京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/25
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

7月18日 校長室ウェブログの記事を更新しました

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 本日、校長室ウェブログの記事を更新しました。

7月18日付記事は、こちらから
https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?...

校長室ウェブログ(7月18日) 〜すべては、「違う」ことから〜

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          すべては、“違う”ことから 

 今年も2年生の人権学習に「れいんぼー神戸」の内藤れん さんをお招きしました。「セクシャルマイノリティ〜LGBTをきちんと学ぶ」というテーマで、L−レズビアン、G−ゲイ、B−バイセクシュアル、T−トランスジェンダーという、多様な性のあり方についてのお話を聴きました。内藤さんは、人がその違いによって社会の中で生きづらくなることの問題を紹介され、自分とは異なるものとの共存、ということについて話されました。単に「性」の問題に留まらず、私たちの日常のものの見方、考え方への問題提起だと考えています。

 私は、昨年の人権学習で内藤さんのお話を聞いたあと、「性別」ということを意識して考えるようになりました。ある研修会に出席して、最後に提出を求められるアンケート記入の際、年齢や職種の項目の前に性別欄があるのに違和感をもちました。主催者側はこの研修に参加した人の感想や意見を聞くのに「性別」を本当に必要としているのだろうか? 研修の内容からして性別の違いによって感想や意見の特徴があるのだろうか? そもそも「性別」は二択を当然のことと考えて用意されている項目。
 インターネットで少し調べてみると、多様な性のありかたは「LGBT」の4つの分類で説明しきれるものではないという考えから、「LGBTs」と表記して「s」をつけることで「他にもいる」という意味を出そうとしたり、アメリカでは、「クィア(Q)」「クエスチョニング(Q)」を加えた「LGBTQ」という表記が一般的であるとも書かれていました。「性的少数者」という言い方に対して、当事者の中には、「マイノリティー(少数派)とマジョリティー(多数派)」という対立構図にしたくないという意見もあるようです。「性」のあり方について多数派か少数派かということではなく「どのように生きたいか」の問題だと。

 このように考えてくると、「普通」とか「特殊」という発想で人を分類して認識していることに問題があるのではないかと思えてきます。もともとすべて人は「違う」ということからスタートしなければならないのでしょう。つまり「違う」ことが「普通」であるということです。自分と異なる人がいて当たり前、異なる人と対話し、生活し、仕事をし、活動することが日常なのです。違うことをお互いが理解しながら、共通点を発見したり、一致点を探ったり、受け入れたり、受け入れてもらいながら「共存」することが追求されなければなりません。「違う」ことで否定されたり、排除されたりすることはあってはならないし、それとともに、自分の気持ちや考えを理解してもらうための働きかけや、他の人の気持ちや考えを慮ることを省略してはならないのだと思います。

 今年2月から、日本、中国、韓国の3カ国の中で選ばれた3都市(日本は京都、中国は長沙、韓国は大邱広域市)が文化芸術交流を行う「東アジア文化都市2017京都」事業が始まっています。その一環として今夏行われる青少年文化交流事業に本校生徒が取り組みます。中国や韓国の青年とともに過ごす時間は、「違う」ということを前提としながら、お互いを理解し、知らないことを教え合い、ともに力を出し合って課題に取り組む貴重な機会になるでしょう。「違う」ものが共存する社会、豊かに平和的に発展していける社会、その担い手になる青年の交流や活動に大いに期待しています。21世紀はそういう時代であってほしい、そう思います。

 2017年7月18日
                校長  吉田 功


2017年6月9日 校長室ウェブログ 更新しました

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 校長室ウェブログ記事を更新しました。

 こちらからどうぞ
https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?...

2017年6月9日  文化祭を前に

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 前期中間考査が終わると、文化祭準備が本格的に始まります。2日間の文化祭日程で、多くの時間をあてているのがクラス演劇です。1年生から3年生まで全クラスが取り組むこのクラス演劇は、銅駝美術工芸高校の前身、日吉ヶ丘高校に普通課程とともに美術課程として設置されていた時代から行われていた伝統ある取り組みです。私が日吉ヶ丘高校の普通科に籍を置いていたのが、1976年から3年間。当時は西本願寺前にあった本願寺会館で舞台発表があり、大道具を運ぶのもたいへんだったと思います。私は普通課程にいたので、美術課程の生徒が創る制作物にはいつも圧倒されていました。演劇は役者の身体表現はもちろん、大道具小道具、衣装、照明、音響など様々な要素が効果をだしあう「総合芸術」であり、多数の人々が協働して創り出す大きな作品です。例年、準備過程では様々な苦労があります。気持ちや考えの“ぶつかりあい”も起こります。しかし、一般的に演劇でも映画でも一つの作品が出来上がるまでには様々なことが起こり苦労があります。流れるように滑らかに出来上がっていくわけではないでしょう。協働して何かを生み出そうとするときは、たくさんのエネルギーが必要であり、個性をもったひとりひとりの力を掛け合わそうとすれば“ぶつかる”ことも当然のこと。それを制作する集団に属する者どうしの対話、知恵と力でどう解決するか。人も集団もここが成長するポイントだと思います。生徒の主体的な教育活動に教師がどのように関わり支援するかも重要です。この教育活動を通じて一まわりも二まわりも成長してほしいと願うとともに、その発表を大いに期待しています。

 先日、3年生アートフロンティアコースの総合的な学習の時間「表現探求F」に講師として招いたのは、本校卒業生で、劇団「ソノノチ」代表、劇作家、演出家、俳優の中谷和代さん。授業終了後、校長室で中谷さんとお話をする中で、高校時代のクラス劇は、やはり大きな思い出として残っていると話されていました。本校のクラス劇は、生徒の成長に大きく影響を及ぼしているのだと思います。少し経って中谷さんと是非お話がしたいという生徒が校長室にやって来ました。3名とも将来舞台に立ちたいという夢をもっており中谷さんに直接聞きたいことがあったようで、丁寧に答えてくれる中谷さんのお話に聴き入っていました。中谷さんは、演劇をやりたい、舞台に立ちたいという夢を実現し活躍していくためには、様々なものに興味をもち、学び経験することが大切であると話されていました。素晴らしいものを創り出すためには、山で言えば裾野の広さが、樹木で言えば張り巡らされた根っこが必要なのでしょう。専門学科としての学校、専攻に分かれた学びをする学校であるからこそ、幅広い興味・関心をもち、多彩な人との出会い、多様な経験を重ねながらプロフェッショナルになってほしいと願っています。

 そのようなことを書いている私自身、普通科出身ながら美術専門高校に転任したことで、思考の幅が広がりました。今まで経験しなかった美術教育、多彩な生徒と教員に出会えたからこそです。この学校で私自身も日々成長させてもらっている、そう思っています。

 2017年6月9日     校長 吉田 功

2017年5月1日  鴨川の飛び石

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 私は京阪三条駅から学校に通っていますが、徒歩で川沿いの道を二条大橋まで向かい、橋を渡ってホテル東側を通ります。夏場になると日差しの強さに負けそうになるので、御池大橋を渡って木屋町通りの店の日陰を借りながら高瀬川のせせらぎを聴いて二条通りまで進みます。町なかにありながら豊かな自然と京都ならではの風情を感じ通勤できることを幸せに感じています。真夏と真冬を避けて天気の良い日は時々、鴨川の汀(みぎわ)を眺められる遊歩道に降りて二条大橋をくぐり、鴨川の飛び石を東から西へ渡ります。

 「賀茂川」と「高野川」が合流する出町柳付近から下流を「鴨川」と表記しますが、「かもがわ」の飛び石はよく知られているのが4つ。(本当は5つあって西賀茂橋の北に水没しかけのものがあるそうです)。1つ目は、北大路橋の北、「賀茂川」の府立植物園付近に、2つ目は出町柳の合流地点、3つ目は荒神橋の北、そして4つ目が二条大橋の北、わが銅駝美術工芸高校の実習棟の東に見える飛び石です。

 この飛び石は、左右にずらして石が置かれているので、単純にまっすぐ渡って進むことはできません。石と石の間は意外と幅があり、普通の歩幅で跨(また)げる感じではなく少し負荷がかかります。さらに石と石の間の水の流れは思っていたよりも速く感じます。石から石へさらりとかっこよく渡ることにこだわる私は、足元を見ながら、普通の歩幅よりちょっと広げる踏ん張りで渡っています。今のところ川にはまって濡れた姿で出勤、という失態は見せていませんが、少し緊張感をもたないと、はまってしまうかもしれません。のんびり歩くようには渡れないという少々の負荷、ささやかな踏ん張りと緊張感、耳に届く川のせせらぎ、頬にあたる川の風。この1分少々の時間がなんとも爽快で、よくぞ勤務先の間近にこの石を置いていただいたものだと感謝しています。(もちろん皆さんに渡ることを推奨しているわけではありません、念のため)

 新しい年度が始まって1ヶ月が経ちました。生徒の皆さんは、新しい仲間、新しい教職員、新しい教室、新しい科目と出会って、緊張感や不安、期待や希望、新しいことを経験する負荷を感じてきたことでしょう。高校生活での一歩一歩は、気楽にまっすぐというわけにもいかず、鴨川の飛び石のように右へ左へ、直面する状況に応じて判断し対応しなければなりません。そして踏ん張りの必要な負荷がかかること、水の速さを感じるような胸がキュッとなることもあるでしょう。しかしそれは自分が成長するとき、自分が変わるときに必要なことです。山や川が間近にあって水音や鳥のさえずり、風の温度や強さ弱さを体中で感じながら、その中に身を置いて日々を過ごし、自分を変えていけることは、ありがたいことだと思います。この1ヶ月で経験したこと、感じたこと、そのことを素直に受け入れてください。何ならそれを他の誰かに話してみてください。私にも聞かせてくれませんか。

 風薫る5月が始まりました。さあ、新しい風を感じながら、少々踏ん張って、次の石へと川を跨(また)ぎましょう。


 2017年5月1日 
                校長  吉田 功

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2017年4月10日 平成29年度第38回入学式 式辞

              式  辞

 鴨川の水面に、競うように枝先を伸ばした桜が、今を盛りに咲き誇るこの佳き日、京都市教育委員会をはじめ、PTA役員の皆様、平素より本校にご支援をいただいております美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会のご来賓の皆様、そして、多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、平成二十九年度京都市立銅駝美術工芸高等学校、第三十八回入学式を挙行できますことは、誠に大きな喜びであり、本校教職員を代表いたしまして、心よりお礼申し上げます。

 ただ今、九〇名の新入生の入学を許可いたしました。まずは、新入生の皆さん、ご入学、おめでとうございます。教職員一同皆さんを、大切にお迎えしたいと思います。

 保護者の皆様、本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。お子様のご入学を心よりお祝いいたします。これからの三年間、教職員一同、力を尽くしてお子様の成長を支援してまいります。どうかご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
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 本校は、明治十三年、一八八〇年に、日本最初の美術学校「京都府画学校」として創立され、今年で一三八年目を迎えます。現校地で美術専門高校として独立開校したのは、創立一〇〇周年にあたる昭和五十五年、一九八〇年。これまで本校を卒業された諸先輩方は、美術界、産業界ほか、各方面で活躍されておられます。皆さんは、本日、晴れてこの歴史と伝統のある学校の生徒になりました。銅駝美術工芸高校の生徒として、しっかりとした自覚と誇りをもって、志高く学習に取り組んでほしいと思います。皆さんは、今、期待と不安の交錯する気持ちでこの場所に臨んでいると思います。その新鮮な感覚を大切にして第一歩を踏み出してください。これから銅駝美術工芸高校で過ごす皆さんに、校長として心から期待することをお話しします。
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 私は、昨年、「世界の巨匠たちが子どもだったころ」という展覧会に行きました。そこには、パブロ・ピカソが十四歳で描いた「男性頭部の石膏像デッサン」や、ムンクが十八歳の時に描いた「雪景色の中の少年」、岸田劉生が十六歳の時に描いた「秋」など、著名な美術家が十代だったころの作品が出品されていました。彼らが生きた激動の時代、様々な境遇の中で、夢や希望、悩みや不安、親との葛藤のなかに身を置きながら精一杯描いた作品は、将来の活躍を窺わせるような観察力、感性、力強さが感じられるものでした。後に巨匠と言われるような作家も、疾風怒濤の十代は、思うようにならないこと、納得のいかないこと、見通しの立たないことに直面しながら、意欲的に情熱を注いで制作活動をしてきたのです。

 先日の新聞記事に「よのなかは〈こども〉と〈もとこども〉でできている」という童話作家・富安陽子さんの言葉が紹介されていました。この言葉を取り上げた京都市立芸術大学の鷲田清一学長は、「人は大人になっても内に子どもを宿している。どどっと感動する力、すさまじい好奇心と集中力、微細な変化を見逃さない感覚のアンテナは、芸術や科学に必要な資質でもある。ひからびた成熟からではなく、ぐじゅぐじゅの未熟が大事」と述べておられます。十代は大人になる準備期間、大人への階段を上っていく時期です。階段は狭かったり段差が高かったり、傾いているかもしれません。しかし皆さんの瑞々しい感性や好奇心、集中力や冒険心で一歩ずつ先に進んでください。

 鷲田清一さんは『何のために「学ぶ」のか』という書物の執筆者のひとりとして「人生に非常に大切な局面で本当に必要とされるのは一つの正解を求めることではなく、あるいは正解などそもそも存在しないところで最善の方法で対処するという思考法や判断力」である、そして「投げ出さずに考え続けるいわば知的な肺活量をもってほしい」と述べられています。肺活量とは「息を最大限に吸い込んだ後、それをすべて吐き出したときに出る空気量」です。わたしは、「知的な肺活量」を大きくするには、最初から好き嫌いで間口を狭めるのではなく、様々な人やものとの出会いをかけがえのないものととらえ、それらと主体的に関わりながら対象と向き合い対話し、考察したことを言葉にすることが必要である、と考えます。そのような心構えをもって三年間の「学び」に取り組んでください。

 しめくくりに谷川俊太郎さんの「学ぶ」という詩を紹介します。


あなたは学ぶ 空に学ぶ 
空はすでに答えている 
答えることで問いかけている

わたしは学ぶ 土に学ぶ 
隠された種子の息吹 
はだしで踏みしめるこの星の鼓動

あなたは学ぶ 木に学ぶ
人からは学べぬものを 
鳥たち けものたちとともに学ぶ

わたしは学ぶ 手で学ぶ
石をつかみ絹に触れ水に浸し火にかざし 
愛する者の手を握りしめて

あなたは学ぶ 目で学ぶ 
どんなに見開いても見えぬものが 
閉じることで見えてくること

わたしは学ぶ あなたから学ぶ
わたしと違う秘められた傷の痛み 
わたしと同じささやかな日々の楽しみ

わたしたちは学ぶ 本からも学ぶ 
知識と情報に溺れぬ知恵 
言葉を越えようとする言葉の力を   ・

そうしてわたしたちは学ぶ 
見知らぬ人の涙から学ぶ 
悲しみをわかちあうことの難しさ

わたしたちは学ぶ 
見知らぬ人の微笑みから学ぶ 
喜びをわかちあうことの喜びを


 さあ、新入生の皆さん。今日から新しい時間が始まり、新しい空間に身を置きます。その時間と空間をどのように使うか、皆さんに委ねられています。窓のカーテンを開け、窓の外を見てください。見るだけでなく窓を開けて、見えるものの、色やかたち、風や香り、温度や音を感じてください。窓を開けたら扉を開けて、自分の体を外に出してください。自分と向き合い、他の人と向き合い、時間と空間をわかちあってください。

 今日から始まる、銅駝美術工芸高校での生活。皆さんがまわりから与えられるのをじっと待つのではなく、主体的に、創造的にあなたらしい三年間を創りだしてくれることを心より願い、式辞といたします。

平成二十九年四月十日

   京都市立銅駝美術工芸高等学校長  吉田 功


2017年4月1日 新年度を迎えて

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 平成29年度の始まりにあわせたかのように桜の花が開きました。グラウンドの東側に立つと鴨川の明るい水音が聞こえてきます。まもなく新入生を迎え、新しい学年、新しいクラスで、学校生活が始まります。年度の初めにあたり、一言ご挨拶申し上げます。

 本校は明治13年(1880)に、日本最初の美術学校「京都府画学校」として創立し、今年度で138年目を迎えます。日吉ケ丘高等学校美術コースから現在の校地に美術専門高校として独立開校したのは、創立100周年にあたる昭和55年(1980)でした。来る4月10日は、銅駝美術工芸高等学校として開校してから38回目の入学式を挙行いたします。本校は創立以来の長い歴史の中で多くの優れた卒業生を輩出し、卒業生は美術界、産業界の様々な分野で活躍してきました。昭和初期に建てられた趣のある現校舎は、尋常小学校、銅駝中学校の児童、生徒の学び舎として、また本校が単独開校して以後は、美術を学ぶ生徒の学習、制作の場として大切な時を刻んできました。

 新しい高等学校学習指導要領は、平成35年度(2033)からの実施とされていますが、その前に高大接続改革の一環として高等学校基礎学力テストや大学入学希望者学力評価テストが予定されています。一方市立高校の改革では、昨年度の京都工学院高等学校の設立に続き、新定時制単独高校創設や新普通科系高校創設の計画がすでに発表されています。そのような中、今年の2月に出された「京都市立芸術大学移転整備基本計画」が正式決定となり、6年後の平成35年には、京都市立芸術大学の京都駅東部崇仁地域への移転に合わせて、本校も同地域へ移転することとなりました。本校といたしましては、6年後の移転から始まる新たなステージを前に、現校地での豊かな教育活動をさらに進め、歴史と伝統を大切にしながら新しい時代で求められる力を育成することが重要な課題であり、今まで以上に厚みと深みのある教育実践を進めていきたいと考えております。生徒の瑞々しい感性、豊かな発想力、表現力を高め、21世紀を生き抜く普遍的な力の育成に取り組み、魅力あふれる美術専門高校として学校力をさらに向上させられるよう、教職員一同、力を尽くしてまいります。

 新年度も、保護者の皆様、地域や団体、教育機関、市民の皆様のご理解とご支援をお願い申し上げ、新年度のご挨拶とさせていただきます。


 平成29年(2017)年4月1日
   京都市立銅駝美術工芸高等学校 校長 吉田 功

(アーカイブ2017年3月17日) 平成28年度 後期終業式「年輪」

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 今日で平成28年度(2016年度)が終了となります。一年前のこの日、2年生は今の1年生の場所にいました。1年生はまだここにはいなくて入学説明会が終わった翌日、入学前の期待と不安の中にいたのではないかと思います。

 一年経って今の気持ちはどうでしょうか。1年は早かったですか、自分自身が変わった、成長したという実感はありますか。私は、皆さんのこの1年間を見て、それぞれの在り様で確実に成長したと思っています。

 一年間の成長をはっきり確認できるものに樹木の「年輪」があります。少し年輪について調べてみると、次のようなことが書かれていました。樹木は、樹皮とその内側の木の部分の境目で細胞分裂が起こり、季節によって細胞分裂の様子が異なることで色の薄いところと濃いところが形成され、年輪ができます。一般的に言われてきたのは、よく日の当たるところは年輪の幅が広がり、そうでないところは狭いので、山で道に迷ったら切り株の年輪の幅を見て広い方が南だという説です。しかし、実際は日の当たり方だけで違いが出るわけではなさそうです。強く風が吹く場所に立っている樹木ではその風で倒れないようにその反対側が、急な斜面に立っている樹木は、傾いて倒れないようにその斜面の下がっている側の幅が広くなるようです。つまり樹木は、風や土地の傾斜で倒れないようにするため、厳しい状況にさらされている側がよく成長して年輪の幅が広くなるというわけです。樹木も自分の立っている環境や向き合わなければならない状況の中で、自らを支え、存在し続けられるよう、自らを変化させているのです。

 皆さん、この一年間を振り返ったとき、必ずしも穏やかで順風満帆な日々ばかりではなかったでしょう。つらいこと、悲しいこと、悩んだこと、なかなか結果が出せなかったことに直面しながらも、その状況から脱出するため、あるいはそのことを解消するために踏ん張ったと思います。年輪にたとえるなら、その厳しい状況の時こそ、皆さんの中にある年輪は幅を広げ厚みを増し太くなってあなた自身を支えたのです。

 樹木の年輪がそれぞれ違うのと同様に、人の成長のしかたは人それぞれ違っていていいし、困難に直面したこと、悩んだことがマイナスではなくむしろその人を大きく成長させているのではないかと思います。逆に言えば、困難なこと、向き合って努力しなければならないことをできるだけ避けてきた、あるいは放置してきた人は、その部分が弱いままで傾きかけたり、折れそうになっているかもしれません。年度末にあたり、一年間の総括として自分自身の「年輪」、自分の変容、成長について振り返ってみてください。

 というわけで今日は、年輪の話をしました。今年の春休みは曜日の関係で土日含めて23日間。春休みを有意義に過ごしエネルギーを充填してください。そして4月10日の始業式、年輪を一つ増やした新学年にふさわしい気持ちと姿勢をもって顔を合わせましょう。

2017年3月17日  終業式
                  校長  吉田 功

(アーカイブ2017年3月1日) 第37回卒業式 式辞

               式  辞

 鴨川の水面にやわらかな光が輝く三月を迎え、学び舎が透き通った春の気配に包まれる中、三年生の巣立ちの日となりました。

 本日、京都市教育委員会をはじめ、PTA役員の皆様、並びに、平素よりご支援をいただいております、美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会よりお越しくださいましたご来賓の皆様、そして多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、第三十七回京都市立銅駝美術工芸高等学校卒業式を挙行できますことを、心より感謝し、教職員を代表いたしましてお礼申し上げます。

 先ほど、九十二名の生徒の皆さんに、卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。三年間の学びを全うし、ここに晴れて卒業の日を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。
 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様は本校で確かな力を身に着け立派に成長されました。この三年間、本校の教育活動に深いご理解と温かいご協力を賜りましたこと、高い所からではございますが厚くお礼申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん、皆さんは明治十三年、一八八○年に創立された京都府画学校以来、一三七年の歴史と伝統をもつ美術学校の卒業生として、社会に巣立ちます。その誇りと大きな志をもって、新しい道を歩み始めてください。

 私は、二年前にこの学校に着任しました。普通科高校出身で普通科高校での勤務が長かった私にとって、美術を学ぶ皆さんの姿、皆さんが制作する姿、創り上げた作品、そして美術に関して話すこと、すべてが新鮮で、心を動かされてきました。グラフィックデザイナーの横尾忠則さんは、著書の中で、「一枚の絵を完成させることが創作なのではなく、あくまでプロセスが大切で、今この瞬間をどれだけ楽しめるか、あるいは、この絵がどのようになっていくかの期待と楽しみを味わうことが面白い」「完璧を目指すのではなく、あえて未完にする。未完は明日に続くものだから」と書かれています。三年間を振り返ると、一人で向き合わなければならない制作活動の中で、不安やいらだちを感じ、未熟な自分に悩み苦しんだこともあったでしょう。しかし美術も、皆さんの未来も決められた終着点を目指すものではありません。本校でひたむきに取り組んだこと、悩みながらもがいたこと、人に支えられたこと、今日ここにいる皆さんのこれまでのプロセスを大切にし、自分の「明日」を創りだしてください。

 本日、銅駝から巣立つ皆さんに、二つのことをお話しします。

 一つ目の話。先にお話しした横尾忠則さんは著書の中で「絵と対話するには、既成概念をできるだけ取り除く」ことだとし、「美術鑑賞に知識も決まりもありません。夕焼けを眺めるようにしばらく絵の前に立って、胸を開けばいいのです」と書いておられます。特別な知識や評価を求められずに素直に美術を楽しめることはとても幸せなことです。私はこの学校に着任してからその幸せを実感しています。美術は、出発点は表現者、制作者という個人であっても、その作品を鑑賞する者や社会を揺さぶります。
瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターも務めた北川フラムさんは、新潟県越後妻有(つまり)での芸術祭に取り組んだことを著書にまとめています。過疎地域でのこの取り組みは、瞬間的に目立つ商業的なイベントではなく、その地域の環境、自然、人々の暮らしを大切に生かし、子どもやお年寄り、学生たちが参加をしました。最初様々な行き違いや困難がありながら、粘り強く対話するなかで人と人がつながり、地域と地域がつながり、地元と来訪者がつながりました。そしてこの芸術祭を通じて、日本の小さな集落が、フィリピン、香港、オーストラリアなど外国の人々ともつながりました。離れていたもの、異質なもの、価値観の異なる者が美術を通じて「つながる」。美術にはそのような力があります。北川さんは、現代は絶え間ない競争、大量消費の中で、ややもすれば一定の方向にまとめられ、均一化されてしまう。しかし、美術は「人と異なったことをして褒められることはあっても叱られることはない」「今生きる七十二億の人々の個々の生理の表れ」であると述べられています。皆さんは、美術を通じて地元地域や震災の被災地、また障害のある人や介護の必要な高齢者とつながる学習をし、ホスピタルアートについて学びました。皆さんが学んできた美術は、皆さん自身にとってかけがえのないものであると同時に、他の人々に、そして社会に、世界に、大きな力を与えるものです。そのことに確信をもって、これからも美術に取り組んでください。

 二つ目の話。二十一世紀になって、グローバル化、ITの発達が加速度的に進み、人工知能AIの登場で、今あるものは数年後には他のものに置き換えられてしまうような時代になりました。しかし、そのような時代だからこそ、クリエイティブな力、美術、アートの力が必要です。京都市立芸術大学の鷲田清一学長は「プロフェッショナルがその専門性を十分に活かすためには、専門領域の知識だけではどうにもならない」「一つの専門性は他の専門性とうまく編まれることがないと、現実の世界で自らの専門性を全うすることができない」、他の領域のプロフェッショナルと共同で課題に取り組むためには、「自らの専門についてイメージを豊かに説明すること」「別のプロの、自分とは異なった視線、異なった関心」を理解することが必要であると指摘されています。美術を専門に学び、クリエイティブな力を鍛えてきた皆さんは、その専門の力を発揮しつつ、専門の中にだけ留まるのではなく、他者に関心を持ち、他者と対話し、他者と協働していくことを怠らないでください。「対話」は「会話」とは異なり、お互いの違いや人格を認め合い、しっかり向き合いながら粘り強く相手に言葉を届け、また相手の言葉を受け取りながら、ともに考えていく手段です。変化の激しい世界の中で、対立や抗争、貧困や差別を解消し、安心と真の豊かさを実現するために、美術の専門力を発揮し、対話を実践できる人になってください。

 いよいよ巣立ちの時、皆さんの手で次の扉を開けるときです。これからの時代をどう生きるか。今、目の前にある与えられた選択肢から選ぶのではなく、ぜひ皆さんが自ら選択肢を創りだし、自分らしく勇気をもって二十一紀を生き抜いてください。この伝統ある美術高校で真摯に美術と向き合いひたむきに学んできた皆さんは、本校の誇りです。皆さんが、アートの力を信じ、豊かな対話の中で人とつながり、社会とつながり、社会を変容させていく担い手になってくれることを心より願い、式辞といたします。

平成二十九年三月一日

             京都市立銅駝美術工芸高等学校長 吉田 功

(アーカイブ2017年2月6日) 見えている 見えていない

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 人が得る情報の8割から9割が視覚に由来すると言われ、毎日の生活を「目」によりかかって過ごしている現実があります。目が見えない、目が見えにくいとはどういうことか、視覚に障害のある人はどのような生活を送っているのか。本校2年生のデザイン専攻とファッションアート専攻の生徒は、美術を学ぶ高校生として、その調査、体験、聴き取りをしながら、自分たちから提案するユニバーサルデザインについて課題研究をしました。その取り組みの成果を、2月4日(土)大丸京都店で開催された「第42回視覚障害者福祉啓発事業 あい・らぶ・ふぇあ」で、展示とプレゼンテーションにより発表させていただきました。取り組んだ8グループの内容は、星座・月面・惑星について体感する、視覚障害者が晴眼者にサポートを求める際のグッズ、ロービジョンの方も楽しめる映像朗読、視覚障害者と晴眼者で楽しむスイカ割りゲーム、素材を考えた楽しくオシャレする衣服、キリンの実物大モデルを使った立体福笑い、バレンタインデーに作る点字チョコ、ためらいを解消する体感型RPG、というものでした。事前に京都ライトハウスを訪問し、視覚障害者のことについて学習した後、自分たちで提案できるものを考えるため、各所に調査に行ったり聴き取りをしながらグループテーマを決め、制作に取り組みました。昨年度はデザイン専攻だけで取り組んだ課題でしたが、今年度はファッションアート専攻もともに研究しました。異なった専攻の生徒がともに課題を見つけその解決のために研究するという展開にしたことで、考察が深まりました。自ら問いを探し、調査を進め、グループで多角的に考察して、その成果を制作物として創り上げる。このような協働学習ができたことは大きな成果です。私は、校内の中間発表の機会に、研究成果を視覚障害者も晴眼者もともに理解してもらえるプレゼンテーションになるようにとアドバイスしました。当日会場での発表は、両専攻の生徒が専攻の枠を越えて創りだした提案は新鮮で興味深い内容で、多くの方に聴いていただきました。ただ、視覚障害者にとってわかりやすいプレゼンテーションであったかという点では、まだまだ課題がありました。提案内容とプレゼンテーションのあり方など、到達点と今後の課題について是非振り返りをしてほしいと思っています。

 今回の生徒の課題研究に触発されて、『伴走者たち 障害のあるランナーをささえる』(星野恭子著)という本を読みました。本の中で、視覚障害者にとって雨の日の外出が嫌な理由は何か?という問いについて、大きな問題は「雨音」だと書かれていました。耳からの情報取得の妨げになるからです。視覚障害者は目が見えない(見えにくい)ので、歩くのが不便、などと浅い想像力だけで考えていると、何ができて、何に困りがあるのか課題の本質が見えません。視覚障害者のランナーと伴走者は伴走ロープをもって一緒に走ります。そのとき、伴走者の位置、手の振り方はどうすればよいか、実際の様子を見て初めてわかることがあります。この本を読むと、伴走者がランナーのことをよく理解し、適切な伴走のペース、フォーム、声かけをすることがとても重要であることがわかります。そして「伴走者」は単に視覚障害者の「援助者」ではなく、障害のあるランナーの理想の走りを実現する「二人三脚のペア」であるということです。伴走者の喜びは、視覚障害者のランナーに「ランニング・ハイ」(陶酔感・幸福感)状態になってもらうこと。この状態なれば、視覚障害のあるランナーはロープの存在を忘れ、まるで一人で走っているような感じでランニングできるのだそうです。

 私たちは、自分のもっている経験と知識で判断し、あたかも答えがわかっている、見えていると思いがちです。しかしそもそも多くのことを「わかっていない」「見えていない」 ということを自覚し、常に学び続けること、他者と対話したり、体験したりしながら、自らの思考力、想像力、表現力、感性を磨いていく必要があります。そして、教員も生徒の「伴走者」であることを、あらためて忘れないようにしたいと思います。

2017年2月6日     
              校長 吉田 功

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