最新更新日:2024/05/17 | |
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自然の中で絆を深める。
夏休みに入って間もないときでしたが,7月28日(月)滋賀県高島市の「リバーランズ角川」で昼間部の生徒と夜間部の生徒,そして教職員らみんな一緒に自然の中で一日楽しみました。まぶしい太陽とさわやかな風,…天候にも恵まれ,協力してBBQを作ったり,ニジマスを釣ったり,川遊びやキャッチボールなどをしたり,大自然の中でゆっくりとした時間を過ごせましたね。帰るときには「まだかえりたくなーい。ずっとここにいたいね」という声も聞かれました。
普段では見られない友だちの良さを見つけることができたでしょうか。昼間部と夜間部の生徒の絆を深めることはできたでしょうか。 今回,参加することができなかった人も含めて,これからの学校生活の中で,友だちのたくさんの良いところを見つけ,昼間部と夜間部の絆を深めていけることを願っています。 戦争の傷跡 …二度と繰り返さないために
69年前の今日,広島に原爆が投下されました。
本校の玄関に,ある一つの「石」が台座の上に置かれています。これには,以下のエピソードが残されています。 1904年の日露戦争で,日本海軍は中国大連市の旅順港にこもっていたロシア艦隊を湾内から出られなくする作戦に出ます。狭い水路に船を沈めて,ロシア艦隊を湾内に閉じ込めてしまおうとする「旅順港閉塞作戦」です。船を沈めるには大量の石を使うのですが,その第2回の作戦に使う予定であった石を,誰かが持ち帰ったものが玄関にある「石」です。 この第2回の閉塞作戦では,広瀬武夫少佐率いる福井丸が旅順港に到達したのですが,魚雷攻撃を受けてしまいます。ほとんどの乗組員は脱出しましたが,広瀬少佐は部下の一人がいないことに気づき,沈み行く福井丸に戻って部下を探し回りますが発見できず。断腸の思いで脱出用のボートに戻ったところへロシア軍の砲弾が飛来。広瀬少佐はその砲弾を頭に受け,壮絶な最期を遂げました(文部省唱歌「広瀬中佐」や司馬遼太郎著「坂の上の雲」にもその描写があります)。 戦争は,数多くの悲劇を生み出します。今年も8月15日が近づいてきました。この「石」を見ては,「二度と戦争を起こしてはならない」という気持ちを新たにし,平和に暮らせている今に感謝したいと思います。 |
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