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最新更新日:2024/06/21 |
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球技大会 前日(2011.6.15)
明日の球技大会は、バレーボールを行います。
各クラス2チーム編成、学年別総当たりリーグ戦です。 明日の本番を前に生徒たちは早朝や昼食の時間に バレーボールの事前練習に励んでいます(写真)。 1・2年生は西京極スポーツセンター、3年生は本校アリーナで、 白熱した戦いを繰り広げます。 ![]() 三つの約束−1−![]() <入学式の式辞から−3−> 諸君,三つの約束をしたいと思います。 第一は「学校は学びの場だ」ということです。人は,足りないものがあるから,不十分だから,学びます。失礼ながら,君たちは若くてまだまだ不十分です。自分はまだ足りないのだということを自覚して,学ぶ者としての謙虚さをもちなさい。私たちは君たちの現状を受けとりはしますが,そのままを肯定はしません。なぜならば,私たちは,君たちの可能性を肯定するからです。可能性を肯定して,君たちに,学ぶための多様な機会を提供します。 堀川高校の校訓は「立志・勉励・自主・友愛」。 立志……自らを愛し,可能性を信じて開拓し,目標を高く掲げ,その実現に向かって取り組む。 勉励……謙虚であることと懸命に努力を重ねることの大切さを知り,困難に立ち向かう姿勢を培う。 自主……自らを見つめ,じっくり考え,正しい批判力と判断力を養い,責任をもって行動する。 友愛……自分のまわりの人やものを大切にするとともに,想像力を高め,他者を思いやる。 校訓の示すところは,自立の精神です。この校訓を日々の指針として,ものごとに真正面から取り組んで,自立に向かって学んでください。 人間は取り組みを通して成長します。言い換えれば,取り組まない限り何も獲得できません。 取り組むために必要な道具は,まずは言葉です。言葉を豊富にし,正しく使い,他者とも自分自身とも向き合って学び,自分を大きくしていってください。 …………………………………………………… 堀川の校訓は,昭和60(1985)年当時に校長(高等学校第11代)であった故多田孝敏先生が考案されたものです。多田先生は,温厚にして威厳のある方でした。 この年に京都府の公立高校普通科に類型制が導入され,入試制度が大きく変更されました。それを機に,各校で校訓が見直されたり,新たに制定されたりしました。思えば,現在も続く公立高校の,特に普通科の特色化が始まったのはこのころからでした。 当時の堀川に校訓はありませんでした。そこで多田先生が堀川の教育指針を「立志・勉励・自主・友愛」の四語にまとめられたのです。その後平成11(1999)年に,式辞で述べているような解釈を行って現在に引き継がれています。 ところで,「四校会」で交流している奈良県立奈良高校には,現在に至るまで校訓がないそうです。HPを拝見すると校訓の欄がありますが,「奈良高校には校訓がありません」と書いてあります。 「四校会」とは,奈良高校のほか滋賀県立膳所高校,兵庫県立姫路西高校,そして堀川の四校で交流するための集まりです。年に2回まわり持ちで各校を会場にして,生徒の進路希望実現を中心テーマに授業の改善や学校経営について話し合っています。今年度の第1回は,三校をお招きして6月29日に堀川で開催します。 話を元に戻しますと,実は堀川には校訓のみならず校歌もありませんでした。校旗も今とは異なります。 現在の校歌(HPをご覧ください)と校旗は,昭和55(1980)年につくられたものです。そのころ私は堀川にいませんでしたので聞いた話ですが,当時の育友会(PTA)が校歌制定を提案し,教職員が検討して職員会議で決めたそうです。校旗もまた,そのときに作られました。 それまで入学式や卒業式はもちろん,野球部がセンバツで甲子園に行って勝ち進んだときにも,生徒たちが歌ったのは生徒歌『緑なす森に』(こちらもHPをご覧ください)でした。いまも昭和54年卒業までの同窓会に伺うと,懐かしく歌われる生徒歌の大合唱を聞くことができます。 校旗はと言うと,昭和52(1977)年度に常勤講師として1年間在職していた私が見た校旗は,現在使用している「えんじ色と白色のダブルHの校章」が,確か金糸と銀糸で刺繍されて浮かび上がっていたように思います。旧校舎の講堂にも「ダブルH」の校章が縫いこまれていましたし,校長室のソファーカバーにも白糸で刺繍されていました。 昭和23(1948)年に新制高校として開校した翌24年,生徒から公募した校章デザインを投票で決める際に,第1位となったものと第2位となったものが僅差であったことから,前者を校章とし,後者を襟章(バッジ)に決定したということを,当時在籍していた方から伺いました。 校章は,当時制服であった男子の学生帽に。いっぽうバッジは男女ともに使用しました。まもなく通学時の服装が自由になり,多くの生徒が私服を着用するようになって,帽章は学生帽とともに使われなくなり,バッジのみが受け継がれていきました。そのバッジのデザインがえんじと白の「ダブルH」で,いま堀川の「校章」となっているものです。私服時代の堀川では,「バッジをつけること」という校則がありました。 私が34年前に見た校旗は,いまはありません。現在,式場に掲揚しているものは昭和55年に作られた,かつて投票で1位であった,堀川の「堀」をデザインしたものです。 学校要覧には「堀」と「ダブルH」を,「校章」として二つとも載せています。そんな例は少なかろうと思いますが,それはこのような歴史に由来しています。 さて,堀川が制服(HPで紹介しています)を導入したのは,現在の校舎で再出発をした平成11(1999)年からです。デザインは当時の私服の在校生の投票で決めました。以来13年間ずっと同じデザインです。エンブレムはありませんが,制服のボタンに,「ダブルH」が写し込まれています。 制服導入でバッジは不要になりましたが,かつて使われていたえんじと白の「ダブルH」のバッジをつけている生徒に会うことがあります。生徒会執行部員か,全国大会に出場した生徒です。 あるとき,残っていたバッジを見つけた生徒会執行部の生徒がほしいと言うので渡したら,それを見て自分もつけたいという生徒が後を絶たず,それ以来,生徒会執行部員とさまざまな全国大会に出場する生徒に授与する,という不文律ができあがりました。 いまもなお,堀川の生徒の襟もとに輝くえんじと白のバッジを見ることができます。 ……… 荒瀬克己 第1回 探究道場 受付状況
13日現在、受け付けております。
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