京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/01
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児童生徒会による能登半島地震支援募金活動へのたくさんのご協力、ありがとうございました!

11月17日(火) 「額縁紅葉(がくぶちこうよう)」

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 これはどこでしょう?
西館を入って廊下の突き当たりを見ると、こんな光景が。
宝泉院の額縁庭園には負けるけど、今、校舎の中から『額縁紅葉(こうよう)』が見られます。
 今、大原は紅葉真っただ中。11月20日(金)には、この景色を左に見て階段を上がって、体育館に入り、学院生の文化祭を見てください。文化祭まであと3日。(文責:校長)

6年生発見旅行感想

広島・宮島発見旅行(6年生:1泊2日)
(1)原爆の子の像
 佐々木禎子さんは2歳の時、爆心地から1.6キロの距離で被爆しました。そして、6年生のとき、白血病や皮膚がんで入院しました。禎子さんは千羽鶴を折ったら治ると信じ、ベッドの上で折り続けました。しかしその願いも叶わず、12歳の若さで亡くなりました。「禎ちゃんのために何かしたい」と建立されたのが『原爆の子の像』です。本校6年生は毎年、この場所で平和を誓います。この日もたくさんの団体がこの地を訪れていました。セレモニーの順番を待っていました。前の団体は100人ほどの大阪の小学校です。代表の誓いの言葉を全員で繰り返す力強さ、そして『ヒロシマの有る国で」の合唱、見事でした。そして我々の番。全学院生と教職員で作った折り鶴とともに行う6年生6人のセレモニーでは、一人一人がしっかり平和への思いを伝えました。飾らない言葉で自分の言葉でしっかりと禎子さんに語りました。そして今年の全校合唱曲「いのちの歌」の合唱。6人の歌声は、大きくはないけれどしみじみ語りかけて、感動の平和セレモニーになりました。

(2)宮島学園の卒業生の話
 発見旅行1日目の夜には、宮島学園の卒業生の方に来ていただいて、お話を聞きました。二人は、卒業後一度は宮島を離れ、今は宮島に戻り家業を継いでいます。一人は旅館、一人はもみじ饅頭屋さんです。一番心に残ったのは、「大原女」の話でした。鎌倉時代大原女さんが京に運んだ薪や炭は、都の生活のエネルギー源となり日本をつくっていきました。そんな日本の歴史の中で大原の役割は重要だったという話をしていただきました。その地に住んでいる6年生たちは、地域への誇りを感じてくれたでしょうか。地元から聞く話ではなく、遠く離れた宮島からの大原への思いを、受け止めてくれたでしょうか。多くの人たちにお世話になって成立している修学旅行、発見旅行です。宮島学園の6年生たちとは2年後、大原への修学旅行で再会します。(文責:校長)

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9年生修学旅行感想

 今朝(11月7日)、全国の公立小中高の15%が今年修学旅行が行われなかったと報道されていました。そんな中、本校は昨日無事2つの宿泊旅行を終えることができました。学院生に、教職員に、保護者に、地域に、京都市に感謝します。そこで少し、感想を残しておきます。

長崎修学旅行(9年生:2泊3日)
(1)軍艦島ツアー
 沖縄から長崎に変更した修学旅行。1日目は軍艦島ツアーからスタートしました。「日本の近代化を支えた産業遺産「軍艦島」。明治初め、海底の高質な石炭発掘のためつくられた小さな島。この島に当時、最高水準の技術でアパート、映画館、学校などがつくられ、町ができました。最盛期には5300人ほどの人が住み、学校には1000人以上の子どもたちが通っていました。しかし、石炭から石油へエネルギー変換とともに閉山、今は住む人のいない島になりました。そこで私が思ったのは、「人がいなくなると町は(島は)寂しい姿を映し出す。その象徴が学校だ」ということです。本校の百井分校を思い出しました。いっしょに引率していた教員も感じていたようで、軍艦島ツアーは「学校をなくしてはいけない」という思いを強くさせたツアーになりました。

(2)原爆爆心地(原爆落下中心地)
 修学旅行2日目、長崎平和公園で平和セレモニーを行った後、原爆爆心地に向かいました。ここで解散し長崎市内班別研修が始まりました。私は、ひとり公園に残りベンチに座っていました。見上げると真っ青な空。75年前、ここから光と火の玉が襲ってきました。今は秋の風景の中、お年寄りの人たちがのんびりベンチに座って過ごしています。静けさは無い。近くを走る車そして工事の音、静かではない。しかし生活をしている音が聞こえてきます。75年前には。痛みや苦しみや助けを求める声だけが聞かれたのであろう。ひょっとしたら声すらなく、人の姿、形もなかったのかもしれない。青い空の下、「あの時」と「これから」の思いが交差する時間が過ごせました。(文責:校長)

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11月5日(木) 今朝表れた「小野がすみ」

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 真っ青な空と秋色になっていく山々そして冬の野菜。まっすぐな白い帯が、今年一番きれいに見えた朝でした。(文責:校長)

第6回小中一貫教育小規模校全国サミットin長浜市余呉 プレ企画

 10月31日、本来であれば長浜市余呉小中学校に集まり、全国サミットが行われる日でした。しかしコロナ禍の影響を考え開催を断念し、次年度に延期しました。そこで余呉小中学校では、今年は地域や保護者向けに「発表会」が行われました。他府県からの来客には自粛要請でしたが、私は連絡協議会会長の立場で無理に参加させていただきました。
 余呉の子どもたちは明るい、そして元気。前半に設定されていた1〜7年生の公開授業では、すべてのクラスが「余呉の良さを発信しよう」と地域色一杯の発表がなされていました。ポスターセッションあり、今後に森林を活かすコンテストあり、地域の伝統芸能を地域の方と一緒に躍る学年あり、賤ヶ岳の合戦をラップで表現する学年ありと、取組が多岐にわたりそして内容が深い。
 後半に設定されていたのは、参加者全員が体育館に集まり、8・9年生合同の「よごを楽しむプロジェクト」発表会でした。マスコットキャラクターの「天女(そらめ)ちゃん」を全面に出し、グッズ、ベーカリー、LINEスタンプ、SNS、スタンプラリーで発信と、それぞれ工夫を凝らし、地域の良さを伝え、広げていこうとしていました。
 そして、校長先生を始め先生方が、丁寧に子どもたちに寄り添い、やる気を引き出していました。発表を見つめる保護者・地域の方々も、余呉の子どもたちや学校がきっと頼もしく映ったのだろうと思います。
 さあ来年は、サミット本発表です。是非大原からバスをチャーターして、多くの人が余呉に駆けつけていただきたい思います。(文責:校長)

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第6回小中一貫教育小規模校全国サミットin長浜市余呉 プレ企画

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第6回小中一貫教育小規模校全国サミットin長浜市余呉 プレ企画

2020大原提言(報告会を終えて)

 最後の感想で地域の方が言われていたように、7月の一次発表(中間発表)からしっかりと練り直し、コロナ禍のことにも言及した内容になっていて、提言の深化が見られた報告会だったと思いました。
 今年も「地域の活性化」「観光客の増加」を15歳の学院生が考え、提言されました。本やインターネットでの情報だけではなく、自ら体験して、また考えて工夫して、提言に結びつけていました。身体と思考の「動き」を感じさせる提言でした。
 また今年は、全国のサミット校とオンラインでつないで質問を聞くという報告会にしたので、コロナ禍でお互いが直接会って交流できなかった分(修学旅行などで会うことになっていました)、画面を通して交流できました。田原小中学校や宮島学園の9年生とは、4年ぶり3年ぶりの再会になります。またそれぞれの学校からの質問にも、しっかり答えている9年生の姿にもたくましさを感じました。
 大原提言は発表して終わりではありません。今度、提言した内容や思いを持ち続け、卒業した後も、地域を忘れず、何らかの形で地域に貢献し、地域に頼る人生を送ってほしいと思います。(文責:校長)

2020大原提言報告会(校長挨拶)

 学院生のみなさん、こんにちは
 この会場に集まっていただきました地域の皆様、保護者の皆様、教育委員会の皆様、塔南高校の先生方、大阪豊能町から来ていただいた皆様、静岡から来ていただいた校長先生、ありがとうございます。
 そして、オンラインの画面の向こうにいる新潟まつのやま学園の皆さん、滋賀余呉小中学校の皆さん、奈良田原小中学校の皆さん、広島宮島学園のみなさん、こんにちは。同じ小規模サミット校として、みなさんからの質問や意見を期待しています。
 さて、大原提言が始まったのは小中一貫校になる前でした。大原を卒業し大きな社会に出ていく中学3年生の最後の行事として、「大原を良くするためにどうすればいいか」を中学生の意見として地域に伝えよう、と始まったものです。
 その後、一貫校になり、5年生以上がこの発表会に参加することにしました。そして内容も、年々進歩してきました。今では、地域の方が「大原提言」を少しでも実現しようと考えていただいています。3年前からは、「学院生に負けてはいけない」と、『大人の大原提言』が行われるようにもなりました。学院生が地域の大人たちに感動を与え、大人たちを動かした「大原提言」になりました。
 今年はコロナ禍の影響で、人と人とが集まることができませんでした。これは、取材活動にも影響を及ぼし、納得いく内容にならなかったかもしれません。しかし、今の精一杯を出して、自信をもって皆さんに伝えてほしいと思います。
 では、今年の大原提言、よろしくお願いします。

今日から10月

 絵本作家長谷川義史さんの2020年カレンダーを校長室に貼っている。
 このカレンダーには「よしおのブルース」と名前がついている。「よしお」の1年が、長谷川さんの絵と共に綴られている。

 今日から10月。10月の絵は運動会だ。
 著作権の関係で絵は掲載できないが、描かれた絵にはこんな言葉が添えられている。

「よしお はしる はしるけどおそい。 うんどうかいぜんぜんおもんないけど、こうふんする。クラスメートで足はやいやつ おうえんする。フォークダンスで またこうふんする。」

 得意じゃないことだけどがんばる。(くやしいけど)応援する。「みんなでできること」を楽しみにする。
 そんなワクワクした日々を、あと半年つくり続けたいと思う。(文責:校長)

京炎フェスティバル 講評

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学院生の皆さん
 今日は、1時間目の道徳の授業に始まって、2時間目からの京炎フェスティバル、ごくろうさまでした。

保護者,地域の皆さん
 今日は、いろいろな制限の中、来校していただきまして、ありがとうございました。皆様のおかげで、今日の行事が、無事終わることができました。
 いつもは6月に行っている運動会が、今年はコロナ禍の影響で、中止になりました。しかし、何とかしたい、特に今年最後になる9年生のために何とかしたいと考えました。2学期になって、十分予防した上でなら校内に入れていいと、少し防止策が変化してきました。そこで運動会の種目を3つだけに絞って、また時間も絞って、運動会ではなく体育の授業参観として開催することにしました。

 一番に9年生に意見を聞いて、先生たちで3つに絞って種目を考えました。
〇1年生から9年生までをバトンでつなぐ「色別対抗リレー」
〇上の学年と下の学年が一緒に行う「児童生徒会種目」
〇そして「京炎そでふれ」です。
 個人種目である徒競走やハードル走ではなく、学院生みんなでつくる種目を選んだ9年生、「さすが」です。

 お気づきだったでしょうか。今年の京炎そでふれは、密にならないようにグランドいっぱいに広がり、最後の「やー」も真ん中に集まらない。それぞれの場所での「やー」でした。1年生にとっては、初めて踊る京炎そでふれです。9年生にとっては、9年目でやっと巡ってきたセンターで踊る京炎そでふれでした。

 今年いろいろな行事が中止になり、さすが9年生の「あこがれの姿」を見る機会があまりありません。しかし、今日の京炎フェスティバルでは、京炎そでふれを始め、いろんなところで「さすが最上級生」という姿を見せてくれていました。「さすが大原の9年生です」皆さん、9年生に大きな拍手を送ってください。

 2学期にはこの後、たくさんの行事を予定しています。11月には文化祭もあります。
コロナ感染予防をしっかりしながら、一つ一つ今年の「思い出」を創っていきましょう。
本日はありがとうございました。これで私の講評をおわります。

後日談
 終わってみると、この競技もやらせたかったなという思いが募ります。6年生の応援団、小さい学年のかわいらしい演技と競技、リレーも上の学年は1周走るのならもっと9年生は目立てたでしょう。しかしコロナ禍で精一杯考え、行った京炎フェスティバルです。「できた」ということを一番に考え、「つなげた」ことを成果として、来年を迎えてください。
 9年生にはこれからまだまだ「さすが」の場面を用意していきます。(文責:校長)

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