京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/26
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学校教育目標 社会適応力の育成 〜変化する未来に向けて〜

被災された人のために〜生徒会本部募金活動2〜

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 ある新聞にこんな記事が載っていました。

【長崎の「高3生」奮闘】〜受験先の岩手・宮古「高齢者残せない」〜

 『「高齢者を見捨てて、自分だけ逃げられない」長崎の県立高校を今春卒業したKさんが、受験で訪れていた岩手県宮古市で東日本大震災に遭遇した。命を取り留めて自らも避難所生活を送りながら、自衛隊の救助が入ってからも、帰郷せず、1週間に渡って被災者を支える活動に取り組んだ。

 Kさんが、大きな揺れを感じたのは11日午後2時46分受験のため、宮古市に着いた直後。サイレンが鳴り響く中、宿泊予定の旅館に着くと、「とにかく乗りなさい」。旅館のバスに乗り込み高台へ。なんとか津波から逃れた。非難したのは、宮古市の磯鶏小学校。教室や体育館には500人近くがすし詰め状態。8割以上が高齢者。
 「10代は自分だけだったのではないか」。避難所では身長172、体重99キロのスタミナを生かし、ペットボトルに山の湧き水を入れて運んだり、食事やトイレ介助を手伝った。毛布が少なく、Kさんに回ってきたのは避難4日目。高齢者に足を伸ばして眠ってもらうスペースを捻出するため、氷点下の冷え込みの中、貸してもらったジャケット1枚で避難したバスの中で寝た。
 避難所から、車で15分ほどの高台で携帯電話が使えたため、家族には初日に連絡がとれた。ところが、被災者の多くがKさんとは別の会社の携帯を使っており、不通。Kさんの携帯は、みんなの貴重な通信手段となった。
 避難してから3日目、自衛隊の救助隊が到着。Kさんも長崎に帰るよう促された。だが「帰る場所のないお年寄りを残して、自分だけ助かるのは忍びない」と残留を決意。自身の携帯電話が役に立っていたのも、帰る気になれなかった理由の一つという。

 17日、道路がわずかに復旧した。自衛隊以外にも支援の人が入れるようになったこともあり、帰郷を決意。秋田経由で都内に入った。だが、心は今も被災地にある。
 「避難所には一昨日から食料が来ていない。お年寄りだけでなく妊婦の方もいます。早い支援が必要です」』

 長崎市でKさんの帰りを待つKさんのお母さんさんは「今でも心配で生きた気がしない。早く無事に帰ってきてほしい…」と。Kさんの弟は「残ると聞いて兄らしいと思った。誇りに思う」と話した。

 私たちに出来ることをしっかり考え、継続して支援していきましょう。

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