最新更新日:2024/12/20 | |
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小学6年生 授業体験&学校紹介
2月21日(木)羽束師小・神川小・久我の杜小の6年生の皆さんが神川中学校で13コースに分かれて授業を体験しました。また体育館での生徒会本部によるオリエンテーションでは、神中○×クイズや寸劇、ファッションショー、部活動VTRなど、盛りだくさんの内容でした。少しの時間でしたが、楽しい時間を過ごし、中学校の雰囲気を経験できたのではと思います。
進路保護者会
2月19日(火)、進路保護者説明会が体育館で開かれました。平成26年度選抜から、公立高校の教育制度・入試制度が変わります。現在の中学2年生から新しい入試制度が実施されることから、おもに2年生の保護者対象に説明会が開かれ、約120名の保護者の方が参加され、熱心に話を聞かれていました。
給食試食会
2月14日(木)新入生の保護者を対象に給食試食会が行われました。61名の小学6年生の保護者が参加され、給食を試食しました。全員が完食し、残した保護者はいなかったそうです。また、給食を申し込む場合は“お箸”を持ってくる必要があることや、牛乳パックのたたみ方などの説明もありました。
サンタプロジェクト 報告
1月22日(火)終学活で、岩手でのサンタプロジェクトの様子が放映されました。岩手へは、1年からは二木、四方、浜岡、小山、石原先生、2年生から濱中、山本先生、3年から森戸先生が参加しました。一方、京都へ避難してきている子どもたちの所へは伊さき先生がサンタになって、プレゼントを届けました。また、神中の先生方の被災地での取り組みは岩手放送でも放映されたそうです。改めまして、ご寄付という形でご支援下さった、保護者の皆様方に、お礼申し上げます。
避難訓練
1月21日(月)6限目、学校周辺から出火、火災が起こったという想定で、今年度2回目の避難訓練が行われました。新校舎の非常階段を使って避難する生徒や、グランドを走って避難する生徒など、真剣に取り組んでいる様子が見られました。
今年最後の全校集会
12月21日(金)オムニコートで今年最後の全校集会が行われました。集会では、サンタプロジェクトで岩手県にサンタクロースとしていく先生方が紹介されました。また、生徒会からは「今年の神中を振り返って漢字一字をアンケートとして書いてもらいました。その中から『咲』という漢字を選びました。理由は3つあります。1つ目は、1人1人が花のように、それぞれの伸び方で成長すること、咲くことができたからです。2つ目は、目指す学校像にある、ひまわりの花を咲かすことに目標として頑張ってきたからです。最後の3つめですが、実は『咲』という漢字には、こんな元の漢字があります。この漢字は“口”と顔をほころばせて“わらう”の意味をあらわします。このことから3つ目は笑顔があふれた1年だったからです。目指す学校像のひまわりの花をさかせるには、土や良い肥料・水・太陽が必要です。その中でも太陽はとても大きな存在だとおもいます。私たちはその太陽という光を目標として向かっていけました。でもまだ完璧な花は咲いていません。残りの3カ月できれいな花を咲かせましょう」というアピールがありました。
たくさんの募金が集まりました
12月22日〜24日の3日間、岩手県の三陸沿岸の被災地を中心にサンタクロースに扮したボランティアが100人集結し、被災された方々にクリスマスプレゼントを配ります。本校生徒会もその趣旨に賛同し、11月から3回にわたって全校生徒への支援の呼びかけを行ってきました。みなさんの温かい支援の結果、214080円もの募金が集まりました。神中の先生方もサンタクロースになって岩手県に行きます。ご協力いただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。
2年人権学習の講演
12月3日(月)3,4限目、龍谷大教授の李洙任(リースーイム)さんを招いて、2年生を対象にして、人権講演会が開かれました。李さんは日本に生まれ、大学卒業後はアメリカに留学し、そこでイラン人の男性と結婚し、現在日本に住んでいる在日コリアン3世として数々の貴重な体験をされて来ました。講演では先生や生徒からの質問にもユーモアを交えながら丁寧にわかりやすく話しをして頂きました。
地域一斉クリーン活動(地域美化ボランティア活動)
11月28日(水)、テスト終了後、本校の部活動に参加している1,2年生が地域美化ボランティア活動として、地域の方と共に地域一斉クリーン活動を行いました。各部毎に清掃区域にわかれて、熱心に清掃活動に取り組みました。
1年人権学習の講演と公演
11月29日(木)5,6限、1年生の人権学習として、青野浩美さんの講演と公演「私“前例”をつくります−気管切開をした声楽家の挑戦」が開かれました。青野さんは、声楽を専攻し歌の道に進んでいた最中に、原因不明の病気で突然手足が動かなくなりました。翌年には無呼吸発作が起こるようになり、呼吸を維持するためには気管切開をし、人工呼吸器を使わなければ命が危険な状態に。「命を守るために気管切開が必要」とわかっていても声楽家にとって声は命。声が出なくなるかもしれないと悩んだ末に、手術を決断、周囲の支えもあり美しい声を取り戻した青野さんは、のどに器具をつけながら歌う“前例のない”歌手として活躍し、その歌声は多くの人を感動させています。
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