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最新更新日:2025/06/19 |
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『授業の様子をいくつか』育成学級
育成学級では、数学の学習が行われていました。
説明が終わって、練習問題を解くようになると、何とまあ、すごい集中力。 正直に言いますが、たいへん驚きました。 途中で、PTAのお母さん方が入ってこられました。 子どもたちが作ってプレゼントした「牛乳パックの小物入れ」のお礼に来られたのです。暫くの間、楽しいやりとりもありました。 ![]() ![]() ![]() 『授業の様子など』1年社会
「これ食べてみたい人、いますか。」
授業開始早々先生が言われました。 流石に1年生。たくさんの人が名乗りをあげ、たちまち教卓の周りは人だかりができました。一口舐めてみて、「なになに?」「あー、分かった!」など口々に話していました。 カカオ豆だったそうです。 今日は、カカオ豆がたくさんとれる地域の学習でもしたのでしょうか。 ![]() ![]() 『授業の様子をあれこれ』
次に、1年生の音楽です。
合唱コンクールに向けて早くも練習が始まっています。このクラスは、かなり進んでいるのではないかと感じました。 この時期で、これだけ歌えれば大したものです。 「このクラスが1年を引っ張って行っください。」そう言って激励しました。 ![]() ![]() ![]() 『授業の様子あれこれ』1年理科
3〜4時間目に各教室を見て回りました。
ユニークな授業、感心させられた授業などを紹介していきます。 先ずは、1年理科です。 理科室で、体積を測る実験をしていました。 ![]() ![]() ![]() 『鏡山校 道徳研究授業』
午後からは、鏡山小学校の授業を見に行きました。
本校は今年度、鏡山小学校、陵ケ岡小学校と共に道徳教育の研究に取り組んでいます。そんな関係で、鏡山校の研究授業に行ってきました。 対称は、1年生。授業者は岡嵜千穂先生でした。 とてもよく計画・工夫され、児童も大変よく活動した素晴らしい授業でした。こういう風に鍛えられた児童が本校に来てくれたら、今後の花山中も安泰です。 その後は、研究協議会にも参加させてもらいました。 ![]() ![]() ![]() 『菜園苗の植え付け』3年生その2
作業の終わった人たちは、やっぱりカメラの前でポーズ!
この笑顔が花山中のシンボルです。 ![]() ![]() ![]() 『菜園苗の植え付け』3年生その1
3年生は、慣れているせいもあって、あっという間に終わってしまうクラスもありました。クラスによっては、時間を掛けてその場で活動することを楽しんでいました。
![]() ![]() ![]() 『菜園苗付け』1年その1
今日の午後から、菜園に秋・冬野菜の苗を植えました。
これから徐々に育っていくのを楽しみにしたいと思います。 それにしても、みんな楽しそうに活動するものです。 ![]() ![]() ![]() 『おまけ』
休み時間には、生徒たちの様々な様子を見ます。
長いすで寝転ぶ生徒が居てもOKです。その上に乗っかる生徒も、相手が許せばOKです。くれぐれも、怪我をしないようにね。 1年生の男子がシャープペンシルと定規とを使ってゲームをしていました。はじめて見るゲームです。ルールを説明してもらったのですが、いま一つ理解できませんでした。彼らは楽しそうにやっているのですが…。 ![]() 『東山を西に見て』〜Make legend〜![]() 「校長先生へ お久しぶりです。先生は元気ですか。ぼくは、精神的にダウン中です。」手紙はそんな言葉から始まっていました。卒業して2年目の男の子からです。彼は中学校時代、随分ヤンチャをしました。学校へ来ないで遊びまわっている時期もありました。私が赴任した時には既に3年生で、彼ときちんと話ができるようになったのは秋口の、ちょうど今頃であったように思います。 授業中にボールを蹴って遊んでいる場面を見つけては注意をし、上履きに履き替えずに廊下を歩いている場面を見つけては叱りました。「うっさいなー!そんなことくらいで、一々ごちゃごちゃ言うな!」はじめは、そんな反応でしたが、いつの間にか気心が知れ、校長室にも顔を出すようにもなりました。きっかけはおそらくあの件です。校長室の隣の部屋で、彼が指導を受けていました。何がきっかけかは分かりませんが、彼が急に興奮し大きな物音と怒声が聞こえました。思わず、隣の部屋に駆け込み、彼を先生から引き離してこちらの部屋に入れて事情を聴きました。それ以来、何かに不満があると校長室に訴えに来るようになったように思います。やがて、登校すると必ず校長室に顔を出し、色々な話をするようになりました。そんな彼からの手紙で、是非とも先生方や生徒諸君、保護者や地域の皆さんに知って頂きたい個所があるので抜粋します。 (信頼する何人かの先生の名前を挙げている)らは、俺の事をわかってくれるから嬉しかった。それまで、先生とか誰も俺のことわかってくれへんかった。だから、先生なんか信じてへんかった。けど、校長先生とかは必死に俺の事わかろうとしてくれた。それだけで本間にうれしかった。本間に感謝してる。中学の時、先生とかにいろいろと迷惑かけてしまったな。ごめんなさい。けど、見捨てんと怒ってくれた。ほとんどの先生は、見た目で決めて何しても怒らへんかった。けど、俺が好きな先生らは、ちゃんと怒ってくれた。怒られんのが嬉しかった。怒られんのが嬉しいっておかしいよな。けど、何か嬉しかった。今まで俺んこと、見捨てんと相談とか乗ってくれて本間ありがとう。(後略) この手紙を読みながら、教師として、いや一人の大人として日頃の自分を見つめ直しています。「アカンことをちゃんとアカンと言えているか。」 「正しいことを正しいという」のは、相手を褒めることなので、お互いに気分がよく難しくはありません。一方、人を叱るのは、お互いに気まずい思いをすることが分かっているため、とてもエネルギーを使います。その事で関係が悪化でもしようものなら、修復のための時間とエネルギーが更に必要です。それが分かっているから尚更難しいのです。 いじめの話題が一向に少なくなりません。当たり前の対処をしていれば、起こっていないことが、おそらくいくつもあったのではないでしょうか。しなければならない当たり前のことを見逃したり怠ったりすると、信頼を失ったり問題の解決を遅らせたりします。 |
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