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最新更新日:2025/07/10 |
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第24回全国中学校相撲選手権大会(2)![]() ![]() ![]() 2試合目は、青森県代表の田子中学校でした。伝統の名門校だけあってなかなかの強敵でした。3人が力を合わせての善戦でしたが、一歩及ばず0−3の黒星でした。 最後の3試合目の勝利が、決勝トーナメントへ進む条件になります。山形県代表の酒田第一中学校との対戦でした。先鋒の主将S君が幸先良く勝利したのですが、中堅O君、大将O君とも善戦むなしく惜敗を喫してしまいました。その結果、決勝トーナメント進出の夢は絶たれました。あまりの悔しさから、目には光るものがこみ上げていました。きっとこの悔しさが、来年の全国大会に向けての起爆剤となるはずです。 この2日間は緊張の連続だったと思います。本当にチーム全員で闘い抜きました。悔しさは残りましたが、もう1段高い壁を乗り越えようとする意欲は高まりました。終わったときの瞳の輝きに、彼らの無限の可能性を感じました。その新たな力強い“志”に期待したいと思いました。本当にお疲れ様でした。 遠くまで熱い応援に駆けつけていただきました保護者・ご家族の皆様、本当にありがとうございました。子供たちはこの夏、何ものにもかえられない素晴らしい経験が出来たと思います。暑い夏に負けない、熱い全国大会でした。 第24回全国中学校相撲選手権大会(1)![]() ![]() ![]() 9時からの開会式では、両国国技館の土俵の周りに、全国からの代表選手が勢ぞろいしました。みんな気迫に満ちた表情でした!!なかなかの圧巻でした。 1日目は、予選の1回戦が行われました。熊本県代表鶴城中学校と対戦し、2−1で見事勝利しました。2日目の19日(日)には、予選の2回戦・3回戦が行われます。あと1勝し、決勝トーナメント出場を目指します。 相撲部 明日全国大会に向けて出発です!!![]() ![]() 春日丘中学校相撲部創部以来初となる全国大会出場です。京都府代表としての誇りを胸に秘め、相撲の聖地である両国国技館の土俵に上がれることを名誉とし、力の限り対戦してきてください。健闘を祈っています!! 第5回伏見支部生徒会交流会![]() ![]() ![]() まず最初に、各校でとったアンケート結果を参考にしながら、伏見支部で共通に行う活動を考えました。4人組になり、あまり複雑でない実現可能な取組を、他校の生徒会本部の人たちといろいろなアイディアを出し合いました。 そしてグループごとにみんなの前で発表し合いました。いかにわかりやすく伝えていくのか、グループで知恵を出し合いました。それぞれのグループに工夫があり、大変参考になりました。 最後に、8月29日に行われる「全市生徒会サミット」に持っていく掲示物を、ちぎり絵として作成しました。 他校の生徒会本部の人たちと楽しく、また真剣に話をすることが出来、大いに刺激をもらえた夏の1日になりました。 相撲部 近畿大会 団体戦表彰の勇姿!![]() ![]() ![]() 相撲部 栄誉を称える!!
今日の朗報をいち早く地域の皆さんにお知らせするために、壁面に「祝 相撲部 近畿大会 準優勝!」のお知らせが貼られました。喜びを広く地域の皆様と分かち合いたいと思います!今後とも、生徒の活躍にご支援の程をよろしくお願い致します。
![]() ![]() 相撲部 近畿大会 団体 準優勝!!
おめでとうございます!!
今、春日丘中学校相撲部監督の高橋優毅先生から喜びの電話が入りました。本日8月8日(水)、相撲の近畿大会が大阪の堺市で行われました。そこで本校相撲部が、団体戦で見事「準優勝」に輝きました。本当におめでとうございます。 内容を聞きますと、5人制の学校対抗で、ほぼ5−0で勝ち上がり、決勝戦は2−3の惜敗とのことでした。次は8月18日からはじまる全国大会です。相撲の聖地である「両国国技館」の土俵で行われます。思う存分、暴れまわってきてください。 本日は本当におめでとうございました。また、早朝より遠くまで応援に駆けつけていただきましたご家族の皆様、魂のこもった応援ありがとうございました。 ちょっといい話―84―
昨日8月7日は「立秋」でした。
こよみの上では「秋」です。まだ昼間は暑い日が続いていますが,一時のことを考えると暑さは少しましになってきているように感じます。昨日も学校の裏山で,カナカナカナとヒグラシが鳴いていました。少しずつですが,季節は移っているようです。 さて,今日はさわやかな風が職員室に吹き込んでいます。珍しく,エアコンもつけていません。夏の暑さが和らいできているように感じます。「暑い,暑い」とつい昨日まで連日ダメ押しを言っていたのですが,季節の移りを感じると少し寂しい気もしてきました。 今日の「ちょっといい話」は,入社4年目で初めての結婚記念日に,運悪く社内でトラブルが発生したというお話です。「下手したら全員が会社に泊まり込みに…」という状況の中で,「結婚記念日なので」などとはとても言い出せなかった彼なのですが…。結末は…。一人ひとりを気遣う温かい職場の雰囲気に,会社全体がチームとして全力を挙げて努力している姿が読み取れます。君たちが通う春日丘中学校の職員室もそんな職場です・・・。(「心温まるいい話」より)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『結婚記念日の残業』 入社4年目で初めての結婚記念日の日。 社内でトラブルが発生した。下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、「結婚記念日なので帰らせてください」とは絶対に言えなかった。5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、 「これをK物産に届けろ」と言う。 K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。 「届けたら直帰していいから」 と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。文句を言いたかったが、 「わかりました」 と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないT課長。不満たらたらの声で「行ってきます」というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。 「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」 と書かれていた。会社に入って初めて泣いた。 その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。送別会の席でお礼を言ったら 「そんなことあったか?」 と空とぼけていた。T課長、お元気でおられるだろうか・・・。 ヒロシマ・ナガサキから学ぶこと・・・![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。 ・・・(略)・・・ 「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」(当時20歳の女性が見た街) 「辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め,うつろな顔の母親など、正に生き地獄だった。」(当時13歳の少年の体験) 「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」(当時16歳の少女)』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 原爆は人々から人間として最も大切にしているものを奪いました。親を,子を,きょうだいを,愛する人たちを・・・,自分の最も大切な人を奪われた人の悲しみは一体どのようなものだったのでしょうか?家庭や,生活,また人生までも奪われ破壊された人たちの苦痛のほどはどうだったのでしょうか?この間に新聞やテレビ等で特集が組まれています。この機会にお家の方と,戦争や平和について一緒に考えてみてはどうでしょうか? 戦争や被爆の体験をされた方々も高齢になっておられます。被爆された方々の平均年齢は78歳を超えたということでした。文字通り命懸けで,今その思いを語り継いでいただいています。 また,「平和宣言」は,東日本大震災の原発事故により,今も苦しい生活を強いられている方々にもこう呼びかけています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「平和宣言」のあと,広島市の小学校6年生の2人が「平和の誓い」を世界に向けて発表しました。感動的な内容でしたので,最後の一文を紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・(略)・・・ 『つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。 悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。 平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「今,私たちに出来ること」そして「これからしていかなければならないこと」を,この「平和の誓い」のことばから教えたもらえた気がしました。 ちょっといい話―83―
部活動の公式戦やコンクールも、昨日の吹奏楽部の銀賞受賞で一旦は落ち着きを取り戻しました。あとは相撲部の近畿大会と全国大会での朗報を待つのみです。
さて今日は、思いやりの“心のバトン”が、電車の中で引き継がれていくという「ちょっといい話」です。そんな人と人との心の触れ合いが、どんどんと広がっていくことを切に望みます(「心温まるいい話」より)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 通勤で電車を利用しないけど、私用でたまに電車を利用したときは、周囲に老人が立っていると、席を譲るようにしている。 一昨年の花見の帰り、すっかり寝入った三歳の息子を抱っこして電車に乗りました。歩き疲れたのと、それまで子供を抱っこしていたのとで、電車に乗った時点で疲労の極致。すし詰めではないが、空いている座席は見当たらない。電車に乗るまでは家内と交互に抱っこしていたが、車内で抱きかえると迷惑になるかなと言うぐらいには混雑している。 下車する駅に着くまでの三十分は抱き続けか、かなりの地獄だなと息子を抱えたまま悲痛な顔になると、目の前に座っていた老人が立ち上がり 「座りなさい。ほら、ここ、ここ」と席を譲ってくれた。 「いえいえ、平気です。そんなわけにはいきません」と、やせ我慢しようとしたら、 「覚えていないんだね。あんた、以前、私に席を譲ってくれたじゃないか」と・・・。 「助かります」と、家内に子供を抱かせて座らせた。 情けは人のためならずと、ちょっと涙が出そうになった。お爺さん、ありがとうね。 |
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