最新更新日:2024/04/26 | |
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「さわやか球技大会」その2(ドッジボール)
ドッジボールは体育館で熱戦が繰り広げられました。
「さわやか球技大会」その1(ソフトボール)
9月11日(土)左京北支部PTA主催のさわやか球技大会が明徳小学校を会場にして開催されました。出場した選手は,支部内の他校の選手たちと競技を行いました。とてもいい交流なりました。
「おはなし隊」がやってきた 2年
9月10日(金)明徳小学校に『おはなし隊』がやってきました。
車の中には書架があり,新しい本がたくさんありました。 ミーティングルームで読み聞かせもしてもらいました。当日は,読書ボランティアの方もお手伝いにかけつけて下さいました。おかげさまで,お話に浸る良い時間が過ごせました。 行事予定更新しました
「行事予定」を更新しました。9月・10月分について細かく追加しました。
ページ右側のボタンからお入りください。 9月(長月) 秋の気配は
厳しい暑さ,流れる汗。「いつまで夏が続くのか」そんなことを思ってしまいます。今年の夏の暑さは記録破りの連続。9月になってもなかなか,おさまりそうにありません。本当に秋の涼風が待たれるこの頃です。
でも,移りゆく時とともに,秋の気配がわずかに感じられるようになりました。夕暮れが早くなり,夜の闇も深みを増してきたようです。草むらからは繁く秋の虫たちの声が聞こえてきます。 夏休みが終わり,学校では運動会に向けた取組が進んでいます。各学年とも演技・競技の演出に工夫をこらしています。これからの練習にも徐々に熱がこもってくることでしょう。熱中症には気をつけて,意欲をもって練習に臨んでほしいものです。 子どもたちは,夏休みを経て,身体がひとまわり大きくなったようです。さすがに子どもたちの成長は速いですね。こらからの季節の中で,内実の伴った成長を遂げてほしいものです。「主体的に思考・判断し,活動する明徳の子」。そんな,心身ともにたくましい子どもに育ってほしいと願っています。これからも,皆様のご協力をよろしくお願いいたします。 今月の歌 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原 敏行 平安初期の歌人。秋の訪れを風に感じるという斬新な発想がすばらしい短歌。立秋の頃の心持ちを表すのに今もよく用いられる歌です。立秋は夏至と秋分のちょうど中間に当たる日。この頃から少しずつ秋の訪れが感じられるはずなのですが,温暖化の進行した現在では秋の気配を感じるのが難しくなってきました。 木の間より もり来る月の影見れば 心づくしの秋は来にけり 読み人知らず 「古今集」所出の短歌。この歌以降「心づくしの秋」という表現が定着。物思いを尽くさせる秋という意味。「須磨にはいとど心づくしの秋風に」(源氏物語)という例もある。「月の影」は月の光の意味。 8月(葉月) 猛暑によせて
8月の京都は「猛暑」の印象があります。盆地特有の気候で,夏は蒸し暑く,冬は底冷えがする京都。温暖化が進んだ現在では,最高気温が35度以上の日も珍しくなくなりました。
暑い夏を少しでも涼しく過ごすため,「打ち水」や「風鈴」,「団扇」など日本ならではの風情を感じさせる昔からの知恵がたくさん伝わっていました。しかし,都市化が進んだ現在の京都の街ではエアコンでの冷房が当たり前となりました。五感を通して涼をとる生活の知恵が失われていくのは淋しいかぎりです。これだけ温暖化が進んでしまうと,昔の生活に戻るのは,やはり厳しいのかもしれませんが・・・。 また,お盆の京都に欠かせないのが「五山の送り火」。夏の夜空に赤々と燃える「大文字」の火を見ると,先祖の精霊を送る心と共に過ぎゆく夏を惜しむ心が浮かび,切ない思いにさせられるものです。夏の終わりを告げる風物として,今でも京都の街に住む人々の心に生き続けています。 学校は,夏休みの真っ最中。それでも毎日,たくさんの子どもたちを見かけます。プールに来ている子。部活動に来ている子。児童館の学童保育に来ている子。向かいの公園で遊んでいる子。子どもたちの元気な顔が夏の陽射しを浴びて輝いています。やはり子どもたちの夏は本来こうあるべきだと思います。 快適な生活に慣れきってしまった私たち大人。今,私たちはそんな快適な生活に子どもたちまでを巻き込んでしまっています。そして,ストレス耐性のない人間をたくさん生産してしまっているような気がして仕方ありません。今一度私たちの生活を見直してみる必要があるようです。 8月の歌 考えて飲み始めたる 一合の二合の酒の夏の夕暮れ 若山 牧水 旅と酒をこよなく愛した歌人。若くして詠んだ短歌であるが,老成した感じが漂う。独り杯を口に運ぶその姿。やはり浴衣が似合うと思ってしまうのは日本人の感覚なのか。日本の夏が香りだしそうな夕刻の風景。 閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 松尾 芭蕉 「奥の細道」所収。山形の立石寺で詠んだ俳句。やかましいまでの蝉時雨に閑かさ感じる詩人の魂が素晴らしい。この蝉の声,はたして何ゼミの声が似合うのか。学者の説はさておき,読み手の想像にゆだねられる部分。俳句という短い詩形ゆえ,読み手の想像をかきたてずにはおかない。 合同水遊び 星の子
7月26日(金)
左京北支部の育成学級合同水遊びが,明徳小学校のプールで行われました。 当日は,日差しもあり,プールの水面に光が乱反射しとっても明るかったです。 みんなの顔も輝いていました。 とっても楽しかったです。 「また,一緒に遊びたいね。」 いいひと時が過ごせました。 7月(文月) 夏は夜
岩倉川に螢が飛び交う季節となりました。闇の中に,ほのかな光が漂い出すのを眺めていると,幽玄の境地に誘われてしまいます。和泉式部が「あくがれいづる魂かとぞみる」と表現したのもなるほどと納得できます。
また,清少納言は枕草子に次のように記しています。 「夏は夜 月のころはさらなり 闇もなほ 螢の多く飛び違ひたる また ただ一つ二つなど ほのかにうち光りて行くもをかし 雨などの降るもをかし」 この文章などは,今頃の季節感をとらえたぴったりの表現だと思います。ただ,平安時代の夜は,今と違って,月と星の明かりしかない闇夜です。本当に真っ暗であったと思われますから,夜道を歩くのも勇気がいったでしょうね。でも,その分,螢の光も今よりひときわ明るく美しく感じられたのかもしれません。時代を超えて息づく日本人の季節感。これからも大切にしていきたいものです。 さて,学校では水泳学習が始まり,毎日,プールから子どもたちの歓声が聞こえてきます。七月も後半になれば,梅雨明けの気配が感じられるようになります。 そして,中心街では祇園祭の鉾も立ち,いよいよ,暑い暑い,本格的な京都の夏の訪れです。 陽に焼けた子どもたちの笑顔がはじける季節。夏は,子どもたちの季節。思いっきり健康にたくましく成長してくれることを期待して,星に願いを託すことにします。 七月の歌 庭の面はまだかわかぬに 夕立の空さりげなく 澄める月かな 源 頼政 平安末期の武将。平家に付き従うふりをしていたが,ついには以仁王をかついで乱を起こす。御所に夜な夜な現れるという怪鳥「鵺」を退治したという伝説でも有名。 以前はどこでも味わえた夕立の後のさわやかな空気。今ではコンクリートとアスファルトの保熱効果のためか街中で感じることはほとんどなくなった。 もの思へば 沢の螢も我が身より あくがれ出ずる魂かとぞ見る 和泉式部 平安時代の恋多き女流歌人として有名。「和泉式部日記」を著す。 この歌は京都洛北の貴船川詠んだとされています。「恋しい人のことを強く思っていると,私の心が螢になって漂い出てしまうような気がします。」 さて,こんな歌を贈られた男性は,どう思うのでしょうか。 5年 「山の家」の様子22 野外炊事「焼きそば」の具を刻んでいます。 3 出来上がった焼きそばをお皿にとっています。 5年 「山の家」の様子1
1 学校での出発式
2 山の家での入所式 3 第一炊飯場でのお弁当タイム |
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