京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/21
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中学3年生対象「実技講習会」(6/8開催)の申込は、来週24日(金)17時までとなっています。参加希望の方は、本校ホームページのトップ画面左側のカテゴリ「中学生のみなさんへ」をクリック!そこから申し込みをしてください。

(アーカイブ2016年3月18日) 終業式  次のステージ 次の自分に

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 本日、終業式。今年度、最後の日となりました。1年生は、春休み中に、大切な学校行事「美術見学旅行」があります。しっかり研修してきてください。

 さて、去年の終業式、1年生はどこにいましたか? 1年前、もちろん1年生はここにはいません。中学校を卒業し、銅駝に入学する準備をし始めた頃です。2年生は、今の場所に座っていなくて、今の1年生のところに座っていました。来年の終業式には、1年生は今の2年生の所に座って居るはずです。2年生は卒業してしまってここにはいません。

 1年単位で考えたら、高校3年間は、ここに居なかった自分がここに座り、隣りの学年の場所に移って、そしてそこからいなくなる。それだけのことです。しかし高校3年間はそんなに軽いものではない、とみんなは反論したくなりますよね。その通りです。そんなに軽いもの、簡単なものではありません。けれど、今年度1年間、そう思って一日一日を大事に過ごせたでしょうか。1年経てば同じ季節が巡ってきますが、同じ季節が来ても、座る「位置が変わる」ということは、人として、「次のステージ」に移っていくということです。同じ季節が来ても、もう1年前とは「違う自分」になっているということです。 

 「違う自分」今年度を振り返って、1年前と「違う自分」になった、そう実感できていますか。相変わらずの自分ですか、成長しましたか、ちゃんと大人に近づきましたか。自分のいる位置が変われば、同じものを見ていても形が変わって見える、影の形も違う、美術を学んでいる皆さんは十分知っていることです。位置が変わっても、相変わらずの自分ではいけません。もし悩み事があったとしても同じことで同じ悩み方をしていてはいけません。解決の糸口を見つけ出しましょう。

 皆さんは4月から新しい学年、新しいステージに立ちます。来年の春、自分で納得できる、「違う自分」「次の自分」になっているために、春休みの約3週間、この1年間の自分を振り返り、これから1年後の「なりたい自分、なっていたい自分」の姿をイメージしておいてください。
私も1年先、見た目はしわが1本増え、髪の毛が10本くらい抜けているかもしれないけれど、「違う自分」「次の自分」になっていられるよう、4月から何をすべきか、この春休みに考えたいと思います。

 では、この春休み、今日の話を頭のどこかで点滅させながら過ごしてください。

2016年3月18日 終業式    
               校長 吉田 功

(アーカイブ2016年3月11日) 3月11日

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 3月11日 あの東日本大震災が発生して5年目を迎えます。あの震災で大切な方を亡くされた方、大切なものを失われた方、生活の場所を離れなければならなくなった方、体や心に傷を負われた方、今なお行方不明の方、そういう方々のことを思い心が痛みます。

 本日11日、本校でも防災避難訓練を実施し、改めて防災に対する危機管理、命を守る行動への意識と実践力を高める取り組みを行いました。

 本校に在籍する清水里織さんは、震災前宮城県に住んでいましたが、震災の影響で中学に入ると同時に京都に引っ越し、2年前本校に入学してきました。親戚や友達が宮城にいながら自分の家族だけが引っ越したことが苦しみであり悲しみであった、一緒に支え合いたいのに何もすることができないという自分にもどかしさを感じていた、と言います。本校に入学して「あなたの絵を贈ろう」という震災復興支援の取り組みと出会い、自分も力になれるとこの活動に関わってきました。「こんなに誰かを思って絵を描いたのは初めてだった。言葉にはできないけれどこの絵を見た方に私の想いが伝わるように精一杯描いた。」そう振り返っています。

 この活動は被災地の宮城県宮城野高校、東北生活文化大学高等学校、仙台二華中学校・高等学校と、北海道おといねっぷ美術工芸高校、そして銅駝美術工芸高校が一緒になって取り組んできた「復興へ!高校生が架ける虹のアートプロジェクト」の一つで、校内での支援の呼びかけに応えて生徒が絵を描き被災地の皆さんにプレゼントしてきました。このプロジェクトをきっかけに本校は宮城県宮城野高校美術科との交流が始まり、生徒会の代表生徒を夏休みに宮城県へ派遣し、津波の被害があった現場や仮設住宅を訪問し、現地の方からお話を聴いたり、高校生と交流したりし、学校へ戻って全校生徒に報告するという活動が始まりました。また宮城野高校美術科の生徒の皆さんが研修旅行で京都、奈良を訪れた際、本校に立ち寄っていただき生徒どうしの交流会を行ってきました。清水さん自身も夏休みに帰省を兼ねて生徒会代表生徒とともに現地に行った際、仮設住宅の住民の方が、高校生の作品を熱心に見ていただきながら「毎年このイベントが楽しみなんです」「絵を部屋に飾るだけで部屋も気分も明るくなるんです」と声をかけていただく経験をし、「自分が学んでいる芸術にはこんなに素晴らしい力があるんだ」と気づきました。
 
 3月11日が来るたび、私は、震災から10日遅れで行われた気仙沼市立階上中学校の卒業式で梶原裕太さんが読んだ答辞を思い出します。「階上中学といえば『防災教育』と言われ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です」。この思い、決意の言葉に触れ、被災地から離れた私たち自身も震災から何を学び、何をなすべきか、ずっと問われているのだと思っています。

 美術を学ぶ本校の生徒が、専門高校としてその特殊性を大切にし専門的な力を伸ばしながら、社会の諸課題との接点を持ち、問いを重ね、課題に立ち向かう普遍的な力を身につけて未来の担い手に育ってほしいと願っています。


 2016年3月11日     校長 吉田 功

(アーカイブ2016年3月1日)第36回卒業式 式辞

             式 辞

 風光る三月を迎え、巣立ちの日を知っていたかのような名残の雪に包まれる今日の佳き日、京都市教育委員会をはじめ、PTA役員の皆様、並びに、多大なご支援をいただいております、京都パレスライオンズクラブ、交友会、銅駝自治連合会よりお越しくださいましたご来賓の皆様、そして多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、第三十六回京都市立銅駝美術工芸高等学校卒業式を挙行できますことを、心より感謝し、教職員を代表いたしましてお礼申し上げます。

 先ほど、九十一名の生徒の皆さんに、卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。三年間の学びを全うし、ここに晴れて卒業の日を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。
 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様は立派に本校での学びを遂げられ、大きく成長されました。この三年間、本校の教育活動に深いご理解と温かいご協力を賜りましたこと、高い所からではございますが厚くお礼申し上げます。
 卒業生の皆さん、皆さんは明治十三年、一八八○年に創立された京都府画学校以来一三六年の歴史と伝統をもつ美術学校の卒業生として、社会に巣立ちます。その誇りと大きな志をもって、新しい歩みを始めてください。

 卒業する皆さんに二つのことをお話しします。
 私は、昨年の夏、長野県上田市にある無言館という美術館を訪問しました。そのきっかけになったのは、十年前京都で開かれた展覧会で、その美術館の所蔵する絵を見たことに始まります。作品は、すべて戦争で兵士として召集され、志半ばで画家になる夢を断たれた戦没画学生のものです。画学生が制作した家族や風景、自画像などの作品を鑑賞するにあたり、作者が出征する直前まで絵筆を動かしていた戦没画学生であるという情報が加わると、その作品はさらに無数の意味を生み出し、鑑賞者の心を揺さぶります。展覧会で購入した図録を書棚に置きながら、いつか長野県上田市にある無言館を訪問したいと思い、十年が経ちました。今年こそ、と私を突き動かしたのは、昨年四月本校に着任して、その無言館に、皆さんの先輩にあたる京都市立美術工芸学校卒業生の工芸作品が所蔵されているとわかったからです。無言館の静寂の中、作品と向き合った私は、戦後七○年の歳月を越え、画学生の創作、表現した作品から様々な問いを投げかけられた思いでした。皆さんは、三年間本校で美術を学び、対象と向き合い、思索を巡らして多くの作品を創作してきました。どうかこれからも、一人の人間として対象にしっかり向き合うこと、自分の体全身で対象を受け止めてしっかり考えることを、たゆまず続けて下さい。美術の創作活動に限らず、十八歳選挙権が実現した今、社会の諸課題と向き合い、グローバルな視点をもって、問いを重ね、行動してください。

 二つ目の話。私は昨年四月に本校に着任し、皆さんと出会い、皆さんの学びに関わることをきっかけに、今までの人生ではなかったほど多くの美術作品を見る機会を得ました。私は今、「見る」と言いましたが、人間の得る情報の八割から九割は、「視覚」に由来すると言われています。ならば、「目の見えない」人は美術作品を鑑賞するという素晴らしい経験をできないのか。東京工業大学リベアルアーツセンター准教授の伊藤亜紗さんは、その著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で、この問いに鋭く迫っています。「目の見えない」ことと、「目をつぶる」ことは違う、と伊藤さんは言います。「目をつぶる」ことは視覚情報の遮断。「目の見えない」ことは、単なる情報の遮断ではなく、違う形でものを見ているのだと。そして、二〇一三年、水戸芸術館で開催された「視覚に障害がある人との鑑賞ツアー」に参加し、これまでの自分の思考を転換します。この鑑賞は、「目の見えない」人が、手の触覚を通して立体作品に触れるものではありません。「目の見える」人が「目の見えない」人に解説をするものでもありません。では、どうやって「見る」のか。それは、グループに分かれて、「目の見える」人がどんな作品かという情報を「目の見えない」人に伝え、「目の見えない」人が「目の見える」人に質問をし、作品についてみんなで語り合いながら鑑賞を進めるという方法です。「ソーシャル・ビュー」と呼ばれるこのワークショップは、「見えるか見えないか」という視覚に左右されるのではなく、決定的に重要なものは「言葉」です。作品に関する客観的な情報を共有しながら、主観的な意味・解釈について論じるプロセスが要となるこの活動は、「目の見える」人にとっても新鮮で、「美術作品は視覚で鑑賞する」ということを当たり前だと考えていては成立しない経験です。「当たり前からの脱却」。このことを皆さんに贈ります。二十世紀は、情報処理力が求められ、一つの正解を速く見つけるというジグソーパズル型学力を身につけること、みんなが一緒であることに重きをおく社会であった。それに対し二十一世紀は、情報編集力、様々な情報から納得できる解を導き出す力、レゴ型学力を身につけること、一人一人の個性、特性を大切にする社会へと転換している、そう言われています。違いを認め合いながら斬新な発想を出し合い、共に課題解決することで、みんなが納得できる解を見つけることが、社会をより良い方向へ発展させていくのだと思います。
 先日インターネット上で話題になった東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科四回生の鈴木完吾さんは卒業制作として、自作の四〇七個の木製パーツを組み合わせ、時刻を書いて知らせる「書き時計」を制作しました。本人曰く、「人間がやったら単純なことでも機械がやったら大変なこと」を機械にさせてみたのだと。彼の発想は、「人間がやるには複雑なことを機械にさせて早く簡単に済ませる」という、誰もが疑わない現代の「当たり前」をひっくり返したわけです。モノと情報があふれ、簡便性、スピードの速さに価値の優位が与えられる社会であっても、皆さんが「違い」を壁や優劣としない、出てきた結果だけで評価を決めるのではない、「当たり前からの脱却」「当たり前を疑う」観点と、他者と言葉を交わす事を大切にして、創作活動、そして課題発見、課題解決に果敢に挑戦されることを、強く望みます。

 銅駝美術工芸高校で、感性を磨き、豊かな発想力で作品を制作してきた皆さん、この世になかったものを新たに創造してきた皆さんの成長は、本校の誇りです。本校で学んだこと、出会った人々、経験したすべてをかけがえのない宝物として、胸を張って社会に出て行って下さい。目の前に現れるのは「壁」ではない、ひるむことなく、必ず開けられる「扉」だと信じ、自らの手で「扉」の向こうへ進んでください。GReeeenの「扉」という曲の歌詞「新しい扉のその先に きっと出会える 次の自分に」というフレーズに思い込め、皆さんの未来が輝くこと、そして皆さんが未来を輝かせてくれることを願い、式辞といたします。

 平成二十八年三月一日
          
  京都市立銅駝美術工芸高等学校     校長 吉田 功 

(アーカイブ2016年2月17日)  風光る

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 立春が過ぎると、まだ寒さが残る日と春の気配を感じる暖かい日が交互に訪れます。歳時記には「余寒」「冴返る」とともに「春めく」「春兆す」という季語が出てきて、2月から3月のこの頃の気候をうまく表現した日本語に出会います。

 2月に入ると3年生は、学校が定めた登校日以外の日、卒業準備の期間として思い思いの時間の使い方をします。もちろん国公立大学二次試験、私立大学一般入試を受験する生徒は、まだまだ勉強の真っ最中。学校では美術系大学実技試験に向けた補習を行っており、真剣な眼差しで、毎日長時間、課題に取り組んでいます。中には画塾へ通って実技試験に備える生徒もいて、受験生は気を緩めることなく果敢に進路目標に挑んでいます。

 一方、すでに進路先が決定している生徒の中には、卒業に向けた思い出の品の制作に取り掛かっている姿もみられます。私も先日依頼を受けていた原稿を手渡したところです。預かった2枚の紙、1枚はメッセージ、1枚は名前を書いてほしいとの依頼でした。これまで挨拶やメッセージ、原稿を書く機会は数え切れないほどありましたが、今回、ただメッセージを書くだけでは、と大それたことを考え始め、結局、全くの素人ながらその紙に絵を描くことにしました。当然のことながら生徒のような素晴らしい作品にはなりません。小学校の時以来「社会」の次に好きな科目が「図画工作」、高校時代も美術と工芸を選択した経歴(?)をもとに、拙い技量ながら銅駝美術工芸高校の校舎とグラウンドを色鉛筆で描きました。昨年4月に着任して以来、季節の移り変わりとともに眺めてきた本校の校舎、まだ少し冷たさが残る風に凛とした姿を見せている校舎の姿を、私なりの思いで小さい紙に残しました。

 「風光る」。私の好きな季語です。春の気配を感じる日差しの中で新しい生命が生まれ、木々が芽吹く季節、本来色のない風に輝きを感じるという、何とも美しい言葉です。
卒業を間近に控え、高校生活の思い出を束ねて形にしようとする生徒、新しい進路を目指してひたむきに努力し挑戦している生徒。「風光る」季節。静けさの中に確かな息吹を感じる日々が続いています。

 そして今、中学3年生が、新しい進路を目指して力を尽くす高校入試が始まっています。本校も前期選抜入試を16日、17日に行いました。検査会場の様子は、頑張れと心の中で叫びたくなるような一所懸命な姿ばかりでした。

 成長した高校生の巣立ち、新しい生徒を迎える準備。「風光る」季節の学校は、一年の中でも特別な時間を刻んでいます。

2016年2月17日       
             校長 吉田 功


(アーカイブ2016年2月2日) ことば 〜とどく、とどける〜

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 4月に着任してから、様々な場面で挨拶をすることが格段に多くなりました。そして様々な印刷物に掲載する文章の依頼も相当ありました。何を話そうか、どのように話そうか、何を書こうか、何と書こうか、頭をぐるぐるさせる日常があります。やはり一番気がかりなのは、その話、その言葉が、相手に「とどく」のか、ということです。『図書館ニュース』に「ことばの力」という文章を書きました。言葉のもつ力を大切にするということを伝えたかったのですが、その私の文章で本当に読み手に「とどける」ことができたのか。

 スマートフォンがごく身近にある社会になって、メールよりもLINEでつながるのが普通だそうです。大阪府立旭高校の生徒が、先生や保護者、大人にLINEを教え、LINEについて共に考えようと活動をし、その取り組みを本にまとめました。(『高校生が教える先生・保護者のためのLINE教室』学事出版)。その本によると高校生がLINEを使うのは「操作が簡単・早い、気軽に使える、履歴が見やすい、グループトークができる、既読機能が便利」などの理由だそうです。しかし、「既読」機能に振り回されたり、ブロック機能が排除やいじめにつながったりということも一方で起こっています。LINEは本当に伝えたいことを「とどける」ことができているのか。旭高校の生徒はこの活動を進める中で、1日の使用時間を決める、友達やグループ内でもルールをつくる、本当に伝えたいことは直接言う、返事が遅くても催促しない、というような「私たちのLINEルール」をまとめました。高校生自身の主体的な取り組みに敬服します。本校でも今年度、生徒会の中に「情報モラル特別委員会」という委員会を設置して生徒たち自身が取り組みを始めています。大いに期待しています。

 「直接言う」ことは大切。では、先生と生徒、先生と保護者、生徒と生徒、生徒と保護者が直接向き合う場面で、発せられたことばはきちんと相手に「とどいている」のか、もう一度この点にこだわってみたいと思います。結果として自己の思いを説明しただけ、言いたいことを投げただけになっていないか、使う言葉や、語調、表情、タイミングによってことばは姿を変えます。ことばの「キャッチボール」ができるのが一番ですが、ことばの「打ちっぱなし」、時には、ことばの「ドッジボール」になっていないか。はたまた、ことばが「漂う音、通り過ぎる音」になってしまっていないか。気楽な会話、場を和ませることば遊びは人間関係の潤滑油として必要だと思います。しかし、伝えたいことがある時、わかってほしいことがある時は、話す内容、話し方、話す表情をよく工夫し、ことばの力を大事に使うことで、思いを確かに「とどける」ことができるのだと思います。以前、ろうあ者の人と手話でやり取りする際、「音がない」状況であっても指や手や表情で豊かに思いが相手に「とどく」ということを経験しました。

 便利な機器の発達で、細切れの短い言葉を気軽に行き来させ、用を足せる時代ではありますが、日常の中で、ことばが「とどく」ということを、意識して考えていきたいと思います。

2016年2月2日
                    校長 吉田 功

(アーカイブ2016年1月27日)冬青空

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 暖冬だと言われて、正月も比較的穏やかな天候でしたが、先週日本列島は、厳しい寒気に見舞われ、京都も今冬初めての積雪となりました。九州でも相当な降雪があり、鹿児島県奄美大島でも115年ぶりの霙(みぞれ)を観測。前回は1901年(明治34年)ということで、一生に一度経験するかどうかという稀なことが起こったということになります。沖縄本島でも観測史上初の霙(みぞれ)で、ストーブが売り切れるとかコンビニエンスストアでおでんや肉まんがよく売れたとか、沖縄のイメージからほど遠い現象となりました。

 京都ではそのあとも厳しい寒さが続いており、いわゆる盆地特有の「京都の底冷え」になっています。寒いというより冷たい。本校は自由服なので、生徒の服装に日々の気温の変化がよく表れています。冬の晴れた朝は、特に底冷えが厳しいと言われ天気は良いものの冷たさに歯を食いしばって耐えながら登校しなければなりません。

 俳句に「冬青空」という季語があります。「青空」はどの季節でも見られますが、わざわざ季語になっているのは、冬の青空の澄みきった鮮やかさ、鋭さ、厳しさのようなものが他の季節にはない冬ならではのものであるからでしょう。痛いほどの冷たさを身体感覚としてもちながら、キレのある青色の爽快感、新鮮さ、美しさ、また寂しさ、孤独感、無垢な感じ、無からものが生みだされる予兆のようなものを感じます。

 3年生は28日から最後の学年末考査。進路目標に向かって私立大学一般入試、国公立大学二次試験に臨む生徒が多くいます。「冬青空」の鮮やかさと厳しさと孤独感。見方を変えれば、この季節の空の美しい青色は、底冷えの京都から、希望をもって次の扉を開けにいく高校生へのエールかも知れません。

 2016年1月27日
                  校長 吉田 功


(アーカイブ2016年1月20日)眠りの大切さ

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 いよいよ本格的な受験シーズンになりました。昨年12月に、京都市学校保健会中京支部研修会が開催され講演を聴きました。「眠りは脳を創り脳を育てる〜学びの力と睡眠について」というテーマで、睡眠学がご専門の滋賀医科大学特任教授の宮崎総一郎先生のお話でした。

 統計でみると日本人の睡眠時間は近年どんどん短くなってきて、他国と比較しても非常に低い水準にあるそうです。小学生から高校生へ年代が上がるにつて睡眠不足を感じている度合いが高くなっています。「眠い」「なかなか寝付けなかった」「だるい」「しんどい」、学校でもよく聞く言葉です。大切なのは「早寝・早起き」というより「早起き・早寝」だそうです。ヒトのからだには元々ぐっすり眠るためのしくみが備わっているのに、そのしくみを壊す生活習慣が体の不調を引き起こしているのだそうです。ヒトは朝起きた時刻から約15時間ほどで眠くなる、眠りためのホルモン「メラトニン」も朝の光を浴びて約15時間後に増えてくる。「メラトニンの分泌」が「眠くなる」のを阻害するのが、強い光。眠る直前にテレビ、パソコン、スマートフォンをしたり部屋が明るすぎると「眠り」が邪魔されます。朝食に「トリプトファン」を多く含んだ食事を食べて朝の光に30分以上あたると、元気のホルモン「セロトニン」になり、それが夜になると「メラトニン」に変わる。「トリプトファン」を含む食物、卵・肉・納豆・魚・干物それらを3品目以上摂るのがお勧めだそうです。

 記憶と睡眠の関係を調べた研究によれば、学習した後睡眠をとったグループととらなかったグループを比較すると、勉強した後早めに睡眠をとった方が、記憶の定着率がよかったそうです。結局、体調にとっても学習にとってもいい結果を生むのは、早起きをして太陽の光を浴びて朝食を摂る、夜勉強した後は部屋の明かりを落とし、テレビやスマートフォンなどをせず早めに就寝すること、ということです。学校へ来てもトロ〜ンと眠気に襲われている人、ここらで改善しませんか。眠くなったら午後3時ごろまでに10程度の昼寝をするいいそうです。「授業中に昼寝」はまずいですよね。銅駝生なら、5限目終了後6限目開始までに机にうつぶせに、というのがナイスでしょうか。

 「上手な睡眠で勉強バッチリ、点数アップで入試を突破!」受験生にとって大切なアドバイスです。たいへん勉強になった研修会でしたが、つらつら書いたこの内容、まずは私自身も実践しなければ。


 2016年1月20日
                       校長 吉田 功

(アーカイブ)2016年1月16日)大学入試センター試験に向けて

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いよいよ明日より2日間大学入試センター試験。今年の受験者は、56万3768名で前年度比4636名増と発表されています。本校からも6割近くの生徒が受験します。

 振り返ってみると、大学入試センター試験の前身にあたる大学共通一次学力試験が初めて導入されたのは、1979年度入試、今から37年前のことです。私はその年、高校3年生で、「共通一次元年」最初の受験生となりました。当時はすべての受験生が「5教科7科目」を受験しなければならず、理科と社会科も2科目ずつ、特に文系の私にとっては数学に加えて理科2科目の負担は相当なものでした。模擬試験の結果も芳しくなかった私は、1月の共通一次試験、3月の二次試験という、とてつもない大きな壁が2つも立ちはだかり、それをいかにして打ち砕くか、というような圧迫感と追い詰められた気持ちがありました。

 以前読んだ本に、厳しい局面に立った時、目の前に大きな「壁」が立ちはだかっていると思うのではなく、次のステージ、次の段階に行く「扉」だと思って自分の力でその扉を開けに行こう、と書いてありました。自分が高校生の時にはなかなかそのような考え方にはなれませんでしたが、37年経って、今の高校生にはぜひそういう捉え方で、自分を信じて、自分の力を尽くしてほしいと思っています。

 センター直前の校内説明会では、校長としてそのように応援のメッセージを送り激励しました。今年度4月からの様々な学校の姿を動画にして3年生に見せたのは、これまでの悩みや苦しみ、頑張りや周りからの励ましを思い出して、不安を抑え挑戦する勇気をもって臨んでほしいからです。私からのメッセージにぴったりの『扉』(アーティストGReeeeN)の曲を聴いてもらって気持ちを高めてもらいました。

 私が受験した「大学共通一次学力試験」は、1990年から「大学入試センター試験」となり、2006年にはリスニングが導入されました。大学入試はその時々の時代や社会情勢、教育の在り方を反映してきましたが、現在は高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の三位一体改革のため、高大接続改革実行プランの策定が進められています。ここ数年の間に大学入試センター試験に変わる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と、「高等学校基礎学力テスト(仮称)」が実施される計画となっています。これからの社会を担う世代に求められる力、キャリア発達、学校での教育内容と方法などについて十分な検討と見極めを行い、入試が単なる“選別”の道具とならないようにしなければなりません。

 すでに卒業後の進路が決定している生徒も、これからが入試本番の生徒も、それぞれの、目の前の「扉」を開け、次のステージへ確かな一歩を踏み入れる姿を最後まで見守りたいと思っています。

 2016年(平成28)年1月15日  校長 吉田 功

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行事予定
9/23 秋分の日 オープンスクール「実技講習会・はじめてART!」
9/25 前期末考査1日目
9/26 前期末考査2日目
9/27 前期末考査3日目
9/28 前期末考査4日目

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