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最新更新日:2025/07/10 |
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卓球部 個人戦全市決勝大会結果!!![]() ![]() ![]() <1年女子> H・Mさん 新人戦全市決勝大会 3位入賞 <2年男子> T・I君 新人戦全市決勝大会 3位入賞 N・Y君 新人戦全市決勝大会 ベスト8 ちょっといい話―59―
立春を過ぎ、日1日と春が迫ってきているように感じる今日この頃です。今日は「ちょっといい話」の連発です。心も温かくなります。。(「厳選:泣ける話・感動する話」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「父さんありがとう」 俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。 まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。 俺が小学校に入学してすぐ、父母同伴の遠足があった。父は仕事で忙しく、一緒に来られなかった。一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれたので、寂しくもなかった。でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。 当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いた。 それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。 そんな父も、今年結婚をした。 相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。 心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。 ちょっといい話―58―![]() (写真は、春日丘中学校区地域生徒指導連絡協議会のカレンダーに掲載された人権ポスターです。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「友からのメール」 僕の友達が事故で亡くなったんです。 本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスのみんなや友達がたくさん来てました。 友達は遺影の中で笑ってました。いつも僕に見せていてくれた笑顔です。それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。 次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。日付を確認すると事故の日でした。僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。午後5時にね。遅れるなよ」と書いてありました。何でわざわざメールで?と思いましたが、何か不思議な力が働いたような気分でした。 実はその日は僕の誕生日で、親と出かけることになっていたのです。車に乗って高速道路を使い、隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、親にも今日は用事があると言いました。そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。 僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。もちろん誰も来ません。午後5時に鳴る、公園のそばにある時計台の鐘を聞き、僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。 そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。 「さっきニュースでやってたんだけど今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに保存してあります。 「父からのメール」 去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。 退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。 その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。 「お前からのメールがやっと見られた。 返事に何日もかかっている。 お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。 孫が生まれたら毎日子守してやる。」 私の一生の保護メールです。 いよいよ京阪神の私立高校入試です!![]() ![]() ![]() 写真は、入試前日の激励会の様子です。全体での確認のあと、受験校ごとに集まり注意事項を再確認し合いました。どの顔にも、ほどよい緊張感が漂っていました。 若い先生も頑張っています!!![]() ![]() ![]() ちょっといい話―57―![]() ・Sさん 「本屋さんに出かけたときのことです。ある本の置いてある場所が違っているのを見て、その本を元の場所に戻している人がいました。そういう小さなことに気づけることがすごくえらいと思いました。」 ・Nさん 「部室の入り口でグチャグチャになっていた靴を、きれいに並べなおしている女の子がいました。自分もプチ淑女になっていけたらいいなあと思いました。」 ・Uさん 「教室の壁の掲示物の画びょうがとれていました。それを拾って直している人がいました。私も気づいていたのに、なぜ直さなかったのだろう。」 ・Hさん 「私の前の席の人が休んだ時、一番前に座っている人がきれいに印刷物などをまとめていました。私もこれから、そうしたいです。」 いずれも、素晴らしい感性ですね。さて、この四人の生徒さんの視点には共通することがあります。 それは、「気づいた」ということです。 おそらく、グチャグチャになった靴を並べなおしている人は、ずっと前から、いつでもそうしているのでしょう。画びょうをとめた人も、休んでいる友達のプリントを整理している人も。それらは、ついつい見過ごしてしまうような、小さなことです。普段の生活の中で、それらのことに気づいたのです。 私たちの周りには、「いいことをしている人」が大勢います。自分が親切をしてもらうこともあります。ところが、「忙しい、忙しい」と駆け足で生きていたり、「オレが、わたしが」とエゴが先行していると、せっかくの「いいことをしている人」つまり、プチ紳士やプチ淑女が目の前にいても気づかないのです。 「気づける」って素晴らしいことです。「気づく」と、自分が替わります。Uさんは、「私も気づいていたのに、なぜ直さなかったのだろう」と自分に問いかけました。Nさんは、「自分もプチ淑女になりたい」と思いました。気づいて、今度は自分が替わろうと思ったのです。人の良いところを見つけることは、自分自身のためでもあるのですね。 15年ほど前のことです。 初めて白い杖をついた目の不自由な方に声をかけました。35歳のときのことです。本当に恥ずかしながら、生まれて初めてのことでドキドキしました。一度、ヘルプすると二度目は少し気持ちが楽になります。そしてだんだんと慣れてきて、ヘルプの仕方も上手くなります。 ある時、「おや?」と思いました。 しょっちゅう目の不自由な人を見つけるのです。こんなにも大勢いるのかと驚きました。さらに、「今まで、なぜ気がつかなかったのだろう」と思いました。今までだって、白い杖をついた人は、街中を歩いていたはずです。急に、目の不自由な人が増えたはずはありません。ということは・・・。私自身が、白い杖をついた人に気づかなかっただけなのです。それは、ショックでした。困っている人が周りにいるのに、手を差し伸べないどころか、それ以前の問題として、その存在にすら自分は気づかなかったということですから…。 ある学校では、「良いこと見つけ」といって、みんなで友達同士の「良いところ」を探して褒めあっているそうです。 「気づくこと」は、周りの人も自分も幸せにするスタートラインです。(「感動コレクターに会いました」志賀内康弘より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今日の「ちょっといい話」は、「気づく」ことの大切さに気づかされました。目で見えるものに、いかに心を動かすのか…」心のアンテナをピンと張っていくことで、お互いを思いやる心が芽生えていく…。そのことに気づかせてもらえた「ちょっといい話」でした。(写真は「春日丘中学校区地域生徒指導連絡協議会のカレンダーに掲載された人権ポスターです。) 卓球部 個人戦 ブロック予選結果![]() <1月29日(日)> 久世中学校にて、卓球新人戦男子個人の部Dブロック予選が行われました。 2年の部 4位:T・I君、 6位:N・Y君 の2名が全市決勝大会に出場します。 <2月5日(日)> 桂川中学校にて、卓球新人戦女子個人の部Dブロック予選が行われました。 1年の部 優勝:H・Mさん、7位:N・Mさん の2名が全市決勝に出場します。 なお、全市決勝大会は,男女とも2月12日(日)に大宅中学校で行われます。熱い応援をよろしくお願い致します。 今年度最終の校内研究授業![]() ![]() ![]() 1年3組は技術(のこぎりの種類と特徴)を、2年3・4組男子は体育(体育館にてフットサル)を行いました。 今回で今年度の研究授業は終わりますが、これからも「一人ひとりの学ぶ権利の保障」を目指した、「授業改善」を行っていきます。授業においてみんなの瞳が輝き、友達関係がより深まっていくことを切に願っています。 近畿バレーボール選抜京都府予選![]() ![]() ![]() 1試合目は、東輝中学校と対戦し2−0のセットカウントで見事勝利を収めました。 2試合目は強豪城北中学校です。1セット目、劣勢から追いつき追い越しましたが、このセットを奪われてしまいました。結局セットカウント0−2の惜敗でした。新人戦5位に入賞しましたが、十分に持てる力を発揮できませんでした。 あと3ヶ月で春の大会です。この悔しさをバネに、更なる飛躍を期待します!! ちょっといい話―56―![]() ![]() ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『たった一つの命だから,希望を持って生きたい』 僕は小さいときから,できのいい子と呼ばれる子どもだった。祖父も父も伯父も兄弟も全て一流大学をストレートで卒業し,いわゆるエリート一家という環境で育った。 父と兄は医者の道に進み,僕は人と話すことが苦手なこともあり,司法の道を選んだ。 僕も2年前ストレートで一流の大学に入り,それなりの学生生活を送っていた。しかし,今年の春,僕は希望を突然失った。何のために自分は生まれているのか…僕は誰なのか…僕を知っている人は,僕の何を知っていて,僕がどういう人間なのかを語ることができるだろうか…鏡の中の自分に問いかけた。友人に聞いた。お前は個性のないやつだから,難しい質問はするなと言われた。それから,この先が見えなくなった。外に出ても白黒の世界…人が無表情にしか見えない。外に出るのが怖くなった。人と合うのもイヤになった。教授と話して大学は休学して,夏に帰省した。10キロやせて帰ったので母親が心配した。病院にも行った。 そんな時ラジオから「マイペースで生きなさい」という言葉を聞いた次の週も聞いた。人って生きていてつらい思いをするものなんだなと思った。何週目かに19歳で声が出なくなり,体が動かなくなった大学生の話を聴いた。大学を受けなおしたと聞いた。 ショックだった。 なぜなら,僕は親にも誰にも言い出せずどこかで悶々としていた自分の姿を重ね,違う道に進ませてくれと心が叫んでいることに気づいたからだ。また,違う悩みが始まった。親にどう説明したらいいのかわからない。 今日公園に行った。お昼に老夫婦が隣のベンチに座って僕におにぎりを差し出してくれた。かしわ餅…僕の好物だった。僕はこのおばあちゃんに悩みを打ち明けた。そしたら,「そんな魂の抜けた息子の姿を見ることほど親は辛いものはない。思い切って話してごらん。」と言ってくださった。 やっと今日親に相談した。やりたい道に進んだらいいと両親が言ってくれた。兄貴は早く言えと僕をしかった。 やっと心が晴れました。やっとトンネルから抜け出しました。もう一度受験勉強をやります。そして僕は誰なのか,堂々と人に言えるよう頑張ってみます。 たくさんの人のメッセージが,僕を生き返らせてくれました。ありがとう。今日のおばあちゃんありがとう。ドリームさんありががとう。ワンライフプロジェクトさんありがとう。僕は心を打ち明けることが出来る人をすごいなあと思っていました。でも,今日そんな自分になれた。まだまだ,この先いろいろなことがあると思う。思うけれど昨日までの自分ほど悩むことはないと思う。 僕は医者の足りない国で働く医者になります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 紆余曲折・試行錯誤しながらも、自分を見つめなおし、本当の自分を探し出した彼にエールを送りたい気持ちになりました。家族をはじめ、公園のおばあちゃん、またラヂオの聴講者の皆さんの支えが、悩んでいた彼を元気づけ、勇気を与えてくれたのだと思いました。(写真は、春日丘中学校区地域生徒指導連絡協議会のカレンダーで掲載されました人権ポスターです。) |
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