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最新更新日:2025/07/28 |
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ちょっといい話―138―
昨日から「合唱コンクール」に向けての放課後練習が始まりました。ここ数日間は風も心地よく、夜には秋の虫の鳴き声が聞こえるようになってきました。しかし今日は、グラウンドの北側でセミの鳴き声が響いています。今年の夏は本当に暑かったですね。そんな暑い夏休みにあった「ちょっといい話」を紹介します(「ちょっといい話」より)。命を救ってくれただけだけでなく、生き方までも変えてくれたおじさんの奥深さに感謝です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【海水浴】 小学校3年生の時、海に行って溺れた。 親は大人同士で話をしていて、気づいてくれなかった。 胸くらいの深さの所を歩いていたら、急に深くなって(2mくらい?)突然沈んでしまって、あとはもがいてももがいても出られなかった。沢山水を飲んでしまって、頭の遥か上の方に水面が見えて苦しくて「もう死ぬんだな」と子供心に思ったその時、身体を掴まれて水から引きずり出された。 知らないおじさんが助けてくれた。足の付く深さまで来たらおじさんが言った。 「砂浜まで連れてってやることも出来るけど、それだとあんたは 一生、海が怖くなるから、手を持っててやるからバタ足して自分で帰れ」 苦しかったけど、おじさんに手を引かれて自力でバタ足で浜辺までたどり着いた。見たらもうおじさんはどこにもいなかった。あの時のおじさん、ありがとう。お陰で、海も水も怖くならなくて済んだよ。中学校では水泳部に入ったよ。 大して泳ぐのは早くなかったけど、泳ぐのが大好きになったよ・・・! ちょっといい話―137―
大リーガー・イチロー選手が、8月21日(日本時間22日)のブルージェイズ戦で、日米通算4000本安打(ヒット)を打ちました。歴史上3人目の大快挙でありました。イチロー選手は、プロ野球のオリックスに在籍した9年間で1278本のヒットを、大リーグでは移籍13年目で2722本のヒットを打って、節目の通算4000本の記録に到達しました。
その後のインタビューが、イチロー選手らしいといえばそうなのですが、奥の深い感動的な内容でしたので紹介します。 ☆イチロー選手 談: 「感動は記録が作るものではなく、チームメイトや観客が特別な瞬間を作る」 あと17日と迫った「合唱コンクール」。イチロー選手の言葉を借りて言うならば、金賞を取ったから「よかった」というのではなく、クラスみんなの心が1つにまとまったので「感動した!」となるのでしょう。また、遠い会場まで駆けつけてくださった保護者・地域の方々、そしてここまで支え励ましてくれた先生方の存在に気づくことで、より感動も深まると教えてくれているように思うのです。 ☆イチロー選手 談: 「4000本のヒットを打つために、8000回以上の悔しい思いをしてきている。その中で、常に自分なりに向き合ってきたという事実はある。誇れるとしたらそこではないかと思う・・・」 打率3割のイチロー選手。4000本安打を重ねた背景には、8000本の挫折があったのです。正確に言うと、8125回のアウトがあったのです。あの才能あふれたイチロー選手でさえ、倍以上の失敗を繰り返してきたのです。そしてその失敗に決してあきらめることなく真摯に向き合い、常に最大限の努力を重ねてきたイチロー選手。その姿勢には、本当に頭が下がります。自分に常に厳しくあり続けたイチロー選手が、「自分を誇りに思う」と胸を張って言っている姿に深く感動しました。そして更に、こう続けています・・・ ☆イチロー選手 談: 「これからも失敗を重ねていって、たまにうまくいく、というのを繰り返していくと思います・・・」 イチロー選手のその言葉に、また勇気をもらいました。感動をありがとう!そして、おめでとう!イチロー選手!! 夏休み課題テスト 受験風景![]() ![]() ![]() さあいよいよ今日から、放課後の合唱練習が始まります。昨日は合唱の順番を決める抽選会が行われました。どんどんと学校全体が「合唱コン」の雰囲気になっていきます。みんなで、「歌声の響く学校」を目指していきましょう!! いよいよ始まりました!いいスタートが切れました!!![]() ![]() 全校集会のはじめに、吹奏楽部と相撲部の表彰がありました。他の部も頑張りましたが、みんなでその頑張りを称えました。 校長先生のお話、川坂先生のお話、生徒会からの連絡、みんなの顔がしっかり上がりメリハリのある集会ができました。大変いいスタートが切れたと思います。来週から授業も始まります。様々な取組もあります。これからの取組の大きな成果が期待できる本日の全校集会でした。 H25 三校合同研修会![]() ![]() ![]() 全体会では、第5代春日丘中学校長であられた「廣瀬忠愛」先生からのご講演をいただきました。本校地域で長くご活躍された先生からのお言葉に、参加者一同は深く感銘していました。 全体会の後は、6つの分科会に分かれて各校の取組を報告し合いました。9ヵ年の義務教育で、確かな学力と逞しく生き抜く力を身につけるために、今後も小学校と中学校とで連携を深めていきます。暑い中でしたが、廣瀬先生をはじめ、教育委員会から指導助言に来られた先生方、大変お世話になりました。夏休み明けの明日から、研修で学んだ成果を早速活かしていきたいと考えています。 第59回 山科少年ソフトボール大会![]() ![]() ![]() 本校校区からは、日野・春日野支部から精鋭たちが出場しました。日野支部の1試合目の相手は山階南支部でした。打ち合いの末、9−12で惜敗でした。一方、春日野支部の相手は小野支部でした。相手のピッチャーがソフトボール部の本格的な選手で、そのスピードにてこずり、残念ながら3−7で負けてしまいました。 猛暑日の暑い中でしたが、笑顔がたくさん溢れた楽しいソフトボール大会でした。関係者の皆さん、暑い中色々とご支援をいただきありがとうございました。 相撲部 全国大会(3)![]() ![]() ![]() 相撲部 全国大会(2)![]() ![]() ![]() 相撲部 全国大会(1)![]() ![]() ![]() 個人戦では、本校からO・K君とO・H君の2名が出場しました。結果は残念ながら、2人とも1勝2敗で決勝トーナメントへは進むことが出来ませんでした。しかし、粘り強い精神力で、自分より大きい相手に果敢に挑んでいました!! 8月9日 長崎原爆の日 68回目の夏![]() 8月6日の広島に続き長崎でも,68回目の「原爆の日」を迎えました。3年生が6月に行った修学旅行では,平和公園に実際に足を運び黙祷をささげました。原爆犠牲者への祈りと共に、一瞬にしてすべてを奪った原爆への怒りを新たにしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 最高齢95歳の語り部尾畑さんのお話 −「惨状を伝えんば」(毎日新聞)− 平和祈念式典で「献水」役を務めた尾畑正勝さん(95)は、長崎の被爆者で「最高齢」の語り部さんです。68歳の頃から語り始め、今でも修学旅行生たちに年30回も講話をされています。 「いくつになろうとも、あの日の渇きや、この目でみた惨状を伝えんば・・・」 猛暑に負けないしっかりとした足取りで登壇し、焼け野原で水を求めて亡くなった原爆犠牲者に清らかな水をささげました。 尾畑さんは、語り部活動をする長崎平和推進協会継承部会の中での最高齢者です。原爆に遭ったのは27歳。爆心から約1・5キロの工場で作業中でした。突然、青白い閃光(せんこう)に包まれ、とっさにうずくまると、ごう音と共にスレート屋根の破片やガラス片を背中に受けました。しばらくして起き上がると、鉄骨のみが残る建物、ぺしゃんこになった木造事務所、全身を焼かれ真っ赤な肉の塊となりぼうぜんと歩く同僚たち…。 「全てを焼き尽くされ、一滴の水を求めて死んでいった仲間の姿が忘れられんですよ」。 尾畑さんの父親は広島の造船所で被爆し、長崎に戻ってきましたが、まもなく他界されたそうです。退職後、同継承部会などで語り部となり,「亡くなり、語ることができなくなった人の代わり」となり、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを伝えてこられました。 語り部を始めた68歳の頃、長崎の反核運動を引っ張り、今年7月に亡くなった山口仙二さん(享年82)に言われた言葉が忘れられないといいます。 「被爆者が語り継ぐことが反戦反核に結びつく」。 その言葉を励みに、ピーク時には年80回、小中高校生に講話してきました。自宅には、全国各地の学校から届いた感謝状や感想文が飾られています。「長崎を最後の被爆地に・・・」尾畑さんの強い思いは,この言葉に集約されています。 |
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