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最新更新日:2025/06/30 |
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東九条マダン![]() ![]() 本校も文化祭での展示物などを出展しました。 「勉強 〜意味を考えて〜」 京都市中学校弁論大会![]() ![]() みなさんは、自分がなぜ勉強しているのか、本気で考えたことがありますか。「高校に入るため」「いい会社に入るため」…そんなふうに考えている人もいるのではないでしょうか。私は、考えたことがありませんでした。「勉強は、しかたがないからやる」「勉強は義務だ」と漠然と感じていたと思います。小学校の友達はこう言いました。「勉強っていうのは、将来豊かな生活を送るための、いわば踏み台のようなものだと思う。だから、我慢して勉強するの」そうか、そういう考え方もあるのか。でも、彼女は、今我慢することで、その見返りが手に入る、と言っている。もう少し別の考え方もあるのではないか、と、そのとき私は思いました。これが、私が勉強の意味を考えるきっかけとなりました。それ以後も私は、「義務だ」と感じながら、勉強に取り組んできました。だから、体調がすぐれず、学校に行けないときには、「私はやるべきことをやっていない」と、自分を責める気持ちで苦しくなっていました。 今、私は洛友中学校に通っています。洛友中学校には、私たちが通う昼間部のほかに、夜間部があります。そこでは、様々な事情により学校に通えなかった、三十代から八十代の人たちが学んでいます。その大きな事情というと、やはり戦争や差別が挙げられます。外国籍の方もたくさんいらっしゃいます。中には、日本語を話すのが難しいという方もおられます。私たち昼間部は「交流の時間」に夜間部の生徒さんと一緒に活動したり、授業を受けたりしています。みなさんとても熱心に、楽しそうに学習しておられます。夜間部の生徒さんは、どうしてあんなに楽しそうなのだろう、と私はいつも思っていました。 そんなとき私は、夜間部の生徒さんの文集の中に、こんな言葉を見つけました。「私は、学びたいから学ぶのです」心の底から学びたい、夜間部の生徒さんにそう思わせた勉強は、ものすごく価値と魅力のあるものに違いない。勉強というものへの考え方が、私の中で大きく変わっていきました。それまでの「勉強は義務だ」という考え方が、ひどく狭いものに思えてきました。私の友達は、「勉強は見返りを求めてするもの」と言いました。しかし、夜間部の生徒さんは、勉強そのものを心の底から楽しんでいる。そこが大きな違いなのだとわかりました。 校長先生の「洛友中学校には学びの原点がある」という言葉の意味も、そのとき理解できた気がしました。勉強は人生においてずっと続くものです。だから、義務ではなく、心の底から学びたいと思える勉強を私もしてみたい。それが見つかったとき、私のほんとうの勉強がスタートします。みなさんは、勉強の意味をどのように考えておられますか。人はなぜ勉強するのだと思いますか。私は、まだ答えにはたどり着いていません。けれど、勉強の意味を本気で考えたことで、私は確実に成長できたと思います。 「洛友中学校という場所」「学びたいから学ぶということば」は、私にとって大切な原点です。これからもっと考えて考えて、納得できる答えを必ず見つけたいと思っています。 (中大路指導主事の講評より) 「中学生は勉強することが当たり前。勉強することは将来のため」と考えている人にとっては,彼女の弁論は非常に衝撃的であったと思います。彼女は洛友中学校に通い,夜間部の生徒さんと出会って交流することで,本当は勉強することは価値があり,魅力があることだったと気づいたのですね。そう,将来のためだけではなく,勉強には知る喜びや学ぶ楽しさというものがあると私は思っています。皆さんはどうでしょうか。 見事! 3位入賞(会長賞) しかし,これはあくまで結果。もちろん,彼女は入賞するためにこの大会に参加したわけではありません。自分の思いを語りたい,聴いてほしいという思いで参加し,緊張しながらも楽しんで取り組み,発表することができました。これこそ,夜間部の皆さんの「学び」に通じるものではないでしょうか。私たちは,この発表を通してかけがえのないとても大切なものを得ることができました。本当におめでとう。そして,感動をありがとう! この大会に出ると言った彼女の勇気ある決断に心から拍手を送ります。 |
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