京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/27
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

平成31年度(2019) 学校経営方針

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今年度の学校経営方針を策定しました。

 こちらから → 学校経営方針 

新年度のご挨拶

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               ご挨拶

 鴨川河畔の桜がようやく開花し、1週間後には満開の中で入学式、始業式を行えるのではと心待ちにしております。

 いよいよ今日から新年度となります。本日元号が発表され、5月からは「令和」という時代を刻むことになりました。

 本校が「京都府画学校」として創立したのは、明治13年(1880年)。美術専門教育を行う学校として139年の月日が流れました。明治初年、四条派の画家であった幸野楳嶺が望月玉泉らとともに京都府知事に出した画学校設立の建議書には、「画業は諸々の技術の長で有り、国家にとって極めて有益な業である」と述べられており、絵画を学校という機関で教育することの重要性を訴えていました。画学校の設立が国家にとって重要であるという考え方は、明治初年の国内外の情勢をよく反映していますが、美術、工芸、芸術活動の発展とその社会への影響に強い期待が寄せられ、本校の歴史が重ねられてきました。

 昨年京都市では、明治150年記念事業が行われましたが、その一つとして「銅駝美術工芸高校の所属作品展」を開催させていただき、本校卒業の著名な作家の方々の寄贈作品を多くの皆様にご観覧いただきました。また、京都市交通局と連携した生徒の課題研究で「地下鉄の魅力向上」のデザイン・企画提案を行い、具体的なチラシや商品として実現していただきました。今春3月18日から運行されている京都市バス観光系統(洛バス)の車内アートも本校生徒が課題研究として制作に取り組み完成させたものです。美術と社会がつながる教育活動がさらに充実、発展しました。

 そして今年は、全国に先駆けて設立された番組小学校ができて150周年。現在の本校の校地は、番組小学校「上京第三十一番組小学校」に源をもつ銅駝小学校、銅駝中学校であったところです。地域の人々の教育に対する熱い思いに支えられて多くの子どもたちが学んできた場所です。その様な場所で教育活動をさせていただいてきたことにあらためて感謝し、2023年、4年後の予定されている京都駅東部崇仁地区への新築移転という次のステージへ歩んでいきたいと考えております。

 「学校は希望を創るところ」です。

 本校は、明治・大正・昭和・平成、そして令和と、元号で言えば5つの時代をまたいで美術専門教育に取り組んできました。今後も「本校が美術専門高校であること」「本校のような美術専門高校があること」の重みをゆるがせにせず、伝統ある美術専門高校として、今を生きる高校生の豊かな学びを保障し、アートの力で未来を切り拓く青年の育成に努めてまいります。

 今年度も本校の教育活動にご理解ご協力を賜わりますよう、よろしくお願い申し上げます。

2019年(平成31年)4月1日               
                    校長 吉田 功

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学校紹介   歴史と伝統 そして未来へ

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 本校は、京都市中京区、鴨川の西岸にあり、グラウンドからは大文字を正面に東山の山並みが見え、川のせせらぎ、鳥のさえずりが聞こえる静かな環境にあります。江戸初期、角倉了以が開削した高瀬川や、江戸後期、儒学者頼山陽が「山紫水明処」と呼んだ屋敷地があったところも近く、歴史と自然に囲まれたこの地で、明治に創立以来、歴史と伝統のある美術学校として教育活動を進めてまいりました。これまで、文化勲章受章者、文化功労者をはじめ多くの優れた作家を輩出し、卒業生は現在、美術界、産業界の様々な分野で活躍されておられます。

 本校が、京都御苑内に「京都府画学校」として創立したのは1880年(明治13年)。その後京都市画学校、美術工芸学校と改称し、日本画から出発した専門内容も洋画を加え絵画科、さらに工芸図案科ができ充実しました。明治末年には美術工芸学校の上級教育機関として絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学美術学部)が創立しました。大正末年には東山七条日吉町に移転、絵画・図案・彫刻・漆工・建築の5科となりました。戦後、1949年(昭和24年)には、京都市立日吉ケ丘高等学校の美術課程となり、日本画・西洋画・図案・彫刻・漆工の5科が置かれ、後に陶芸科、服飾科が設置されました。創立100周年にあたる1980年(昭和55年)には、現校地、旧銅駝中学校跡地に京都市立銅駝美術工芸高等学校として独立開校し、染織科を新設して8科となりました。本館の建物は1933年(昭和8年)当時の銅駝尋常小学校が増改築された姿をベースにしていますが、その時の増改築趣意書には、「教育の場所である学校は設備においても徳育上大に顧慮を要する点が多々ある」「この校舎に集うものはその生活中に愉快を感じ自ら堅実なる崇高味を覚え、自然と襟を正しくする荘厳さを感じせしめたい」と書かれており、当時の教育関係者が教育の内容はもちろん、児童生徒が学ぶ建物、環境をたいへん重視していたことがわかります。そのような思いのこもった学び舎で生徒は学校生活を謳歌しています。

 創立124年にあたる2004年(平成16年)からは、美術工芸科1科として入学し2年次より日本画、洋画、彫刻、漆芸、陶芸、染織、デザイン、ファッションアート8専攻に分かれて専門美術を学ぶ教育システムで指導しています。絵を描くのが好き、ものを創ることが好き、そのような思いをもつ生徒が、同じ思いをもつ仲間とともに感性を磨き、創造力や表現力を高めて「美」の世界を学び、感じ、自分らしさを形にしていく、そのような3年間を過ごせる学校です。

 教育目標は 美術系進学希望者の学力・実技力向上をはかる
       美術と関わる産業界で活躍できる人材を育成する
       美術工芸作家を目指すための能力を養う

 本校では、美術専門科目だけでなく普通科目の学力の向上を重視し3年次には進路目標別にアートフロンティアコースとアートパイオニアコースに分かれたカリキュラムで、美術系進学に向けたきめ細やかな指導を行っています。主体的・対話的で深い学び、また社会と接点をもった学び、グローバルな視点をもった学びを通じて、これからの時代を生き抜くために必要な思考力、判断力、協働力、コミュニケーション能力を育成してまいります。2015年度(平成27)からは校内WiFi環境整備のもと、タブレットを用いてICT機器を活用した教育活動にも取り組んでおります。

 2017年(平成29年)3月に、「京都市立芸術大学移転整備計画」が決定され、2023年に京都市立芸術大学が京都駅東部崇仁地域へ移転されることにあわせて、本校も同地域へ移転することとなりました。これからも、移転先での新しい教育活動のビジョンを立てながら、現校地で、一人一人の個性、特性を尊重し、確かな専門力、学力を育成する豊かな教育活動を行ってまいります。

 本校は、美術を通して、生徒の可能性と夢と希望を広げるOnly Oneの美術専門学校を目指します。
                        
                        校長 吉田 功

3月末 本館の油引き 完了

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 本校の本館は、昭和初期に改築された建物。銅駝小学校、銅駝中学校と大切に使われてきました。もう80年以上経っています。

 廊下や教室は板張りなので、いつまでも大切に使うために、毎年春季休業中に油引きをしています。

 油引きした後すぐは、独特のにおいがあり、滑らないように気を付けて、そろりそろりと歩きます。

 新学期が始まる頃は、美しく光る廊下、教室で生徒を迎えます。

3月29日・30日 国立京都国際会館「桜・さくらスペシャルデイズ」で本校ブース開設。生徒ボランティアが活躍

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 29日(金)30日(土)、国立京都国際会館が主催「桜さくらスペシャルディズ」が行われました。

 今年も本校のブースを開設させていただき、生徒の作品展示やVTR上映、熊本震災復興支援募金活動と缶バッジ作りを行いました。27名の生徒ボランティアスタッフが2日間を4グループで分担し、缶バッジづくりのお手伝いをしました。

 一般開放されたこのイベントに多数の方々がご来場になり、募金をしていただいたり、缶バッジづくりを楽しんでいただきました。また、本校生徒の作品をご覧いただきお褒めの言葉をいただきました。
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行事予定
4/8 入学式(9:30〜/体育館),始業式・対面式(13:30〜/体育館)
京都市立美術工芸高等学校
〒600-8202
京都市下京区川端町15
TEL:075-585-4666
FAX:075-341-7006
E-mail: bijyutukougei@edu.city.kyoto.jp