最新更新日:2024/10/18 | |
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本番
18日に開催した第12回教育研究大会には,北海道から沖縄まで,200名を超える方にお越しいただきました。ご参加いただいたみなさんとご協力いただいた方々に,心からお礼申し上げます。
今回は全学年のすべての授業を公開しました。 一つ心配がありました。生徒が居眠りをしないだろうか? 「生徒諸君,寝るな!」と放送しようかと研究開発部長に言ったら,笑われました。 以前,秋田高校にお邪魔したときのこと。26教室も回ったのに,誰ひとり居眠りをする生徒がいません。驚きました。そのことをアセンブリで話しました。秋田高校と交流する生徒を募集したあと,廊下で会った生徒に「行かないか」と声をかけたら,「居眠りのできない学校には行きたくありません」と言われてしまいました。あらら。感心してしまいました。それはそれで,タイシタモノです。 さて,研究大会当日。教室を回りましたが,心配は杞憂でした。寝ていた生徒も少しいましたが,寝方が上品でした。それで喜んではいけませんが,安心しました。 25日に四校会があって,膳所高校と奈良高校の先生方と一緒に,姫路西高校に伺い授業を見せていただきました。それぞれが実に上質の授業でした。そして,まことに数少なくはありましたが,寝ている生徒がいました。失礼ながら内心ホッとしました。 研究大会では多くのご指摘を頂戴しました。現在,研究開発部がまとめています。いただいたご指導を今後に生かすべく精進してまいります。 本当にありがとうございました。 22日の午後4時45分。 ピアノは小ホールの中央にあって,少し落とした照明を受けて黒く光っていました。 後ろと両側には暗幕。 この小振りのグランドピアノは,そこにあるだけではただのモノでしかありません。これが楽器になるには,弾き手という条件が加えられなければならない,などというあたりまえのことを考えていました。 客席では,演奏を待つというのには少し不相応な,しかし高校生にはありがちな,にぎやかで生意気な会話も飛び交っていました。 「このリサイタルのために,職員会議がなくなったそうやで」 「へえ,そうなん」 「いまごろ,あいつ幕の向こうで着替えてるんやで」 「このピアノって調律してあるんかなあ」 別に言わなくてもよかったのですが, 「職員会議じゃなくて,2年生の担任会がなくなったんですよ」 「そうですか。その割には先生が少ないですね」 「ピアノは,今日のために調律したそうです」 「そうなんですか」 私は中央より上手側の席にいました。ここからだと手の動きが見えないなと思い,席を替わることも考えましたが,夏にコンクールに行ったときと同じ角度であったので,あのときのぞくぞくする感じを再び味わえるかと思い返して,そのまま座っていました。 ピアニストの登場。 感謝の言葉。曲の解説。椅子の位置を決めて,何の合図もなく手が鍵盤に向かったかと思うと,ピアノは見事な楽器に変貌し,音響のよくない小ホールは,ピアノとピアニストの音楽によって充たされました。 時折の間。静寂をも音楽に変え。余白の美のような。 バッハ,パルティータ2番ハ短調よりシンフォニア。 リスト,B-A-C-Hによる幻想曲とフーガ。 ショパン,練習曲作品25-1。 ショパン,スケルツォ第2番作品31。 最後のショパンはコンクールで聴いた曲でした。 アンコールが2曲。圧巻の1時間でした。 明るくなった会場で,2年生の生徒と話しました。 「どうでした?」 「すごかったです」 「そうでしたね。言ってたとおりに,ピアノが鳴っているのか,弾き手が一緒に鳴っているのか,というような感じだったでしょ」 「確かに」 開演前とは違って,洗われたような,雷にでも打たれたような,神妙な表情をしていました。その場にいた誰もが興奮気味で,しかもしばらくすると,なぜか打ち解けた雰囲気になっていました。一つの出会いが何かを動かしたのでしょうか。 上気した生徒が,目を輝かせて話しかけてきました。 「本当にすごかったですね」 ピアニストと話しました。 少し意地悪な質問。 「どの曲がいちばん好きですか?」 「一番となると,ぼくはやはり,コンクールでも弾いたショパンですね」 「知り合いの声楽家が,歌う曲はすべて好きになるって言ったけど,どう思う?」 「それ,まったくそのとおりですね。いちばん好きなのはと聞かれたからショパンと言いましたが,好きでない曲は弾けないですから」 握手をすると,普通の手にしか思えません。 演奏の終わったピアニストは,2年生の男の子に戻っていました。 30号(2011.11.29)……荒瀬克己 1年生人権学習
11月21日(月)LHRの時間に、1年生は人権学習を行いました。テーマは、「国際社会から考える人権問題」です。今回の人権学習の目的は、3月に実施される海外研修旅行を見据えて、「国際理解」という観点から社会における立場の違いがあることを知る、そして広い視野に立ち、自らの考えに基づいて判断をして行動することの大切さを学ぶことでした。
今年度より海外研修旅行は、行き先を生徒各自が保護者と相談の上で選択し、決定することになりました。行き先は、マレーシア、アメリカ合衆国(ボストン)、アメリカ合衆国(ワシントンD.C.,オーランド)、ヨーロッパ(ロンドン,パリ)の4コースです。事前学習として、失業への不安を抱えて貧富の差の広がりに怒る人々が世界各地でデモに参加したという新聞記事(10月16日付)を生徒は読み、当日は、海外研修旅行のコースごとに8教室に分かれて活動しました。最初に司会の研修旅行委員より学習の主旨説明を聞き、資料(各国のデータ、新聞のコラム等)を参考に、自分たちが訪れる国の貧富の格差問題について班ごとに話し合いました。その後、黒板等を使って、班長が代表して意見を発表するなど、司会を中心に各教室とも工夫をして進めていました。最後に日本の格差問題に関する資料が配られ、日本の現状に身を置く自分たちが、どのように社会とかかわっていくのか、自らの立場についても各自で考えを深めていきました。 短い時間でしたが、生徒たちは意欲的に学習に取り組みました。今回の学習で訪問する国の情勢や、社会においてさまざまな立場の違いがあることを知り、自分たちの視野を広げることができました。今後は、回収したワークシートから、事後学習を行う予定になっています。 ピアノリサイタル2011.11.22
5階小ホールで、本校2年生の中西聖嗣くんによるピアノリサイタルが行われました。中西くんは、この夏に開催された「京都ピアノコンクール2011」で銀賞を受賞。その演奏を聴いた校長が,生徒にもぜひ聴くことができる機会をつくりたいということで,このリサイタルが実現しました。在校生や教職員のほか関係者を前に、1時間あまりにわたって見事な演奏を披露しました。
演奏後のインタビューで「日程がなかなか決まらないなど、大変なこともありましたが無事終わってほっとしています。プロデュースしてくださった田中先生、荒瀬先生はじめ演奏を聴きに来てくれた方々、支えてくれた皆さんに感謝しています」。また、今後の抱負を尋ねると、「ピアノと受験勉強をがんばりたいです」と答えてくれました。 ケヤキ
グラウンドの傍らに立つケヤキ。
左は今日の午前10時35分に撮影。すでに上部は相当伐られています。 右は午後1時15分に撮影。切り口の白さが目立っていました。 「ケヤキが茂りすぎて,グラウンドから時計が見えないということなので……」 「動けば見えるでしょう。北側のクラブハウスにも時計はあります」 「……」 「だいたい時計が見えないというなら,時計を移せばいい」 「葉が密集しているので,そのままにしておくと木が弱るとも言われまして……」 「……」 結局,枝を落とすことを承知しました。 以前,堀川北門側のユリノキが伐られたことがありました。 それ以来,どの木も切ってはいけないと言いました。その結果,木々は伸び,夏の光の中で誇らしげに葉を輝かせるようになっていたのです。 しかし木が弱ると言われては仕方がありません。 そして今日,ケヤキの枝がはらわれました。 欅という文字のままに,空に向けて広がっていた無数の枝葉が伐られ,黒い幹と枝だけになりました。 青い空の下,冷たい風が裸のケヤキを吹き抜けていきます。 ひと月ほど前の「ココロザシ」で,取っておきの写真だとして今年の初夏に撮ってもらったクスノキを紹介しました。知恵を象徴するクスノキは,横に広がるとともに空に伸びていこうとしています。 このクスノキは3本あるように見えますが2本で,1本が根元近くから枝分かれしています。これがなぜ「とっておきの写真」であるかというと,この木こそが旧校舎からの唯一の樹木であるからです。 旧校舎から現在の校舎に移ったのは平成11(1999)年春。移転直前まで旧校舎を使っていましたから,しばらくの間,新旧両方の校舎がありました。 堀川通りから見ると,立派な玄関のあるベージュ色の旧校舎,図書館や会議室のあるA館,生物や地学の実験室と講義室のあるB館が建ち,A館とB館の奥に真新しい校舎の上部がのぞいていました。 クスノキは旧校舎西南の塀際の,A館との間に立っていました。その位置は,高等女学校の旧正門の北側にあたります。門は石柱でした。石の門は旧校舎が解体されるまであって,新校舎でも使う予定でいたのですが,調べるとひび割れが激しく危険であるということで断念しました。 クスノキの立っていた場所は校舎と塀に画された狭いところで,枝はいつも幹近くで伐られていました。移す際,そんなことをしないでよいところに植えようと考えて,現在の場所に決めました。 植え替えて12年,クスノキは枝を広げ,下に立つとさやさやと葉ずれが聴こえます。ただ,旧校舎時代から頻繁に伐られたためか,幹がいびつに曲がったまま大きくなっています。 四条堀川の北東角に,やはりクスノキがあります。こちらの幹はまっすぐで,木の形は堀川のクスノキよりもきれいです。京都大学の時計台前にあるクスノキも実に立派です。 しかし,まことに手前味噌で身びいきではありますが,たとえ形はいびつでも,私は堀川のクスノキの伸びて広がる姿が大好きです。伐られても,伐られても,いのちをつなぎ,新しい場所に移されても根付いて成長し続けてくれていることに畏敬と感謝の念をもちます。 旧校舎には,北翼と西翼に囲まれて,狭いけれどきれいな中庭がありました。そこに伸びやかなソメイヨシノが数本植えられていて,春の花から初夏の青葉,そして秋には紅葉を楽しみました。 平成11年3月末,新校舎に移転したあと,解体を待つ旧校舎の中庭で最後の花見をしました。最後となったのは,ソメイヨシノが移植できないと判断されたからです。 薄曇りの昼下がり,入れ替わり立ち替わり教職員が花を愛でました。みんなの心中には新しいことが始まる高揚もあったはずですが,むしろ一つの時代が終わる寂寥のほうが大きくて,あまり華やいだ気分にはなれないようでした。 旧校舎に別れを告げるという感傷の一方で,新校舎に移る一年生と二年生の学習や高校生活をどのように支えるかという仕事とともに,新しく入ってくる新入生をどのように迎えるかという未知の仕事があります。 私も,感傷よりも,それを覆う不安が重かったのを覚えています。それまでの数々の苦労や,行き違いや,受けた批判や,体制を変更することの困難さを改めて思い返していました。しかも,工事用の塀の向こうに立つ新校舎でのこれからに,なんらかの約束がなされているわけではありません。 最後の花見は,言葉数少なにして終わりました。 その後ソメイヨシノは伐採されました。旧校舎の跡地は1年がかりで現在のグラウンドになりました。そのグラウンドも人工芝の耐用年数が超え,今年度中に全面改修が行われます。 花見をしたのは3面あるテニスコートの中央コートの東側辺りで,時々北館の階段の踊り場からその場所を眺めて思い出すことがあります。 今日は放課後に5階の小ホールでピアノリサイタルがありました。8月に「ピアノ」を載せましたが,そのときの生徒が4曲を弾きました。バッハとリストとショパンが2曲。 いまは,すごいと言うのがやっとです。 あのときも書きましたが,人がピアノを弾くのか,ピアノが人を弾くのか,ピアノが鳴っているのか,人が鳴っているのか……あのときに感じた眩暈を,もう一度味わいました。 先週末の研究大会のこととともに,次回にお届けします。 29号(2011.11.22)……荒瀬克己 子どもたちが育つために
那覇港の一角。フェリーの向こうに見える白い建物や平坦な部分は米軍施設。日章旗とともに星条旗が翻っていました。
「週刊火曜日」のはずが水曜日になってしまいました。どうもいけません。 先週土曜日,琉球大学附属中学校の研究集会に伺いました。附属中学校は琉球大学のキャンパスにあります。琉球大学はずいぶん以前に一度行ったことがあるのですが,あんなに広いとは知りませんでした。 授業をいくつか拝見し,研究協議も拝聴し,午後の出番に備えました。まとまらない話でしたが,熱心に聴いていただいたおかげで,なんとか務めを終えることができました。夜には慰労会があり,お招きを受けて参加しました。附属中学校の先生方のエネルギッシュなこと。昼間も夜も,本当に楽しい時間を頂戴しました。勉強になりました。心から感謝します。 1年生の男子生徒が面白い作文を書いていました。数学の先生が授業中に何度「な」という確認の言葉を使ったかを記録し,それが時間の経過とともに変化していったのを分析したものです。「これはこういうことだ。な」,「わかったよね。な」といった「な」です。 5月ごろには数十回発しておられたのが9月になると十数回になったそうです。それは,入学してきたばかりの自分たちに何度も確認する必要があったのが,しだいにその必要がなくなったので回数が減ったのではないか,という分析でした。 作文コンクールの審査員になったつもりでクラスメートの作文を評価しようという授業で,いくつかの視点が挙げられていて,その中に,「事実や具体例が示されてわかりやすいか」というものがありました。この視点から選ばれた作文が,「な」の分析です。 慰労会で,その数学の先生にお会いしました。若くて快活な方です。「生徒が先生の『な』を分析していましたが,実際はどうなのでしょうか」と尋ねると,「いやあ,生徒の言ったとおりですよ」と笑ってお答えになりました。 その様子から,生徒と教員の間に生まれている信頼を感じました。 昨日,学校の廊下で若い英語の教員とすれ違ったときに声をかけられました。 「私,小学校の時に肥後守を使っていました。学校で全員が持たされたんです。砥いだりすることはありませんでしたが」 「え,どこの小学校?」 「向日市の……」 京都の小学校でもそういう学校がありました。知らないことだらけです。 その話を職員室でしていたら,化学の若い教員が,「ぼくも使ってましたよ」。 彼の場合は肥後守ではなくて鞘に入った小刀でした。それで工作をしたとのこと。はさみを振り回す子どもがいたそうですが,小刀を振り回すことはなかった,と言っていました。 英語の教員がまっすぐにこちらを見て, 「刃物って使うときに緊張するというか,とっても怖かったのを覚えています」。 保護者の方からメールをいただきました。 ……時々,ピアノのお稽古の帰り道のことを思い出します。子どもの足で歩いて20〜30分かかるところへ習いに行っていました。冬の寒い日,先生の家を辞して歩き始めると,ほどなく日が暮れ始め,手足の先から寒さがしみ込んできます。でも,歩かなければ家には帰れない。ポツリポツリついている人家の灯りを見れば一層心細く,泣きそうになりながらも,家までてくてく歩きました。歩かなければ家には帰りつけなかったからです。 そうして玄関に立ち,家の明かりの中に飛び込んだとき,むっとした蒸気の中で,台所の母が「おかえり」と言ってくれました。そのとき安心感と嬉しさは他に代えがたい喜びでした。でも,母は,私の心細さと寒さを知っていても,そんな贅沢は許されるわけもなく,「送迎」などは絶対してくれませんでした。 国民全体の生活レベルが上がり,生活そのものの質の変化も加わり,世の中の危険が犯罪の増加や常識を超えたものとなり,現在の子どもたちを守り育てる環境は,大事に育てるあまり,実はその思いとは逆に,もしかしたら,子どもたちを知恵と心の貧しい者につくり上げているのかもしれません。私の子どもたちも然りです。…… 「でも,歩かなければ家には帰れない」という言葉が印象的です。寒さや心細さの中で,それでも「歩いた」という経験を重ねることによって,人は深く広くなるのでしょうか。 「泣きそうになりながらも,家までてくてく歩きました。歩かなければ家には帰りつけなかったからです。」 「歩く」理由が,歩かなければ家には帰りつけないからだ,ということにもまた心打たれました。冬の夕暮れを足早に,けなげに歩く少女を思いました。「家」は帰らなければならないところというよりも,なんとしても帰りたいところであり,そこには温かさと安らぎと確かさがある。待っていてくれる人がいる。 そういう場所があってこそ,安全と安心と愛情に支えられてこそ,危険と不安と試練が子どもを大きくするのでしょう。そのことを思うにつけ,現実に気持ちがふさぎます。 「大事に育てるあまり,実はその思いとは逆に,もしかしたら,子どもたちを知恵と心の貧しい者につくり上げているのかもしれません」。 その思いを持ちつつ,私たちはどうすればよいのか。子どもたちを取り巻く現実がよりよいものになるために,私たちは何をすればよいのか。突き付けられている問いは重く,容易に解を見つけることはできません。しかし,その問いに向き合っていくのが私たちおとなの務めです。 18日金曜日は堀川高校の第12回教育研究大会です。生徒との信頼や成長過程の体験の重視を前提に,公開授業と各教科や探究,学校改革の分科会で,教育の「いま」と「これから」について,全国のみなさんとご一緒に勉強したいと思います。 28号(2011.11.16)……荒瀬克己 2年生人権学習
11月11日(金)LHRの時間に2年生人権学習(講演会)を行いました。森本尚樹氏(兵庫県聴覚障害者協会)と手話通訳者の方をお招きして、「聴覚障がい者のくらしと社会」という演題で講演をしていただきました。
森本さんは生まれながら聴覚に障がいをもっておられ、現在は大阪の会社に勤務されています。2009年に台湾・台北で行われたデフリンピック(聴覚障がい者のオリンピック)ではテニス競技の日本代表監督として出場されました。生徒たちは事前学習で森本さんのプロフィールを知り、講演を聴きました。 講演では、聴覚障がい者のコミュニケーションの方法を学びました。耳が聴こえない代わりに目で聞いている実例として、簡単な手話を教えていただいたり、読話(口で読み取ること)の体験をしました。また現状では、まだまだハード面、ソフト面で聴覚障がい者の暮らしに苦痛や問題があることを話され、東日本大震災の時にも、様々な困難があったことを教えていただきました。 今回の講演を通じて、2年次の人権学習のテーマである「コミュニケーション」「自己理解・他者理解」「障害を持っている方への理解」について、生徒自身が自分の考えを深めていける良い機会となりました。 11月21日(月)の事後学習では、福島智氏(東京大学先端科学技術研究センター教授 盲ろう者)のことを紹介した新聞記事や視聴覚教材を使用して、さらに障害者問題について学習していく予定です。 京都市立堀川高校教員公募制度による募集要項について
平成24年度 京都市立堀川高校教員公募制度による募集要項を
定めましたので,ご覧になりたい方は,右下の配布資料をご覧ください。 11月よりスクールカウンセラーの先生が代わりました。
11月より新しいカウンセラーの先生が来られています。
それに伴いまして,11月のスクールカウンセラー来校日が 変わりましたので,行事予定を更新しました。ご確認ください。 講師の募集について
京都市立学校では講師を募集しています。
詳しくは,京都市教育委員会のホームページをご覧ください。 http://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/page/0000089... 今すぐ理科(生物)の講師が可能な方は,堀川高等学校 (TEL:075-211-5351 担当:川浪副校長)までご連絡ください。 立冬
今日は立冬。
夏日になる日もあった11月ですが,朝の天気予報によれば,今日は西高東低の冬型。京都府南部は,北の風くもり昼過ぎから時々晴れ,予想最高気温は19度。午前5時の気温は12度3分でした。 朝のニュースでは,午前6時に東京の渋谷を歩く人はマフラーをしていました。気象予報士によると,最低気温が12度くらいになると紅葉が進むそうです。 不確かな記憶から昨年の晩秋の情景を引き出そうとすると,高台寺の夜の紅葉が浮かんできました。賑やかな石塀小路を抜けてゆるやかに見上げると,門へと上る段々に横から照らされる光。まるで魔法のような。 去年はその光景に心がほどけていくようでした。比べて今年は,心が落ち着くところを失って,思いがねじれているような感があります。 私は,子どもの成長期に,安全・安心・簡単・手軽ではなく,危険と向き合い,不安にもなり,複雑なことがらでも拒まず,面倒なことでもする,ということが重要であると考えています。 文房具の小刀(こがたな)の一種で肥後守(ひごのかみ)というものがあります。辞書によれば,「7,8センチの両刃が鉄製の折りたたみ式の鞘(さや)に収められるもの。鞘は柄(え)を兼ね,ふつう『肥後守』などの銘がある。大正半ばから兵庫県で生産され,片刃の切り出し小刀に代わって,昭和前期にかけて流行した。廃刀令後、旧熊本藩の御用鍛冶が作りはじめたのが起源という」とあります。 ずいぶん以前,確か岐阜だったと思うのですが,この肥後守を入学時に全員購入させ,鉛筆削りや工作に使えるよう指導していた小学校のことが報道されていました。当初子どもたちは,刃物の使い方がよくわからず,削られた鉛筆はへんてこで,芯だけが妙に長かったり,削っている最中に手を滑らせて指を切ってしまったり,小さい子どもにとっては大変大きな苦労を重ねます。そうこうしつつ学年の進行とともにしだいに上手になって,筆箱の鉛筆の形が,それぞれの個性を持ちつつそろうようになっていきます。切れ味が悪くなると砥石で磨きます。それを繰り返して六年生になると,肥後守は,初めて手にした一年生のときと比べて短く,幅も狭くなっています。肥後守が小さくなった分,子どもたちは成長しています。そして卒業するとき,それぞれの肥後守は一人ひとりの勲章になります。 この番組を見て感動しました。こんなにして子どもを育てている学校がある。その学校を信頼して,子どもの成長を信じて,心配しながらも見守り任せている親がいる。 しかし,これは生命の安全が保障され,安心して生活できる場所が確保されているという「あたりまえ」の前提があってのことです。その子がそうしようと思えば乗り越えられる危険や不安が,おとなによってあえて用意されているのは教育であると言えますが,その子にどうにもならない,その子に責任のない危険や不安は,断固として一切排除されなければなりません。 子どものころの夏,昼寝をしていて目が覚めたら母が見えなくて,広くもない家の中を,母を呼んで探し回ったことがありました。それでも見つからない母。どきどきして,もう一度呼びながら探しても,やはりいない。心細くて,涙が出てきて,それでいっそう悲しくなって,どうしてよいかわからず,どれほど時間が経ったかわからず,ますます悲しくなって,涙が枯れて,そうしていたら母が帰ってきて,にこにこ笑って,起きたのかと言いながら,食べなさいと菓子をくれて,台所に行って夕食の支度を始める。その後ろ姿を見て,安心して日常を取り戻す。 そんなことを思い出すにつけても,子どもは絶対に守られていなければならないということを心の底から強く思います。 この国に生まれてから58年。物心ついて以来,人知を超える難題に向き合わなければならないことはそれほどなかったように思います。 今朝のニュースでは,福島県郡山市の医師の調査が報じられていました。幼児の体重の増加率が昨年と比べて4分の1になっていて,原因として,屋外での運動が制限されていることが挙げられていました。身体能力や情緒,社会性,認知能力にも影響する恐れがあることも指摘されていました。 平成22(2010)年度から高等学校の授業料が無償化されました。文部科学省のホームページを見ると,「社会全体であなたの学びを支えます」というタイトルで,「家庭の状況にかかわらず,すべての意志ある高校生等が,安心して勉学に打ち込める社会をつくるため,国の費用により,公立高等学校の授業料を無償化するとともに,国立・私立高校等の生徒の授業料に充てる高等学校等就学支援金を創設し,家庭の教育費の負担を軽減します」とあります。 これと同じように,社会全体でこの国に住むすべての未来ある子どもたちを守るためにはどうすればよいのでしょうか。 その答えは容易には見出せませんが,それを探して,誠実に,具体的に行動していくのは,間違いなくおとなの責任です。 立冬。北の地方の冬の寒さが,春を呼ぶための厳しさであることを願ってやみません。 27号(2011.11.08)……荒瀬克己 |
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