」「17歳でこのように絵が描けて幸せだった」「作品と自分が一体となった」、作者である生徒が語ったことは、新鮮であり深く印象に残るものでした。

 生徒の作品すべてを鑑賞して、私は私なりに、美しいとか、構図や形がおもしろいとか、また引き寄せられる感じがするとか、作者を思い浮かべながら様々な印象をもちました。それは、私の持ちあわせている物や色に対するとらえ方やイメージ、ものごとの感じ方、もっといえば、自分のこれまでの経験や生き方を背景にしたものであり、作者の考えや他の人の感じ方とは異なっていたかもしれません。しかし、そのことの自由が保障されているのが美術、芸術であり、その意義はたいへん大きいと思います。「モチーフが先にあったのではなく、テーマがまず先にあってモチーフを決めた」という言葉には驚かされました。『ありがとう』という作品です。自分と弟を描いた『霞み瞬く』という作品で、「亡くなった母の視線で」描いたという作者の語りには、胸中に大きな波が寄せてくる感じがしました。自分なりの鑑賞の後、作者と言葉を交わして作品のとらえ方が変わり、作品から発せられるメッセージの深さ、重さをあらためて感じたことがたくさんありました。

 美工作品展に限らず、展覧会の案内、個展の案内をよくいただくようになりました。作品を鑑賞する機会を増えたのも、行こうという気持ちが高まったのも本校に勤めてからです。中学生の時担任であった美術の先生、前任校の先生や本校の先生、本校の卒業生、やはり秋は機会が増えます。“作品が語る”こと、“作者が語る”こと、鑑賞して自らの中にわき上がる感覚とそれを語ること、そういうことを叙述された長い文章ではなく、目の前に置かれた作品と向き合ってやりとりする。日常の中にそのような時間があること大事にしたいと思います。幼い頃より、図画工作や美術が好きで、作る、描くという活動だけを楽しいと感じていた自分が、今、鑑賞することに豊かさや幸福感をもてるようになりました。先日、進路講演会にお招きした京都大学総合博物館の塩瀬隆之先生のご講演、「共創時代に生きる『表現』〜『ために』から『ともに』へ〜」のお話を今一度重ね合わせて、美術の作品制作、表現、作品鑑賞のもつ可能性や力をあらためて感じているところです。
 
 2017年10月30日       
           校長  吉田 功

10月4日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。

 10月4日記事 
 「観る 感じる 考える 表現する 〜第38回美工作品展を前に〜」

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校長室ウェブログ(10月4日) 観る 感じる 考える 表現する

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          観る 感じる 考える 表現する
           〜第38回美工作品展を前に〜

 10月になりました。今年の中秋の名月は10月4日、美しい月を眺められるのを楽しみにしています。最近は街中が夜でもどんどん明るくなってきていますが、この明かりがなければ、もっと異なった月の美しさを感じられるのでしょう。以前屋久島に行ったときに、森のナイトツアーを経験しました。足下を懐中電灯で照らしながら森の中へ入っていって、懐中電灯を消すと漆黒の世界。しかし、数分間目を閉じてゆっくり目を開けると、森の中の木々がしっかり見えるのです。ガイドさんは、人間は昔、夜でも“もの”をとらえる目をもっていたが、あかりを使う生活が当たり前になって「野生の目」が衰えてきた、と話されました。「明るいところでものを見る」「暗ければ明かりをつけて見る」そんなことを常識として疑わないでいると、夜の森の樹の美しさ、神秘さは感じられません。「観る」ということをよりこだわって考えるようになったのは美術の学校、銅駝に来てからです。

 私はいつも鴨川沿いか、高瀬川沿いをあるいて朝7時半過ぎに出勤します。実習棟、記念棟をみて本館へ到着。ときどきグラウンドへ出て、東山を観たり、逆にグラウンド東側から本館を眺めます。当たり前ですが、毎日感じるものは違いますし、去年と同じ季節が巡ってきても感じることは違います。夜、退校するときの校舎の姿はまた味わいがあります。一日を終えた学校の姿です。様々な場面で「観る」こと「感じる」ことの、深さや幅広さを意識します。

 私は、幼い頃から「青」色が好きで、衣服も小物も結果的に青ばかりになるのですが、「青」が自分の心を動かす、作用する感覚は、この学校に着任してから少し変わったような気がします。それはやはり、生徒が制作した作品で多様な「青」を見てきたからだと思います。もっと言えば、あまり好まなかった赤色や黒色のイメージも変わりました。生徒の作品に見える赤や黒を美しいと感じるようになったのです。観ることの大切さ、感じることの深さ、制作において考えることの重さ、表現の仕方の幅広さ、そういうことを教えてもらったのは、この学校であり、生徒の制作の姿、表現された作品のおかげです。

 今年、デザイン専攻の生徒が制作した手描きのリアルなトラのイラストを全面に使い、学校のポスターを作成しました。ポスターに掲げた言葉は「とことん深く、幅広く」です。専門学科の高校は、特定の分野だけをただただ学ぶのではない、深さと幅広さを土台にした専門性を学ぶ、本校はそういう美術の専門高校です。美術の専門高校でたゆまず行っている「観る」「感じる」「考える」「表現する」ことは、人が生きていく上で重要な営みです。問いに対して膨大な情報を元に計算処理して最適解を見つける、そんな技術が発達しても、「観る」「感じる」「考える」「表現する」そういうことを丁寧に重ねていくことは、よりよく生きる、社会をより豊かにするためになくてはならないものだと考えます。

 そのような営みの中で制作された生徒の作品が、まもなく美工作品展に出品されます。生徒の自己表現の一つの到達点を多くの方々にご観覧いただけることをありがたく思っています。そして、作品が多くの方々の心を揺さぶることを願っています。


2017年10月4日(前期終業式の日に)
                   校長 吉田  功

8月28日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 8月28日記事 「ひと夏の経験を 未来に」

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校長室ウェブログ(8月28日) 〜ひと夏の経験を 未来に〜

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            ひと夏の経験を 未来に

 「日本語が使えないのは謎の開放感で心地よかった」「普通友達と話すような会話でも言葉が通じないと言うだけで不安になったり、返答がかえってきたらうれしくなったりして、今までにない緊張感とワクワクする楽しさを感じました」  出会いと経験の中で生徒が感じた素直な気持ちにふれ、私  自身が新鮮で心地よい感覚になりました。

 今年の夏、日本は京都市、韓国は大邱広域市、中国は長沙市、国によって選ばれた3都市の青年が文化・芸術を通して国際交流をする「東アジア文化都市2017青少年交流事業」が開催され、本校生徒が参加、活動をしました。2都市からの派遣を受け入れるプログラムでは、どのような交流がよいか教員でずいぶん検討しました。京都を代表してホスト校をさせていただくにあたり、美術を学ぶ生徒ができる交流活動、そして銅駝美術工芸高校らしいプログラムをということで計画しました。また、韓国の大邱広域市と中国の長沙市への生徒派遣については選考を経て代表を決定しました。日程はタイトでしたが、事前学習の日を設け、受け入れ、派遣に参加するすべての生徒は、歴史や文化、韓国語・中国語などについて学ぶとともに、事前課題に取り組みました。受け入れプログラムも派遣プログラムも、猛暑の中、生徒は熱心に取り組み、やり遂げました。多くの生徒が振り返りの中で書いているように、最初は言葉の違いに不安や戸惑いがあったけれど、考えられる様々な工夫をしてコミュニケーションをとる努力をしたこと、そして何よりも3都市の生徒それぞれが、話したい、伝えたい、仲良くなりたい、という熱い思いをもちながらともに時間を過ごしたことで、ぎこちない関係に変化が生まれ、物事が動き出しました。もちろん、言葉だけでなくお国柄、文化や習慣、考え方の違いを次々経験することにもなりました。しかし、違いを認識し、相互理解することが交流の基盤です。そして、生徒たちは、直接対面し、対話し、協働で活動したからこそ、国際関係において様々な課題がありながら、限られた情報だけでイメージを創りあげたり判断するのではなく、自分でしっかり確かめ、感じ、考えたことをもとに判断し主張していかなければならないことを学びました。「問題があるからといって閉鎖的になるのではなく、解決のために積極的に行動することが大切だと感じました。」そう生徒は書いています。未来を担う3都市の青年たちに是非期待したいと思います。

 今回この事業に参加した1、2年生は全員タブレット「iPad」を入学時に購入している生徒です。学校で導入している「Classi」の校内グループのサイトを活用して、事前学習の段階から、生徒が調べたこと、わかったこと、気づいたことなど様々な記事を投稿するようにしました。教員もこのサイトに入って連絡事項を書いたり、生徒の投稿にコメントしたりすることができ、たいへん効果的な取り組みができました。また韓国大邱広域市派遣の折には私がiPadを持参し、Zoomというアプリを活用して現地の生徒の活動の様子を日本の教員に生中継することを試みました。この事業に参加をして、生徒だけでなく、私たち教員も国際交流活動への指導、ICT活用方法の拡大など新しいことにチャレンジすることができました。また、PTAの方々にもお土産品制作においてご協力いただきました。多くの方々の支援とサポートにより、今までになかった新しい教育活動に取り組むことができました。関係者の皆様に感謝申し上げます。そして何より、新しい課題に向き合いしっかり活動した生徒の皆さんに拍手を送りたいと思います。今回の取り組みは、後日生徒による報告、発表の機会を設ける予定です。

 今までになかった銅駝の「ひと夏の経験」を、生徒も教員も大切な財産として、芸術・文化で未来を切り開いていく原動力にしたいと考えています。

 2017年8月28日                   
               校長  吉田 功

7月18日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 本日、校長室ウェブログの記事を更新しました。

7月18日付記事は、こちらから
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校長室ウェブログ(7月18日) 〜すべては、「違う」ことから〜

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          すべては、“違う”ことから 

 今年も2年生の人権学習に「れいんぼー神戸」の内藤れん さんをお招きしました。「セクシャルマイノリティ〜LGBTをきちんと学ぶ」というテーマで、L−レズビアン、G−ゲイ、B−バイセクシュアル、T−トランスジェンダーという、多様な性のあり方についてのお話を聴きました。内藤さんは、人がその違いによって社会の中で生きづらくなることの問題を紹介され、自分とは異なるものとの共存、ということについて話されました。単に「性」の問題に留まらず、私たちの日常のものの見方、考え方への問題提起だと考えています。

 私は、昨年の人権学習で内藤さんのお話を聞いたあと、「性別」ということを意識して考えるようになりました。ある研修会に出席して、最後に提出を求められるアンケート記入の際、年齢や職種の項目の前に性別欄があるのに違和感をもちました。主催者側はこの研修に参加した人の感想や意見を聞くのに「性別」を本当に必要としているのだろうか? 研修の内容からして性別の違いによって感想や意見の特徴があるのだろうか? そもそも「性別」は二択を当然のことと考えて用意されている項目。
 インターネットで少し調べてみると、多様な性のありかたは「LGBT」の4つの分類で説明しきれるものではないという考えから、「LGBTs」と表記して「s」をつけることで「他にもいる」という意味を出そうとしたり、アメリカでは、「クィア(Q)」「クエスチョニング(Q)」を加えた「LGBTQ」という表記が一般的であるとも書かれていました。「性的少数者」という言い方に対して、当事者の中には、「マイノリティー(少数派)とマジョリティー(多数派)」という対立構図にしたくないという意見もあるようです。「性」のあり方について多数派か少数派かということではなく「どのように生きたいか」の問題だと。

 このように考えてくると、「普通」とか「特殊」という発想で人を分類して認識していることに問題があるのではないかと思えてきます。もともとすべて人は「違う」ということからスタートしなければならないのでしょう。つまり「違う」ことが「普通」であるということです。自分と異なる人がいて当たり前、異なる人と対話し、生活し、仕事をし、活動することが日常なのです。違うことをお互いが理解しながら、共通点を発見したり、一致点を探ったり、受け入れたり、受け入れてもらいながら「共存」することが追求されなければなりません。「違う」ことで否定されたり、排除されたりすることはあってはならないし、それとともに、自分の気持ちや考えを理解してもらうための働きかけや、他の人の気持ちや考えを慮ることを省略してはならないのだと思います。

 今年2月から、日本、中国、韓国の3カ国の中で選ばれた3都市(日本は京都、中国は長沙、韓国は大邱広域市)が文化芸術交流を行う「東アジア文化都市2017京都」事業が始まっています。その一環として今夏行われる青少年文化交流事業に本校生徒が取り組みます。中国や韓国の青年とともに過ごす時間は、「違う」ということを前提としながら、お互いを理解し、知らないことを教え合い、ともに力を出し合って課題に取り組む貴重な機会になるでしょう。「違う」ものが共存する社会、豊かに平和的に発展していける社会、その担い手になる青年の交流や活動に大いに期待しています。21世紀はそういう時代であってほしい、そう思います。

 2017年7月18日
                校長  吉田 功


2017年6月9日 校長室ウェブログ 更新しました

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 校長室ウェブログ記事を更新しました。

 こちらからどうぞ
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2017年6月9日  文化祭を前に

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 前期中間考査が終わると、文化祭準備が本格的に始まります。2日間の文化祭日程で、多くの時間をあてているのがクラス演劇です。1年生から3年生まで全クラスが取り組むこのクラス演劇は、銅駝美術工芸高校の前身、日吉ヶ丘高校に普通課程とともに美術課程として設置されていた時代から行われていた伝統ある取り組みです。私が日吉ヶ丘高校の普通科に籍を置いていたのが、1976年から3年間。当時は西本願寺前にあった本願寺会館で舞台発表があり、大道具を運ぶのもたいへんだったと思います。私は普通課程にいたので、美術課程の生徒が創る制作物にはいつも圧倒されていました。演劇は役者の身体表現はもちろん、大道具小道具、衣装、照明、音響など様々な要素が効果をだしあう「総合芸術」であり、多数の人々が協働して創り出す大きな作品です。例年、準備過程では様々な苦労があります。気持ちや考えの“ぶつかりあい”も起こります。しかし、一般的に演劇でも映画でも一つの作品が出来上がるまでには様々なことが起こり苦労があります。流れるように滑らかに出来上がっていくわけではないでしょう。協働して何かを生み出そうとするときは、たくさんのエネルギーが必要であり、個性をもったひとりひとりの力を掛け合わそうとすれば“ぶつかる”ことも当然のこと。それを制作する集団に属する者どうしの対話、知恵と力でどう解決するか。人も集団もここが成長するポイントだと思います。生徒の主体的な教育活動に教師がどのように関わり支援するかも重要です。この教育活動を通じて一まわりも二まわりも成長してほしいと願うとともに、その発表を大いに期待しています。

 先日、3年生アートフロンティアコースの総合的な学習の時間「表現探求F」に講師として招いたのは、本校卒業生で、劇団「ソノノチ」代表、劇作家、演出家、俳優の中谷和代さん。授業終了後、校長室で中谷さんとお話をする中で、高校時代のクラス劇は、やはり大きな思い出として残っていると話されていました。本校のクラス劇は、生徒の成長に大きく影響を及ぼしているのだと思います。少し経って中谷さんと是非お話がしたいという生徒が校長室にやって来ました。3名とも将来舞台に立ちたいという夢をもっており中谷さんに直接聞きたいことがあったようで、丁寧に答えてくれる中谷さんのお話に聴き入っていました。中谷さんは、演劇をやりたい、舞台に立ちたいという夢を実現し活躍していくためには、様々なものに興味をもち、学び経験することが大切であると話されていました。素晴らしいものを創り出すためには、山で言えば裾野の広さが、樹木で言えば張り巡らされた根っこが必要なのでしょう。専門学科としての学校、専攻に分かれた学びをする学校であるからこそ、幅広い興味・関心をもち、多彩な人との出会い、多様な経験を重ねながらプロフェッショナルになってほしいと願っています。

 そのようなことを書いている私自身、普通科出身ながら美術専門高校に転任したことで、思考の幅が広がりました。今まで経験しなかった美術教育、多彩な生徒と教員に出会えたからこそです。この学校で私自身も日々成長させてもらっている、そう思っています。

 2017年6月9日     校長 吉田 功

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