最新更新日:2024/10/17 | |
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願いであり、祈りである
「願いであり、祈りである」
みなさま、明けましておめでとうございます。今年はたいへん温かで穏やかなお正月を迎えることができました。子ども達も、それぞれの新年を、そんな心地よさの中で迎えたことを心から願う年初めの登校でした。 さて、私もこの小栗栖宮山小学校に赴任してきて、いつの間にか7年目になります。まだまだ多くのことが置き去りになったまま時間ばかりが過ぎていく気がしますが、子ども達の姿は目に見えてすばらしくなってきていることに、「ありがとう!」の気持ちでいっぱいです。その背景にある保護者や地域のみなさまの粘り強いご支援に心より感謝しますし、本校教職員のがんばりも強く感じています。 「教育は願いであり、祈りである」 本校に着任してすぐに校長室のよく見えるところに掲示した言葉です。 わたし達は「教育者」という夢をいっぱいに職に就いたのに、教育活動はなかなかうまくいかないことも多く、正直言ってストレスや悩みをいっぱい抱えて日々を過ごすことも多いです。教育に携わる環境も大きく変わってきています。疲れきってクタクタになったり、リタイヤしていったりする人も少なからずいることも事実です。でも、人と関わり、育てる仕事だからこそ、味わえる喜びもたくさんあります。100のしんどさが、一つの子どもらの笑顔で吹っ飛ぶようなこともよくあります。 昨年、朝の職員打ち合わせの際にこんなことがありました。登校しにくい子どもらを何人か抱えて悩んでいた先生が、それでも何とかしようと家庭訪問を繰り返し、そして、学級の仲間づくりに一生懸命に取り組み、その結果やっと登校が実ったという報告をされながら、ぽろっと涙を見せられました。周りの教職員にも、こみ上げてくるものがありました。一人の子が登校できるよう働きかけ続けた背景には、教師としてのあふれるほどの熱い「願い」や「祈り」があったのでしょう。 教職員の、そして、子ども達の「願いがかない」、「祈りが通じる」ことは、我々にとって何にもまして尊い喜びです。そんな喜びは、がんばりと比例し、苦労と反比例するように味わうことができます。われわれにとって、こんな子になってほしい、こんな思いを伝えたい、子ども達にとっては、こんな人になりたい、こんなことをかなえたい、といった「願い」や「祈り」は教育活動をおし進める原動力です。そんなみんなの「願い」や「祈り」がいっぱいあればあるほど、学校は共に生きる「人の豊かな育ち」の場となります。そんな空気があふれる学校にしていきたいと、新しい年を迎えるにあたって心に刻むスタートです。 美しいお花が活けられていますひとへの「想像力」
「ひとへの『想像力』」
先日、校区にある朝鮮初級学校の「民族教育70周年記念祝祭」に行ってきました。戦後間もない時期に京都で始まった民族教育、時代の大きなうねりの中で、さまざまな波を乗りこえての70年間でした。そんな学校が4年前に、ここ宮山に移転してきました。開校式典の時には宮山校のサッカー部と国際親善マッチ?!を行い、テクニックで宮山小が圧倒されたのを覚えています(ちなみに朝鮮の国技はサッカーです)。それから毎年、学芸会で素晴らしい踊りを披露してくれたり、学年で交流をしたり、研修会で朝鮮学校から先生にお話しいただいたり、さまざまな結びつきを重ねてきました。 現在、政治的に国どうしの関係には難しい状況は続いていますが、そんな匂いはみじんもない雰囲気で、同じ地域で学び、生活する「なま」の人間の姿がいっぱいありました。会場には、民族教育の歴史の重みや、それに関わってこられた人々の熱い思いや願いがあふれ、高等部の生徒の語り、そして子どもも職員も一緒になった合唱など、その場にいるだけで感動がこみ上げてくるような式典でした。 私は、小さい頃、朝鮮・韓国の方々が多く住む地域で育ちました。小学校で最初に友だちになり、初めて殴り合いのけんかをし、でも一番よく遊んだのがSくんでした。育ててもらっていた祖母から、あの子は実はな…と話を聞いていて、薄々感じていましたが、何にもわかっていない年頃でした。そんな中、4年のある日、Sくんが「あんなあ、おれ日本とちゃうねん…」と、ぼそっと打ち明けてくれたのです。「知ってるで…」と言いながら、どう答えるか困ったのを覚えています。そのあとすぐ、私は急に転校することになりました。新しい家での生活にウキウキして、その友達の事どころではなかったのですが、半年ほど後に、祖母からこんな話を聞きました。 「Sが、何回かやってきて、はただ(私の名)いますか?と聞くんや…、転校したで、というと、いつも涙をうかべて帰っていくんやで…」 数年後、Sくんの家を訪ねましたが、空き家になっていて、その後は音信不通です。 個人的な話になりましたが、朝鮮学校の行事に行くと、いないと思いながら、いつもSくんのことを探してしまいます。父としての彼の姿を思い浮かべながら…。 さて、時代は大きく移り変わりました。グローバル化が急激に進み、世界の距離はどんどん縮まってきているように感じますが、今もなお偏見や差別意識に満ちた問題や事件は、世界や日本のあちこちで起こっています。さらに、ネット社会の広がりや時代の手づまり感の中で、口に出すべきでない言葉など人々の潜在意識の中にある負の部分が、大手を振って世の中にあふれかえってきている現状に、ある種の「危うさ」や「きもちわるさ」を感じるこの頃です。 そんな「同じ人間どうしの間に壁をつくる」考え方には、致命的に欠けているものがあります。それは、一人一人の命のある「ひと」の体温や匂いを感じることなしに、大まかな「くくり」の中で、個人を飛び越してものごとを決めつけてしまう「想像力の欠如」です。空爆の下にいる子ども達の痛みや悲しみを考えることができる想像力のなさや、他人を憎しみを込めてネット炎上させて憂さ晴らしをしている人々の愚かさは、まさにその現れではないでしょうか。 学校という場は、勉強も大事ですが、一人一人の子どもどうしのかかわりを通して、お互いに「ひと」として高め合っていく場です。そして「いのち」の温もりや「ひと」とのつながりを感じられる「想像力」を、仲間との体験を通して育てる場です。未来の子ども達の姿を想像しながら、そんなことを大切にしていける学校にしたいな、と考えるこの頃です。 ちょっとだけ、いい (校長掲示版より)
≪ちょっとだけ、いいね≫
ちょっとだけ、いいね 自分のことをいっぱいしゃべって伝えることも大切だけど、 相手の目を見ながら、思いをゆっくり、じっくり聞ける人… はやりの歌をたくさん聞いて知ってることはいいけど、 うれしい時、悲しい時に、口ずさめる歌がある人… ゆかいな仲間とおもしろいうことを言って、「がはは!」と大笑いすることもいいけど、 ひとりぼっちでいる子に、「あそぼ…」と、そっとほほえみかけることができる人… 人に勝てるように、体や心をきたえることもいいけど、 人のために、きたえた体や心を使える人… だれにでも優しくできることは、とても大切だけど、 どんな人でも、いけないところを真剣に教えてあげられる人… 大きく咲いた色あざやかな花に「きれい!」と声をあげるのもいいけど、 足もとで、けんめいに芽を伸ばす草に、そっと「がんばって…」と声をかけられる人… そんな人が、ちょっとだけ、いい 部活 タグラグビー土曜学習「カレー作り」
12日土曜日に、土曜学習「カレー作り」がありました。3年生から5年生までの子どもたちが協力して美味しいカレーを作りました。子どもたちは、「じゃがいもがホクホクして美味しい!」「先生、私たちが作ったカレー食べて〜」などと嬉しそうに話してくれました。
和太鼓部
先日のハロー宮山でたくさんの方に演奏をきいていただき,日頃の練習の成果が発揮できたことをとても嬉しく思っている和太鼓部です。
今日も練習に励みました。和太鼓の数も増え,次のステージに向けて気持ちを新たに頑張ります。 集団下校
日の暮れるのが大変早くなってきました。部活動終了後は,全ての部活動が校門に集合して下校するように指導しています。同じ方向に帰る子たちが同じ時刻に出発し,安全に帰宅してほしいと思います。
朝会
今日は朝会がありました。校長先生が朝から出張のため,今日は教頭先生からのお話になりました。休みの日にさまざまな場所でコンクールに出たり,試合をしたり,地域の行事に参加した子どもたちの態度が非常に素晴らしかったというお話でした。「学校の中でもそうですが,校外に出たときに気を引き締めて立派な姿を見せてくれるみんなは先生たちの自慢です」と言ってもらい,嬉しそうに静かにお話がきけました。
今日もたくさんの子どもたちが表彰してもらいました。全校合唱の練習をし,三年生の学年発表を見て,盛りだくさんの内容でした。 「人権」って…
「人権って?…」 (※人権懇談会への手紙より 抜粋)
みなさん、「人権」という言葉、どんなふうに思われますか?何か、かたくるしい感じや、おおげさに構えるような気分になりませんか。でも、決してそういうものではありません。 私自身、「人権」という言葉を使うのはちょっと苦手です。その言葉を使っても、あまりピンとこないことが多いし、使いすぎるとあまりにも「嘘っぽく」感じるからです。 「人を大切にしましょう!」…そんなことは当たり前のことです。「人権」という言葉が街にあふれる中で、本当に人々は大切にされているのでしょうか。いじめや虐待は、毎日のように新聞やニュースにでてきます。「しね」「ころすぞ」という人に向けるべきではない言葉も子ども達の会話に今でも見られます。ネットが拡散する中、人権感覚に欠ける言動が世の中にあふれかえっています。私たちは「人」を大切にするためにどんなことを知り、どう行動していけばいいのでしょう。決して、「人権」は難しくて重いものではありません。みなさんの目の前に、日々の行動に、ひと言ひと言に、いっぱい詰まっているものです。「人権」という言葉を使わないでも、そこにいる生の人間と結びつく「人間としての心の持ちよう」がポイントです。 そのために大切なことは、まず、身近な言葉です。「言葉は人をつくる」と言われるように、人は脳の中で言葉という道具を使って物事をとらえ、考え行動します。「しね」「きしょ」など相手をないがしろにする言葉からは、人を大切にする心や関係は決して育ちません。「ちくちく・とげとげ」ではなくて、「ほんわか・あったか」言葉を使うことは、身近な「人権」を実現する大切な要素です。 また、世の中には「男女差別」や「同和問題」「障害者差別」「外国人問題」など、さまざまな差別が今もあふれています。そんな問題について、知る、考えることが、人権感覚を豊かにする大きな力になります。今日の懇談会などはその大切な機会だと思います。 そして、私たちにとって何よりも「人権」の実践につながるものは「子育て」です。可能性がいっぱいの子ども達の力を信じ、支え続ける事が、何よりも「人権」を大切にしている証(あかし)です。一人一人がもつ個性や能力を存分に発揮し、「夢」をかなえていく子どもを育てていくことが、私たちにとって何よりも「人権」の取組だと思います。 イギリスの批評家であるバーナード・ショーがこんな言葉を残しています。 「人類の発展と幸福に対し、誰にでもできて、最大の貢献は、子育てである」 一人一人の子ども達が、日々、にこにこし、友だちと遊び、自由に学び、おいしく食べ、笑顔いっぱいに安心して育つことを温かく支える家庭や地域、社会をつくる事、それが私たちにできる一番身近な「人権」の実践です。 そんな子ども達の「こころ」や「からだ」そして「いのち」を毎日、懸命に支えていただいている保護者のみなさまは、本当の意味での「人権」の実践者だと考えます。 われわれ学校も、同じ思いで、徹底して子ども達を、そして一人一人の「いのち・こころ・からだ」を、大切にしていきます。 今からの懇談会、どうぞ、あたたかい気持ちになる、そして、子育てに力が湧いてくる時間になりますよう心から期待しています。 |
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