最新更新日:2024/10/01 | |
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3年生 中学校最後のテスト!
日差しは差し込んでいるものの、寒さ厳しい1月25日(水)、今日から3年生にとって中学校最後の定期テストが始まりました。当然のことながら、一人ひとりの顔には「自分の進路希望を必ず実現する!」という強い決意が表れていました。京阪神の私立高校入試まであと2週間。いよいよ受験が始まります!!かぜやインフルエンザが本校でも流行りつつあります。手洗い、うがい、教室の換気等にも十分に注意してください。それでは最後の追い込みに向けて検討を祈ります。
ちょっといい話―54―
今日はもう1つ「ちょっといい話」を・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「お母さんのテープ」 俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。 それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。俺、親父の変なビデオとかかな?なんて思って見てみた。そしたら・・・病室のベットの上にお母さんがうつってた。 『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』 10分くらいのビデオテープだった。 俺、泣いた、本気で泣いた。次の瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。それからみんなにバカにされるくらい勉強した。俺が一浪だけど東京の有名私立大学に合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。 また、よく見てみたら…。ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。俺また泣いちゃったよ。父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、就職決まった時、親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんて言ってた。俺,このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。 お父さん、お母さん、ありがとうございます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (写真は、保健委員会からの今月のメッセージです) ちょっといい話―53―
冷たい雨がシトシトと降っていますが、心温まるいいお話がありました。普段は、笑い声や歓声が聞こえる遊園地ですが、その日ばかりは暖かな拍手の音が鳴りやみませんでした・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「あひるさんの思い出」 二度の脳梗塞で重度の障害が残った夫は、狭心症発作を繰り返しながら自宅療養を続けている。人との接触を求めて、時々外出する。 ある冬の一日、急に思い立って遊園地へ行った。広場の隅に車椅子を止め、私は傍らに立って元気に走り回る子供達を見ていた。思ったより寒く、早く帰らねばと思った。 その時広場に歓声があがった。ドナルドダックの着ぐるみを着た人が現れ、子供達がどっと駆け寄ったのだ。ところがそのあひるさんは、子供達をかき分けてどんどん駆けて、こちらへ近付いてくる。広場の隅にいる私たちの方へ……。 車椅子に乗った夫の前へ来ると、大きく一礼して大きな手で夫の背中を撫でてくれる。二度、三度、突然の出来事に私達も周りの人も驚いた。夫の背中を大きく撫でて、今度は私の腕をさすり、両手で包み込んでくれる。大きな白い温かい手で……。 優しさが老いた二人を静かに包み、その温かさが周りに広がり、見ていた人達の間から拍手が起こった。夫の顔を見ると、涙がほろほろ頬を伝っている。風の冷たさを忘れた。「優しさをありがとう」と言うのが精一杯の感謝の言葉。あひるさんはウンウンと頷いてもう一度夫の背中を撫でて、子供達の方へ駆けていった。 思いがけない出来事だった。着ぐるみだからお顔は見えない、お声も聞けなかった。けれど、優しさと励ましのお心はしっかりといただいた。病む夫にも、介護の私にも元気をくださったあひるさん、ありがとう。(新聞投稿からの抜粋) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 写真は、1月18日(水)に行われました「自主公開授業」の様子です。1年2組のみんなに、しっかりと学び合う姿がありました。本当に良く頑張っていました!!授業後、先生たちは授業を見に来られたたくさんの先生方と研修会を持ちました。先生たちも、学びの小グループでしっかりと学び合いました。ご参観された多くの皆様に、感謝いたします。 3年生 第4回土曜学習会公開自主授業研−共同的な学びを目指して!−授業が終わった後、「どのクラスも子供たちの表情は良く、しっかりと学び合おうという姿勢が見られました」というご感想をいただきました。「子供たちをしっかりとほめてください」というお言葉も頂きました。また、「春日丘の先生たちが一丸となって取り組んでおられることが、ひしひしと感じることが出来た授業研でした」と、教職員にも熱いエールを送って頂きました。 まだまだ先生たちは満足していません。「君たち一人ひとりの学ぶ権利の保障を目指して」、また、「君たち同士のつながりをより確かなものにする」ために、授業改革を更に進めてまいります!! あれから17年・・・メッセージを受け継ぐ避難訓練
あれから17年・・・。君たち中学生は、まだ生まれていませんでした。しかし、昨年の3月11日に、君たちは東日本大震災を経験しました。そして、それを受けての1月17日の今日、全校で地震の避難訓練をしました。
神戸市にある「1.17希望の灯り」には碑文が刻まれています。「あの震災で亡くなった方々の命と、生き残った私たちへのメッセージ」を今も発信し続けています。今この時を生きている私たち・・・。今日という特別な日に、何を思い、何を考えていけばいいのでしょうか・・・。多くの深い悲しみを風化させないために、「1.17希望の灯り 碑文」が、私たちに静かに語りかけているように思います。 『1.17希望の灯り 碑文 1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災 震災が奪ったもの命 仕事 団欒 街並み 思い出 …たった1秒先が予知できない人間の限界… 震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間 この灯りは 奪われた すべてのいのちと 生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ』 一人ひとりの学ぶ権利の保障を目指して!
先生たちは今、1月18日(水)の「公開授業」に向けて、「みんなが共に学び合う授業」にしようと一生懸命考えています。その1つとして、他府県で行われる先生たちの「授業研修会」に、年に何回か参加しています。上の写真は、1月7日(土)・8日(日)の連休に、全国から約400名の先生方が参加して行われた先生たちの勉強会での様子です。春日丘中学校が、ここ4年間力を入れて取り組んできた「小集団」での学習について、全国の先生方と熱い討論が行われました。君たち一人ひとりにしっかりとした学力をつけるために、先生たちの学習会はまだまだ続きます。
保護者・地域の方々、是非18日の公開授業(12:15〜13:55)のご参観をよろしくお願い致します。子供たちにとっても大きな励みになると思います。 2年生 百人一首大会ちょっといい話―52―
本日1月11日は、東日本大震災から10ヶ月になります。そして「復興元年」といわれる平成24年が幕を明けました。それゆえ、今年の成人式は、これまでとは違った思いで出席された方が多かったと聞いています。自分たちの世代に、日本の復興が託されているという使命感にも似た思いがあったのではないでしょうか…。
今日の「ちょっといい話」は、数年前の「成人式」であったお話です。感謝・感動・決意に溢れた「成人式」であったと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 式場についた私が,受付で来賓の案内を受けていると、宅急便の○○○運輸のグリーンの制服を着た若者が入って来ました。以下、市役所?の受付の女性の方とのやりとりです・・・ 受付「どうしたの?新成人でしょう?」 若者「はい、そうなんですが、実は会社の先輩が急病で今まで仕事をしていた んです。でも会社のみなさんから式典には行ってこい、って言われて。 でも、帰って着替える時間とかはなかったんで・・・いいです、後ろで 見ています」 受付「何を言ってるの!あなたみたいな若者がこの式典に出るべきなのよ! 胸を張って出席しなさい!」 若者「えっ、そ、そうですか」 受付「そうよ、立派じゃないの、急病の先輩の代わりに仕事をしてきて… そのグリーンの制服が今のあなたの一番の晴れ姿じゃない!」 若者「あっ、はいわかりました。出席させていただきます、ありがとうござい ます。」 いやあー受付の女性の方、よくぞ言ってくれました、という感じです。 日本の新成人も捨てたもんじゃないですよ!! ちょっといい話―51―
今年最初の「ちょっといい話」です。少し長いですが、感動するお話です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ありがとう、ありがとう」 一人のお母さんから、とても大切なことを教えられた経験があります。そのお宅の最初に生まれた男の子は、高熱を出し、知的障害を起こしてしまいました。次に生まれた弟が2歳のときです。ようやく口がきけるようになったその弟がお兄ちゃんに向かって、こう言いました。 「お兄ちゃんなんてバカじゃないか」 お母さんは、はっとしました。それだけは言ってほしくなかった言葉だったからです。そのとき、お母さんは、いったんは弟を叱ろうと考えましたが、思いなおしました。弟にお兄ちゃんをいたわる気持ちが芽生え、育ってくるまで、長い時間がかかるだろうけど、それまで待ってみよう。 その日から、お母さんは、弟が兄に向かって言った言葉を、自分が耳にした限り、毎日克明にノートにつけていきました。そして一年たち、二年たち・・・しかし、相変わらず弟は、「お兄ちゃんのバカ」としか言いません。お母さんはなんべんも諦めかけ、叱って、無理やり弟の態度を改めさせようとしました。しかし、もう少し、もう少し・・・と、根気よくノートをつけ続けました。 弟が幼稚園に入った年の七夕の日、偶然、近所の子どもや親戚の人たちが家に集まりました。人があまりたくさん来たために興奮したのか、お兄ちゃんがみんなの頭をボカボカとぶちはじめました。みんなは「やめなさい」と言いたかったのですが、そういう子であることを知っていましたから、言い出しかねていました。そのとき、弟が飛び出してきて、お兄ちゃんに向かって言いました。「お兄ちゃん、ぶつならぼくだけぶってちょうだい。ぼく、痛いって言わないよ」お母さんは長いこと、その言葉を待っていました。 その晩、お母さんはノートに書きました。「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」ほとんど無意識のうちに、ノートの終わりのページまで鉛筆でぎっしり、「ありがとう」を書き連ねました。人間が本当に感動したときの言葉は、こういうものです。 やがて弟は小学校に入学しました。入学式の日、教室で初めて席が決められました。ところが弟の隣に、小児マヒで左腕が不自由な子が座りました。お母さんの心は動揺しました。家ではお兄ちゃん、学校ではこの友だちでは、幼い子に精神的負担が大きすぎるのではないかと思ったからです。その夜、ご主人と朝まで相談しました。家を引っ越そうか、弟を転校させようかとまで考えたそうです。結局、しばらく様子を見てから決めようということになりました。学校で最初の体育の様子を見てから決めようということになりました。 学校で最初の体育の時間のことです。受持ちの先生は、手の不自由な子が体操着に着替えるのを放っておきました。手伝うのは簡単ですが、それより、一人でやらせたほうがその子のためになると考えたからです。その子は生まれて初めて、やっと右手だけで体操着に着替えましたが、そのとき、体育の時間はすでに30分も過ぎていました。2度目の体育の時間のときも、先生は放っておきました。すると、この前は30分もかかったのに、この日はわずかな休み時間のあいだにちゃんと着替えて、校庭にみんなと一緒に並んでいたのです。どうしたのかなと思い、次の体育の時間の前、先生は柱の陰からそっと、その子の様子をうかがいました。 すると、どうでしょう。前の時間が終わるや、あの弟が、まず自分の服を大急ぎで着替えてから、手の不自由な隣の席の子の着替えを手伝いはじめたのです。 手が動かない子に体操着の袖を通してやるのは、お母さんでもけっこうむずかしいものです。それを、小学校に入ったばかりの子が一生懸命手伝ってやって、二人ともちゃんと着替えてから、そろって校庭に駆け出していったのです。 そのとき、先生は、よほどこの弟をほめてやろうと思いましたが、ほめたら、「先生からほめられたからやるんだ」というようになり、かえって自発性をこわす結果になると考え、心を鬼にして黙っていました。それからもずっと、手の不自由な子が体育の時間に遅れたことはありませんでした。 そして、偶然ながら、また七夕の日の出来事です。授業参観をかねた初めての父母会が開かれました。それより前、先生は子どもたちに、短冊に願いごとを書かせ、教室に持ち込んだ笹に下げさせておきました。それを、お母さんが集まったところで、先生は一枚一枚、読んでいきました。 「おもちゃがほしい」、「おこづかいをもっとほしい」、「じてんしゃをかってほしい」・・・。 そんないかにも子どもらしい願いごとが続きます。それを先生はずっと読んでいくうちに、こんな言葉に出会いました。 「かみさま、ぼくのとなりの子のうでを、はやくなおしてあげてくださいね」言うまでもなく、あの弟が書いたものでした。先生はその一途な願いごとを読むと、もう我慢ができなくなって、体育の時間のことを、お母さんたちに話して聞かせました。小児マヒの子のお母さんは、我が子が教室でどんなに不自由しているだろうと思うと気がひけて、教室に入ることもできず、廊下からそっとなかの様子をうかがっていました。 しかし、先生のその話を聞いたとたん、廊下から教室に飛び込んできて、床に座り込み、この弟の首にしがみつき、涙を流し、頬ずりしながら絶叫しました。 「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・・」 その声がいつまでも学校中に響きました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ※これは「本当に感動したときの言葉−鈴木 健二 著−」という本の中にあったお話です。子供の成長を信じて待ち続ける母親の深くあたたかく、そして力強い愛情に本当に感動しました。年が明け、「復興元年」といわれる2012年・・・。そのスタートにあたり、「ちょっといい話」に出会えて感謝です。まさに「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」です。 (写真は1月5日(木)の朝、グランドと正門前にうっすらと積もった雪景色です。) |
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