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最新更新日:2025/04/25 |
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H25 合唱コンクール 2年生の部![]() ![]() <H25 2年生 合唱コン結果> 課題曲:「マイバラード」 ・金賞 2年4組 選択曲:「明日へ」 ・銀賞 2年1・7組 選択曲:「旅立ちの時」 ・指揮者賞 2年4組:S・Tさん H25 合唱コンクール 1年生の部![]() ![]() ![]() <H25 1年生 合唱コン結果> 課題曲:「大切なもの」 ・金賞 1年4・7組 選択曲:「きみにとどけよう」 ・銀賞 1年2組 選択曲:「空高く」 ・指揮者賞 1年2組:T・K君 ちょっといい話―141―![]() さて、今日紹介する「ちょっといい話」は、友達の深い優しさを感じることのできるお話です。「幼馴染」というと、お互いに知りすぎていて、特にあらたまっては言わないことも多いのかもしれません。しかし、そんな関係でも心はしっかりとつながっていることを教えてくれるいいお話です。そんな関係をたくさん築いていきたいものです。(「感動する話」より)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『最高の幼馴染』 少し前の話になります。 母が14年間の闘病生活の末、亡くなった。 その母の闘病生活を「家族の様に支えてくれた幼馴染」が二人、僕にはいる。 中学生の頃に病に倒れた母は、入退院を繰り返す日々が続いていた。私は、食事や洗濯物を主婦同然に行っていたが、ある日家のベルがなって玄関の扉を開けてみると、たくさんの食材を持った幼馴染の姿があった。 「俺たちの得意料理を作ろうぜ!!」 と言いキッチンの中へとあがりこむ。 「お前は米を炊いてくれ」 と、言われるがままに米をとにかく炊けるだけ炊いた。二人は慣れないながらにも包丁を一生懸命に使い野菜を切った。メニューは、学校のキャンプで作った事があったばっかりのカレーだ。そこに、色々な本やテレビで調べた調味料を加えていく二人。ソースにチョコレートにヨーグルト、そんな物を入れて本当に美味しく出来るのか不安になったが、僕らはとにかく料理を楽しんだ。 3人で料理を作るなんて初めてだった。3人で作ったカレーの味は一生忘れることの出来ない最高の味になった。カレーを食べている途中で親父が帰って来て、 「父さんにもくれ」 といったので、すぐに用意をすると 「こんなに美味しいカレーは食べたことが無いな。」 そう言って二人にありがとうと伝えてお小遣いを渡そうとしたが、二人は「カレーのおかわりをしてくれればそれでいい。」と笑顔で返した。 そんな二人が母が亡くなった日に本当に家族の様にいつまでも泣きじゃくってくれた。 火葬の日に母と俺たち家族の乗った車をいつまでも、涙を浮かべて頭を下げながら見送ってくれた姿を僕は一生忘れる事は無いだろう。 乳母車で3人並んで写っている頃からの最高の親友だ。ありがとう。 (※写真は、合唱コンのトップバッター「1年2組」の発表の様子です。) さあ!合唱コンクール本番です!!![]() ![]() ![]() 3年生 合唱コン 最終リハーサル![]() ![]() ![]() クラス発表は、各クラスとも選択曲は歌わずに、課題曲を2番まで披露しました。なかなかの完成度でした。選択曲は、明日の本番まで温めておきます。おそらく、会場をあっと沸かせてくれることでしょう!感動の合唱コンクールが、いよいよ明日、宇治文化センター大ホールで行われます。 週末のお忙しい時かとは思いますが、お誘いあわせのうえ、是非ご来場くださいますようお願いいたします。皆様方の子供たちへの温かい激励のお言葉をお待ちしております。 2年生 合唱コン 最終リハーサル![]() ![]() ![]() 1年生 合唱コン 最終リハーサル![]() ![]() ![]() 各クラスとも課題曲と選択曲の1番を歌いました。自分のクラスと比較して、他のクラスの仕上がり具合が気になりました。金曜日はいよいよ本格的なホールでの合唱です。全員の声が大ホール全体に響き渡ります。みんなの力で、春日丘の合唱コンの新たな歴史の1ページを創りましょう! 合唱コンクール・プログラムを「配布文書一覧」にアップしました!
朝・夕は大変過ごしやすくなりました。夏の疲れが出やすい時期です。体調管理には十分に気を付けてください。
さて、「合唱コンクール」がいよいよ今週の13日(金)に迫ってきました。朝の8時に登校して、朝練習に取り組んでいるクラスも出てきました。11日(水)と12日(木)で、学年別の最終リハーサルを行います。いよいよ最終の仕上げになってきました。クラス全員の心を1つにまとめ、感動の歌声をホール全体に響かせてください。本番当日を楽しみにしています!! ちょっといい話―140―
9月7日(日本時間8日)のIOC委員の投票で、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決まりました。早朝のニュースで、歓喜に沸く招致委員の人たちの顔には充実感が漂っていました。その中で、最後に行われたプレゼンテーションが、逆転につながったともいわれています・・・。
特に、パラリンピックの選手である佐藤真海さんのプレゼンテーションに感動しました。佐藤さんは、大学時代に骨肉腫で右膝から下を切断しました。東日本大震災では宮城県気仙沼市の実家が津波の被害にも遭いました。失意のどん底にあった佐藤さんに、生きる希望を与えてくれたのがスポーツでした。人に希望を与えるスポーツの意義を訴え、オリンピックが日本にとってだけでなく、世界にとって重要だ、というメッセージを出したことは、IOC委員の心をつかんだと思われます。 以下に佐藤さんのスピーチ(日本語訳)を紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。 19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。 しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。 ちょっといい話―139―![]() ![]() 今日は身近に起こった「ちょっといい話」を紹介します。朝の忙しい時にもかかわらず、おばあさんを助けるために、打ち合わせをしたわけでもなく、2人が連携して交通整理をしたというお話です。「大切なもの」を優先順位を間違うことなく、常に行動していきたいものですね・・・!(「ちょっといい話」より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日車で出掛けていたところ、片側3車線の大通りの交差点赤信号で停車しました。 停車する先頭には、バイクが2台いました。その時、大荷物を持って横断歩道を渡っている老婆が、足を取られ転倒しました。 ちょうど時を同じくして、車の信号が青になりました。先頭にいたバイクの運転手の一人がバイクを降り、老婆にかけよって荷物を背負い、歩道まで誘導しました。 もう一人のバイクの運転手は、同じくバイクを降りて交差点の真ん中に立ち、老婆が渡り終わるまで車をストップさせていました。 この世知辛い世の中、私の荒んだ心が、ちょっと温められた気持ちでした。 (※ 上の写真は吹奏楽部「定期演奏会」の中での、「3年生引退セレモニー」の様子です。) |
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