京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/07/14
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学校教育目標 「自主自律」そして自治〜社会や人とのつながりを大切にし 可能性を最大限に探求する たくましく生きる生徒の育成〜

国語語句プリント2

今回も四字熟語に挑戦してみてください。
四字熟語の読み方と意味を答えてください。
また,四字熟語には熟語の構成がパターン化されているものがほとんどです。
このプリントの四字熟語が以下のどれに当てはまるかも考えてみましょう。

1.二字熟語どうしで類義語が使われているもの

2.二字熟語どうしで対義語が使われているもの

3.前の二字熟語が後の二字熟語にかかるもの(主語・述語の関係と修飾語・被修飾の関係)

4.一字+一字+一字+一字(四字が対等のもの)

国語語句プリント2

体育館解体6

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4月27日(月)北側(舞台側)の壁が3分の2程崩され,体育館の中に重機が入り,床の撤去をしています。

近衛中学校のお話3

先日のホームページで「京都一中」のお話をさせてもらいましたが,京都一中は現在の京都府立洛北高校に当たります。また,現在の京都府立鴨沂高校とも関連があり,明治,大正,昭和と様々な変遷がありました。また,近衛中学の前身は「養正中学校」であったとのことです。養正中学校は現在の養正小学校に併設されており,昭和22年から昭和23年まで1年間だけの学校でした。昭和23年,第二錦林小学校が廃止になり,「近衛通り」の名称から近衛中学校が誕生したようです。添付資料にもありますが,みなさんの住んでいる京都大学に隣接するこの地域が,古くから近代学校教育の要として位置づけられていたかがわかります。校歌にも「学の町吉田 建つは母校」とあり,まさしく学びの町としての歴史を感じます。
近衛中学校の歴史

国語語句プリント1(解答)

四字熟語の解答です。出来たら漢字で書けるように覚えておきましょう。その際,よくある間違いに「危機一髪」の「髪」を「発」と書いたり,「五里霧中」の「霧」を「夢」と書いたりしてしまいます。気をつけましょう。

国語語句プリント1(解答)

国語語句プリント1

国語語句プリント1です。
今日は四字熟語の読み方と意味を答えてください。
四字熟語,ことわざ,慣用句,故事成語,熟字訓などは国語の勉強というより,社会に出たときに必要な「教養」の部類になります。
各学年,各教科から学習課題が出ていますが,自宅にいるときに語句の勉強もしてみてください。辞書やネットで調べると,本当にたくさんの言葉と出会えます。今日は四字熟語に挑戦してみてください。
解答はまた後日にアップします。(10点満点ですので自己採点してみてください。)答えをすぐに見るのではなく,自分で答えを調べる方が記憶に残りますよ。

※このプリントは提出する必要はありません。

国語語句プリント1

近衛中学校のお話 2

みなさん,近衛中学校の校歌にいつも歌っていない「2番」があるのをご存じですか?
式典や全校集会ではいつも2番までしか歌いませんが,実は歌っているのは1番と3番なのです。生徒手帳には載っていますが,歌詞は以下のような歌詞です。

火と燃ゆる希望 深くたたえて
ひたむきに求め やまぬ心よ
如意岳(にょいがたけ)比叡 遥かしのぎて
励み持て行くは 近衛の健児

1年生はまだ,メロディを知らないと思いますが,2,3年生は一度口ずさんでください。
音楽科の先生に,どうして2番を歌わないのですか?と聞くと,「長いからじゃないですか。」と簡単な答えが返ってきました。
しかし,歌詞の内容は奥深いものがあります。
(訳)
火のように燃える希望を,心の奥深く持って,その希望をひたむきに求める心は誰にも止められない。それはまるで険しい比叡の山を分け入って進むようなものである。お互いを励ましながら進んでいくのは,近衛の血気盛んな若者たちである。

思春期を迎えた中学生の,溢れんばかりのエネルギーが感じられる歌詞ですね。

以下に,君たちの先輩たちが歌ってくれた1番から3番までの歌詞を歌っている合唱が聞けるリンクを貼り付けておきます。ぜひ,聞いてみてください。1年生は近衛中学の校歌を自宅にいながら憶えてくださいね。(歌詞は生徒手帳に載っています)

http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/konoe-c/kouka.wma

体育館解体5

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4月24日(金)重機で体育館壁面を削り落とす作業を行っています。頑丈な壁がいとも簡単に,カニのハサミのような重機の鉄の爪で崩されていきます。解体するのは早いですね。それに比べ,建てるのはその何倍もの時間と手間がかかりますね。。。 

重要 就学援助制度について

平成31年度に就学援助制度を申込みされた方へのご案内です。
令和2年度の就学援助制度(継続)の申込用紙が教育委員会より届きました。

  締切:5月31日(日)

  提出書類:継続認定申込書
       マイナンバー申告書(該当者のみ)

※就学援助制度継続をご希望の方は必ず提出して下さい。

申込用紙を学校にて用意しております。
休校期間でお子様に持ち帰っていただく機会がないことに加え,
個人情報が含まれている書類のため,ポストインすることができません。
お手数ですが, 平日9:00から17:00の間に
本校職員室まで,申請用紙を取りに来てください。

なお,平成16年4月1日以前に生まれた方で,扶養に入られていない方は,
マイナンバー申告の必要があります。
今年度より世帯の扶養に変更がある方はご注意ください。
昨年度以前に既に申請されている方及び扶養に変更のない方は,申告不要です。

この件に関してご相談やご質問がある方は,学校までお問合せください。

体育館解体4

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 4月23日(木)体育館のステージの舞台や化粧板が剥がされ,コンクリートの柱や梁(はり)があらわになっています。また,更衣室の床やロッカーが取り除かれ土台だけになりました。
 元々の原型がなくなっていく(喪失する)ことは寂しいですが,解体(破壊)することは,次の建築(誕生)に繋がることと考えると,今の寂しさは,これからの創造への喜びや嬉しさに繋がっていくのでしょう。
 今の生活に通じることがあるような。。。
 

近衛中学校のお話

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「河原町の家から,一中に通うには,鴨川にかかった荒神橋を渡らねばならない。この橋のたもとに出ると,まっすぐに叡山が見えた。その右に少し低く大文字山。さらに低く,吉田山が見える。(中略)少し歩くと道の右側に,一中の校舎が見え始める。塀の外には,大きな柳が何本も並んでいた。」日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹先生の自伝的著書「旅人」の一節です。荒神橋から近衛通りを通って近衛中学にたどり着く風景は現在も変わっておりません。
先日の入学式でもお話しましたが,今日はみなさんに,この近衛中学校の伝統についてお話ししておきたいと思います。近衛中学は昭和23年創立であり,今はもうありませんが第二錦林小学校の跡地に建てられました。第二錦林小学校の前は京都一中吉田学舎として,明治30年から昭和4年まで,この地に学校が建てられていました。校門の横には第二錦林小学校と京都一中の記念の石碑があります。
また,近衛中学の大きな特色は自由服です。京都市の公立中学校では唯一の学校です。この近衛中学の自由服の考え方も,かつての京都一中の校風から来ているのではないでしょうか。湯川秀樹先生は「旅人」の中で,当時の一中の校風を「自由主義」と語っておられます。湯川先生は一中時代に出会った先生や友人とのエピソードをあげ,「いったん身につけた自由の気風はおそらく一生,私から離れないであろう。」とおっしゃっています。
みなさんが,この歴史のある近衛中学校の校門を,毎日,それこそ当たり前にくぐっていける日が早く来ることを祈っています。

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京都市立近衛中学校
〒606-8315
京都市左京区吉田近衛町26-53
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E-mail: konoe-c@edu.city.kyoto.jp