最新更新日:2024/10/18 | |
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第3回京都市高等学校英語プレゼンコンテストに参加
1月29日(土)第3回京都市高等学校英語プレゼンコンテストに本校から8名の1年生が参加しました。テーマは「高校生として関心をもっていること」。生徒たちは自分の関心のあることを英語で伝えるにはどうすればよいのか,という難題に限られた時間の中で精いっぱい挑みました。各々がベストを尽くし,グループプレゼンテーションの部で内林さん・北村さんペアの”MUSIC CAN”が銀賞を受賞しました。
本番前には全参加者が授業や休み時間に友人にプレゼンテーションを披露する機会があり,聴く側の生徒も熱心に耳を傾けていました。参加生徒から学校全体に英語への熱意が広がっていくことを期待しています。 自立する18歳の日!!
1月26日(木)、本日は「自立する18歳の日」です。生徒、教職員ともども、午後5時に完全下校とする日です。自立するための取組や活動をする時間を一人ひとり考え、行動する日です。さあ、今日はどう過ごしますか?
堀川新聞(1月26日発行)編集後記より 「世界の最先端を行く画期的な試みということで、教員・生徒ともに戸惑っている様子も伺えましたが、たくさんの工夫や高い理想も見ることができ、『自立する日』の未来に大きな期待を抱けそうです。堀高生の可能性はまさに無限大だと感じました。」 岡田圭右曰く「閉店ガラガラ!」 道東三四郎曰く、 「この道を行けば どこだっけ 危ぶむなかれ 迷わず行くぞ 行けばいいのだ ルルル ラララ・・・」 京都市会議員さんと交流しました!
12月27日(火)13時より、「議員と話そう!〜京都市立高校生と京都市会議員による意見交換会〜」に、堀川高校生11名が参加しました。
最初に市会及び議員の活動内容の紹介があり、次にグループディスカッションをおこないました。ディスカッションは議員2名と高校生5〜6名で構成した6グループに分かれて行い、議員さんがファシリテーターとなり進められました。 共通テーマは「観光政策:観光客の満足度を向上させるとともに、市民にとっても京都に住んでよかったと実感できるまちを実現する観光政策とは?京都観光の光と影を視野に入れて」とし、小テーマ「魅力ある新たな観光メニューを作成しよう。」「リピーター増加に必要な要素とそれを踏まえた取組を考えよう。」「市民も観光客もともに快適に過ごせるために必要な要素とそれを踏まえた取組をかんがえよう。」の3つに分かれて話し合いました。限られた時間ではありましたが、各グループとも個性的なアイディアを出し、発表していました。 最後は、市会議場に移動して、議員さんとの質疑応答をしました。高校生からの純粋な質問に対して、寺田委員長からのわかりやすく丁寧なお答えがあり、高校生たちは市議会や議員についての興味関心が深まっていました。 文化祭模擬店収益金についてご報告!
例年、文化祭での有志企画による模擬店販売の収益は公益法人に寄付されています。今年度は昨年の12月22日に京都新聞社会福祉事業団「歳末ふれあい募金」へ供出金80,259円を寄付しました。
この取り組みによる募金は、障がいのある人の自立支援や高齢者へのプレゼント、子どものための事業や子育て支援など、さまざまな活動に役立てられます。 ご協力ありがとうございました。 林檎の木の下で
昨年末,JAXAが打ち上げ,「あらせ」と命名された衛星が地球を俯瞰していることに心より敬意を表します。新しい年にあたり,ご挨拶申し上げます。
ずいぶんと前になりましたが「創立記念日」について意外な反響がありました。多くの皆さんが関心を持って,「自立beyod理不尽」について考えていただいたことを非常にうれしく思っています。そんななかで,校内放送の最初に流れた曲は何なのかという質問を複数お聞きしましたので,少しだけお話したいと思います。 原曲は,1905年にIn the Shade of the Old Apple Treeとしてアメリカで発表され,盧溝橋事件,日中戦争が勃発した1937年に日本語訳でハワイアン風にアレンジしてわが国で紹介されたようです。今回流したのは,1992年におおたか清流が発表したシングル盤のB面からのもので,同年の周防正行監督の映画『シコふんじゃった。』のエンディングテーマでもあります。ちなみにA面の「悲しくてやりきれない」(フォーククルセイダーズのカバー)がこの映画のオープニングテーマ曲で,映画のストーリーでは,「理不尽」=「一流企業への就職が内定した学生の卒業の条件として,指導教官が顧問を務める体育会相撲部で試合に出ること」。「beyond理不尽」=「内定していた一流企業を蹴り,大学に残り相撲部再建を主体的に選択」。ブレイクポイントは相撲部OBから謗られる場で「次は勝ってやる」と反発したこと。 今のご時世で,卒論の指導教官が,卒業したけりゃ相撲部で褌をしめて試合に出ろ,はパワハラであって,あり得ないことでしょう。明日から別の学校へ行け,も占領政策だからできたことかもしれません。おそらく,皆さんはこの平和で民主的な手続きが保障される社会で,理不尽を避けていくことは出来ます。しかし,自ら問いをつくるために,困難にチャレンジして自らブレイクポイントを創っていくスリリングな選択も豊かに生きるためには大切だと感じます。大学とは,誰かに評価されるためにあるのでしょうか?高校とは,大学入試や就職を目指す上で失敗や責任を回避するためにあるのでしょうか?違います。学問とは社会の問題を解決するためのテーマや問いの設定,教育とは安全に失敗を経験させるための場でもあります。 いつの間にか,よき大人を育むための教育が,記憶力とパターン認識だけになってしまい,結果的に優秀だけれども指示されないと何もできないマシーンのような人間をつくってしまっては勿体ないと思います。ただし,決して映画のマネをせよいう意味ではありませんので,ご了解を。そして,世の中には「絶対に」などと言い切れる教育はないと思いますのであしからず。 学校長 恩田徹 |
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