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最新更新日:2025/07/10 |
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第38回 合同球技大会(2)![]() ![]() ![]() 第38回 合同球技大会(1)![]() ![]() ![]() 「第25回卒業生」の写真が職員室前に飾られました!!![]() ![]() ![]() 休日参観のお知らせ
6月17日(日)に休日参観並びに学級・学年懇談会を行います。お忙しいとは思いますが、ご来校いただき、子供たちの授業での様子を見ていただきたいと思っております。よろしくお願い致します。
・生徒登校・・・ 8時45分 ・1時間目・・・ 9時00分〜 9時50分(各教科の授業) ・2時間目・・・10時00分〜10時50分(全クラス道徳) ・懇 談 会・・・11時05分〜12時10分 (1・2年生:学級懇談、3年生:学年懇談) ちょっといい話―73―
梅雨の合間の晴れ間・・・。暑いくらいの1日でした。そんなムシムシした気候をはね飛ばすくらいの、「ちょっといい話」がありましたので紹介します。ある1人の女性ウエディングプランナーの方にまつわるお話です。職業に対するプロフェッショナルな意識を感じました。また、どんな仕事も「人と人とのつながり」が大切なのだなあとあらためて考えさせらるお話です。更に親子の深く強い絆も感じられるお話です!!(「本当に泣ける話・感動する話」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ウエディングプランナーの話』 私、ウエディングプランナーをしていて,沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど,忘れられない結婚式があります。 新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。 新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。頭も何回下げたかわかんない。「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、最高の1日にしたかった。それが私の仕事。意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。面倒くさいと思ったこともある。 でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。すごく怖かったよ。何を言われるんだろう?と。でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに,娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが置いてあって,本当に嬉しくて今でも付けていること、「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。色々話してくれました。 「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思っている。でも気持ちの整理がつかない」って。泣いたね、あれは…。 最後にお父さん、恥ずかしそうに 「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。 夜、娘さんに電話してその日のことを話したら,娘も新郎も号泣。私も号泣…。数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、ブーケトスで娘がブーケを投げない…???なにこっち向いてきょろきょろしているの?と思っていたら娘、すたすたと歩いてきて私に手渡しでブーケをくれたの…。まわりの人たちは拍手。どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや,私のことを参列者に話していたみたい。 もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか,自分のやっていことは正しいのか?とか,考えてしまうこともあったんだけど、たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや・・・。もうそれだけでいい・・・。 今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで・・・。 1年生 ケータイ教室![]() ![]() ![]() ちょっといい話―72―
本日はもう1つ「ちょっといい話」を・・・。天候は悪いですが、心は晴れやかに、爽快にいきましょう!!(「本当に泣ける話・感動する話」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「バスと赤ちゃん」 東京にいた今から16年程前の12月も半ば過ぎたころの話です。 私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました。その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。昼近くになって、病院の診察を終え,バス停からいつものようにバスに乗りました。 バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。社内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどでした。まもなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り,あっという間に満員になってしまいました。 立ち並ぶ人の熱気と暖房とで,先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。バスが静かに走り出したとき、後方から赤ちゃんの火のついたような泣き声が聞こえました。私には見えませんでしたが、ギュウギュウ詰めのバスと人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく,泣く以外方法がなかったのだと思えました。 泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向い走っていました。バスが次のバス停に着いた時、何人かが降り始めました。最後の人が降りる時、後方から、「待ってください 降ります」と、若い女の人の声が聞こえました。 その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。その時、私は、子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで,泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、とわかりました。そのお母さんが運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと運転手さんは 「目的地はどこまでですか?」 と聞いています。その女性は気の毒そうに小さな声で「新宿駅まで行きたいのですが、子どもが泣くので、ここで降ります」と答えました。 すると運転手さんは 「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗っていってください」と、その女性に話しました。そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと 「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが,赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りるといっています。子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」 と、言いました。 私はどうしていいかわからず、多分皆もそうだったと思います。ほんの数秒かが過ぎた時,一人の拍手につられてバスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました。 今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な、心にしみる思い出です。 ちょっといい話―71―
梅雨に入り、じめじめとした天候が続いていますが、天候に左右されずに、元気ハツラツと学校生活を送って欲しいものです。
さて、ワールドカップの最終予選が始まり、日本は2勝と出だし好調です。選手の1つ1つのプレーに思わず歓声を上げてしまっています。何とか全勝でワールドカップに行ってほしいと願っています。 今日はそのワールドカップにちなんだ「ちょっといい話」です。さすが一流の選手は、その技術のみならず、たくさんの人に夢を与えてくれます。そんな心温まる話を紹介します。(「心温まる話より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ワールドカップのデンマーク代表トマソン選手の話」 ワールドカップが日本で開催された年に、デンマークのサッカーチームが和歌山県に合宿をしたそうです。他国のチームのほとんどはチームの練習は非公開で行われていたのですが、デンマークのチームは、オルセンという監督みずからがキャンプ地を提供してくれた和歌山の町の人々が喜ぶことになることは何でもしてあげることが私たちの仕事だと言い、それは試合に勝つことよりなによりも大切だとの考え方により、すべての練習を公開し、さらにその後には、少年達をグランドに呼び、ミニサッカーゲームをしたり、サイン会や握手会を続けていたそうです。 その時の選手で、トマソンという選手がおりました。(当時は小野選手と同じチームでオランダリーグで活躍していた)ある日、トマソン選手が、いつもと同じく練習後のサイン会をしていたそうです。その時は、トマソン選手のサインが欲しく、たくさんの子どもたちが、列をなして並んでいたそうです。順番が来て、一人の少年がトマソンの前で、何も言わず、もぞもぞトマソンの前に立ち尽くしていたそうです。トマソンはその少年が気になり、「どうしたの?」と聞くと、その少年は1枚の紙切れを出しトマソンに渡したそうです。その手紙は、学校の先生に書いてもらった英語の手紙で、 「ぼくは小さいころに、病気にかかって口と耳が不自由です。耳は聞こえません、話すこともできません。だけどサッカーだけは大好きです。僕はトマソン選手が大好きなのです。」 とその手紙に書いていたそうです。 その手紙を見たトマソンは、にっこり笑い 「君は手話ができますか?」と手話で語りかけたそうです。 しかし、手話は世界共通ではないので、デンマークの人の手話は、日本人には通じなかったそうです。すると、トマソンは横に立っていた通訳の人に、 「僕は今から、彼と筆談で話をしたいので、手伝っていただけますか?」と許可をもらいさらに、後ろの列で並んでいる子供たちにも 「彼と話をする時間を僕に下さい」と言い断りをいれ、少年との筆談が始まったそうです。その筆談の中で、トマソンは「君はサッカーが好きですか?デンマークを応援して下さいね。」と書くと少年はうなずき、そして「トマソンさんはどうして手話ができるのですか?」と尋ねると、トマソンは「僕にも君と同じ試練をもつ姉がいます。彼女のために、僕は手話を覚えたのです。試練は君にとってつらいことだと思いますが、同じように君の家族もその試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないということを解っていますか?」と少年に優しく語りかけたそうです。すると少年は黙ってうなずくと、トマソンは 「解っているならOK!だれにも辛いことがあります。君にも僕にも、そして君のお母さんにも…それを乗り越える勇気を持って下さい」 その光景を横でみていたお母さんは、泣き崩れていたそうです。 さらにトマソンはこう言ったそうです。「ぼくは今大会で1点を君のために必ずとります。その姿を見た君が、これからの人生をがんばれるように僕は祈っています」と筆談で語りかけたそうです。すると少年が「はい。応援しますから頑張ってください」と答え会場を後にしたそうです。 その後、この大会で、トマソンは4点取ったそうです。しかし、デンマークはイングランドに負けたため、自国に帰ることになり、和歌山の人々は、デンマークのサッカーチームが大好きだったので、さよならパーティを開催することになったそうです。そのさよならパーティーの会場で、トマソンはその少年を即座に見つけ、自分の所に呼び、少年に 「せっかく応援してくれたのに、負けてごめんなさい」と謝ったそうです。 少年は、「負けたけど、とてもかっこよかったです。約束通りに点を取ってくれて僕はとても嬉しかったです。」と筆談で渡すと、トマソンは「僕から君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いて下さい。君には前にも言った通り、試練が与えられている。それは神様が決めたことだから今からは変えられない。神様は君に試練を与えたけれど、君にもゴールを決めるチャンスを神様は同様に与えてくれるはずです。そのチャンスを逃さず、ちゃんとゴールを決めて下さいね。」 と言い、最高の笑顔で2人は写真に納まったそうです。 吹奏楽部 駅ビルコンサート(2)![]() ![]() ![]() 吹奏楽部 駅ビルコンサート(1)![]() ![]() ![]() |
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