最新更新日:2024/05/22 | |
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6年生発見旅行感想
広島・宮島発見旅行(6年生:1泊2日)
(1)原爆の子の像 佐々木禎子さんは2歳の時、爆心地から1.6キロの距離で被爆しました。そして、6年生のとき、白血病や皮膚がんで入院しました。禎子さんは千羽鶴を折ったら治ると信じ、ベッドの上で折り続けました。しかしその願いも叶わず、12歳の若さで亡くなりました。「禎ちゃんのために何かしたい」と建立されたのが『原爆の子の像』です。本校6年生は毎年、この場所で平和を誓います。この日もたくさんの団体がこの地を訪れていました。セレモニーの順番を待っていました。前の団体は100人ほどの大阪の小学校です。代表の誓いの言葉を全員で繰り返す力強さ、そして『ヒロシマの有る国で」の合唱、見事でした。そして我々の番。全学院生と教職員で作った折り鶴とともに行う6年生6人のセレモニーでは、一人一人がしっかり平和への思いを伝えました。飾らない言葉で自分の言葉でしっかりと禎子さんに語りました。そして今年の全校合唱曲「いのちの歌」の合唱。6人の歌声は、大きくはないけれどしみじみ語りかけて、感動の平和セレモニーになりました。 (2)宮島学園の卒業生の話 発見旅行1日目の夜には、宮島学園の卒業生の方に来ていただいて、お話を聞きました。二人は、卒業後一度は宮島を離れ、今は宮島に戻り家業を継いでいます。一人は旅館、一人はもみじ饅頭屋さんです。一番心に残ったのは、「大原女」の話でした。鎌倉時代大原女さんが京に運んだ薪や炭は、都の生活のエネルギー源となり日本をつくっていきました。そんな日本の歴史の中で大原の役割は重要だったという話をしていただきました。その地に住んでいる6年生たちは、地域への誇りを感じてくれたでしょうか。地元から聞く話ではなく、遠く離れた宮島からの大原への思いを、受け止めてくれたでしょうか。多くの人たちにお世話になって成立している修学旅行、発見旅行です。宮島学園の6年生たちとは2年後、大原への修学旅行で再会します。(文責:校長) |
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