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最新更新日:2025/07/17 |
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200m
コーナーリングがかっこいいですよね
![]() ![]() ![]() 男子100m
緊張のスタートです
![]() ![]() 女子100m
スタートが勝負です
![]() ![]() 第60回京都市中学校秋季陸上競技大会![]() ![]() ひとりごと 15![]() 平成24年度がスタートしてちょうど半分がすぎようとしています。週が開けると10月で,折り返しになります。この半年はどうでしたか。1年生は,中学校へ入学しての半年なわけですが,中学校はどうですか。 今朝も爽やかな朝を作りに校門に立ちました。気候の移り変わりの時期で,マスクをしながら登校してくる生徒が目立ちます。それと,いつも一緒に来るのに,今日は一人少ないな。というグループもいます。「あれ? 今日は一人少ないんや」と私。「朝迎えに行ったけど,しんどいみたいで遅れてくるって」と生徒。なんとか朝の出会いの時に,少しでも話しをして関係を作りたいなと思い,いろいろ観察をして生徒に言葉をかけます。その甲斐もあってか,少しずつ生徒の方も話をしてくれるようになりました。朝の出会いが,昼休みや放課後に広がっていきます。 前に部活動は夏休みを乗り越えるのが一つの山ですと書きました。人間関係はこの冬休みまでが勝負です。生徒の心の中に「登校しづらな」という気持ちが芽生えてくるのも5月の連休明けと,夏休みが開けてから冬休みまでの行事の時期です。私に話しかけてくれる生徒の中にも,学校での人間関係に少し悩みを持ち始めた生徒や,人間関係にしんどくなっている友達がいると話してくれる生徒もいます。 「学 校」 学校はおもしろいところです 学校は何でも教えてもらえるところです 学校はちょっぴりつかれるところです 学校は先生が親切です 学校は一番いいところです 学校は夢があるところです 学校は宝物があるところです 学校は勇気をつけられるところです 学校は私たちふるさとになるところです これは,東京の荒川第九中学校夜間部卒業生が書いた「学校」という詩です。山田洋次監督の同名の映画「学校」で紹介されました。私はこの詩が大好きです。学校という言葉の響きも大好きなのですが,この詩の中に描かれている「学校」は,私の心の中にある「学校」とぴったりなのです。それは,私が児童・生徒として過ごしてきた「学校」もですし,教師としてこれまで働いてきた「学校」像です。 この詩の中の学校は生きています。物を与えてくれる学校ではなく,人が繋がって,他の人と関係を持つことから生まれるしんどさや嬉しさなどを与えてくれる,血の通った学校です。人が人と関わることは簡単な事ではありません。それは努力をしないと成立できないことです。そのことを,学校生活真っ只中の生徒諸君に,心に留めておいて欲しいのです。私たちは人との関わりの中で生きています。その関わりを保つことは,お互いの絶え間ない努力なしではありえないのです。だからこそ,繋がりは深く,強くなっていくのです。そうして生まれた関係が「親友」と言われるものです。「親友」は,何のしんどさも,努力もないところでは,決して生まれてきません。だからこそ「親友」は「宝物」なのです。 平成24年度折り返し。回りを見つめてみよう。台風17号が通り過ぎる折り返しになるかもしれませんが。 天高く!
今日の2限に,5組の収穫を取材していると,元気な声がグラウンドから聞こえてきました。ついついその声に誘われて覗いて見ると,今日は2年生の2組と3組が体育の授業でした。突き抜けるような,真っ青な空です。気持ちのよい風も吹き「スポーツの秋」本番という感じです。
行進練習に継いで,定番のムカデ競争の練習です。これで全学年のムカデ競争の練習を見たのですが,見事なくらい1年より2年,2年より3年が格段にうまいです。当たり前のように思うのですが,でもこのムカデ競争は,体育祭の時期のみの季節限定です。それこそ四六時中練習をしているのならわかるのですが。この季節限定の種目が,見事にうまくなっているのは驚きます。それも「ちょっとうまい」ていうレベルではないのです。 1年生は,ヨチヨチ歩き。2年生で早歩きから駆け足。3年生は疾走し,迫り来る感じです。さあ,体育祭まであと10日です。楽しみです。 ![]() ![]() ![]() 収穫の秋![]() このさつまいもは,焼き芋になるのかな?吹かし芋になるのかな? ![]() ひとりごと 14![]() 夏休みが終わり一ヶ月が経ちました。体育祭や文化祭の取組が本格化してバタバタと動き回る先生方を羨ましく眺め,体育部の秋季大会の応援で黒さが増してきた腕と顔と頭皮が私の少しの自慢です。ふと気がつくと一日が終わり,一週間が終わります。先日の日曜日に少し遅めにお風呂にはいったのですが,湯船につかりふとあることに気がつきました。虫の鳴き声が窓の外から聞こえてきたのです。日中はまだまだ暑く,日焼けも進行中なのですが,いつの間にか季節は進んでいたのです。そういえば,朝の校門でもセミの鳴き声がなくなっていました。「昔はもうすこしゆっくりと季節が進んでいたように思うんやけど」と思うのは私だけでしょうか。最近,春と秋が,特に秋が短いというか無くなってきているのではと感じています。「先週まで暑かったのに,今週は寒い」と感じたのが,確か一昨年の秋だったと記憶しています。気候がそうなっているのでしょうか。俗に言う「異常気象」のせいなのでしょうか。確かに気象が特異な状況で進む年もあると思いますが,私たちの生活が「季節の変化に気づく」余裕をなくしているということはないでしょうか。少しずつの変化は起こっているのでしょうが,そのことに気づかずに「ふと気づくと」となっているのではと思うのです。温度が管理された部屋や,旬がなくなった食べ物,太陽の動きと関係なく進む仕事などなどの環境の変化。 私はこの間とても体調の優れない時があり,そのとき真夏なのに汗が全く出なくなりました。暑いのに寒いのです。大なり小なり,季節の変化を感じ取れない肌になってしまっている自分にびっくりしました。これって年のせいだけなのでしょうか。確かに,季節の進むスピードが,例年に比べて進むスピードが早い時はあるかもしれませんが,一気に夏から冬,冬から夏へは飛びません。必ず自然は移行期間を持っているはずだと思うのです。 この感覚が子供を見つめる目にも現れてきたら怖いですよね。「あの子,急に言葉が荒くなった」「急に挨拶しなくなった。急にタバコを吸うようになった。急に暴力的になった。急に夜に出歩くようになった」等など。本当に「急に」なのだろうか。私たちが季節の移りかわりりに鈍感になってしまっているように,子供たちの変化に鈍感になってしまっているとしたら,とっても怖いことです。「ふと気がつくと」に陥っていたら。ましてや「これは忙しさのせいや」「環境の変化のせいや」では済まされないことです。う〜ん。反省しきりです。 お風呂にはいり,虫の音に耳を傾けながら,そんなことを考えてしまいました。やっぱり「少しずつの季節の変化を感じられる感性でいたい」し「少しずつの子供たちの変化に気づける関係,感性を持ち続けたい」と。 かのマザーテレサがこんなことを言いました。「人類にとって愛情の裏返しは,怒りや憎しみやではない。それは無関心です」と。自戒する私です。 男子テニス部の団体戦が終わりました
男子テニス部の予選リーグ最終戦(対桃山付属中学校)が終わりました。結果は0−3でした。
これで,1勝3敗で惜しくも決勝に進む事はできませんでした。たくさんの保護者の方々の応援をいただき,ありがとうございました。まだ,個人戦もあります。引き続きの応援をよろしくお願いします。 ![]() ![]() ![]() 男子テニス 途中経過
第1試合 対:衣笠中学校 1−2 ×
第2試合 対:花山中学校 2−1 ○ 第3試合 対:下京中学校 1−2 × 3試合を終了した現在,1勝2敗です。5チーム中3チームが決勝に進出できるのですが,最終戦に全てをかけます。 最終戦は,すぐこの後,付属桃山中学校との対戦です。 ![]() ![]() ![]() |
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