昨日の8月6日は,被爆から68年の「原爆の日」でした。午前8時から「広島の平和記念公園」で,「平和祈念式典」が行われました。毎年,この式典を学校の職員室で見ていますが,今年も反戦・平和への誓いを新たにしました。
その式典の中で,広島市の小学生が全世界に呼びかけた「平和への誓い」が強く印象に残りましたので紹介します。
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『平和への誓い』
今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている。
当時3歳だった祖母の言葉に驚き、怖くなりました。
「行ってきます」と出かけた家族、「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。でも帰ってこなかった。
それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。
68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって破壊されました。
体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、
消えることなく、多くの人々を苦しめています。
今、わたしたちはその広島に生きています。
原爆を生き抜き、命のバトンをつないで。
命とともに、つなぎたいものがあります。
だから、あの日から目をそむけません。
もっと、知りたいのです。
被爆の事実を、被爆者の思いを。
もっと、伝えたいのです。
世界の人々に、未来に。
平和とは、安心して生活できること。
平和とは、一人一人が輝いていること。
平和とは、みんなが幸せを感じること。
平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
そのために、
友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。
多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。
方法は違っていてもいいのです。
大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
さあ、一緒に平和をつくりましょう。
大切なバトンをつなぐために。
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この「平和の誓い」は,「自分たちに今できること・・・」を,力強く私たちに訴えかけてくれています。
同じ日の夕方,犠牲者をしのぶ灯篭流しが,原爆ドームに面する元安川で行われました。平和への誓いのメッセージが書かれた灯篭約8千が川面に浮かびました。この灯篭流しに使われている火は,「原爆の残り火」だそうです。この「原爆の残り火」は,原爆投下後の広島でくすぶっていた“火”を,復員兵が故郷の福岡に持ち帰り,家族が平和への思いを込めながら大切に守り受け継いできた“火”だそうです。
被爆された方々の平均年齢は,78歳を越え高齢化が進んでいます。実体験を話される「語り部」の方々も少なくなっています。今後ますます,ヒバクシャの思いを聞く機会が減っていきます。「後世に伝えようとするヒバクシャの思いを,私たちが未来につないでいきたい」と,残り火と共に「原爆体験の継承を・・・」と活動を続けている大学生の代表が話をしていました。
また,同じ日の夜にプロ野球のナイター(広島−阪神戦)が,広島で行われました。結果は,「原爆の日」の本拠地での特別な試合を,広島がサヨナラ勝ちでおさめました。勝利監督インタビューで野村監督がこう語りました。「チームにとっては勝ってうれしいことだけれど,野球が出来る環境に感謝しないと・・・」と,野球が出来る幸せを口にされていました。当たり前に過ごしている今日のこの日を,また特別な思いで考えることの大切さを感じることのできた1日でした。