京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/26
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学校教育目標 社会適応力の育成 〜変化する未来に向けて〜

3年学年末テスト  ピリリとした空気が・・・!

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 昨日から始まった「3年生 学年末テスト」。
これまでのテスト以上に,ピリリと緊張した空気が教室内に漂っていました。明日で,中学校最後の定期テストが終わります。寒さも厳しくなってきましたが,熱く燃える魂で,残りの3教科を締めくくってください。「終わりよければすべてよし!」と,充実のテスト千秋楽を迎えてください。
 私立高校の入試までも2週間をきりました。本日,受験票を手にした人もいました。いい意味での緊張感を持ち続け,目の前の壁を乗り越えていってください。健闘を祈ります。

ユニセフ募金(1)

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<募金したお金でできること>
・1円・・・ビタミンA欠乏や,はしかによる合併症を予防,治療するためのビタミン
      Aカプセル1錠。
・8円・・・急性の下痢による脱水症から子供の命を守る経口補水塩(下痢,嘔
      吐,発熱等に用いられる食塩とブドウ糖を混ぜたもの)。
・15円・・・ポリオ経口ワクチン1回分。
・57円・・・1錠で4〜5リットルの水を浄化できる浄化剤50錠。
・87円・・・HIV/エイズ簡易判断キット1キット。
・282円・・・使い捨て注射器(5ミリリットル)50本文分。これにより,50人の子供
       たちが,安全な器材で予防接種を受けられる。

ユニセフ募金活動−学活での事前学習の様子−

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 昨日の6限の学活で,「ユニセフ募金」について,各クラスの評議員の人がみんなの前で発表してくれました。本日から3日間は,校内での募金活動です。金曜日には地域に出て保護者・地域の皆さんのご協力をいただきたく思っています。また,29日土曜日には,生徒会本部の人たちを中心に四条河原町で募金活動(13:30〜15:30)を行う予定です。またのご支援よろしくお願い致します。
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ちょっといい話―19―

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 新聞の投書から,今日は「ちょっと“寂しくなるお話”」を・・・。

 『正月三が日を過ぎたある日,40年以上も昔の教え子から突然,電話がかかってきた。私が新米の教員として勤めていた夜間高校の卒業生である。彼らは「ほたるの会」という名で仲間と懇親の場を定期的に持っていたらしい。
 還暦も過ぎ,クラス担任でもない私と一度会いたい者が多いとのことで,親睦会に招かれた。長い間,顔を合わさなかったので,名前が分かるかなと思ったが,飲むほどに酔うほどに昔を思い出した。
 当時の定時制高校は,まさに「昼働き夜学ぶ」勤労生徒の学校であった。日本の高度成長を底辺で支えたのが,彼らである。入学した生徒が,卒業時には半分になるという厳しい生活であったが,「学校は楽しかった」と彼らは言う。下手な字で書いた私のガリ版刷りのプリントを大切に持っているという卒業生もいたのには驚き,感激した。
 今,大学の教壇に立っているが,コピーがあふれ,配布した印刷物もすぐに紛失してしまう学生を相手にしていると,あらためて教育の本質とは何かということを考えさせられた。
 彼らの母校である京都市立洛陽工業高校定時制は,この3月で最後の卒業生を送り,閉じられる。
         − 冬蛍 消えて夜学の 春近し − 』

 ※母校がなくなる(閉校する)というのは,大変寂しい思いがするはずです。色々な生徒が,色々な思いで,疲れた体を引きずって通い続けた定時制高校…。教育の本質,教育の本来の姿が,そこにはたくさんあったのだと思います。春になれば,閉校になる洛陽工業高校定時制。しかしながら「ほたるの会」の光(思い)は,これからも消えずに輝き続けていくことでしょう。
 (写真は,正門前から見た“日野の山から昇る朝日”です)

3年生 土曜学習会

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 いよいよ来週の水曜日の26日から,3年生の学年末テストが始まります。22日(土)には,生き生き交流ルームで約20名が参加しての「土曜学習会」がありました。みんな集中して一生懸命に取り組んでいました。この学年末テストは,中学校3年間の最後のテストになります。しっかりと準備をし,悔いのないようにしてください。
 京阪神の私立の入試まであと3週間を切りました。自分の進路希望の実現に向けて,ここからが正念場です。

ちょっといい話−18−

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 新聞にあった投書から「ちょっといい話」を紹介します。

 『先日,近鉄の駅裏で,通りがかりの若い男性の携帯電話を借りました。若者は他人のことには無関心といいますが,こんなすてきな若者もいると思うと,うれしくなりました。

 その日,公衆電話を探しましたが,見つかりませんでした。通りがかりの若者に尋ねましたが分からない,とのことでした。困っていると,道路を渡っていた若者が引き返してきて「よかったら携帯電話を使って」と言ってくれました。お言葉に甘えて借用し,電話番号も押してもらいました。電話代を払おうとしたら,「いいですよ」と行かれてしまいました。紙面を借りてお礼申し上げます。(73歳主婦)』

 ※困っていたおばあさんの顔が,暖かな笑顔に変わっていく様子が目に浮かんできます。そんな素敵なことがあったことを,その時,他の誰も気がつかなかったかもしれません。その空間と時間には,きっと暖かな空気が流れていたことでしょう。日常のささやかな人と人との向き合いの中から,暖かな空気が生まれてくるのだと気づかされた「ちょっといい話」でした・・・。
(写真は「学びの共同体」研究会に参加して,宿舎から見る大海原です。)

学校評価「保護者アンケート」集計結果

 平素より本校教育にご理解ご協力をいただき,誠にありがとうございます。
昨年末の12月,個人懇談会時にご協力いただきました「学校評価保護者アンケート」の集計ができましたので,お知らせいたします。
 配布文書一覧にアップいたしました。またアンケートでは,たくさんの貴重なご意見をいただきました。教職員一同,しっかりと襟をただし,真摯な姿勢で教育実践に臨んでいく所存です。今後もよろしくお願い致します。

3年生は,今日からテスト前の放課後学習です。

 昨日は,本校周辺にも雪が積もり,道路は凍っている状態でした。寒さが厳しくなる一方ですが,震えてばかりもいられません。
 3年生は,来週の水曜日から学年末テストがあります。いよいよ中学校最後のテストです。受験に向けての勉強にも直接つながっていきます。悔いが残らぬよう,中学校の学習の総まとめをしてください。
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1995.1.17 あれから16年・・・鎮魂の祈り・・・。

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 16年前の1月17日午前5時46分,先生はマンションの4階で就寝中に,地下から怒号のような音をきいた瞬間,今まで経験したこともない大きな揺れを感じました。そのときは,子供がまだ妻のおなかの中にいる状態でしたので,タンスや本棚が倒れてこないように必死で支えていたことを今でも鮮明に覚えています・・・。
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 6434人が亡くなった1995年の阪神大震災。昨日,兵庫県内各地で追悼行事が行われました。神戸市中央区であった,市と市民団体による「1・17のつどい」で、遺族代表の小河昌江さんが涙で声を詰まらせながら「追悼のことば」を話しました。

 『「感謝」には「種」があると思います。誰かに感謝の気持ちを持った時,自分の心には感謝の種がまかれ,その種はやがて育ち,花を咲かせ,実がなり,そしてまた種を作り,その種は違う誰かの心にまかれ,また花を咲かせていくのだと思います。
 私は,阪神・淡路大震災で母をなくしました。すぐにかけつけた時,2階建てのアパートは見るかげもなく,がれきと土の小高い丘のようでした。道具も知恵も勇気もなく,立ちつくす私の前に現れたのは,近くの工務店の寮に住む若い男の人たちでした。
 彼らは,まだまだひどい余震が続く危険な状態の中,がれきをかき分け,生き埋めになっているアパートの住人を次々に救い出してくれました。
 でも,母はなかなか見つかりません。彼らは余震の合間をぬって,何度もアパートの1階にもぐり,とうとう母をみつけてくれました。
 「お母さん,お母さん」,呼んでも母は答えません。でも,握った母の手はまだ温かい気もして,私は「大丈夫。大丈夫」と自分に言い聞かせ,母に迫ろうとしている死の気配をどこかへ押しやろうとしました。
 救急車も呼べるはずがない状況の中,私と母は1台の乗用車に案内されました。助けて下さった工務店の方の車です。彼は,私と母を乗せ病院へ向かい,付き添ってくれました。
 病院は人であふれかえり,医師たちは足早に廊下を往復し,やがてぽつんと廊下に立ちつくす私のそばで1人の医師が立ち止まり,母の手を取り,一言「何時何分」とだけ看護婦さんに告げ,また足早に去って行きました。
 私は,その時はじめて母の死を現実としてつきつけられ,涙が一気に溢(あふ)れ出しました。そして,付き添って下さった工務店の方が帰られる時,私はその後ろ姿にただただ深く頭を下げ,彼の姿が廊下から見えなくなるまで見送る事しかできませんでした。
 震災の光景は決して忘れる事はないでしょう。でも,それと同時にいつも思い出すのは,あの勇気ある工務店の寮生たちの行動で,私はその度に深い感謝の気持ちを覚えます。そして不思議な事に,その感謝の気持ちは薄らぐ事なく,逆に日に日に深く大きなものになっていくのです。
 私は,あの震災の日,私の心に「感謝の種」がまかれたのだと思います。そして,その種は育ち,今私の心に花を咲かせているのだと思います。この花が実になり,種を作り,私もまた誰かの心にその種をまく事ができればうれしいなと思います。
 最後に,震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
                平成23年1月17日 小河昌江 』

 ※16年前といえば,君たちはまだ生まれていませんでした。ですから,阪神大震災の恐怖や悲しみは直接は知りません。しかし,上の「追悼のことば」を聴くと,そのときの惨状が目に浮かんできます。惨状だけでなく,その中にあって人々が助け合い励ましあっている姿も目に浮かんできます。苦しみ・悲しみの経験と,助け合った絆を忘れずにいなければと思いました。

ちょっといい話−17−

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人には,「喜怒哀楽」という感情があります。その中で,“怒り・哀しみ”,そして“勇気”というものを同時に感じさせてくれたお話がありましたので,ここで紹介します。「たったひとつの命だから」(ワンライフプロジェクト編)という本の中にあった実話です。

 『私の友人の娘は,少し知能の発達が遅く,小学3年の時から養護学校に行きました。最初は学校が変わっても,近所の友達が遊びに来ていました。ところが,ある日,一番仲の良かった子が,
 「ゴメン,もう遊べないんだ。“遊んじゃいけない”ってママに言われたから・・・。“一緒にいると馬鹿になる”って・・・。」
 と,その仲の良かった友達は,平然と言ったそうです。私の友人である母親は,少し離れたところで聞いていて,次の瞬間,娘の表情を見たそうです。娘は“じゃあ,またね”と言って,ニコニコして友達に手を振ったそうです。ああ。言葉の意味がわからなかったんだな・・・と,私の友人であるその子の母は思ったそうです。もう遊べないのに,この子は友達を失ったことすら理解できないんだと,悔しくて哀しくて泣いたそうです。
 言われた言葉の残酷さにボロボロに傷つき,そしてこの子はこの先どこまで社会に適応できる力を養えていけるのかと,不安が恐怖になり,不眠症が始まったそうです。・・・(略)・・・。

 それから,半年が過ぎた頃,娘の養護学校の授業参観で,子ども達が作文を披露したそうです。娘はこう書いていたそうです。
 「○○ちゃんが,私を馬鹿だと言った。私はそれを聞いたママがかわいそうでした。私が馬鹿だから,ママが悲しみました。私のママはきれいで優しい人です。ママを悲しませないでください」・・・。
 私の友人であるその子の母は,この日を境に強い母親になることを決めました。それまでのクヨクヨしていた自分と決別し,とにかく娘を宝物だと自慢して,行くところすべてに同伴させました。

 あれから12年・・・。成人式を迎えいい人たちに出会って,現在,娘はパン屋さんで働いています。友人はこう言います。「この子は知能が遅れているんじゃない,怒りという感情を持ち合わせていないのと,人よりのん気なだけなんだと。娘の焼くパンは世界一おいしいんだ!」と・・・。

 人生何がきっかけで,生きる勇気を与えられるかわかりません。そのことを教えてくれた,親友の親子にいつも感謝しています・・・。』

 ※人と人との関係を切っていく言葉のむごさに,怒り・腹立たしさを感じます。そして哀しみを覚えます。その逆に,偏見や差別に立ち向かい・抗う人たちの姿からは勇気をたくさんもらいます。そこでは,より豊かで確かな人と人とのつながりが生まれます。そんな関係がいたるところで生まれ,広がっていくことを切に願う「ちょっといい話」でした。

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