京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/26
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北にそびえる 鏡山   西に連なる東山 松のみどりに 包まれて 白くあかるく 照りはえる 希望あらたな 学び舎は 我らの 花山中学校

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「突然」
 季節は徐々に移り変わっていくものだとは思いますが、ある日突然それに気づくことが多いです。今年の場合は、先週の水曜日、20日にそれを感じました。
 毎朝同じ時刻(5:50)に起きます。朝に出すのが、一般ゴミか再生ゴミかの違いぐらいなもので、ウィークデイの朝のルーティーンはほぼ同じです。愛犬“檸檬”を連れての散歩は雨の日でも欠かすことはありません。20日の朝の散歩の途中、前日と同じ時刻なのに明らかに「明るくなった!」と感じました。またその日の出勤時、九条山を越えて東を向いたときの朝日の光量が前日とは大きく異なったのです。この気づきに、大儲けをしたような気がしています。
 さて24日(日)、生徒会本部の子たちが「第9回若者が発信する21世紀の山科まちづくり」に出場したので見に行きました。発信したテーマは、花山中学校が今年度に取り組んだ研究についてです。本校では今年度、道徳教育を中心として「自分の思いを自分のことばで伝える」ということに取り組んできました。それが本校生徒の課題であり、京都市教育委員会が掲げている今年度の重点目標の一つでもあったからです。
 これまでの間、このことは、我々教職員の側から語られてきたのですが、今回は生徒が山科青少年活動センターに集った人たちの前で堂々と発表したのです。
 聴いていて驚きました。私たちが目指してきたことを子ども達の口から聴けたからです。もちろん、原稿作成に当たって教師の手が入ってはいますが、言葉を完全に自分のものにしていなければ、あれほどまで人に伝えることはできません。発表後、分散会がもたれました。花山中学校のテーブルでは本校の発表について質疑応答がされました。当然内容について深い質問が次々と出されましたが、それらについても生徒が上手に答えていきます。
Q「道徳の授業に取り組んで、変わったことは?」
A「いろいろな作品を通して感動とか一杯できたし、心が豊かになった。」
Q「道徳の授業を通して、社会に出てから為になるようなことはあったか?」
A「自分のことばで思いを語るということは、社会人になっても大事だと思うので、とても役に立った。」
Q「人前で話すことって、大人でも大変なのによくできるね?」
A「繰り返しトレーニングすることで、できるようになることが分かった。」
Q「道徳って言うと、押し付けられてるようなイメージがあるのだが…?」
A「どんな答えも正しくて、みんな聴いてもらえるので押しつけの感じはない。」
 今年度我々が大切にしてきたキーワードがちりばめられています。
 期待していた訳でもなく突然のことでしたが、研究を続けてきたことを素直に「良かった」と思え、「来年度、この研究を更に発展させたい」という希望が大きく膨らむきっかけとなりました。本校の子どもたちのことを改めて『愛おしい』と思いました。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「合格発表の日に」
 毎年3月になると、有名大学の合格発表のシーンがTVに映し出されます。ガッツポーズをしたり友達や家族と抱き合ったり、中には胴上げされたりしている場面が写されますが、私はそれを見るたび複雑な気分になります。確かに、それだけ頑張って取り組んできたのだから思いっきり喜べばよいと思います。その光景は微笑ましくもあります。しかし我々教師は、どうしても不合格だった人たちのことも考えてしまうのです。きっと胴上げの陰には、そっと隠れるようにしてその場から離れる人がいるはずです。抱き合っている人たちを横目で見ながら涙を拭いている人もいるに違いないのです。
 今日は、公立高校の適性検査・推薦入学検査・特色選抜検査の結果発表がありました。本校では、放課後に、担任から一人ずつに結果を伝えることにしています。自分のクラスの受検者が全員合格していれば心から喜べるのですが、なかなかそういうことはなく、複雑な気分にならざるをえません。「4時ごろから受検した高等学校で一斉に合格発表をしてくれればよいのに」毎年のように思いますが、それはきっと私だけではないでしょう。
 自分の高校入試を思い出してみました。
 当時は「高校三原則」というものがありました。小学区制、男女共学制、総合制だったと思います。男女共学制については解説無用でしょう。小学区制とは、通学区域をできるだけ小さくし、進学希望者は一番近くの高校に通いましょうというものです。また総合制とは、同じ学校の中に普通科と職業科とがあり、HRはもちろん、教育課程の中で一緒に受講できる科目は、両方の科の生徒が同じ授業を受けることのできる制度です。
 民主的で、高校間に格差が生まれにくい制度であったように思います。この制度にも色々な課題があったのですが、当時は今よりずっと公立高校の人気が高かったように記憶しています。私の場合は、公立高校だけを受検しました。初めての入試で、テストも合格発表もとても緊張したことを覚えています。試験日の夜、TVでテスト問題の解説と正解答を伝える番組があったのですが、それを見ていてとても不安になり、担任の先生宅に電話をしたことを思い出します。合格発表は、今と同じく卒業式の翌日でした。10時に発表でしたが、1時間ほど遅れて一人で見に行きました。
 今から29年前の教師になった年、それまでの制度の課題を克服すべく、京都の公立高校の入試制度が大改革されました。普通科の中に、これまで通りの普通科1類の他、進学を目的とする2類と、特別な活動に重きをおく3類ができたことです。またこの頃、次々と特色ある新しい学校ができ、新しく制服を導入したり校則を厳しく改める学校が出てきました。2類を志願したが1類合格になったと、泣きながら報告に来る生徒がたくさんいたりもしました。
 来年度、入試制度はまた一新されますが、制度がいかように変化しようとも、合格発表の日には常にドラマが生まれます。校長室の外を通って帰っていく生徒の姿にも様々な表情がありました。結果はどうあれ、とにかくそれを真摯に受け止め、しっかりと今後の生き方に活かしていってほしいものです。今年度入試は、まだまだこの後も続きます。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「緊張感をつくり、上手く使う」
「うちの子は、校長先生に面接の練習をして頂いたんですね。すごく緊張したって言ってました。3年生全員の練習に付き合ってくださっているのですか。」朝の校門指導の際、ある保護者の方からそう尋ねられました。もちろん分担があって、私の担当になった生徒たちだけが対象ですが、本音を言うと全員の面接練習を担当したいと思っています。(もちろん、不可能だとは思いますが…)それほどこの取組には魅力を感じています。
 私はおそらく校長としては、子どもたちとの会話の量が多い方だと思っています。また、会話の内容も生徒の言葉づかいもそれほど堅苦しくないものになっているのではないかとも感じています。子どもとの関係が友達のようになってしまってはいけないし、保護者の方との関係も近所づき合いのようになってはいけないと常に自分を戒めながらも、これまで親しみやすい校長像を求めてやってきました。
 面接練習の取組が好きな理由は、この10分足らずの時間が、生徒との間に普段とは異なる、とても張り詰めた緊張感をもって話の出来る時間だからです。今年は、緊張感が一気に解けたからか終わった瞬間に涙をポロポロ流す子もいました。模擬面接であるとはいえ、この緊張感の中では普段聞けないような生徒の本音を探ることができたりもします。
「本校を志望した理由は?」「高校卒業後の進路希望は?」「将来就きたい職業は?」こういった質問の次に、生徒の決意を確認します。「本校は、校則が厳しい学校です。しっかり守れますか。」「勉強がしんどくなったら部活動を辞めてもらうこともあります。文武両道で頑張れますか。」
 また、その後はこの時にしか訊けないことを尋ねます。「花山中学校はどんな学校ですか?」「担任の先生はどんな方ですか?」(隣に担任の先生がいない場合です)「中学校時代の一番の思い出は何ですか?」そして最後に必ず訊くのが次のフレーズです。「これまでの人生で、一番大切にしていることやものを教えてください。」問答の中にその生徒の生活や生き様や考え方が見えます。家族や家庭に対する思い、友達に対する願いや感情、将来の夢など、普段の会話ではあまり聴けないような回答もあり、私にとってはその生徒を知る上で大変内容の濃い10分間となっています。
 ところで教師にとって、生徒との間に瞬間的によい緊張感を作り出せるかどうかはとても重要な資質であるように思います。思い起こしてみてほしいと思います。自分が生徒だった頃にも、その方が前に立たれるだけで生徒がシーンとなるような先生がおられたのではないでしょうか。それは、その先生に備わっている人間性による部分と、身につけられたテクニックによる処とがあるとは思うのですが、生徒を指導する上で大変有効な能力です。そして、そういう教師は生徒からも保護者からも慕われ尊敬されるものです。
 話し方、声のトーン、表情、話の内容と構成のほか、風貌や経験なども大きな要素にはなるでしょうが、今後も勉強し続けて是非とも身につけたいと思います。面接練習を通じて改めてそんなことを思いました。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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 「根雪(ねゆき)」
 今日から2月です。大学の3・4回生の頃、2月といえば月の半分くらいをスキー場で過ごしました。4回生の2月。採用前研修の予定が特別に早まって、体調不良で休まれる先生の講師として担任をすることになりました。スキー場から帰った日の朝に学校へ赴き、全校集会で就任の挨拶をしたのですが、日焼けのために綺麗な逆さパンダになっていました。教師になってからも2学期(当時)の終業式を待ちかねてその日の夜から信州に出かけたものです。
 京都生まれの京都育ちである私は、大学生になってはじめて「根雪」という言葉を知っりました。今から思えば、その頃から地球温暖化が始まっていたのかもしれませんが、雪不足でオープンできないスキー場が出るということが起こりはじめていました。少し積もっても晴天が2〜3日続くとすぐにゲレンデの雪がなくなりました。「早く根雪にならないと…」スキー場のおっちゃんの一言で「根雪」の意味を理解したものです。「根雪」とは、積もったまま春まで解けない雪のことです。降り積もる雪の根となります。
 さて今回の、皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしている事案が新聞やTVで報道された翌日のことです。休憩時間に3年生の男子生徒と次のような会話をしました。
「校長先生、僕、昨日いろんなこと考えて寝られませんでした。」「ごめんな。こんなことになるなんて、思いもしてなかったんやけど…。」「この一年、せっかく京都で一番の学校を目指してやってきたのに。これでつぶれてしまうのかと思ったら残念で…。」「君、“根雪”って知ってるか。」「…?…」「降り積もった雪の下にある、簡単には解けない雪のことなんや。それがあると、ずっと短い時間でそれまでと同じ高さにまで雪が積もるんや。今の花山には、その“根雪”があると思うんやけど…。」「そうですね。授業に行ってきます!」
 用意していた訳でもないのに、咄嗟に上手く表現できたものだと思います。
 今回のことで、今も新しいことを学ばせてもらっています。生徒を大切にするということ、教職員を大切にするということは、具体的にどうすることでしょうか。様々な具体的な場面を想像しては考えています。教育委員会の方の考え方にも色々あります。自分の考えに近いものばかりではありません。しかし、よく聴きよく考えてみると、遠い方の意見の中に新しい発見があったりもします。
 緊急全校集会では、不安を抱えながらも、透きとおった瞳を真直ぐに私に向けて話を聴いてくれる生徒の姿に感動さえしました。また、緊急保護者会では様々なご意見を頂戴しました。相反するご意見もありました。しかし、生徒を真ん中に置き、保護者と教職員が手を組んで今のこの局面を乗り越えていこうとまとめて頂いたように思います。
 厳しい状況にはありますが、“根雪”があることを確認できたように思います。そして、この“根雪”こそが、育ちつつあるカサンズプライドではないのかと考えているところです。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「動か不ること山の如し」
「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」
 言わずと知れた、甲斐の戦国大名、武田真玄の軍旗に染め抜かれた文字です。(実は、「風林火山」という文言も、諸説があって事実であったかどうかは、分からないということらしいのですが…)
 今でも中学生の多くが、歴史の中でも戦国時代を好みます。ゲームの影響でしょうか、戦国大名の名前を多く知っている生徒も少なくありません。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は人気のある武将のトップ3だと思いますが、その次くらいには武田信玄がランクインするのではないでしょうか。
 高校生の頃だったか、黒澤明氏が脚本を書き監督した「影武者」という映画を観ました。武田信玄が死んだ後しばらく、武田氏は信玄の死を他の大名に隠します。当時、どの武将も何人かの影武者をもっていたようですが、それが必要とされるのは戦場だけです。しかし、武田氏は徹底して信玄の死を隠すため、評定(ひょうじょう=会議)の場にも影武者を立たせ、側近中の側近しかそれが影武者であることを知らないという筋書きになっていました。信玄に瓜二つであるということだけで、突然城内や陣中の最も高い所へ座らされる羽目になった仲代達矢演じる罪人の男の心情が実に面白く表現されてもいました。 今でも、寝る時間を削ってでも映画を見るほど映画好きな私ですが、ロードショーの期間に2度観にいくことは滅多にありません。それが、両親にも勧めて観に行かせ、自分が2度目に行ったときにはカセットレコーダーを隠し持っていって音声を録音し、家でパンフレットを眺め映像を思い出しながら3時間分をもう一度聴いたほどのお気に入りの映画です。
 その映画の中に忘れられないワンシーンがあります。
 影武者が、評定の場で意見を求められます。それまでは、直接意見を求められることは一度もありませんでした。ただ威厳を見せてその場に座っているだけでよかったのです。側近の、彼を影であると知っている者が代わって答えることが常だったのです。ところが、その時は武田家の存亡をかけた重要な評定の場。戦(いくさ)に打って出るのか否かを決めなければならない場面です。彼を影だと知らない家臣が、殿様の直の声が聞きたいといきり立って返答を迫ります。影も側近たちも窮します。 −暫くの間− 
 やがて影がゆっくりと口を開きます。「山は動かんぞ!」
 さて、ここ何日か、深く考えさせられる悲しいニュースが相次いでいます。
 アルジェリアのテロ事件では、日本人が10人も犠牲になりました。被害にあった方々の家族や犠牲者を派遣していた会社の関係者の心中はいかばかりでしょうか。また、大阪市立桜宮高校の事件では、今も高校内外で、様々な立場の人がてんてこ舞いしていることでしょう。どうか、慌てふためいて正しい判断をし誤らないようにしてほしいです。
 自分のまわりに大きな問題が起こったり課題が山積していたりして、関係者全員が慌てたり不安に思ったりしているときには、決まって映画「影武者」のあのシーンを思い出します。「山は動かんぞ!」どっしり座って、近くから遠くへと先を見渡すようにします。
 

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「あの日」
 あの日から18年が経ちました。毎年この日は、出来る限り5時46分に起き、TVを付けて、そこに映し出される映像に合わせて黙とうをするようにしています。昨朝もそうしました。
 18年前のあの日。普段から眠りの深い私が大きな揺れを感じて飛び起きました。今でこそ、それこそ雨音ででも起きることがありますが、当時はまだ33歳。一旦眠れば少々叩かれても起きないような状況だった私がです。妻子が寝ている隣の部屋へ急行します。当時1歳半だった上の息子は、何も知らずすやすやと眠ったままです。その息子の上にお腹の中に下の子を身ごもっていた妻が四つん這いで覆いかぶさっています。結婚して2年足らず。当時妻は27歳。人間的には色々な部分に頼りなさを感じていましたが、この時ばかりは彼女の逞しさと、母性のすごさ、素晴らしさを感じたものです。
 TVを付けると地震があったとの情報が流れていました。震度・マグニチュード・震源地、そんな情報です。被災地の状況など、この時点では全く分かりませんでした。学校へ着いた頃、被災地の様子がTVから伝えられてきました。目を覆うばかりのシーンが映し出されます。高速道路が横倒しになり、途中でちぎれてバスが落ちかかっていました。神戸の街が瓦礫の山になっています。初めて「液状化現象」というものも知りました。場面が変わると、火災が広がっている様子が映し出されます。燃え盛る炎に包まれ、倒壊した家屋の下敷きになっている人たちがいるのかと想像すると、地獄絵図を見ている思いがしました。
 それでも、京都市の学校では普通に授業ができました。授業が終わると、教職員がTV画面の周囲に集まりました。画面の端に死者の数や行方不明者の数が出され、刻々とその数が増えていきます。『もう増えないでくれ!』そう思いました。何日もTVではこの地震のことが報道されました。家を失って道で寝食をする人たちの姿が映し出されるようになりました。焚火で暖をとりながら近所の人たちと寄り添って生活する人たちの姿が今も頭から離れません。自衛隊や消防、警察官による救助の様子が増えていきます。担架で運ばれるのは『おそらく遺体だろう』と、当たり前のように思うようになってきます。スーツでなく作業着で現地を訪れる政治家の姿も、この時から見るようになったように思います。
 戦争の惨劇を後の世の人たちに伝える活動をしておられる“語り部さん”を見てきました。震災について同じように思います。教師として、この経験を通じて学んだこと感じたことを当時はまだ生まれていなかった今の子ども達に伝えていくことが大切です。
 昨日の避難訓練の際も、寒いグランドで少しだけ話しました。生徒達は澄んだ眼をこちらに向けて聴いてくれていました。そして、その後の学活で担任の先生から色々なエピソードやその時に感じたことなどを聴いてほしいと締めくくりました。今も東北地方では震災は進行中です。年末年始にTVで現在の状況を報道していましたが、復興とは程遠い状況にあることも再認識しました。震災の日に当たり、思ったまま感じたままに綴ってみました。

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「負荷」
 明けましておめでとうございます。平成25年の幕開けです。思えば、昭和から平成になったとき、既に教師をしていました。早いもので、あれからもう25年も経つのかと思います。戦争・敗戦・復興・高度経済成長、激動の昭和が終わり平成となりました。平成の時代で思い起こすことといえば、バブルとその後の不景気、阪神と東北の大震災、政権交代と度重なる総理大臣及び内閣の交代。世の中の不安定を思わずにはいられません。 
 さて、花山中学校にとって平成25年はどんな年になるのでしょうか。いや、どんな年にすることができるのでしょうか。『他人と過去とは変えられないが、自分と未来は変えられる。』こんな言葉があるのですからそう言った方が適切でしょう。
 毎年たくさんの年賀状のやり取りをします。年末は、年賀状書きが大仕事です。『邪魔くさいなあ〜』正直に言うとそんな風に思うこともありますが、反対にお正月にそれを受けとると『書いておいてよかった〜っ!』と思い直します。
 年賀状の中に「花山中学校のホームページを見ては励みにしています。」とか「HPを楽しみにしています」とかというのが思いのほか多くあって嬉しく思いました。意外な人が見ていてくれることもあります。25年以上も前に担任した教え子が、中学生の保護者となってPTAの活動をはじめ、うちのHPに興味を持ってくれていたり、15年以上前に筑波で一緒に中央研修を受けた仲間が遠く九州や東北からHPを見ていてくれたりもするようです。手前みそだとは思いますが、HPを楽しく見て頂けるのは、その中で紹介している取組そのものが充実しているからだと思うのですがどうでしょう。取組が充実していればこそ、そこに紹介される子どもや保護者や教職員の姿が輝いて見えるのでしょう。 また、年賀状の中に、「研究発表会お疲れ様でした」とか「研発での子どもたちの言動に感動しました」「50周年記念行事に刺激をもらいました」というものもたくさん頂きました。力を入れてきた事業であるだけに、そういう評価は本当に嬉しいです。とにかく、今本校は自分たちが思っている以上に注目されていることが年賀状を通じても見えてきたわけです。
 特にこの1年間の取組は、子ども達に自信と力をつけ、我々教職員には教育に対する新たな喜びを与えてくれました。教育の可能性と花山中学校の進むべき方向性を示してもくれたと思います。一方で、子どもにも教職員にも、多くの負担を強いてきたことも確かです。筋肉や身体はある程度の負荷を与えない限り強くなってはいきません。しかし、負荷をかけ過ぎると疲弊し怪我をすることにもなります。校長がチームの監督だとすれば、この辺りのことをよく認識して選手を育てなければいけないと思います。子どもたちや教職員に無理をさせずにこれらの取組を続け発展させる方法を25年度には考えていかなければなりません。さーて、ここからが大事です。
※写真は、年末の1年お楽しみ会の様子です

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「最高を目指す」
 今年も残すところ1週間を切りました。1日1日は「長いなあ〜」と感じることもありましが、3ヶ月とか半年とかというスパンで見ると本当に早いものです。この1年を振り返ると、やっぱり一番の思い出は「研究発表」と「創立50周年記念式典」を同時開催したことです。「また、それか!?」そんな声が聞こえてきそうですが、私にとっては、本校に赴任して以来頭から離れることのなかった事業だけに、何度も取り上げることをお許しいただきたいと思います。
 さて、なぜこの事業への思い入れが強いのかを、もう少し詳しく書かせてもらいます。
 先ず、構想段階から数えると2年以上前からの取組だったということです。教職員に対してその「青写真」を示したのが1年前。そこからは全教職員で本番に向けての動きが始まったのですが、時間をかけて構想し、時間をかけて取り組んだ結果、紙の上の理想が現実のものになったのだから、こんなに素晴らしいことはありません。
 是非とも伝え、皆さんに考えてもらいたいことがもうひとつ別にあります。
 それは、何かをしようとするとき、最高を目指すのか、それとも最低で留めておくのかということです。本校の「研究発表」と「創立50周年記念式典」に関しては、その時に考えられる最高を目指したつもりです。
どこの学校でもその時が来れば「50周年記念式典」はするでしょう。その際、『あー、今年がそうなら仕方がない。まあ、この程度で済ましておけばいいんじゃないか』と周囲から非難されない最低レベルの取組を考える学校は意外に多いのかもしれません。実際、私の頭にもチラッとそんな考えが浮かばないでもなかったです。しかし、それでは面白くありません。『どうせやるなら、楽しまないと!』『どうせやるなら、生徒のために!』『どうせやるなら、教職員の力量アップにつなげよう!』『どうせやるなら、最高のものを!』そんな風に考えて取組を始めました。思いは、教職員を通して生徒にも確実に伝わりました。“どこまでも生徒を中心にしようとする先生。先生に応えようと挑戦する生徒。中学校でこんなことが出来る、それも学校全体で…。”とアンケートの中で評価してくださるものがあったのを嬉しく思い出します。また、PTAの方々も『どうせやるなら、楽しんでやりましょう!』とこれを合言葉のようにして活動されました。
“理想は高く!”言うは易し。しかし、実際には、実現可能な無難な所に目標を設定することの方が多いのではないでしょうか。そうはせず、あくまでも目標を高く設定し、それに向かって全員で動き、掲げた理想を実現できたからこそ、とことん嬉しいのです。
 年の瀬に敢えて言います。普段の授業で50分をどのように使っていますか。『もっと分かりやすくするには…』工夫をし出せばいくらでもできます。敢えて言いますが、昨年度通りの授業をしていても給料に変化はありません。大いなる成功体験から、来年に向けて今年を次の言葉で締めくくりたいと思います。
 「同じやるなら、最高を目指さないと!!」

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「社会が変化しようが」
 一昨日(16日)は、第46回衆議院議員選挙。「お父さん、選挙に行こ!」息子からそう言われ、午後の小春日和の中を、夏に20歳になった長男と妻と、愛犬の檸檬(れもん)も連れて選挙に出かけました。
「人が少ないなあ。」選挙会場の小学校に着くと先ずそう思いました。昨日の朝刊を見て、前回2009年よりも投票率が10ポイントほど下がり、戦後最低となる可能性があることを知りました。息子が初めて参政権を行使した選挙が勢いのないものだったことを少々残念に思います。自分がはじめて投票したときのことを今も覚えています。私も両親とともに選挙会場へ行きました。『どうするんやろう?』やっぱりちょっぴり不安だったことを思い出します。
「お父さん、誰に入れたらええん?」と息子が尋ねてきます。
「お父さんは、こうしようと思てる。」自分の考えを示しただけで、本人に投票の責任を持たせようと心がけました。思えば、私の初選挙の時も父との間でこんなやりとりがあったように思います。20歳になったばかりの若者の中で、政治に強い関心のある人は一体どれくらいいるのでしょう。意外に少ないのではないでしょうか。こうして選挙に行き、TVで開票速報を見、当落が決定した人たちのスピーチを聞くことで、政治に多少なりとも関心を持ってくれればよいのですが…と思ったりもしました。
 さて、前置きが随分長くなってしまいました。今回は、前回の選挙で歴史的な政権交代を果たした民主党が惨敗する結果となりました。あの時は、民主党の掲げるマニュフェストから、その先の社会に大きな期待感が確かにありました。当初は、「事業仕分け」や「高速道路の無料化」「子ども手当の支給」などで華々しいスタートを切ったように思います。「高校の授業料無償化」は、今も中学生の進路選択に大きな影響を与えています。あれから3年3カ月が経ちましたが、日本社会は、依然として不況から抜け出せずにいます。円高の影響で輸出の不振。得意分野であったはずの電化製品も外国との競争に負けつつあります。「えっ、何で!?」世界的な大手企業がまさかと思うほどの赤字を出してもいる状況です。そんな中で就職難は続き、希望のもてない大学生をはじめとした若者が大勢存在します。
 今回の選挙で、有権者は、長く与党として日本を引っ張ってきた経験のある自民党が社会を再生してくれることを期待したということでしょうか。内外の情勢が厳しいことには変わりがないのだから、新しい政権与党も新首相もさぞかし大変でしょう。
 ところで教育に関してですが、政権が交代し政策がどのように転換しようが、私たちのやるべきことに変わりはないことを確認しておきたいと思います。目の前の生徒の課題を見据え、その克服のための取組を考え、粘り強く取り組むだけです。学力向上の取組、家庭生活や学校生活の指導、405人の生徒には405通りの課題があります。喜ばしくないことだって時には起こります。そんな時こそ、それらに対して真摯に向き合い、粘り強く指導していくのです。
 過去も、そしてこれからも、私たちのすべきことは同じなのです。

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「ここで決まる」
 12月は「人権月間」だということで、本校でも人権について深く考える学活を行っています。1年生は障害者の問題、2年生は在日韓国・朝鮮人の問題、そして3年生では同和問題について考えてきました。特に今年度の3年では3時間構成で綿密に計画されました。係の先生の作成した指導基準案を学年会で検討し、その上で研修会に提案されたものを全教職員で再検討します。今年の3年の指導案は、これまでよりも一歩も二歩も踏み込んだ内容であったため、研修会でも色々な意見が出されました。以前に勤務した学校で、それこそ夜中まで指導案の検討をしたことを思い出します。先輩教師から厳しく教えられることもあって、苦く辛い経験もありましたが、この時に本当に多くのことを学んだように思います。今思えば、人権問題指導に少しばかりの自信が持てるのも、この頃の学習の成果かもしれません。
 さて、3年の人権学習を参観していて思い出したことや改めて思ったことをいくつか記しておきます。先ず、差別をなくしていくために心掛けたい3つのことです。
 これは、今まで学習してきた結果として私の中に出来上がったもので、今も常に大切に考えています。
◎気づくこと(これが差別だと気づく)
◎指摘すること(それはおかしいと言える)
◎仲間をふやすこと(周りに伝え、差別をなくす人をふやす)
 差別は、差別される人がいるから起こるのではありません。あくまでも差別する人がいるから起こるのですから、社会のすべての人が、この3つのことを確実に実行出来れば、きっと世の中は差別の解消に向けて変化していくはずだと思うのですがどうでしょう。
 また、3年生の各クラスの人権学習をじっくりと見ていて、改めて次のように思いました。教科の授業は、おそらくどの学校でもそれほど変わりなく行われています。その学校がどんな学校かを決めるのは、むしろこういう学習にどれだけ力を入れているか、また、生徒がどれだけ真剣に向き合っているかではないでしょうかと。
「将来、もしこういう問題に出会ったら、今日学んだことを思い出して差別をしないようにしていきたいです。」3年生が、人権学習の際に述べた言葉です。
 確かに人権学習という名前で取り組むのは、年に数時間です。答としては美しすぎるようにも思えます。しかし、その時の表情や言葉の調子から、かなりしっかりと学んだ結果ではないかと感じました。本校は、特にこの1年間、道徳教育にも力を入れてきました。元々部活動がとても盛んでもあります。また、総合的な学習の時間でも、人との関係の築き方を学ぶ場面が多く設定されています。こういった学習の集大成として、3年生がこの時期の学習で言ったこの言葉には、かなりの重みと深みがあるように思えるのです。
 決して教科の学習を軽視するものではありませんが、おそらく、このような学習がその学校の真価を決定するという考え方に間違いはないはずです。

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