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最新更新日:2025/07/05 |
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天高く!
今日の2限に,5組の収穫を取材していると,元気な声がグラウンドから聞こえてきました。ついついその声に誘われて覗いて見ると,今日は2年生の2組と3組が体育の授業でした。突き抜けるような,真っ青な空です。気持ちのよい風も吹き「スポーツの秋」本番という感じです。
行進練習に継いで,定番のムカデ競争の練習です。これで全学年のムカデ競争の練習を見たのですが,見事なくらい1年より2年,2年より3年が格段にうまいです。当たり前のように思うのですが,でもこのムカデ競争は,体育祭の時期のみの季節限定です。それこそ四六時中練習をしているのならわかるのですが。この季節限定の種目が,見事にうまくなっているのは驚きます。それも「ちょっとうまい」ていうレベルではないのです。 1年生は,ヨチヨチ歩き。2年生で早歩きから駆け足。3年生は疾走し,迫り来る感じです。さあ,体育祭まであと10日です。楽しみです。 ![]() ![]() ![]() 収穫の秋![]() このさつまいもは,焼き芋になるのかな?吹かし芋になるのかな? ![]() ひとりごと 14![]() 夏休みが終わり一ヶ月が経ちました。体育祭や文化祭の取組が本格化してバタバタと動き回る先生方を羨ましく眺め,体育部の秋季大会の応援で黒さが増してきた腕と顔と頭皮が私の少しの自慢です。ふと気がつくと一日が終わり,一週間が終わります。先日の日曜日に少し遅めにお風呂にはいったのですが,湯船につかりふとあることに気がつきました。虫の鳴き声が窓の外から聞こえてきたのです。日中はまだまだ暑く,日焼けも進行中なのですが,いつの間にか季節は進んでいたのです。そういえば,朝の校門でもセミの鳴き声がなくなっていました。「昔はもうすこしゆっくりと季節が進んでいたように思うんやけど」と思うのは私だけでしょうか。最近,春と秋が,特に秋が短いというか無くなってきているのではと感じています。「先週まで暑かったのに,今週は寒い」と感じたのが,確か一昨年の秋だったと記憶しています。気候がそうなっているのでしょうか。俗に言う「異常気象」のせいなのでしょうか。確かに気象が特異な状況で進む年もあると思いますが,私たちの生活が「季節の変化に気づく」余裕をなくしているということはないでしょうか。少しずつの変化は起こっているのでしょうが,そのことに気づかずに「ふと気づくと」となっているのではと思うのです。温度が管理された部屋や,旬がなくなった食べ物,太陽の動きと関係なく進む仕事などなどの環境の変化。 私はこの間とても体調の優れない時があり,そのとき真夏なのに汗が全く出なくなりました。暑いのに寒いのです。大なり小なり,季節の変化を感じ取れない肌になってしまっている自分にびっくりしました。これって年のせいだけなのでしょうか。確かに,季節の進むスピードが,例年に比べて進むスピードが早い時はあるかもしれませんが,一気に夏から冬,冬から夏へは飛びません。必ず自然は移行期間を持っているはずだと思うのです。 この感覚が子供を見つめる目にも現れてきたら怖いですよね。「あの子,急に言葉が荒くなった」「急に挨拶しなくなった。急にタバコを吸うようになった。急に暴力的になった。急に夜に出歩くようになった」等など。本当に「急に」なのだろうか。私たちが季節の移りかわりりに鈍感になってしまっているように,子供たちの変化に鈍感になってしまっているとしたら,とっても怖いことです。「ふと気がつくと」に陥っていたら。ましてや「これは忙しさのせいや」「環境の変化のせいや」では済まされないことです。う〜ん。反省しきりです。 お風呂にはいり,虫の音に耳を傾けながら,そんなことを考えてしまいました。やっぱり「少しずつの季節の変化を感じられる感性でいたい」し「少しずつの子供たちの変化に気づける関係,感性を持ち続けたい」と。 かのマザーテレサがこんなことを言いました。「人類にとって愛情の裏返しは,怒りや憎しみやではない。それは無関心です」と。自戒する私です。 男子テニス部の団体戦が終わりました
男子テニス部の予選リーグ最終戦(対桃山付属中学校)が終わりました。結果は0−3でした。
これで,1勝3敗で惜しくも決勝に進む事はできませんでした。たくさんの保護者の方々の応援をいただき,ありがとうございました。まだ,個人戦もあります。引き続きの応援をよろしくお願いします。 ![]() ![]() ![]() 男子テニス 途中経過
第1試合 対:衣笠中学校 1−2 ×
第2試合 対:花山中学校 2−1 ○ 第3試合 対:下京中学校 1−2 × 3試合を終了した現在,1勝2敗です。5チーム中3チームが決勝に進出できるのですが,最終戦に全てをかけます。 最終戦は,すぐこの後,付属桃山中学校との対戦です。 ![]() ![]() ![]() 筆者の独り言 13![]() 「トイレには女神様がいる」とかいう歌が流行りましたね。あの歌が流行っていた頃,本当にトイレに女神様がいて,トイレをひたすら綺麗にしている人たちを愛しんでくれているように思えてきました。 私が野球部の顧問をやっていた頃,一緒に指導に当たっていた顧問と,夕方の生徒が帰ったグラウンドで話をすることがよくありました。夏の暑い中での練習を終え,夕日に染まるグラウンドを眺めながら話をしていました。「いつもこんな時思うんやけど,グランドには神さんがいるやんな」と私。「そうですね。僕もそう思います」と彼。 天気の良い爽やかな土曜日。グラウンドとテニスコートでは男子テニス部の予選リーグが行われ,体育館では男女のバレー部が,大会を目前にしての気迫のこもった練習試合。音楽室では体育祭での演奏や,演奏会を控えて,吹奏楽部が練習。そして,グラウンドでは予選リーグを惜しくも突破できなかった野球部が,グラウンドに這いつくばって,丁寧に丁寧にグラウンドを整備しています。「ここで僕たちは必死に頑張った」ことを確認するように生徒たちは,丁寧にグラウンドをならしていました。 私は,授業中の教室や,グラウンドや体育館,柔道場等に出入りするとき,つい頭を下げて一礼をしてしまいます。動作としてはあらわさなくても,心の中では必ず一礼をしてから入ります。「ねばならない」という事ではありませんが,私の中で「そうしたい」と思える何かがあります。それは,自分がそうであったし,指導する立場になってたくさん出会ってきた,生徒のひたむきに頑張る姿と汗と,そして悔しさと誇りが詰まった場所であると思っているからです。 「カッコよくスマートに勝つ」ことより「泥臭く,ひたむきに歯をくいしばり勝ちを目指す」ことが,また「倒れずに涼しげに走り抜ける」より「倒れても,倒れても立ち上がろうと頑張る姿」が私には「カッコよく」見えるし,その子たちが汗を流すグラウンドや体育館や道場には,やっぱり「神さんがいる」と思うのです。 さぁ,生徒の頑張りを見に,テニスコートへ行ってこよう。 いてもたっても![]() ![]() ![]() 3組も昨日よりパワーアップしていました。いったいいつ練習しているのでしょうね。後ろから,あるいは先頭から大きな声で掛け声をかけ,それに答えるように全員が声を出し足を合わせる。だんだん気持ちが揃ってきた証拠ですね。誰がサボってもだめな競技。決して足など早くなくてもいい。ただただ声と足と気持ちを合わせる。単純だけれど難しいんですよね。 不思議な出会い
今さっき,ある女性が職員室を訪ねてこられました。手には,昨年度女川第1中学校へ送った,俳句の入った貼り絵のはがきを持っておられました。この女性は,昨年度,現2年生が1年生のときに行った「いきいきトーク」に参加してくださった女性で,京都にお住まいなのですが,ボランティア活動も熱心にされておられるそうです。「内モンゴル支援隊」というグループで活動をされているそうです。
実は,昨年度のいきいきトークの時,内モンゴルの学校での支援の事を話され,それに対して,本校の生徒が女川第1中学校との交流の話を返し,その時に贈った絵葉書の説明をしたらしいのです。その女性は,このはがきをモンゴルの学校へ持って行ってプレゼントする事を約束され,留学生に頼んで絵葉書に俳句の訳を頼み,モンゴルの言葉で翻訳したのだそうです。 ところが,最近の両国の緊張関係が影響をし,内モンゴルに行く事ができなくなった事を,わざわざ伝えに来てくださり,携える事のできなかった絵葉書を返しにこられたのです。 いろいろなところで,いろいろな繋がりができ,色々な事が影響を受けている。不思議な出会いでした。 ![]() ![]() ![]() 生徒のいる所,担任がいる!!
今日の4限目は,1年生1組と3組の体育の授業でした。昨日は3年生のムカデ競争の取材に行って「さすが3年生やな」と感心しきりでした。今日は1年生と言うことで,初めての大ムカデ体験。どうなっているのか興味津々でグラウンドを覗いて見ました。
この時期,体育祭や文化祭や合唱コンクールと,クラスで取り組む行事が目白押しです。私も担任をしていた頃はわくわくしていた季節です。「この行事を通して,この取組みや活動を通して,生徒にどんなことを伝えたいのか。何を感じ取って欲しいのか。」そして「やり終えた時にどんな風に成長していて欲しいのか」を考えます。するとじっとしていられずに,授業が空いていると,グラウンドを覗いてみたり,音楽室を覗いてみたりしたものです。 今日のグラウンドは・・・・。 いたいた。 いいなぁ担任。 ![]() ![]() ![]() 筆者の独り言 12![]() 私の両親は,時代を先取りしていたのか当時にしては珍しく共稼ぎでした。ですから幼稚園や学校から帰るのは自分の家ではなく,近所のお年寄りの家でした。3人姉弟は,別々の家に預けられていましたので,別々の所へ帰って,母が帰宅する頃にようやく家に帰るのが普段でした。私たち3人姉弟はお爺ちゃん子,お婆ちゃん子として育ちました。 お婆ちゃんは知恵の宝庫でした。色々な事を教わりました。そんな中で今でも頭の中にしっかりと刷り込まれているのが「若い頃の苦労は,買ってでもしろ」です。いつの日か「若い頃の」という部分が記憶から消えて,「苦労は買ってでもしろ」だけが残っています。物事を判断したり,方向に迷ったときは,それこそ迷わずに「しんどそうな方,めんどくさそうな方」を選択しようとしてきました。私も聖人君子ではありませんので,少しでも楽をしたいし,好き好んで苦労を背負い込みたくはありません。でも,後から振り返って見ると,悲しいかな,やっぱりお婆ちゃんの言葉はしっかりと刷り込まれているのを確信してしまうのです。 世の中が便利になり,個別化が進んできました。個人の電話,個人のテレビ,一人遊びできるゲーム機などなど。わりあい買い与えやすい金額で個別化するためのツールが溢れています。問題の解き方を教えるより答えを教えるほうが簡単だし,火傷をしない方法を教えるより,ストーブをエアコンにするほうが簡単です。手を切らない方法を教えるよりレトルト食品を与えるほうが簡単です。めんどうくさい人間関係を,丁寧に繋いだり,関係を修復していくより,新しい関係を探したほうが簡単です。駄々をこねて泣き叫ぶ子どもを納得させるより,物を買い与えて泣き止ませる方が簡単です。 お婆ちゃんの教えは,過去の遺物になってしまったのでしょうか。今の時代にはあてはまらないのでしょうか。面倒くさいことより効率的に。しんどいことより楽な方法に。確かにそれも真実だと思います。でも,子育てや教育,人づくりは,やっぱり「めんどうくさい」ことの繰り返しだし,ある意味「しんどい」ことなのではないでしょうか。 秋,実りの秋,スポーツの秋,行楽の秋, 学校も家庭も地域も,さまざまな行事があります。学校でも,秋の大会,演奏会,文化祭,体育祭,地域行事など,昔から受け継がれている行事がたくさんあります。その行事は,企画する方も参加する方も「めんどうくさい」し「しんどい」ことなのかもしれません。でも,あえて時間と手間をかけて取り組んでいくことで人は育ちます。子どもたちが,人として育っていく機会です。私たち大人が,もくろみを持って子どもたちに仕掛ける。そして,丁寧に手間をかけて子どもたちに関わって行く事が大切だと思います。それを意識して取組みを進めたとき,「実りの秋」はやってくるのだと思います。たくさんの豊かな実りを信じて頑張りましょう。 |
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