京都市立学校・幼稚園
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北にそびえる 鏡山   西に連なる東山 松のみどりに 包まれて 白くあかるく 照りはえる 希望あらたな 学び舎は 我らの 花山中学校

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「負荷」
 明けましておめでとうございます。平成25年の幕開けです。思えば、昭和から平成になったとき、既に教師をしていました。早いもので、あれからもう25年も経つのかと思います。戦争・敗戦・復興・高度経済成長、激動の昭和が終わり平成となりました。平成の時代で思い起こすことといえば、バブルとその後の不景気、阪神と東北の大震災、政権交代と度重なる総理大臣及び内閣の交代。世の中の不安定を思わずにはいられません。 
 さて、花山中学校にとって平成25年はどんな年になるのでしょうか。いや、どんな年にすることができるのでしょうか。『他人と過去とは変えられないが、自分と未来は変えられる。』こんな言葉があるのですからそう言った方が適切でしょう。
 毎年たくさんの年賀状のやり取りをします。年末は、年賀状書きが大仕事です。『邪魔くさいなあ〜』正直に言うとそんな風に思うこともありますが、反対にお正月にそれを受けとると『書いておいてよかった〜っ!』と思い直します。
 年賀状の中に「花山中学校のホームページを見ては励みにしています。」とか「HPを楽しみにしています」とかというのが思いのほか多くあって嬉しく思いました。意外な人が見ていてくれることもあります。25年以上も前に担任した教え子が、中学生の保護者となってPTAの活動をはじめ、うちのHPに興味を持ってくれていたり、15年以上前に筑波で一緒に中央研修を受けた仲間が遠く九州や東北からHPを見ていてくれたりもするようです。手前みそだとは思いますが、HPを楽しく見て頂けるのは、その中で紹介している取組そのものが充実しているからだと思うのですがどうでしょう。取組が充実していればこそ、そこに紹介される子どもや保護者や教職員の姿が輝いて見えるのでしょう。 また、年賀状の中に、「研究発表会お疲れ様でした」とか「研発での子どもたちの言動に感動しました」「50周年記念行事に刺激をもらいました」というものもたくさん頂きました。力を入れてきた事業であるだけに、そういう評価は本当に嬉しいです。とにかく、今本校は自分たちが思っている以上に注目されていることが年賀状を通じても見えてきたわけです。
 特にこの1年間の取組は、子ども達に自信と力をつけ、我々教職員には教育に対する新たな喜びを与えてくれました。教育の可能性と花山中学校の進むべき方向性を示してもくれたと思います。一方で、子どもにも教職員にも、多くの負担を強いてきたことも確かです。筋肉や身体はある程度の負荷を与えない限り強くなってはいきません。しかし、負荷をかけ過ぎると疲弊し怪我をすることにもなります。校長がチームの監督だとすれば、この辺りのことをよく認識して選手を育てなければいけないと思います。子どもたちや教職員に無理をさせずにこれらの取組を続け発展させる方法を25年度には考えていかなければなりません。さーて、ここからが大事です。
※写真は、年末の1年お楽しみ会の様子です

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「最高を目指す」
 今年も残すところ1週間を切りました。1日1日は「長いなあ〜」と感じることもありましが、3ヶ月とか半年とかというスパンで見ると本当に早いものです。この1年を振り返ると、やっぱり一番の思い出は「研究発表」と「創立50周年記念式典」を同時開催したことです。「また、それか!?」そんな声が聞こえてきそうですが、私にとっては、本校に赴任して以来頭から離れることのなかった事業だけに、何度も取り上げることをお許しいただきたいと思います。
 さて、なぜこの事業への思い入れが強いのかを、もう少し詳しく書かせてもらいます。
 先ず、構想段階から数えると2年以上前からの取組だったということです。教職員に対してその「青写真」を示したのが1年前。そこからは全教職員で本番に向けての動きが始まったのですが、時間をかけて構想し、時間をかけて取り組んだ結果、紙の上の理想が現実のものになったのだから、こんなに素晴らしいことはありません。
 是非とも伝え、皆さんに考えてもらいたいことがもうひとつ別にあります。
 それは、何かをしようとするとき、最高を目指すのか、それとも最低で留めておくのかということです。本校の「研究発表」と「創立50周年記念式典」に関しては、その時に考えられる最高を目指したつもりです。
どこの学校でもその時が来れば「50周年記念式典」はするでしょう。その際、『あー、今年がそうなら仕方がない。まあ、この程度で済ましておけばいいんじゃないか』と周囲から非難されない最低レベルの取組を考える学校は意外に多いのかもしれません。実際、私の頭にもチラッとそんな考えが浮かばないでもなかったです。しかし、それでは面白くありません。『どうせやるなら、楽しまないと!』『どうせやるなら、生徒のために!』『どうせやるなら、教職員の力量アップにつなげよう!』『どうせやるなら、最高のものを!』そんな風に考えて取組を始めました。思いは、教職員を通して生徒にも確実に伝わりました。“どこまでも生徒を中心にしようとする先生。先生に応えようと挑戦する生徒。中学校でこんなことが出来る、それも学校全体で…。”とアンケートの中で評価してくださるものがあったのを嬉しく思い出します。また、PTAの方々も『どうせやるなら、楽しんでやりましょう!』とこれを合言葉のようにして活動されました。
“理想は高く!”言うは易し。しかし、実際には、実現可能な無難な所に目標を設定することの方が多いのではないでしょうか。そうはせず、あくまでも目標を高く設定し、それに向かって全員で動き、掲げた理想を実現できたからこそ、とことん嬉しいのです。
 年の瀬に敢えて言います。普段の授業で50分をどのように使っていますか。『もっと分かりやすくするには…』工夫をし出せばいくらでもできます。敢えて言いますが、昨年度通りの授業をしていても給料に変化はありません。大いなる成功体験から、来年に向けて今年を次の言葉で締めくくりたいと思います。
 「同じやるなら、最高を目指さないと!!」

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「社会が変化しようが」
 一昨日(16日)は、第46回衆議院議員選挙。「お父さん、選挙に行こ!」息子からそう言われ、午後の小春日和の中を、夏に20歳になった長男と妻と、愛犬の檸檬(れもん)も連れて選挙に出かけました。
「人が少ないなあ。」選挙会場の小学校に着くと先ずそう思いました。昨日の朝刊を見て、前回2009年よりも投票率が10ポイントほど下がり、戦後最低となる可能性があることを知りました。息子が初めて参政権を行使した選挙が勢いのないものだったことを少々残念に思います。自分がはじめて投票したときのことを今も覚えています。私も両親とともに選挙会場へ行きました。『どうするんやろう?』やっぱりちょっぴり不安だったことを思い出します。
「お父さん、誰に入れたらええん?」と息子が尋ねてきます。
「お父さんは、こうしようと思てる。」自分の考えを示しただけで、本人に投票の責任を持たせようと心がけました。思えば、私の初選挙の時も父との間でこんなやりとりがあったように思います。20歳になったばかりの若者の中で、政治に強い関心のある人は一体どれくらいいるのでしょう。意外に少ないのではないでしょうか。こうして選挙に行き、TVで開票速報を見、当落が決定した人たちのスピーチを聞くことで、政治に多少なりとも関心を持ってくれればよいのですが…と思ったりもしました。
 さて、前置きが随分長くなってしまいました。今回は、前回の選挙で歴史的な政権交代を果たした民主党が惨敗する結果となりました。あの時は、民主党の掲げるマニュフェストから、その先の社会に大きな期待感が確かにありました。当初は、「事業仕分け」や「高速道路の無料化」「子ども手当の支給」などで華々しいスタートを切ったように思います。「高校の授業料無償化」は、今も中学生の進路選択に大きな影響を与えています。あれから3年3カ月が経ちましたが、日本社会は、依然として不況から抜け出せずにいます。円高の影響で輸出の不振。得意分野であったはずの電化製品も外国との競争に負けつつあります。「えっ、何で!?」世界的な大手企業がまさかと思うほどの赤字を出してもいる状況です。そんな中で就職難は続き、希望のもてない大学生をはじめとした若者が大勢存在します。
 今回の選挙で、有権者は、長く与党として日本を引っ張ってきた経験のある自民党が社会を再生してくれることを期待したということでしょうか。内外の情勢が厳しいことには変わりがないのだから、新しい政権与党も新首相もさぞかし大変でしょう。
 ところで教育に関してですが、政権が交代し政策がどのように転換しようが、私たちのやるべきことに変わりはないことを確認しておきたいと思います。目の前の生徒の課題を見据え、その克服のための取組を考え、粘り強く取り組むだけです。学力向上の取組、家庭生活や学校生活の指導、405人の生徒には405通りの課題があります。喜ばしくないことだって時には起こります。そんな時こそ、それらに対して真摯に向き合い、粘り強く指導していくのです。
 過去も、そしてこれからも、私たちのすべきことは同じなのです。

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「ここで決まる」
 12月は「人権月間」だということで、本校でも人権について深く考える学活を行っています。1年生は障害者の問題、2年生は在日韓国・朝鮮人の問題、そして3年生では同和問題について考えてきました。特に今年度の3年では3時間構成で綿密に計画されました。係の先生の作成した指導基準案を学年会で検討し、その上で研修会に提案されたものを全教職員で再検討します。今年の3年の指導案は、これまでよりも一歩も二歩も踏み込んだ内容であったため、研修会でも色々な意見が出されました。以前に勤務した学校で、それこそ夜中まで指導案の検討をしたことを思い出します。先輩教師から厳しく教えられることもあって、苦く辛い経験もありましたが、この時に本当に多くのことを学んだように思います。今思えば、人権問題指導に少しばかりの自信が持てるのも、この頃の学習の成果かもしれません。
 さて、3年の人権学習を参観していて思い出したことや改めて思ったことをいくつか記しておきます。先ず、差別をなくしていくために心掛けたい3つのことです。
 これは、今まで学習してきた結果として私の中に出来上がったもので、今も常に大切に考えています。
◎気づくこと(これが差別だと気づく)
◎指摘すること(それはおかしいと言える)
◎仲間をふやすこと(周りに伝え、差別をなくす人をふやす)
 差別は、差別される人がいるから起こるのではありません。あくまでも差別する人がいるから起こるのですから、社会のすべての人が、この3つのことを確実に実行出来れば、きっと世の中は差別の解消に向けて変化していくはずだと思うのですがどうでしょう。
 また、3年生の各クラスの人権学習をじっくりと見ていて、改めて次のように思いました。教科の授業は、おそらくどの学校でもそれほど変わりなく行われています。その学校がどんな学校かを決めるのは、むしろこういう学習にどれだけ力を入れているか、また、生徒がどれだけ真剣に向き合っているかではないでしょうかと。
「将来、もしこういう問題に出会ったら、今日学んだことを思い出して差別をしないようにしていきたいです。」3年生が、人権学習の際に述べた言葉です。
 確かに人権学習という名前で取り組むのは、年に数時間です。答としては美しすぎるようにも思えます。しかし、その時の表情や言葉の調子から、かなりしっかりと学んだ結果ではないかと感じました。本校は、特にこの1年間、道徳教育にも力を入れてきました。元々部活動がとても盛んでもあります。また、総合的な学習の時間でも、人との関係の築き方を学ぶ場面が多く設定されています。こういった学習の集大成として、3年生がこの時期の学習で言ったこの言葉には、かなりの重みと深みがあるように思えるのです。
 決して教科の学習を軽視するものではありませんが、おそらく、このような学習がその学校の真価を決定するという考え方に間違いはないはずです。

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「夢は叶う」
 11月28日、京都市中学校PTA連絡協議会主催の研修会で北京オリンピック・シンクロ日本代表の石黒由美子さんの講演を聴きました。8歳の時に不慮の交通事故に遭い、瀕死の重傷を負った彼女が「シンクロでオリンピックに出る」という夢を見事に実現させたサクセスストーリーです。講演を貫いていたのは“ポジティブ・シンキング”の大切さです。彼女と彼女を支え続けたお母様のポジティブな考え方には圧倒させられっぱなしでした。
 特に印象に残っていることを幾つか紹介しましょう。
 先ず、母親の子育てです。特に事故後、「由美ちゃんはすごい!」「由美ちゃんは天才!」「由美ちゃんは世界で一番よ!」と言い続けたことで石黒さんは本当にそのように思い込んでいたといいます。次に母親の言葉です。「娘が8歳の時、事故に合わせて頂いて、そのお陰で…」「あの忌まわしい事故のせいで…」と言っても当然の所をこのように語っておられました。また、由美子さん自身の考え方です。「人生は振り子のようなもの。マイナス方向に大きく振れた後は、きっとプラス方向に大きく振れるはず。しんどい時に、『この後どうなるんだろう!?』ってワクワクする。」まだあります。それは入院中の食事。やっと意識が戻った頃、お腹が空いてたまらず、彼女は医師に「食べ物が欲しい。」と要求します。点滴の中に必要な栄養素が入っているから必要ないというお医者様の話には従えません。流動食を与えられるのですが、「美味しくない」と拒否。仕方なく普通食を食べさせてみたところ、ペロッと平らげてしまいました。普通食を食べるようになってからの回復力は驚異的だったといいます。まだまだある。高校入試の時の話です。入院と治療のために小学校にもろくに通えなかった彼女は、中学校の成績も振るわなかったのですが、目標は名門「名古屋大学」への入学。そのために、敢えて偏差値の低いことで有名な高校へ入学し、そこで高い内申点をとって推薦入学で名大を目指したといいます。それまで出会ったことのないようなヤンチャな生徒との出会いもありましたが、友達や仲間の大切さに触れ、小中学校以上に高校生活を大いに楽しむことになりました。
 これらの話を聞きながら考えました。反対のこともきっとあるだろうと。
 思い通りにならないと自分の運命を呪ったり、不運や不幸を他人のせいにしたり、病気になったら塞ぎこんだりしていると、人生がどんどんマイナス方向に進むのではないでしょうか。ネガティブ・シンキングはマイナス方向の人生への道標かもしれません。石黒さんの話はそのことを強く印象付けてくれました。
 顔面を切開する手術でしか取り出せないと診断されていたガラス片が、くしゃみをしたとたんに大量の鼻血と共に飛び出たという話は、まるで奇跡のようですが、常にポジティブ・シンキングの彼女の人生でなら、とても不思議ではありますが、本当にそんなことが起こるのかもしれないとさえ思いました。
 夢は叶うのではありません。石黒さんの話を聞いて確信が持てました。夢は叶えるのです。
 ※講演の後、ご本人のサイン入りの著書を購入しました。写真はその表紙です。

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「学ボラ」
 多くの小中高等学校で、ボランティアとして活躍する大学生が数多くいます。授業の手伝いをする人、行事の時に来ては教職員と一緒になって運営にあたってくれる人、毎週決まった曜日にやってきて1日中生徒と関わってくれる人、部活動の技術指導をしてくれる人、土曜学習を支えてくれる人など、本校にも10人以上の大学生たちが色々な形で「花山中教育」の一端を担ってくれています。
 私の場合、この取組との出会いは10年ほど前です。かつて勤務していた学校の卒業生が部活動の手伝いに来てくれていました。教師を目指していた学生たちは、早くから学校現場で活動することに意義と喜びを見出し、志を同じくする友人を誘ってくるようになりました。そしてやがて、行事に始まり普段の授業の支援もしてくれるようにもなっていきました。学校も彼ら、彼女らの存在を重宝に思い、次々とできる仕事を任せていきました。“ちょっとした相談相手”として、生徒にとっても年齢の近い大学生の存在は好都合でした。「学生の街・京都」ならではの始まり方です。
 また、当時から昨今の教職員の大量退職・大量採用時代の到来が予想されており、各大学はインターンシップ制度を立ち上げ、京都市教育委員会が「学生ボランティア」学校サポート事業を実施したことも、学校で活躍する学生の背中を押しました。各小中高等学校で自然発生的に起こったことに大学や行政の立ち上げた制度が合わさって、学校教育に参画する学生の数は爆発的に増えていったのです。
 京都市教育委員会に在籍し教員養成に関わって以来、今も学生や教師を目指す若者に対して「教職の魅力」について講義することが多いのですが、その際には必ず「学生ボランティア」をすることを勧めています。理由は、主に次の3つです。
 教育の在り方は刻一刻変化しています。学生諸君が小学生や中学生だった頃とは、学校もそこで行われている教育の内容も大きく変化しました。そのことをわが身で確かめられるということです。また、大学等で学ぶ際、講義のなかで話される内容が、実際の場面を思い浮かべながら、より具体的に理解できるということが2つ目の理由です。更に、そしてこれが最も大事なことなのですが、今の子ども達の生活に直に触れられることです。子どもたちが、どんなことに興味をもち、どんな会話をし、どんな風に友達や教師と接しているのか、それを知ることができるからです。
 教師になることが目標であった私にとって、ボランティアで活躍する学生を見ると、「自分たちの頃にもこんな制度があったら…」と羨ましく思うこともあります。一方で、理想的なことばかり考えていたあの頃があったればこそ、厳しい現実に直面した時にも教師としての“軸”をぶらさずに済んだのかとも思います。
 学ボラの諸君に言いたいことがあります。思い切って生徒と接せよ。常に理想を追い求めよ。決して小さく収まることなかれ!

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「この喜びを伝えたい」
 先週末、17日の「研究発表会」及び「創立50周年記念式典」に参加してくださった愛媛県の方からお手紙を頂戴しました。この方は中学校の校長をしておられましたが、ご退職後の現在は、ご自宅に学生や若い教師を集めてボランティアで教員養成をしておられます。私とは10年来の付き合いで、今回ご案内をさせて頂いたところ、車2台で若者を連れてやって来られました。
 少々長くなりますが、お手紙を紹介させていただきたいと思います。
―前略― 全校での道徳は初の経験で、学年道徳も含めて、我々の地域にも呼び掛けてみたいと思いました。たくさんの参観者の前でも臆することなく挙手をし、堂々と自分の意見を述べる生徒を目の当たりにして、これがほんの数年前まで大変だった学校の生徒達かと我が目を疑いたくなる心境でした。このことは、7名の若者達も同意見で、教師次第で学校は変容出来るものだと確信したものです。市長さんや来賓の方々の言葉の端々に荒廃寸前だった頃の様子が伺えましたし、何よりも最後列にいた3年生の女子たちが語ってくれた入学当時の模様からも、当時の大変だった雰囲気が伝わってきたからです。その子達に、『先生は信じられる?先生方に言いたいことはない?』と尋ねると『一人ひとりをしっかり見てくれる先生ばかりで、不満は全くありません!』と明快な口調で一人の子(吹奏楽部)が答え、周囲にいたメンバーも全員笑顔で頷いてくれました。少し離れた場所に居られた若い男性の教師に、『この生徒達に言いたいことは?』と聞いてみましたが、『何もありません!いい子たちばかりです!』との返答で、“師弟同行”の感をさらに強くしたものでした。最初から最後まで「花山中はキャッチボールができてるな」と感じたのですが、先生と生徒との人間関係が構築されていること、それも単なる言葉だけでなく“心の繋がりをベースとした信頼関係に基づく深いものである”との意を強くした出来事でもありました。
 澤田先生との挨拶を終え、車でグランドを出ようとしたときのことでした。「軟弱なグランドに轍を残すよりこのまま直進しよう」と決断して校門へと前進したら、車止めのバリケードがあったので傘を差して降りようとしたその時、一人の男子生徒が濡れるのも構わず咄嗟に前に出、なんと、そのバリケードを自主的に移動してくれたのです。そして、爽やかな笑顔で我々を見送ってくれたのです。この彼の瞬時の行動には驚愕させられました。氷雨の降る中、彼の温もりある行為は、我々の心を温かく優しく癒してくれただけでなく、道徳で培われた力強い実践に結びついており、研究会に匹敵する新たな感動をプレゼントしてくれました。
 自己肯定感の高い生徒は、充実感や達成感、満足感に溢れており、他人を傷つけたり安易にいじめに走ったりしないと思っています。全国的に発生している昨今の問題行動の数々は、道徳教育の充実を通して培われた花山中の生徒達には、きっと無縁の世界だと思います。今回の参観で最も感じたことはこのことでした。機会がありましたら是非生徒達に、感謝の意と彼らのすばらしさを伝えてほしいと思います。 ―後略―
 我々の知らない所で、こんなに幾つものドラマがあったとは。この文章をそのままの形で生徒や保護者、地域の皆様にお知らせし、皆で登場する生徒諸君に拍手を送りたいと思います。

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「やるからには成功させな!」
「いやー、ほんまに感動しました。今日は、書いたものを用意してきましたが、そんなものを読み上げるより、今感じたままを述べさせていただきます。」創立50周年記念式典での、門川大作京都市長の祝辞の第一声です。
「生徒の態度の素晴らしさ、歌声の大きさ、教職員のまとまり、花山中学校がここまでよい学校になっているとは、本当に嬉しい驚きです。感動しました。くれぐれも、生徒と教職員に宜しく伝えてください。」今日、市役所へお礼の挨拶に伺った時にはそう言っていただきました。
 17日(土)の「研究発表会」と「創立50周年記念式典」では、生徒が期待通りの大活躍をしてくれました。
 1時間目の道徳の時間。全ての授業を少しずつしか見られませんでしたが、どの授業でも生徒たちは、自分の思いを自分のことばで語っていました。3年生の学年道徳では、その場で書いた保護者宛ての簡単な手紙を朗読する場面が感動的でした。普段あまり素直になれない男子が、母親への感謝の気持ちを文章にして発表しました。残念なことに、その子の母親はPTAの仕事があったのでしょうか、その場に居られなかったのですが、代わりにその母子の関係をよく知っておられる別の母親が涙しておられました。また、今春卒業した脳性マヒの生徒(以前「25人目の選手」として紹介しました)が、卒業前に野球の試合に出場したのですが、その子の担任だった先生が、その事を資料にして授業を行いました。「これは是非とも…」と思い、参観に来ていた彼をその教室に案内しました。彼は、照れながらも嬉しそうな表情で授業を聞いていました。前の方の女子生徒が泣いていました。
 2時間目の各学年の取組発表とパネルディスカッションも素晴らしかったです。どれもコンパクトに上手くまとめられ、よく分かるように表現されていました。感想や意見を述べる場面でも、次から次へと手が挙がりました。「どちらかというと、道徳が好きではなかったのですが、今ではその時間が楽しみです。」そんな意見も出ました。来校者からも多くの感想や意見が寄せられました。それらを受けてまた生徒が考えを述べました。
「たくさんの人に褒めてもらえて嬉しい。」
 あまり例を見ませんが、研究報告会に生徒を出席させたのも良かったと思っています。指導講評で、教育委員会の先生から、生徒が直接褒めてもらえるからです。外部の方から褒められることが、どれほどの自信と誇りを持たせるでしょう。きっと生徒たちは花山中学校の生徒としてのプライドを強く感じてくれたことだと思います。
 「一人、ちょっとヤンチャそうな子が、ドヤ顔で私を見ていた。あれが特に良かった。」公務のため、途中退出された市長を拍手で送る際、どうやら生徒の中の一人が、自分たちのやったことを自慢に感じ、それを態度と表情に出したようです。
 その生徒の様子を想像して微笑ましくそして嬉しく思い、同時にそれをしっかりと見留められた市長に敬意を払うところであります。

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「いざ、研発へ」
 「研究発表なんてとんでもない。ただでさえ忙しいのに、そんなん負但が大きすぎるワ。」かつて京都市内でも、校長が「指定を受けて研究活動をし、1年後に発表を行う。」などと言うと、教職員がそんな言葉で反対する中学校がたくさんあったように思います。「そんなんしたら、学校が荒れる。」生徒指導で大変な学校では、そうまで言われました。しかし、今の花山中学校に、そんな風に思う教職員は一人もいないでしょう。確かに、負担といえばそうかもしれません。学習指導案や研究報告冊子を執筆したり、学年道徳やローテーション道徳などの新しいことに取り組んでもきたからです。
 「この研究は、教科の授業にも活かせるし、自分自身のスキルアップにもなる。」研究推進委員長がよく言った言葉です。副委員長の一人はパネルディスカッションを成功させるために生徒と何度も打ち合わせをしてきました。以前、推進派と慎重派の議論が熱いと書きましたが、今は全員が推進派です。研究報告冊子の編集を担当した副委員長は、出来上がったばかりのそれを手に「ずっと自分のそばに置いておきます。」と感慨深げに言いました。
 研究によって生徒が変わり、教職員が変わり、教職員組織が変わりました。
 週末の研究発表会に向けて、今も職員室で準備をしている先生がいます。この感覚がたまりません。かつて勤務した学校で、初めての研究発表会の前日、身体はクタクタのはずなのに、誰一人として帰宅しようとしなかったことを思い出します。また、当時の校長先生がお礼の挨拶を述べておられるのを聞きながら、『ああ、終わってしまう。この瞬間がもう少し続けばいいのに…』と思ったことも今思い出しました。
 昨日、発表会に向けて取り組んできた最後の道徳の授業が終了しました。全クラスを見に行こうと教室を回り始めましたが、子ども達の発言や先生の発問に興味を惹かれ、ついつい一つひとつの教室に長居をしてしまいました。その夜『そろそろ寝ようか』と思っていた頃、そんな最後の授業を担当した先生から携帯電話にメールが来ました。この取組をしなかったら、道徳の授業をすることのない副担任の先生です。一部を抜粋します。
 「ローテーション道徳、最終回1−1でやりました。生徒たち数人が泣いていました。授業者も生徒たちも涙が出てしまう、そんな初体験をさせてもらいました。まだまだ研鑽に励まないといけませんが、校長先生のアドバイスがあり、何とかそれなりの形になったと思っています。ありがとうございました。ワークシートの中には、一番良かったと書いてくれているものもあり、自分のことを資料にするか悩んだり、苦労したことが一瞬にして吹っ飛びました。結局、いつも生徒たちに教えられ育てられているのは教師の方なんだなと感じ、生徒たちを心から愛しいと感じます。やっぱり道徳、大好きです。この気持に確信が持てたのは、校長先生がいらしたからです。感謝しております。花山に来られて良かった。記念式典まであとわずか。素晴らしい式典になるよう皆で頑張ります。」
 少々お手盛りな感じもしますが、そのまま掲載しました。

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「よい機会だと思って」
 もう20年以上も前のことです。RV車の先駆けとしてワンボックスカーが流行し出し、30歳代後半の父親層に売れました。当時はバブル。よいものを作れば爆発的に売れた時代です。やがて、トヨタ社でミッドシップエンジンのスーパーチャージャーつき「天才たまご」と呼ばれるエスティマが開発されました。その流れるようなフォルムが何とも言えず斬新で魅力的に映りました。
 2人目の子どももでき、それまでの自動車(初代アコードワゴン)ではやや狭く感じていた私は、その車を手に入れたくて仕方がありませんでした。ちょうどその頃、顧問をしていたテニス部が強くなり始めていました。「エスティマがあれば、子どもたちを連れてどこへでも練習試合に行ける。」そう思うと我慢が出来ませんでした。アコードの下取り価格が高かったこともあって、少々無理をしつつも一気に契約しました。翌年、家族でシンガポールに旅行した時、現地のガイドが日本車の中で一番欲しい車がエスティマだと言った瞬間、二人の息子が同時に私の方を見て笑ったのを今でも覚えています。
 それから15年と9カ月が経ちました。走行距離は12万キロを超え、すでに地球を3周以上している勘定です。家族を日本中色々な所へ連れて行ってもくれました。
 数年前からハイブリッド車が出始め、燃費のよいエコな自動車が増えてきました。そうなると、いくら高性能でパワフルだとはいえ、リッター6キロも走らないこの車は、どうにも非経済的な感じがするようになりました。「そろそろ乗り換えようか」そんな話が出ては消えてきました。一方同時に、乗り替えのタイミングを待っていたのも事実です。
 とうとうその時がやってきました。今日を最後に長年付き合ってきた家族のような車と別れることになりました。今日は、帰りがどんなに遅くなってもアイツを洗ってやろうと思います。そして、その後は、2たりだけでドライブです。
 さて、チャレンジ体験学習が進行中です。毎年この時期に生徒の働く姿を見るのが大変楽しみです。そこには学校では見られない姿もあるからです。
「へえー、この子、こんな表情するんや」「この子は、学校より毎日ここへ来てた方が活き活きしてるんやないやろか」事業所を訪れてよく思うことです。特に今年は、毎日学校へ来ることが難しい子が職場で頑張ってもいます。
 もうひとつの楽しみが、生徒が職場で売っているものを買うことです。ラーメンを食べることもあればドーナツを買うこともあります。毎年ガソリンを給油しにも行きます。
 そこで考えました。「チャレンジ体験の最中に車を購入してやろう!」密かに計画を練ってディーラーさんとも打ち合わせてきました。今頃は、明日納車する予定の自動車が、まさか私の家に届けられるとは夢にも思わず綺麗に磨いていることでしょう。
 「なに、それ!?」そう言いながら、妻も反対はしませんでした。販売店にしても生徒にとっても、そして私たちにもきっとよい思い出になると思います。

※この文章は、昨日に書いたものです。
 今日のサプライズに向けて敢えてアップするのを遅らせました。新車の納車は今日の午後です。

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