最新更新日:2024/09/25 | |
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3年修学旅行3日目
港釣り体験のようすです。エサのつけ方やつり糸の放ち方、さおを引くタイミングなどを教えていただき、実体験に入りました。
3年修学旅行3日目
その2
3年修学旅行3日目
漁港付近では、港釣りや船釣り、魚のおろし方のグループが、それぞれの場所で説明を聞き、体験が始まりました。
3年修学旅行3日目
その3
3年修学旅行3日目
その2
3年修学旅行3日目
福島地区の様子です。3日目も天候に恵まれています。昨晩の諫早市を震源とする地震も影響なく、スローガン「雨学年とは言わせねぇ!」をまさに3日間実現し続け、今は、「ほんまもん体験」に全力投球中です。
今のところ、ケガや体調を崩して体験に参加できないという生徒もなく、それぞれが楽しんでいます。 写真は、朝、民泊先の方に漁港まで送っていただいたときの様子と、体験ごとに集合して、説明を聞き、その後、それぞれの体験場所に向かい出発しているところです。 3年修学旅行3日目
今福地区での「ほんなもん体験」の様子です。今朝も長崎はいい天気です。
3年修学旅行2日目
写真は今福地区での対面式の様子です。今、3年生は民宿でお世話になっています。
明日は各民宿で朝食をいただき、午前中は「ほんなもん体験」です。よもぎもち作り、田舎料理作り、カゴ漁、刺網漁、船釣り、そば打ち、長崎ちゃんぽん作りなど、貴重な体験をします。本日の更新を終了させていただきます。 3年修学旅行2日目
午前中の平和セレモニーで、上京中学校の代表生徒Nさんが、宣言した平和メッセージです。
1945年8月9日、ここ長崎に原子爆弾が投下されました。当時の長崎の人口はおよそ24万人でした。そのうち約7万人の方が亡くなられました。爆心地では三千度から四千度の高熱が地上を包み四キロメート離れたところでも屋外にいた人は熱傷を負うほどの熱線だったと言われています。 私たちは多くの尊い命が奪われ、長崎の美しい街が廃墟となった瞬間を知りません。しかし、知っていることもあります。それは、戦争の無意味さ、悲惨さ、そして、得るものはなく多くのものを失うものだということです。そのことを学び、知識のままにしておいて良いのでしょうか。過去のことをなかったことにはできません。しかし、戦争について誰も伝えなかったら忘れ去られていくかもしれません。だから私たちは学びます。そして伝えていくという義務があるのだと思います。 今、このときも世界のどこかで争いが起こり、誰かが傷ついています。世界中の争いをなくすのは大変なことです。それでも、何かできることを探して実行している人がいます。そんなふうに争いに向き合い考えていきたい。平和で安全に暮らしている私たちの想像をこえる現状があることを忘れない。 昨日原爆資料館に行って、私はたくさんの映像や資料を見て、改めて戦争の残酷さを感じました。また、実物の資料だからこそその物からにじみ出ている人々の悲しさや心の叫びがあるようにも思えました。私はその思いを無駄にしたくありません。日本に住んでいるからこそ忘れてはいけない戦争という歴史を胸に、未来が平和で明るいものになるよう行動していくことを誓います。 3年修学旅行
3年生は、長崎市内を班別で研修しています。大浦天主堂前での様子です。
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