京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/31
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北にそびえる 鏡山   西に連なる東山 松のみどりに 包まれて 白くあかるく 照りはえる 希望あらたな 学び舎は 我らの 花山中学校

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「夢は叶う」
 11月28日、京都市中学校PTA連絡協議会主催の研修会で北京オリンピック・シンクロ日本代表の石黒由美子さんの講演を聴きました。8歳の時に不慮の交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った彼女が「シンクロでオリンピックに出る」という夢を見事に実現させたサクセスストーリーです。講演を貫いていたのは“ポジティブ・シンキング”の大切さです。彼女と彼女を支え続けたお母様のポジティブな考え方には圧倒させられっぱなしでした。
 特に印象に残っていることを幾つか紹介しましょう。
 先ず、母親の子育てです。特に事故後、「由美ちゃんはすごい!」「由美ちゃんは天才!」「由美ちゃんは世界で一番よ!」と言い続けたことで石黒さんは本当にそのように思い込んでいたといいます。次に母親の言葉です。「娘が8歳の時、事故に合わせて頂いて、そのお陰で…」「あの忌まわしい事故のせいで…」と言っても当然の所をこのように語っておられました。また、由美子さん自身の考え方です。「人生は振り子のようなもの。マイナス方向に大きく振れた後は、きっとプラス方向に大きく振れるはず。しんどい時に、『この後どうなるんだろう!?』ってワクワクする。」まだあります。それは入院中の食事。やっと意識が戻った頃、お腹が空いてたまらず、彼女は医師に「食べ物が欲しい。」と要求します。点滴の中に必要な栄養素が入っているから必要ないというお医者様の話には従えません。流動食を与えられるのですが、「美味しくない」と拒否。仕方なく普通食を食べさせてみたところ、ペロッと平らげてしまいました。普通食を食べるようになってからの回復力は驚異的だったといいます。まだまだある。高校入試の時の話です。入院と治療のために小学校にもろくに通えなかった彼女は、中学校の成績も振るわなかったのですが、目標は名門「名古屋大学」への入学。そのために、敢えて偏差値の低いことで有名な高校へ入学し、そこで高い内申点をとって推薦入学で名大を目指したといいます。それまで出会ったことのないようなヤンチャな生徒との出会いもありましたが、友達や仲間の大切さに触れ、小中学校以上に高校生活を大いに楽しむことになりました。
 これらの話を聞きながら考えました。反対のこともきっとあるだろうと。
 思い通りにならないと自分の運命を呪ったり、不運や不幸を他人のせいにしたり、病気になったら塞ぎこんだりしていると、人生がどんどんマイナス方向に進むのではないでしょうか。ネガティブ・シンキングはマイナス方向の人生への道標かもしれません。石黒さんの話はそのことを強く印象付けてくれました。
 顔面を切開する手術でしか取り出せないと診断されていたガラス片が、くしゃみをしたとたんに大量の鼻血と共に飛び出たという話は、まるで奇跡のようですが、常にポジティブ・シンキングの彼女の人生でなら、とても不思議ではありますが、本当にそんなことが起こるのかもしれないとさえ思いました。
 夢は叶うのではありません。石黒さんの話を聞いて確信が持てました。夢は叶えるのです。
 ※講演の後、ご本人のサイン入りの著書を購入しました。写真はその表紙です。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「学ボラ」
 多くの小中高等学校で、ボランティアとして活躍する大学生が数多くいます。授業の手伝いをする人、行事の時に来ては教職員と一緒になって運営にあたってくれる人、毎週決まった曜日にやってきて1日中生徒と関わってくれる人、部活動の技術指導をしてくれる人、土曜学習を支えてくれる人など、本校にも10人以上の大学生たちが色々な形で「花山中教育」の一端を担ってくれています。
 私の場合、この取組との出会いは10年ほど前です。かつて勤務していた学校の卒業生が部活動の手伝いに来てくれていました。教師を目指していた学生たちは、早くから学校現場で活動することに意義と喜びを見出し、志を同じくする友人を誘ってくるようになりました。そしてやがて、行事に始まり普段の授業の支援もしてくれるようにもなっていきました。学校も彼ら、彼女らの存在を重宝に思い、次々とできる仕事を任せていきました。“ちょっとした相談相手”として、生徒にとっても年齢の近い大学生の存在は好都合でした。「学生の街・京都」ならではの始まり方です。
 また、当時から昨今の教職員の大量退職・大量採用時代の到来が予想されており、各大学はインターンシップ制度を立ち上げ、京都市教育委員会が「学生ボランティア」学校サポート事業を実施したことも、学校で活躍する学生の背中を押しました。各小中高等学校で自然発生的に起こったことに大学や行政の立ち上げた制度が合わさって、学校教育に参画する学生の数は爆発的に増えていったのです。
 京都市教育委員会に在籍し教員養成に関わって以来、今も学生や教師を目指す若者に対して「教職の魅力」について講義することが多いのですが、その際には必ず「学生ボランティア」をすることを勧めています。理由は、主に次の3つです。
 教育の在り方は刻一刻変化しています。学生諸君が小学生や中学生だった頃とは、学校もそこで行われている教育の内容も大きく変化しました。そのことをわが身で確かめられるということです。また、大学等で学ぶ際、講義のなかで話される内容が、実際の場面を思い浮かべながら、より具体的に理解できるということが2つ目の理由です。更に、そしてこれが最も大事なことなのですが、今の子ども達の生活に直に触れられることです。子どもたちが、どんなことに興味をもち、どんな会話をし、どんな風に友達や教師と接しているのか、それを知ることができるからです。
 教師になることが目標であった私にとって、ボランティアで活躍する学生を見ると、「自分たちの頃にもこんな制度があったら…」と羨ましく思うこともあります。一方で、理想的なことばかり考えていたあの頃があったればこそ、厳しい現実に直面した時にも教師としての“軸”をぶらさずに済んだのかとも思います。
 学ボラの諸君に言いたいことがあります。思い切って生徒と接せよ。常に理想を追い求めよ。決して小さく収まることなかれ!

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「この喜びを伝えたい」
 先週末、17日の「研究発表会」及び「創立50周年記念式典」に参加してくださった愛媛県の方からお手紙を頂戴しました。この方は中学校の校長をしておられましたが、ご退職後の現在は、ご自宅に学生や若い教師を集めてボランティアで教員養成をしておられます。私とは10年来の付き合いで、今回ご案内をさせて頂いたところ、車2台で若者を連れてやって来られました。
 少々長くなりますが、お手紙を紹介させていただきたいと思います。
―前略― 全校での道徳は初の経験で、学年道徳も含めて、我々の地域にも呼び掛けてみたいと思いました。たくさんの参観者の前でも臆することなく挙手をし、堂々と自分の意見を述べる生徒を目の当たりにして、これがほんの数年前まで大変だった学校の生徒達かと我が目を疑いたくなる心境でした。このことは、7名の若者達も同意見で、教師次第で学校は変容出来るものだと確信したものです。市長さんや来賓の方々の言葉の端々に荒廃寸前だった頃の様子が伺えましたし、何よりも最後列にいた3年生の女子たちが語ってくれた入学当時の模様からも、当時の大変だった雰囲気が伝わってきたからです。その子達に、『先生は信じられる?先生方に言いたいことはない?』と尋ねると『一人ひとりをしっかり見てくれる先生ばかりで、不満は全くありません!』と明快な口調で一人の子(吹奏楽部)が答え、周囲にいたメンバーも全員笑顔で頷いてくれました。少し離れた場所に居られた若い男性の教師に、『この生徒達に言いたいことは?』と聞いてみましたが、『何もありません!いい子たちばかりです!』との返答で、“師弟同行”の感をさらに強くしたものでした。最初から最後まで「花山中はキャッチボールができてるな」と感じたのですが、先生と生徒との人間関係が構築されていること、それも単なる言葉だけでなく“心の繋がりをベースとした信頼関係に基づく深いものである”との意を強くした出来事でもありました。
 澤田先生との挨拶を終え、車でグランドを出ようとしたときのことでした。「軟弱なグランドに轍を残すよりこのまま直進しよう」と決断して校門へと前進したら、車止めのバリケードがあったので傘を差して降りようとしたその時、一人の男子生徒が濡れるのも構わず咄嗟に前に出、なんと、そのバリケードを自主的に移動してくれたのです。そして、爽やかな笑顔で我々を見送ってくれたのです。この彼の瞬時の行動には驚愕させられました。氷雨の降る中、彼の温もりある行為は、我々の心を温かく優しく癒してくれただけでなく、道徳で培われた力強い実践に結びついており、研究会に匹敵する新たな感動をプレゼントしてくれました。
 自己肯定感の高い生徒は、充実感や達成感、満足感に溢れており、他人を傷つけたり安易にいじめに走ったりしないと思っています。全国的に発生している昨今の問題行動の数々は、道徳教育の充実を通して培われた花山中の生徒達には、きっと無縁の世界だと思います。今回の参観で最も感じたことはこのことでした。機会がありましたら是非生徒達に、感謝の意と彼らのすばらしさを伝えてほしいと思います。 ―後略―
 我々の知らない所で、こんなに幾つものドラマがあったとは。この文章をそのままの形で生徒や保護者、地域の皆様にお知らせし、皆で登場する生徒諸君に拍手を送りたいと思います。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「やるからには成功させな!」
「いやー、ほんまに感動しました。今日は、書いたものを用意してきましたが、そんなものを読み上げるより、今感じたままを述べさせていただきます。」創立50周年記念式典での、門川大作京都市長の祝辞の第一声です。
「生徒の態度の素晴らしさ、歌声の大きさ、教職員のまとまり、花山中学校がここまでよい学校になっているとは、本当に嬉しい驚きです。感動しました。くれぐれも、生徒と教職員に宜しく伝えてください。」今日、市役所へお礼の挨拶に伺った時にはそう言っていただきました。
 17日(土)の「研究発表会」と「創立50周年記念式典」では、生徒が期待通りの大活躍をしてくれました。
 1時間目の道徳の時間。全ての授業を少しずつしか見られませんでしたが、どの授業でも生徒たちは、自分の思いを自分のことばで語っていました。3年生の学年道徳では、その場で書いた保護者宛ての簡単な手紙を朗読する場面が感動的でした。普段あまり素直になれない男子が、母親への感謝の気持ちを文章にして発表しました。残念なことに、その子の母親はPTAの仕事があったのでしょうか、その場に居られなかったのですが、代わりにその母子の関係をよく知っておられる別の母親が涙しておられました。また、今春卒業した脳性マヒの生徒(以前「25人目の選手」として紹介しました)が、卒業前に野球の試合に出場したのですが、その子の担任だった先生が、その事を資料にして授業を行いました。「これは是非とも…」と思い、参観に来ていた彼をその教室に案内しました。彼は、照れながらも嬉しそうな表情で授業を聞いていました。前の方の女子生徒が泣いていました。
 2時間目の各学年の取組発表とパネルディスカッションも素晴らしかったです。どれもコンパクトに上手くまとめられ、よく分かるように表現されていました。感想や意見を述べる場面でも、次から次へと手が挙がりました。「どちらかというと、道徳が好きではなかったのですが、今ではその時間が楽しみです。」そんな意見も出ました。来校者からも多くの感想や意見が寄せられました。それらを受けてまた生徒が考えを述べました。
「たくさんの人に褒めてもらえて嬉しい。」
 あまり例を見ませんが、研究報告会に生徒を出席させたのも良かったと思っています。指導講評で、教育委員会の先生から、生徒が直接褒めてもらえるからです。外部の方から褒められることが、どれほどの自信と誇りを持たせるでしょう。きっと生徒たちは花山中学校の生徒としてのプライドを強く感じてくれたことだと思います。
 「一人、ちょっとヤンチャそうな子が、ドヤ顔で私を見ていた。あれが特に良かった。」公務のため、途中退出された市長を拍手で送る際、どうやら生徒の中の一人が、自分たちのやったことを自慢に感じ、それを態度と表情に出したようです。
 その生徒の様子を想像して微笑ましくそして嬉しく思い、同時にそれをしっかりと見留められた市長に敬意を払うところであります。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「いざ、研発へ」
 「研究発表なんてとんでもない。ただでさえ忙しいのに、そんなん負但が大きすぎるワ。」かつて京都市内でも、校長が「指定を受けて研究活動をし、1年後に発表を行う。」などと言うと、教職員がそんな言葉で反対する中学校がたくさんあったように思います。「そんなんしたら、学校が荒れる。」生徒指導で大変な学校では、そうまで言われました。しかし、今の花山中学校に、そんな風に思う教職員は一人もいないでしょう。確かに、負担といえばそうかもしれません。学習指導案や研究報告冊子を執筆したり、学年道徳やローテーション道徳などの新しいことに取り組んでもきたからです。
 「この研究は、教科の授業にも活かせるし、自分自身のスキルアップにもなる。」研究推進委員長がよく言った言葉です。副委員長の一人はパネルディスカッションを成功させるために生徒と何度も打ち合わせをしてきました。以前、推進派と慎重派の議論が熱いと書きましたが、今は全員が推進派です。研究報告冊子の編集を担当した副委員長は、出来上がったばかりのそれを手に「ずっと自分のそばに置いておきます。」と感慨深げに言いました。
 研究によって生徒が変わり、教職員が変わり、教職員組織が変わりました。
 週末の研究発表会に向けて、今も職員室で準備をしている先生がいます。この感覚がたまりません。かつて勤務した学校で、初めての研究発表会の前日、身体はクタクタのはずなのに、誰一人として帰宅しようとしなかったことを思い出します。また、当時の校長先生がお礼の挨拶を述べておられるのを聞きながら、『ああ、終わってしまう。この瞬間がもう少し続けばいいのに…』と思ったことも今思い出しました。
 昨日、発表会に向けて取り組んできた最後の道徳の授業が終了しました。全クラスを見に行こうと教室を回り始めましたが、子ども達の発言や先生の発問に興味を惹かれ、ついつい一つひとつの教室に長居をしてしまいました。その夜『そろそろ寝ようか』と思っていた頃、そんな最後の授業を担当した先生から携帯電話にメールが来ました。この取組をしなかったら、道徳の授業をすることのない副担任の先生です。一部を抜粋します。
 「ローテーション道徳、最終回1−1でやりました。生徒たち数人が泣いていました。授業者も生徒たちも涙が出てしまう、そんな初体験をさせてもらいました。まだまだ研鑽に励まないといけませんが、校長先生のアドバイスがあり、何とかそれなりの形になったと思っています。ありがとうございました。ワークシートの中には、一番良かったと書いてくれているものもあり、自分のことを資料にするか悩んだり、苦労したことが一瞬にして吹っ飛びました。結局、いつも生徒たちに教えられ育てられているのは教師の方なんだなと感じ、生徒たちを心から愛しいと感じます。やっぱり道徳、大好きです。この気持に確信が持てたのは、校長先生がいらしたからです。感謝しております。花山に来られて良かった。記念式典まであとわずか。素晴らしい式典になるよう皆で頑張ります。」
 少々お手盛りな感じもしますが、そのまま掲載しました。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「よい機会だと思って」
 もう20年以上も前のことです。RV車の先駆けとしてワンボックスカーが流行し出し、30歳代後半の父親層に売れました。当時はバブル。よいものを作れば爆発的に売れた時代です。やがて、トヨタ社でミッドシップエンジンのスーパーチャージャーつき「天才たまご」と呼ばれるエスティマが開発されました。その流れるようなフォルムが何とも言えず斬新で魅力的に映りました。
 2人目の子どももでき、それまでの自動車(初代アコードワゴン)ではやや狭く感じていた私は、その車を手に入れたくて仕方がありませんでした。ちょうどその頃、顧問をしていたテニス部が強くなり始めていました。「エスティマがあれば、子どもたちを連れてどこへでも練習試合に行ける。」そう思うと我慢が出来ませんでした。アコードの下取り価格が高かったこともあって、少々無理をしつつも一気に契約しました。翌年、家族でシンガポールに旅行した時、現地のガイドが日本車の中で一番欲しい車がエスティマだと言った瞬間、二人の息子が同時に私の方を見て笑ったのを今でも覚えています。
 それから15年と9カ月が経ちました。走行距離は12万キロを超え、すでに地球を3周以上している勘定です。家族を日本中色々な所へ連れて行ってもくれました。
 数年前からハイブリッド車が出始め、燃費のよいエコな自動車が増えてきました。そうなると、いくら高性能でパワフルだとはいえ、リッター6キロも走らないこの車は、どうにも非経済的な感じがするようになりました。「そろそろ乗り換えようか」そんな話が出ては消えてきました。一方同時に、乗り替えのタイミングを待っていたのも事実です。
 とうとうその時がやってきました。今日を最後に長年付き合ってきた家族のような車と別れることになりました。今日は、帰りがどんなに遅くなってもアイツを洗ってやろうと思います。そして、その後は、2たりだけでドライブです。
 さて、チャレンジ体験学習が進行中です。毎年この時期に生徒の働く姿を見るのが大変楽しみです。そこには学校では見られない姿もあるからです。
「へえー、この子、こんな表情するんや」「この子は、学校より毎日ここへ来てた方が活き活きしてるんやないやろか」事業所を訪れてよく思うことです。特に今年は、毎日学校へ来ることが難しい子が職場で頑張ってもいます。
 もうひとつの楽しみが、生徒が職場で売っているものを買うことです。ラーメンを食べることもあればドーナツを買うこともあります。毎年ガソリンを給油しにも行きます。
 そこで考えました。「チャレンジ体験の最中に車を購入してやろう!」密かに計画を練ってディーラーさんとも打ち合わせてきました。今頃は、明日納車する予定の自動車が、まさか私の家に届けられるとは夢にも思わず綺麗に磨いていることでしょう。
 「なに、それ!?」そう言いながら、妻も反対はしませんでした。販売店にしても生徒にとっても、そして私たちにもきっとよい思い出になると思います。

※この文章は、昨日に書いたものです。
 今日のサプライズに向けて敢えてアップするのを遅らせました。新車の納車は今日の午後です。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「成長を感じるとき」
 「陽(下の息子の名は陽太)がお風呂へ行きたいって言うてるし、後で連れて行ってやって!」28日は雨で練習試合が中止になり、息子は早く帰宅してきました。彼が2時間ほど睡眠をとった後の出発です。この瞬間、頭の中でその後の私の予定をすべて変更しました。陽太と一緒に銭湯へ行くのは何年振りでしょう。ささやかな楽しみにワクワクする気持ちを確かに感じていました。これまでも何度も誘ったことがありましが、その度に短い言葉で「ええわ!」。おそらく、ヘトヘトになって家に帰りつき、もう一度どこかへ行くなんて気がしないのだろうとこちらもそれ以上は言葉をつなぎませんでした。
 約束の時刻を少し過ぎた頃、息子がノッソ、ノッソと階段を降りてきました。私の方は用意万端整えて待っていましたが、もちろんそんな素振りは見せません。「私も行く!」妻が言い、思いがけず3人での銭湯通いとなりました。
 息子と並んで湯船につかります。他愛もない内容ですが会話がはずみます。そのうちやっぱり野球の話になります。こういうスイングをしたらボールが飛ぶ。こういうキャッチングをする。配球はどうだとか、一生懸命話し始めました。「へえー、そうか」「なるほどなあ」そんな言葉で聞き役に徹します。「うちの下の息子です。」顔馴染みの方に紹介します。「こんにちは!」すぐに横の息子が挨拶をします。そんな当たり前のことが妙に嬉しく誇らしげであったりもしました。二人並んで体を洗います。その間もしゃべりっぱなしです。家でこんなに会話をすることはありません。「おい、むこう向けや!」息子の背中を流します。『いつの間にか大きくなったものだ』大きな逆三角形の背中をタオルでゴシゴシやりながら思います。瞬間、掌にのせて湯船につけた日のことを思い出します。次は、私が洗ってもらう番です。以前は、このとき息子は立ってやってくれていたことも思い出します。
「お母さん、そろそろ、あがろうか。」「はーい!」壁越しのこういう会話も地域の銭湯ならでわです。先日、ここで大学生にマナーについて注意したのですが、この会話は下町情緒に溢れているのでマナー違反ではないと、自分勝手に決めました。息子は、脱衣場へ出る前にちゃんと身体を拭っています。そのことに触れると、「小さい時からお父さんにうるさく言われてきたさかいに、合宿の時でも自然にできる。」と言いました。家庭で教育してきた成果といえば大袈裟ですが、親として小さな満足感をもったりもしました。
 学校でも、チョットした場面に子どもの成長を感じる瞬間があります。
 廊下ですれ違う際に、私を先に通してくれるなどの配慮ができたり、何気ない会話の中にも発見します。「いつも頑張ってるね。」や「身長が伸びたね。」に対して「ありがとうございます。」と答えることなどがそれです。それに気づいたら素早く「おっ、成長したね」などと口に出します。少なくとも私はそう心がけています。多分生徒も悪い気はしていないと思います。生徒との間の信頼関係を築いていくのは、意外にこうした何気ない会話だったりすると思います。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「支えられて」
 毎朝九条山の気温計を見るのが習慣になっています。今朝の気温はとうとう9度。一桁になりました。つい先日まで、最低気温が25度を下回らず、寝苦しい夜を過ごしていたのに、確実に季節は進行しています。九条山を越え山科側に入ると、三条通の両側にまだ背丈の低い街路樹が植えられています。そう言えば、その葉が随分赤くなりました。もうじき山々が赤や黄色に色づくに違いありません。
 さて21日の日曜日、朝から夕方まで多くの子どもたちの輝く姿を見ました。色々なことを感じたのでここに綴っておきたいと思います。
 午前9時、六所神社の祭礼に顔を出します。厳粛な雰囲気の中で神事が進みます。裃を身につけた役員の皆さま方、法被姿の神輿の曳き手・担ぎ手の方、その中に中学生の姿を見つけます。子ども神輿を担ぐ者の他、大人神輿を先導する旗と提灯の持ち手としてその場にいました。「去年からこの役は中学校の生徒さんにお願いしてるんです。」役員さんからそう紹介され、早速記念写真を撮影します。誇らしげな、実にいい顔です。私が中学生の頃、そういった処へ行くのは何やら照れ臭く、完全な大人になるまで足が遠のいていたように思います。「頼むで。しっかりやってや!」そう言われ、その子たちは力強く返事をしました。私の目には、その様子がとても頼もしく清々しく映りました。
 午前10時20分、當麻寺へ移動します。岩屋神社の神輿がここへやってきた際、鏡山小学校の児童と共に本校の生徒たちが太鼓演奏を奉納するのです。今年で3年目になりますが、既に地域では評判になり、大いに期待もされ、観客もたくさん集まります。「素晴らしい演奏ですね。さぞかし練習されたことでしょう。」初めて演奏を聞かれた神主のご子息がそう褒めてくださいました。このことが、子どもたちに自信と誇りを持たせました。
 午後1時15分、東部文化会館に到着。吹奏楽部のフェアウェルコンサートを鑑賞するためです。この日で引退する3年生のことを思い、開演前から鼻の奥がツンとするような感傷的な気持ちです。ステージが進行します。毎度のことですが、観客を味方につける心地よい演奏が続きます。スクリーンに思い出の写真が次々と写しだされると、会場から啜り泣きの声が聞こえ始めました。
 予定された演奏がすべて終了しアンコールに入る前、キャプテンからメッセージが読み上げられます。顧問の先生や保護者の方、教職員や地域の方、そして何より仲間への感謝の気持ちに溢れた内容です。「皆さんに支えられて今日の日を迎えられました。」その言葉が強く印象に残ります。花吹(はなすい)の演奏に元気をもらい『よーし、また頑張ろう!』と思ったことのある人は、おそらく私だけではないでしょう。そういう意味では、私たちもまた支えられてきたことになります。
 地域と子どもたち、吹奏楽部の生徒とその周りの人間との関係など、そう、“支える”とは決して一方通行の関係ではありません。

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「ツキを呼び込む」
 先日、野球部がベスト4に入った試合を見ていて思ったことです。力の差はそれほど感じませんでした。相手も守りの堅いよいチームであったと思います。ノーエラーの本校に対して、幾つかエラーの出たのが相手チームでした。相手のエラーは、大きな勝因となりますが、期待して起こるわけではないので、“ツキ”の一つでもあります。2−0で迎えた7回表の相手の攻撃の場面でも“ツキ”に助けられました。デッドボールとヒットで1アウト1・2塁のピンチ。痛烈なライナーがピッチャーを襲います。咄嗟に出したグローブにボールが吸い込まれ、次の瞬間1塁に送球してダブルプレー。ゲームセットとなりました。あの当たりがセンターへ抜けていたら…。
 そこで思うのです。こうした“ツキ”を呼び込む力こそ、日頃の練習姿勢や生活態度なのではないかと。野球部の子たちが、普段からいい加減な練習をしていたり、道具を大切にしていなかったりしたら、きっと今回のような結果は得られなかったでしょう。
 さて本日、第3回定期テスト終了と同時に全校集会をもちました。1カ月後に迫った「研究発表会」「50周年記念式典」に向けて、生徒と教職員との気持ちを一つにするためです。最初に5分間、私が話をしました。全校生徒の澄んだ熱い眼差が、話し手である私に真直ぐに注がれるのを感じました。それを受け止めながら話をするうち、気持ちが昂るのをはっきりと自覚もしました。話の内容を以下に記します。
 私は今の3年生が入学した年にこの学校に赴任しました。当時は、日に何度も非常ベルが鳴ったり爆竹が鳴ったり、新入生にとっては不安な毎日だったと思います。3年生は、1・2年生と比べて20人ほど少ないです。ひょっとしたら、その人たちは花山中の悪い噂を聞き、別の学校へ進学したのかもしれません。そんな中、本校に来てくれたこの子たちを大切にしたいと強く思ったものです。これまで3年生に対して「主人公になれ」と言ってきた理由でもあります。生徒と先生が一緒になって頑張り、1年後には素晴らしい卒業式を挙げることができました。全く違う学校のように生まれ変わった2年目。全校集会などの時、前で話す人の声をしっかりと聴く皆さんの姿を見て次のように思いました。
「フロアーに居る子たちが、挙手をして自分の思いを自分のことばで言えるような集団にしたい。」目指す生徒像と集団像を共有し、それに向けて取り組むことを教職員全員で確認しました。こうして研究活動が始まりました。道徳教育に力を入れました。教科の授業や学年集会の形も変わりました。生徒の発言する場面がどんどん増えていきました。
 来月の17日には、こうして取り組んできた結果、素晴らしい変容を遂げた皆さんの姿を保護者や地域の皆様をはじめ、京都市内や他府県から来られた教育関係者に見せてもらいたいです。皆さんがそんな姿を見せ、来校された方たちをビックリさせてほしいと思うのです。きっと皆さんには既にその力が備わっていると確信しています。
 練習の成果が起こす奇跡や“ツキ”が、感動を生むことを念頭に置いて話しました。

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「アニキに乾杯」
 また一人、日本のプロ野球界を代表するスター選手が現役を退くことになりました。阪神タイガースに移籍してきて以来、「アニキ」として親しまれ、このチームを2度のリーグ優勝に導いた立役者、金本知憲選手です。
 12日、試合前に開かれたという記者会見の模様を何度も繰り返してTVで見、翌日は新聞各紙を貪り読みました。
 私は、プロ野球が好きで、家族ぐるみで阪神タイガースを応援しているものの、とりわけこの選手をひいきにしてきたというわけではありません。むしろ、ここ何年かは、『いい加減、早く若手に道を譲ればいいのに…』と思っていたほどです。ところが、彼の引退会見を聞き、考えさせられるところが大変多く、改めて彼が偉大な選手であったことに気づくことができました。特に強く印象に残ったコメントを紹介します。
Q「悔いはあるか?」
A「若い時にもっとバットを振っておけばよかった。もっともっと自分を鍛えたり練習したりしておけば、もっともっといい数字が残せたのでは。肩を怪我してから全盛期のプレーを目指してやってきたが、数字的にできていなくて…。来年度にチャレンジしたいという悔いもある。」
Q「引退の決断理由は?」
A「自分に対する限界かな。若手に切り替わる中で、いつまでもいい時のパフォーマンスが出せない自分がいるのも肩身が狭かった。体もしんどい。」
Q「野球を振り返って」
A「特に、この3年間は惨めというか、自分がみっともなくて。自分でかわいそうというとおかしいが、最初と最後の3年間は、こんなに苦しい時があるんだって3年間だった。」
Q「一番誇りに思う記録は?」
A「1002打席連続無併殺記録。打率が下がるところで全力で走ってゲッツーにならなかった。内野安打にならないところで全力プレーし、フルイニング出場よりも誇りに思う。」
Q「野球とは?」
A「10歳から始めて、7割8割はしんどいことで、2割3割の喜びや充実感しかなかったが、2割3割を追い続けて7割8割苦しむ。そんな野球人生でした。」
 本人の苦しい気持ちを知ろうともせず、勝手に「引退した方がよいのではないか」と思っていた自分を恥ずかしく思います。また同時に、彼ほどの選手でもこれほど悩み苦しんできたのかと、自分の置かれている状況と比較して、改めて頑張らなければならないという気持ちにもなりました。
 去りゆく「アニキ」に勇気と元気とやる気をもらいました。

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