京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/30
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「発見」「協力」「チャレンジ」

大きく広げた手のひらより(2月学校だより)

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大きく広げた手のひらより…
 
 この頃、担任の先生のことが、とてもうらやましく感じることがあります。定年まで一年ちょっと、宮山子ども達の本当に元気でまっすぐな姿を毎日みていると、もっともっと身近な存在として接していきたい、一人一人の世界にもっと入り込んでいきたいと感じることが増えてきました。
 教師という仕事を始めて30年近くになりますが、正直を言って担任の時はきつかったです。一生懸命に授業の準備をしても、満足な結果はなかなかついてこないし、なにしろ子ども達は自分の思うようにはなかなか育ってくれない。おうちの方にも何かと言われるし、授業が終わったら書類作成の山、部活動や家庭訪問もあります。やり残した仕事を持ち帰っても、くたくたで結局寝てしまって、子ども達のことでハッと目が覚めて、あせって朝から…ということもしばしばでした。
 でも、教室に入り、子ども達と「おはよう!」と言いながら話をしだすと、どんなに疲れていたり、いやなことがあったりしたときでもいっぺんに重い気分は吹っ飛びます。元気をもらう、と言っていいのか、しんどいことを考えているヒマもないと言ったらいいのか、不思議な感覚です。そんな子どもらと教室でしばらく一緒にすごし、言葉にしなくても目で思いが少しずつ伝わるようになるまでになると、一人一人がかけがえのない、いとおしい存在のように感じられるようになってきます。関わってきた子ども達の今の姿を心に描きながら考えると、あの時、こんなことをしておけばよかったということはいっぱいです。
 当時、よく子ども達に話をしていた言葉があります。自分自身に言い聞かせていたのかもしれません。こんな言葉です。
 「大きく広げた手のひらより、ギュッとつないだ手の中に幸せは入ってくる。」
人間はいろんな人とのかかわりの中で、不安な気持ちをかかえながらすごしています。そんな人ほど大きく手を広げていろんなものをつかみたがるでしょう。でも、ほんとうは身近にいる人とギュッと手をつなぎ、分かりあえる、そして手のぬくもりをお互いに感じ合える、そんな人がいることが、実は幸せなことなんだと。そんなつながりを少しずつ増やしていく、それがいろんな個性や背景をもつ子ども達が学校やクラスの集団の中で充足感を味わえる大切な一面です。教師が子どもとギュッとつながりあったことを感じる時や、子ども達一人一人の「幸せ」なつながりが広がっていくことを感じられる時は、私たち教師にとってとても「幸せ」な瞬間です。
 今は担任ではないのですが、生の子ども達一人一人と手をつなげる関係を少しでも持ちたいし、そこから子どもらの喜びや悲しみをじかに感じられる感性を持ち続けたいと思っています。そして、学校の教職員や家庭の中でもそんなつながりが広がり、そこからすべての子の「幸せ」が広がっていけるよう心から望むこの頃です。

この子は私の神さまやし…

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「この子は私の神さまやし…」
 
 今年度もあと2週間、一年間のまとめに忙しい時期に入ってきました。この一年を振り返って、学校もずいぶん変わってきたと感じることが多いです。朝の登校指導に立つと、「おはようございます!」と元気のいい子ども達のあいさつがあたりまえのように聞こえてきますし、保護者のみなさんの見守りも多くなってきました。また、学校での子どもどうしの取っ組み合いのケンカも、とげとげ・チクチクした言葉も、物がこわれることも、ひとりぼっちでいる子の姿も、ずいぶん減ってきたように思います。実際、明るくて温かい雰囲気の子ども達の姿が、毎日、あちこちで数多く見られるようになってきたことに、ホッとする毎日です。
 何より、授業中の子ども達の目の輝きが増えてきたことがとてもうれしいです。先日の参観の時にも、ある保護者の方から「授業中ちゃんと先生の話を聞いて、態度がよくなってきたなあ!」とうれしい言葉もいただきました。教師という仕事はなかなか思うようにならないことのほうが多いのですが、少しでもいい方向に向かって子ども達が進みだすと、それだけでものすごいパワーがわいてくるものです。私たちは毎日、子ども達にいっぱいの事を教えてもらい、元気ももらっているんでしょうね。
 私の教師生活のスタートは養護学校(現在の特別支援学校)で、7年間、重度の障害がある子のクラスでした。寝たきりで、言葉もなく、食事や排せつもうまくいかない子ども達の授業づくりは、指導書もマニュアルもない中、物言わぬ子どもから、そして一番の理解者である保護者の方から「教えてもらう」ことが何よりも大切でした。
初めての家庭訪問の時に、保護者の方からこんな話を聞かせていただきました。呼吸もしんどくて、夜中2時間おきに起きて吸引(痰をチューブで吸い取る)が必要で、十数年間はゆっくり寝たことがないという、でも底抜けに明るかったお母さんの話です。
「夜が明けて、目が覚めて、この子がちゃんとがんばって息をしてることに、毎日ホッとして、また一日わたしもがんばろう!と力がわいてくる。元気をくれてありがとう!って毎日、感謝してます。この子は私の神さまやし…」
 若い教師だった私は、その話に返す言葉がありませんでした。帰りぎわに「お母さん、ありがとうございました!」と頭を下げながら家を後にしたことは覚えています。その後、いろんな学校を経験しましたが、子どものことで困ったり、悩んだりしたときはいつもその話を思い出します。
 一人一人の子どもの存在には、その子自身の、そして周りの人々の熱くて温かい「ねがい」や「いのり」がいっぱいつまっています。それに少しでも応えていくのが何よりも今の自分の仕事ですし、そんな思いのこもった風が流れる学校にしたいな、と心から願っている日々です。

願いであり、祈りである

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「願いであり、祈りである」

 みなさま、明けましておめでとうございます。今年はたいへん温かで穏やかなお正月を迎えることができました。子ども達も、それぞれの新年を、そんな心地よさの中で迎えたことを心から願う年初めの登校でした。
 さて、私もこの小栗栖宮山小学校に赴任してきて、いつの間にか7年目になります。まだまだ多くのことが置き去りになったまま時間ばかりが過ぎていく気がしますが、子ども達の姿は目に見えてすばらしくなってきていることに、「ありがとう!」の気持ちでいっぱいです。その背景にある保護者や地域のみなさまの粘り強いご支援に心より感謝しますし、本校教職員のがんばりも強く感じています。
 「教育は願いであり、祈りである」
 本校に着任してすぐに校長室のよく見えるところに掲示した言葉です。
 わたし達は「教育者」という夢をいっぱいに職に就いたのに、教育活動はなかなかうまくいかないことも多く、正直言ってストレスや悩みをいっぱい抱えて日々を過ごすことも多いです。教育に携わる環境も大きく変わってきています。疲れきってクタクタになったり、リタイヤしていったりする人も少なからずいることも事実です。でも、人と関わり、育てる仕事だからこそ、味わえる喜びもたくさんあります。100のしんどさが、一つの子どもらの笑顔で吹っ飛ぶようなこともよくあります。
 昨年、朝の職員打ち合わせの際にこんなことがありました。登校しにくい子どもらを何人か抱えて悩んでいた先生が、それでも何とかしようと家庭訪問を繰り返し、そして、学級の仲間づくりに一生懸命に取り組み、その結果やっと登校が実ったという報告をされながら、ぽろっと涙を見せられました。周りの教職員にも、こみ上げてくるものがありました。一人の子が登校できるよう働きかけ続けた背景には、教師としてのあふれるほどの熱い「願い」や「祈り」があったのでしょう。
 教職員の、そして、子ども達の「願いがかない」、「祈りが通じる」ことは、我々にとって何にもまして尊い喜びです。そんな喜びは、がんばりと比例し、苦労と反比例するように味わうことができます。われわれにとって、こんな子になってほしい、こんな思いを伝えたい、子ども達にとっては、こんな人になりたい、こんなことをかなえたい、といった「願い」や「祈り」は教育活動をおし進める原動力です。そんなみんなの「願い」や「祈り」がいっぱいあればあるほど、学校は共に生きる「人の豊かな育ち」の場となります。そんな空気があふれる学校にしていきたいと、新しい年を迎えるにあたって心に刻むスタートです。

ひとへの「想像力」

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「ひとへの『想像力』」

 先日、校区にある朝鮮初級学校の「民族教育70周年記念祝祭」に行ってきました。戦後間もない時期に京都で始まった民族教育、時代の大きなうねりの中で、さまざまな波を乗りこえての70年間でした。そんな学校が4年前に、ここ宮山に移転してきました。開校式典の時には宮山校のサッカー部と国際親善マッチ?!を行い、テクニックで宮山小が圧倒されたのを覚えています(ちなみに朝鮮の国技はサッカーです)。それから毎年、学芸会で素晴らしい踊りを披露してくれたり、学年で交流をしたり、研修会で朝鮮学校から先生にお話しいただいたり、さまざまな結びつきを重ねてきました。
 現在、政治的に国どうしの関係には難しい状況は続いていますが、そんな匂いはみじんもない雰囲気で、同じ地域で学び、生活する「なま」の人間の姿がいっぱいありました。会場には、民族教育の歴史の重みや、それに関わってこられた人々の熱い思いや願いがあふれ、高等部の生徒の語り、そして子どもも職員も一緒になった合唱など、その場にいるだけで感動がこみ上げてくるような式典でした。
 私は、小さい頃、朝鮮・韓国の方々が多く住む地域で育ちました。小学校で最初に友だちになり、初めて殴り合いのけんかをし、でも一番よく遊んだのがSくんでした。育ててもらっていた祖母から、あの子は実はな…と話を聞いていて、薄々感じていましたが、何にもわかっていない年頃でした。そんな中、4年のある日、Sくんが「あんなあ、おれ日本とちゃうねん…」と、ぼそっと打ち明けてくれたのです。「知ってるで…」と言いながら、どう答えるか困ったのを覚えています。そのあとすぐ、私は急に転校することになりました。新しい家での生活にウキウキして、その友達の事どころではなかったのですが、半年ほど後に、祖母からこんな話を聞きました。
「Sが、何回かやってきて、はただ(私の名)いますか?と聞くんや…、転校したで、というと、いつも涙をうかべて帰っていくんやで…」
数年後、Sくんの家を訪ねましたが、空き家になっていて、その後は音信不通です。
 個人的な話になりましたが、朝鮮学校の行事に行くと、いないと思いながら、いつもSくんのことを探してしまいます。父としての彼の姿を思い浮かべながら…。
 さて、時代は大きく移り変わりました。グローバル化が急激に進み、世界の距離はどんどん縮まってきているように感じますが、今もなお偏見や差別意識に満ちた問題や事件は、世界や日本のあちこちで起こっています。さらに、ネット社会の広がりや時代の手づまり感の中で、口に出すべきでない言葉など人々の潜在意識の中にある負の部分が、大手を振って世の中にあふれかえってきている現状に、ある種の「危うさ」や「きもちわるさ」を感じるこの頃です。
 そんな「同じ人間どうしの間に壁をつくる」考え方には、致命的に欠けているものがあります。それは、一人一人の命のある「ひと」の体温や匂いを感じることなしに、大まかな「くくり」の中で、個人を飛び越してものごとを決めつけてしまう「想像力の欠如」です。空爆の下にいる子ども達の痛みや悲しみを考えることができる想像力のなさや、他人を憎しみを込めてネット炎上させて憂さ晴らしをしている人々の愚かさは、まさにその現れではないでしょうか。
 学校という場は、勉強も大事ですが、一人一人の子どもどうしのかかわりを通して、お互いに「ひと」として高め合っていく場です。そして「いのち」の温もりや「ひと」とのつながりを感じられる「想像力」を、仲間との体験を通して育てる場です。未来の子ども達の姿を想像しながら、そんなことを大切にしていける学校にしたいな、と考えるこの頃です。

ちょっとだけ、いい (校長掲示版より)

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≪ちょっとだけ、いいね≫

ちょっとだけ、いいね

自分のことをいっぱいしゃべって伝えることも大切だけど、
相手の目を見ながら、思いをゆっくり、じっくり聞ける人…

はやりの歌をたくさん聞いて知ってることはいいけど、
うれしい時、悲しい時に、口ずさめる歌がある人…

ゆかいな仲間とおもしろいうことを言って、「がはは!」と大笑いすることもいいけど、
ひとりぼっちでいる子に、「あそぼ…」と、そっとほほえみかけることができる人…

人に勝てるように、体や心をきたえることもいいけど、
人のために、きたえた体や心を使える人…

だれにでも優しくできることは、とても大切だけど、
どんな人でも、いけないところを真剣に教えてあげられる人…

大きく咲いた色あざやかな花に「きれい!」と声をあげるのもいいけど、
足もとで、けんめいに芽を伸ばす草に、そっと「がんばって…」と声をかけられる人…

そんな人が、ちょっとだけ、いい

「人権」って…

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「人権って?…」 (※人権懇談会への手紙より 抜粋)
 みなさん、「人権」という言葉、どんなふうに思われますか?何か、かたくるしい感じや、おおげさに構えるような気分になりませんか。でも、決してそういうものではありません。
 私自身、「人権」という言葉を使うのはちょっと苦手です。その言葉を使っても、あまりピンとこないことが多いし、使いすぎるとあまりにも「嘘っぽく」感じるからです。
「人を大切にしましょう!」…そんなことは当たり前のことです。「人権」という言葉が街にあふれる中で、本当に人々は大切にされているのでしょうか。いじめや虐待は、毎日のように新聞やニュースにでてきます。「しね」「ころすぞ」という人に向けるべきではない言葉も子ども達の会話に今でも見られます。ネットが拡散する中、人権感覚に欠ける言動が世の中にあふれかえっています。私たちは「人」を大切にするためにどんなことを知り、どう行動していけばいいのでしょう。決して、「人権」は難しくて重いものではありません。みなさんの目の前に、日々の行動に、ひと言ひと言に、いっぱい詰まっているものです。「人権」という言葉を使わないでも、そこにいる生の人間と結びつく「人間としての心の持ちよう」がポイントです。
 そのために大切なことは、まず、身近な言葉です。「言葉は人をつくる」と言われるように、人は脳の中で言葉という道具を使って物事をとらえ、考え行動します。「しね」「きしょ」など相手をないがしろにする言葉からは、人を大切にする心や関係は決して育ちません。「ちくちく・とげとげ」ではなくて、「ほんわか・あったか」言葉を使うことは、身近な「人権」を実現する大切な要素です。
 また、世の中には「男女差別」や「同和問題」「障害者差別」「外国人問題」など、さまざまな差別が今もあふれています。そんな問題について、知る、考えることが、人権感覚を豊かにする大きな力になります。今日の懇談会などはその大切な機会だと思います。
 そして、私たちにとって何よりも「人権」の実践につながるものは「子育て」です。可能性がいっぱいの子ども達の力を信じ、支え続ける事が、何よりも「人権」を大切にしている証(あかし)です。一人一人がもつ個性や能力を存分に発揮し、「夢」をかなえていく子どもを育てていくことが、私たちにとって何よりも「人権」の取組だと思います。
 イギリスの批評家であるバーナード・ショーがこんな言葉を残しています。
「人類の発展と幸福に対し、誰にでもできて、最大の貢献は、子育てである」
 一人一人の子ども達が、日々、にこにこし、友だちと遊び、自由に学び、おいしく食べ、笑顔いっぱいに安心して育つことを温かく支える家庭や地域、社会をつくる事、それが私たちにできる一番身近な「人権」の実践です。
 そんな子ども達の「こころ」や「からだ」そして「いのち」を毎日、懸命に支えていただいている保護者のみなさまは、本当の意味での「人権」の実践者だと考えます。
 われわれ学校も、同じ思いで、徹底して子ども達を、そして一人一人の「いのち・こころ・からだ」を、大切にしていきます。
今からの懇談会、どうぞ、あたたかい気持ちになる、そして、子育てに力が湧いてくる時間になりますよう心から期待しています。

あなたのこと大切にしてるよ…

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『あなたのこと、大切にしてるよ…』

 先日、昔の教え子から突然の連絡が来ました。
 その子、担任をしている頃は手におえないほどのやんちゃで、友だち同士のトラブルは毎日、担任に対しても反抗するし、指導もなかなか届かずに、お母さんも困り果てている状態でした。毎日のように家庭訪問をしては、どうしたらいいのか話をしていた子です。家で勉強も見ましたが、すぐにノートを破って逃げ出してしまう始末でした。その当時は、教師としてその子のことでストレスがいっぱい、朝目覚めても今日はどうしようか、その子の顔がにくたらしく?浮かんでくる毎日でした。中学校でもうまくいかず、あまりいい噂をきいたことがないようなまま卒業し、そのままになっていました。
 「今どうしてるの?」とたずねると、「先生、ぼく結婚して子どもも二人いてる。子どもが学校行くようになって、ちょっと思い出したんや…」と、ポッとうれしくなる話でした。懐かしい姿を思い出しながら「いつも、叱ってばかりですまんかったな…」と言うと、「怒られてばっかりいたけど、なんか思い出したし…。」と言葉少なに、語ってくれました。いろんな思い出をひとしきり話した後、最後に「ありがとう ございました…」と言って電話が切れました。当時には想像もできなかった言葉、心の中で炎がともったような、熱くなる瞬間でした。その子のその後の苦労や、力強く生きてきたにちがいない姿に思いをはせながら、教師になってよかったと心から感じました。
 そのお母さんがいつも笑いながら言っていた言葉を思い出します。
 「親に逆らったり、きたない言葉を浴びせたり、子どもはどっちみち憎たらしくなっていく。だから、小学生までのまだまだかわいい時期に、いっぱいかわいがって、その子のいい笑顔をいっぱい頭に焼き付けとくんや。そうせんと大人になるまでめんどうみてられへん!」…今考えると、ものすごく力強いお母さんの言葉でした。
 一人一人の子にはどの子にも発達の階段があって、人や社会の関係にもまれながらも、ほとばしるエネルギーで懸命にそれをのぼっていきます。自我が目覚め、大人の世界を否定したり、反発したりする時期も必ずあります。その時の発達パワーはすさまじく、大人の理論や理屈ではおさえられずに、それが反抗したり道を外れたりすることも多くあります。でも、どの子も、自分が大切にされた経験やそれに伴うイメージやがあることで、目に見えない求心力でどこかへ離れて飛んでいくことなく、ブーメランのようにもどってくるのです。
 何をしてもなかなか成果が見えなくて、困ったり、ストレスをいっぱい感じたりする家庭での子育てや学校での教育活動ですが、今、目の前にいる子に対して、長い目で、心の底から「あなたのこと大切にしてるよ!」という姿をいっぱい示し、伝えていける大人・教師になりたいと、改めて思いました。

子どもの可能性は…

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 先日、京都駅にある「えき」美術館に行ってきました。京都駅の喧騒の中でホッとできるお気に入りの場所です。「巨匠たちが子どもだったころ」というテーマで、モネやムンク、ピカソ、平山郁夫など巨匠が小さい頃に描いていた絵や作品の展示会です。さすが美の巨匠、子どもの頃から驚くほど素晴らしい才能を発揮している作家もいれば、やっぱり子どもやな…と思える絵もありました。そこでなるほどと思ったのが、作家の多くに、子どもの思いや可能性を信じて支える家庭や環境があったことでした。
 私は小さいころから絵は大好きでした。外で遊んでばかり、親は共働きで、どちらかといえば放ったらかし、絵心もあったわけではないですが、ただ、家の本棚に「世界美術全集」という30冊からなる作品集がありました。有名な絵画や作品がいっぱい、その造形や色彩の豊かさに心をうばわれ、むさぼるように読み返していた記憶があります。そんな経験が、今、絵を見たり描いたり、風景や人間への好奇心や関心につながっているのだと思います。
 今年も夏休みに学校で、いろんな講師の方を招いて研修をしました。その中で、ある大学の先生がこんなことをおっしゃっていました。「子ども達の学力やコミュニケーション能力、言語力に影響しているのは、学校での授業や読書も大切なのですが、それ以上に家庭で本があるか、そして豊かな言葉でやりとりする環境が家庭にあるかどうかが重要、という統計学的なデータがあります(要約)」
 子ども達には、一人一人さまざまな、そして思いがけない力があり、それに光を当て、自分で気づくことができるように、いろんな経験や場を用意し、そして何よりも一人一人の可能性を信じて支え続けられる家庭や大人の存在が豊かな育ちにとって非常に大切だと。
 話はかわりますが、この前、京都出身の世界的な指揮者である佐渡裕さんの小学生の時の担任だった校長先生と話をしました。その話の中で、担任として、いろんな力を伸ばしたいと、音楽の時間に指揮をさせたり、フルートを経験させたり、音楽以外にもリレーの特訓をして自信を持たせたり、クラスの一人の子として働きかけたとのことでした。そのことが、一人の偉大な音楽家の力を目覚めさせたのかもしれないと感じる話でした。
 学校も家庭も、子ども達の目に見えるその時の姿だけではなく、一人一人の見えにくいけど必ずある可能性を、こんな子に育ってほしいと願い、信じながら、環境や場をいっぱい用意していくことが、一人一人の豊かで幸せな生き方の実現につながるのだと思います。
巨匠でも天才でも、普通の人でも子どもの可能性はみんな一緒。大切なのは、その子に大人が与えた場や環境、そしてそれを用意できる人との出会いなのかな…、そんなことをいっぱい考えながら、ピカソの子どもの頃の絵をながめる美術館での時間でした。

「困った子は…」教師として思うこと

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『困った子は…』教師として思うこと

 学校で仕事をしていると、子ども達のことで思うようにいかずイライラすることはよくあることです。何回も話をしてもやんちゃを繰り返したり、当たり前の約束を守れなかったりする子もいます。そんな時、部屋に張ってあるこんな言葉に目をやります。

『 困った子は、困っている子 』

 困った子やな…、何回言ったら分かるねん!…と考えるのではなく、困っている子だからこそ、そこを何とかしてあげる、その子の「困り」の部分にしっかり光を当てて、いっしょにその子の中でもつれた糸を解いていくことが大切だと…。

 例えば、乱暴な言動が目立つ子の話を聞いていると、家で弟が生まれて、今までひとりじめしていたお母さんが、あまりかまってくれないとか、「くそ〜」とか「しね〜!」とか言葉が気になる子の生活を聞いてみると、誕生日に買ってもらったゲーム(敵を倒す、悪者を退治するといった)ゲームを毎日何時間もやっていたとか、気になる言動の裏には必ず何らかの「困っている」状態があるのです。

 以前の学校で、こんな子がいました。
 毎日のように遅刻をしてくるので、「なんでなん?!」とたずねると、朝に頭やお腹が痛くなると言うのです。教室では元気いっぱいに活動ができるのに、これはおかしいと思い、じっくり話を聞き、いろんな話をする中でこんな事を言ってくれました。「お母さんが疲れていて、朝起こしてくれへん。でも、それを言うたら、きっとお母さんが先生に怒られるから、僕がしんどいと言うてた、ごめんなさい…」
 遅刻ばかりしてくる「困った子」が、そんなけなげなお母さんへの思いを持っていたことにハッと気が付き、「困っている」背景を考えようともせず叱っていたことに、教師として、また大人として恥ずかしく感じる一方、その子の事をいとおしく感じる瞬間でした。

 子ども達はまだまだ未熟です。育ち方や、生まれもった性格や個性もそれぞれ違って当たり前です。一律の指導からはみ出してしまう子もいるのは当然のことです。特に、発達面に偏りがあるとか、育ちの中でしんどい状況があった子については、生まれ持った特性や歩んできた道を知っておかないと、大人が良かれと思いしている働きかけが逆効果になる事さえあるのです。
 「困った子」だと嘆く前に、一人一人の子の「困っている」ところをしっかり感じられる大人になりたいと、張り紙を見ながら思う毎日です。

 その子は話の最後にこんな言葉で部屋を出ていきました。「お母さんを怒らんといてな…」

学校は、まちがうところ

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『教室は まちがうところ…』

 最近、校長室に子ども達がよくやってきます。やじろべえや紙コプターを作ったり、お話をしたりしながら、そっとその子の心の中の風景に入っていきます。教室ではけっして見せない一人一人の世界でふれ合うと、いろんな発見があって、うれしくなったり悲しくなったり、また、力をいっぱいもらうこともよくあります。
 先日、一人の子がやってきました。部屋の中を興味深げにきょろきょろしながら、クラスのことや友達のことをいろいろ話してくれました。でも、勉強の話をしている中で、ときどき見せる何か考え込むように目の輝きがくもることがあり、気になったので「今のうれしいこと、困ったこと」の発表合戦をしました。
 その子のうれしいことは、もうじきやってくる誕生日にお寿司を食べに行くことでした。お家の人と約束をしたのでしょう。家族とのお出かけがよほどうれしいのか、食事をしながらいっぱい話をしたいことがあるのか、話を進めるうちに目がキラキラ輝いていました。
 困ったことは?と話しかけると、うーん…と考えてから、勉強がむずかしいとか、宿題が多いな、とか話しているうちに、ぽつりと「なかなか手があげられへん…」とぽろりと言いました。以前、授業中の発表のとき、まわりの子ども達から笑われたことがあったようで,それ以来、なかなか自分から発表しづらい気持ちをずっと抱えているようです。その場にいたまわりの子や先生は、決してわるぎがあったわけではないと思うのですが、ちょっとした一言や態度が、ある子には長く響き続けることはよくあることです。
 「まちがったり失敗することが大事な勉強で『教室はまちがうところ…』、どんどんまちがって、かしこくなってな!」と話をしたところ、少しだけ表情がゆるみました。世界の発明王といわれるエジソンのことばを思い出し、それも伝えました。
「わたしは失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけ」
 私たち大人も、子どもの頃からうまくいかないこと、失敗からいっぱいのことを学んできました。うまくいくように自分で乗りこえていくことから、「生きる」知恵や力が育まれます。私たちにとって大切なのは、子どもらの力を信じて、自分で考え乗りこえられる場や時間を用意してあげること、そして、何より、うまくいかないことや失敗を、認め、ほめ、支えきることです。教師も学校も、そんな関わりができているかなと考えながら、ベルが鳴って「また来ていい?!」とにっこりして部屋を出ていくその子を送り出しました。
 「うまくいかなくていい、失敗していい、すべて君の大切な学び。応援してる!」

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学校行事
3/13 委員会活動
3/15 安全の日
3/17 ALT
京都市立小栗栖宮山小学校
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