京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/10
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「発見」「協力」「チャレンジ」

子どもの可能性は…

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 先日、京都駅にある「えき」美術館に行ってきました。京都駅の喧騒の中でホッとできるお気に入りの場所です。「巨匠たちが子どもだったころ」というテーマで、モネやムンク、ピカソ、平山郁夫など巨匠が小さい頃に描いていた絵や作品の展示会です。さすが美の巨匠、子どもの頃から驚くほど素晴らしい才能を発揮している作家もいれば、やっぱり子どもやな…と思える絵もありました。そこでなるほどと思ったのが、作家の多くに、子どもの思いや可能性を信じて支える家庭や環境があったことでした。
 私は小さいころから絵は大好きでした。外で遊んでばかり、親は共働きで、どちらかといえば放ったらかし、絵心もあったわけではないですが、ただ、家の本棚に「世界美術全集」という30冊からなる作品集がありました。有名な絵画や作品がいっぱい、その造形や色彩の豊かさに心をうばわれ、むさぼるように読み返していた記憶があります。そんな経験が、今、絵を見たり描いたり、風景や人間への好奇心や関心につながっているのだと思います。
 今年も夏休みに学校で、いろんな講師の方を招いて研修をしました。その中で、ある大学の先生がこんなことをおっしゃっていました。「子ども達の学力やコミュニケーション能力、言語力に影響しているのは、学校での授業や読書も大切なのですが、それ以上に家庭で本があるか、そして豊かな言葉でやりとりする環境が家庭にあるかどうかが重要、という統計学的なデータがあります(要約)」
 子ども達には、一人一人さまざまな、そして思いがけない力があり、それに光を当て、自分で気づくことができるように、いろんな経験や場を用意し、そして何よりも一人一人の可能性を信じて支え続けられる家庭や大人の存在が豊かな育ちにとって非常に大切だと。
 話はかわりますが、この前、京都出身の世界的な指揮者である佐渡裕さんの小学生の時の担任だった校長先生と話をしました。その話の中で、担任として、いろんな力を伸ばしたいと、音楽の時間に指揮をさせたり、フルートを経験させたり、音楽以外にもリレーの特訓をして自信を持たせたり、クラスの一人の子として働きかけたとのことでした。そのことが、一人の偉大な音楽家の力を目覚めさせたのかもしれないと感じる話でした。
 学校も家庭も、子ども達の目に見えるその時の姿だけではなく、一人一人の見えにくいけど必ずある可能性を、こんな子に育ってほしいと願い、信じながら、環境や場をいっぱい用意していくことが、一人一人の豊かで幸せな生き方の実現につながるのだと思います。
巨匠でも天才でも、普通の人でも子どもの可能性はみんな一緒。大切なのは、その子に大人が与えた場や環境、そしてそれを用意できる人との出会いなのかな…、そんなことをいっぱい考えながら、ピカソの子どもの頃の絵をながめる美術館での時間でした。

「困った子は…」教師として思うこと

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『困った子は…』教師として思うこと

 学校で仕事をしていると、子ども達のことで思うようにいかずイライラすることはよくあることです。何回も話をしてもやんちゃを繰り返したり、当たり前の約束を守れなかったりする子もいます。そんな時、部屋に張ってあるこんな言葉に目をやります。

『 困った子は、困っている子 』

 困った子やな…、何回言ったら分かるねん!…と考えるのではなく、困っている子だからこそ、そこを何とかしてあげる、その子の「困り」の部分にしっかり光を当てて、いっしょにその子の中でもつれた糸を解いていくことが大切だと…。

 例えば、乱暴な言動が目立つ子の話を聞いていると、家で弟が生まれて、今までひとりじめしていたお母さんが、あまりかまってくれないとか、「くそ〜」とか「しね〜!」とか言葉が気になる子の生活を聞いてみると、誕生日に買ってもらったゲーム(敵を倒す、悪者を退治するといった)ゲームを毎日何時間もやっていたとか、気になる言動の裏には必ず何らかの「困っている」状態があるのです。

 以前の学校で、こんな子がいました。
 毎日のように遅刻をしてくるので、「なんでなん?!」とたずねると、朝に頭やお腹が痛くなると言うのです。教室では元気いっぱいに活動ができるのに、これはおかしいと思い、じっくり話を聞き、いろんな話をする中でこんな事を言ってくれました。「お母さんが疲れていて、朝起こしてくれへん。でも、それを言うたら、きっとお母さんが先生に怒られるから、僕がしんどいと言うてた、ごめんなさい…」
 遅刻ばかりしてくる「困った子」が、そんなけなげなお母さんへの思いを持っていたことにハッと気が付き、「困っている」背景を考えようともせず叱っていたことに、教師として、また大人として恥ずかしく感じる一方、その子の事をいとおしく感じる瞬間でした。

 子ども達はまだまだ未熟です。育ち方や、生まれもった性格や個性もそれぞれ違って当たり前です。一律の指導からはみ出してしまう子もいるのは当然のことです。特に、発達面に偏りがあるとか、育ちの中でしんどい状況があった子については、生まれ持った特性や歩んできた道を知っておかないと、大人が良かれと思いしている働きかけが逆効果になる事さえあるのです。
 「困った子」だと嘆く前に、一人一人の子の「困っている」ところをしっかり感じられる大人になりたいと、張り紙を見ながら思う毎日です。

 その子は話の最後にこんな言葉で部屋を出ていきました。「お母さんを怒らんといてな…」

学校は、まちがうところ

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『教室は まちがうところ…』

 最近、校長室に子ども達がよくやってきます。やじろべえや紙コプターを作ったり、お話をしたりしながら、そっとその子の心の中の風景に入っていきます。教室ではけっして見せない一人一人の世界でふれ合うと、いろんな発見があって、うれしくなったり悲しくなったり、また、力をいっぱいもらうこともよくあります。
 先日、一人の子がやってきました。部屋の中を興味深げにきょろきょろしながら、クラスのことや友達のことをいろいろ話してくれました。でも、勉強の話をしている中で、ときどき見せる何か考え込むように目の輝きがくもることがあり、気になったので「今のうれしいこと、困ったこと」の発表合戦をしました。
 その子のうれしいことは、もうじきやってくる誕生日にお寿司を食べに行くことでした。お家の人と約束をしたのでしょう。家族とのお出かけがよほどうれしいのか、食事をしながらいっぱい話をしたいことがあるのか、話を進めるうちに目がキラキラ輝いていました。
 困ったことは?と話しかけると、うーん…と考えてから、勉強がむずかしいとか、宿題が多いな、とか話しているうちに、ぽつりと「なかなか手があげられへん…」とぽろりと言いました。以前、授業中の発表のとき、まわりの子ども達から笑われたことがあったようで,それ以来、なかなか自分から発表しづらい気持ちをずっと抱えているようです。その場にいたまわりの子や先生は、決してわるぎがあったわけではないと思うのですが、ちょっとした一言や態度が、ある子には長く響き続けることはよくあることです。
 「まちがったり失敗することが大事な勉強で『教室はまちがうところ…』、どんどんまちがって、かしこくなってな!」と話をしたところ、少しだけ表情がゆるみました。世界の発明王といわれるエジソンのことばを思い出し、それも伝えました。
「わたしは失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけ」
 私たち大人も、子どもの頃からうまくいかないこと、失敗からいっぱいのことを学んできました。うまくいくように自分で乗りこえていくことから、「生きる」知恵や力が育まれます。私たちにとって大切なのは、子どもらの力を信じて、自分で考え乗りこえられる場や時間を用意してあげること、そして、何より、うまくいかないことや失敗を、認め、ほめ、支えきることです。教師も学校も、そんな関わりができているかなと考えながら、ベルが鳴って「また来ていい?!」とにっこりして部屋を出ていくその子を送り出しました。
 「うまくいかなくていい、失敗していい、すべて君の大切な学び。応援してる!」

学校だより5月号「わたしを わすれないで」

『わたしを わすれないで…』

  暖かいというか、暑いというか、夏の到来を思わせる連休週間に突入しました。子ども達もずいぶん学校生活に慣れてき、友だちとの関係も広がってくる中、それぞれの子ども達の本当の姿、それぞれのいいところや抱えているしんどいところなどが、ぼちぼちと学校であふれてきているように感じます。そんな一人一人の子どもらの思いや願いに、しっかりと応えていける一人一人の教職員や学校をめざしていきたいとあらためて心に刻むこの頃です。
 今、学校は春を迎え、いろんな花が咲き乱れています。山の斜面には赤や白のつつじ、ビオトープには紫のあやめ、足元を見ると黄色のタンポポやカタバミなど、何十種類もの花の姿があり、自然豊かな宮山にうっとりしてしまいます。
 先日、ある子が「こんなのあった、きれい」と言いながら花を見せてくれました。今までかかわることも少なく、名前もうろ覚えの子でしたが、「かわいいな、見せてくれてありがとう」と言いながら、その花を見てハッとしました。それは「忘れな草」、英名でForget me not(私を忘れないで)、その子のメッセージが込められていたように感じました。
 教師は日頃の指導の中で、どうしても目立った子どもに目が行きがちです。職員室の会話でも、やんちゃな言動が目立つ子や学習の面で気になる子の話が多いのも確かですが、宮山校には250人近くの子ども達がいて、一人一人、熱い思いや願いをそれぞれいっぱい持っています。そんな中で、見過ごされがちな子ども達にも同じように目が行き届き、気配りができる教師や学校でありたいと思います。
 学校に今咲いている花の中には、名も知られず、気づかれもしないものも多くあるでしょう。でも一つ一つ、一生懸命に陽の光に向かって、色とりどりの姿で、けなげに自分をアピールをしているのです。そんな一つ一つの美しさや懸命な姿に気づき、いっしょに喜びを感じられるような人にもなりたいと思います。
 花を見せてもらった子のことを、名簿を見て確かめながら、小さいけれどきれいに咲く花を、また一つ宮山で見つけたような気になったひと時でした。

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学校便り 4月号より 「

≪28年度 学校教育目標≫ 『やさしく、たくましい心の力で、
高め合い 自ら「自己実現」をめざす宮山の子』
     
ウグイスの鳴き声が宮山に響き、あたたかい風の中、ワクワクするような一年がスタートしました。3月の卒業式や離任式で、さみしい不安な気持ちにもなりましたが、4月に入って、また新しい1年生や教職員との出会いがあり、期待もいっぱいふくらみ、新しい体制のもと、子ども達の輝く姿がいっぱいの宮山小学校になるよう、決意も新たにしました。
 さて、本校の今年度の学校取組の柱となる教育目標は
「やさしくたくましい心で、高め合い、自ら『自己実現』をめざす宮山の子」です。
 現代社会は急激に変化し、子ども達の育つ環境も大きく変わってきています。そんな大きな世の中のうねりの中でも、たくましく自分の力で生き抜いていける子ども達の力をつけるため、「学び」を生きる力につなげていけるような取組を大切にしていきたいと考えます。『自己実現』というのは簡単に言うと「なりたい自分になる」ということです。一人一人のいろんな可能性を広げ、願った道を自分で選びながら進める力をつけることは、子ども達が豊かに幸せに生きる大きなポイントです。
子ども達は日々、爆発的に成長していきます。ただそれを自分の中で整理しきれず、どこに向かうのかさまよっている子も多いです。そんな子ども達をしっかりはげましながら支え、一人一人のもつすばらしい力を活かしていくことが教育のそして学校の大切な役割です。
 始業式ではこんな3つの話をしました。
1.「勉強をしっかり」…学校での一時間一時間の授業を大切にし、家庭学習を充実させることで、学ぶことの楽しさや喜びをいっぱい感じてもらいたいです。自ら学ぶ力は、いろんな夢や将来の道が広がることにつながり、なりたい自分になれる、まさに「自己実現」につながります。学校も楽しくワクワクするまなびがいっぱいの場にしていきます。
2.「早寝。早起き、朝ごはん、歯磨き」…勉強も遊びも、そして心の育ちも、まず健康な体が土台です。生活リズムをしっかり整え、すっきり元気な体で力を伸ばしてほしいです。
 おうちのほうでも、ご協力をよろしくお願いいたします。
3.「ことばを大切に」…ことばは考えるための重要な道具で、ことばはその人をつくります。その人の脳そのものともいえます。豊かで温かいことばをいっぱい使える人は、豊かで温かい生き方ができるでしょう。特に、今年度の宮山小学校では「ありがとう」という言葉をあふれさせたいと考えています。
子ども達の瞳が未来をしっかりと見つめ、生き生きとした笑顔があふれる学校になるよう努力して取組をすすめていきますので、これからも、さらなるご家庭、地域のみなさまのご理解、ご協力をいただきますよう心からお願いいたします。

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学校行事
9/14 ALT
9/15 食の指導(2年1組) 安全の日 午後金曜校時(部活)
9/16 校内研究授業(3年2組)授業クラス以外は1時半下校 放課後まなび
9/17 伏見東支部相撲大会
9/18 醍醐ふれあいプラザ(4年ダンス・6年大なわ)
9/20 フッ化物
フッ化物洗口の日 スクールカウンセラー 地域見学(3年)
京都市立小栗栖宮山小学校
〒601-1461
京都市伏見区小栗栖宮山1-1
TEL:075-572-5216
FAX:075-572-5217
E-mail: miyayama-s@edu.city.kyoto.jp