最新更新日:2024/10/18 | |
本日:2
昨日:535 総数:2385891 |
どうぞよいお年を
今回は週刊月曜日になりました。
年の瀬。雪が舞う,底冷えの。 いろいろなことを考えることになった,この年が行こうとしています。 こんなことをやった,こんなことができた,と言えればよいのですが,残念なことに,そうではない1年が過ぎようとしています。 講演会が続きました。12月17日には宇宙船地球号の山本敏晴さん。12月21日にはJAXAの白石紀子さん。写真や生徒の感想は,HPの「学校の様子」でご覧ください。 山本さんのお話でもっとも興味深かったのは,アフリカで医師(看護師)を育てるということ。自分がそこにいなければどうにもならないというのでは,本当の国際協力にはならない。次につなぐという強い意志に,雷に打たれたような衝撃を受けました。 白石さんのお話では,H-IIBロケットチームの150人に,1人たりとも必要のない人はいないということ。一緒に取り組むだれもが役割をもっている。そんなあたりまえで大切なことを忘れかけていたかもしれない,という思いになり,ちょっと慌てました。 さらには,H-IIAロケット6号機のこと。白石さんが初めて発射指揮のアシスタントをした6号機は,発射後に固体ロケットが分離せず,危機回避のため指令により破壊されました。徹底した原因究明。設計変更と全体計画の見直し。そして製造された7号機。 スタッフは,この7号機をRTF1号機と呼んだそうです。リターン・トゥ・フライト。失敗を乗り越えて,再び飛ばしたい。実用可能な,信頼性の高いロケットを開発する。それが実現されて,H-IIAロケットプロジェクトは解散し,民間移管へ。 「さびしかったけど,『もう開発の必要がない。運用が始まるんだ』と思いました」 最近の生徒との会話から。 進路の話をいろいろとしていて, 「先生は,十八歳のときに教師になろうと思ってたんですか?」 「いや,思ってはいなかった。単純な発想だけど,法学部に行って法曹になろうと思ってた。でも,入れなかったから,あきらめてしまったんやね,結局」 「いま十八歳に戻ったとしたら,やっぱり法学部を受けますか?」 「え? うーん,いや,受けないと思う。いまなら,哲学をやってみたいと思う。あれ,さっき君,哲学って言ってたよね」 哲学をしたいと思う十八歳。「君,本当にするのか」と思いながら,少しうらやましく感じました。 <探究>で『宮澤賢治の詩におけるローマ字表記の意味』という論文を書いた生徒。 「君は賢治の詩でどういったところが好き?」 「あの,『春と修羅』で,本当におれが見えるのか,というところが」 「君もそうか。あそこはいいね。小澤俊郎という,筑摩の校本賢治全集の編集をした先生から,賢治の詩はよくわからないけど,わかる所だけを読んでも,とってもいいんだと言われたことがある。気が楽になりましたよ。そうか,全部わからなくっていいんだって」 …… 草地の黄金をすぎてくるもの ことなくひとのかたちのもの けらをまとひおれを見るその農夫 ほんたうにおれが見えるのか まばゆい気圏の海のそこに (かなしみは青々ふかく) ZYPRESSEN しづかにゆすれ 鳥はまた青ぞらを截る (まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる) …… 放送部の女子生徒四人が,昨日の日曜日にあった全国高校駅伝大会の開会式と閉会式の司会をしました。今日の毎日新聞に大きく紹介されて,きれいに並んで澄まし顔。 開会式では,「名前を間違えないのはもちろん,選手たちが『がんばろう』と気合が入るような声で読み上げたいと思います」。 閉会式では,「おめでとうという思いを込めて,笑顔で務めます」。 男子の最後に帰還したコザ高校の最終走者に,スタンドから大きな拍手。 結果は揺るぎない事実。されど,走り切ったすべての選手たちが当然受けるべきものは,あたたかい声援と心からの賞賛。 明日はまた東京です。中教審の高等学校教育部会。雪が少し心配ですが。 今年もまた,さまざまな方々から,そして生徒から,力をもらいました。 新しい年を,希望を失うことなく迎えたいと思います。 みなさん,どうぞよいお年を。 34号(2011.12.26)……荒瀬克己 コミュニティカレッジ講演会(2011/12/17, 12/21)
12月17日にNPO法人「宇宙船地球号」の山本敏晴氏を、12月21日に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の白石紀子氏をそれぞれお迎えして、コミュニティカレッジ講演会を行いました。
以下は、生徒の感想からの抜粋です。 12月17日 山本敏晴氏 「今まで、自分は『環境問題に目を向ける』といってもどこか他人事のように考えていたけれど、誰一人として客観視していい問題ではないことが今回のお話でわかった。」 「日本・世界の現状を知ってショックでしたが、それは全て私たち人間の責任で、改善していかなければならないと思いました。国際協力師にならなくても、常に『国際協力』を意識して生活していきたいと思います。」 12月21日 白石紀子氏 「日本でこんなにたくさんのロケットが打ち上げられていたことに驚きました。また現場で活躍していらっしゃる方のお話だったせいか、技術が日々進化していることを実感し、すごいと思いました。日本人として、とても誇りに思うべきことだと感じました。」 「お話されているときの白石先生がすごくわくわくしてらっしゃるように見えて、本当に自分の仕事に誇りをもっていらっしゃるんだと感じました。」 写真上:山本敏晴氏の講演会の様子 写真中:白石紀子氏の講演会の様子 写真下:白石氏より堀川の生徒へ送られたメッセージ ひまわり
週間火曜日(水曜日?)を読んでくださった方から,丁寧なメールやご連絡をいただいています。心から感謝します。
きちんとご返事ができていないのを心苦しく思っています。申し訳ありません。 震災後,生徒会が「京都堀川ライオンズクラブ」と「堀川と堀川通りを美しくする会」のお世話になり,仙台市立仙台高校に激励のメッセージを送りました。天井から床までを超える長さの懸垂幕で,脇に「つらいことがあったら声に出して吐き出そう。みんなが味方」とあって「心はひとつ」と大書されています。言葉は生徒から募集したものを生徒会執行部がまとめました。 先日,修学旅行で京都にやってきた仙台高校の生徒たちの訪問を受けました。飾られた懸垂幕の写真と,袋にいっぱいのひまわりの種を届けてくれました。応対した生徒会担当によると,付添いの先生が,ひまわりの種は放射線量を計測してあるので大丈夫だと説明なさったそうです。 長さ1センチ,幅5ミリほどの黒い無数の種。この一粒ずつが,希望の種になることを祈ります。 過日,高校の担任の古希を祝う会がありました。先生は,在職中に8回の卒業生を出しておられます。3年ごとに8回。最年長は私たちで,50代から30代までの卒業生が集まりました。 その中に,毎日新聞の編集委員をしている後輩がいて,「赤ちゃんへの手紙」について教えてくれました。「未来への手紙プロジェクト」というそうです。 送られてきた資料によると,「生まれてくる,あるいはすでに生まれた赤ちゃんに手紙を書こうという運動です。赤ちゃんが生まれたときの感動や喜びを文字にして残し,大きくなった赤ちゃん,つまり子どもに伝えようとする試みです。同時に児童虐待が5万件を超す今の時代,親が年月を経た自分自身に伝えるメッセージという意味も込めています。当たり前ですが,赤ちゃんは自分が生まれたときのことを書き残せませんので,ぜひ伝えてあげてください。自分が祝福されて生まれてきたという事実を,反抗期を迎えたときにも確認させてあげてください。そして親自身も将来,そのときの感動を思い出すことで子育ての悩みを緩和できるように願っています。ということで『未来への手紙』なのです。赤ちゃんが生まれたときには手紙を書く,ということが社会の習慣になることを目指しています」。 春の初めに未曾有の災害があった今年,だれもが自分たち自身と自分たちの周りを見つめ,大切にしようとしています。7月から始まったこの運動にはスポンサーもつき,FMの放送や毎日新聞の掲載もあって,徐々に動き出しているようです。 よいヒントをもらった気になりました。どこかで生徒たちに伝えたいと思っています。 四条烏丸近くのすし屋に行ったら,卒業生が一人で三人の子どもを連れて来ていました。この店は,彼の同級生が夫と二人で切り盛りしています。 「先生,ご無沙汰しています」 「こちらこそ」 「今日はヨメサンが外出しているもので」 「何年生?」 「……」 女の子は恥ずかしそう。 そこへいちばん小さな子が入ってきて, 「みっつ」 「そう。きみは,なんねんせい?」 「1ねん。ぼくサッカーやってるねん」 「へえ,そうか。いいなあ」 「つよいで。レイソルとやったら,かつもん」 「すごいなあ」 「『あかつき』や」 「そうか『あかつき』か」 「しってるの?」 「しってるよ。『あかつき』はつよいからなあ」 「あのなあ,こうこうって,ちこく3かいで,1かいけっせきやろ」 「え,なんでしってるの?」 「しってるで。ちこく3かいで,1かいけっせきや」 卒業生が割って入って, 「なんで,おまえそんなこと知ってるんや?」 卒業生は,もう44歳になったでしょうか。三年生のときに担任をしました。なかなかのやんちゃ坊主で,欠席も遅刻も周到に計算していました。彼はいま,京都市内に数軒の焼肉レストランをもつ実業家。おいしいという評判の店です。 「先生,このままずっと堀川ですか?」 「さあ。自分で決められへんからね」 「娘はいま三年生で,あと6年で高校なんですが,そのとき堀川に,いはりますか?」 「ははは。それは無理やねえ」 仕事の話になって,まだ店を増やすのかと尋ねると, 「ぼくは今のままで十分なんですが,若い社員の気持ちを考えると,いろいろとチャンスを広げておかないといけないかなと思いますね」 「なるほど,トップは大変やね」 話す間も,まとわりついてくる息子と娘たちに話しかけ,あいづちを打ち,食事をとらせる姿が板についていて微笑ましい。 「いいおとうさんやね」 「そうですか。ぼくは趣味もないし,子どもと一緒に遊んでいられたら……」 幸せ,という言葉をビールと一緒に飲みこんだ横顔が頼もしく見えました。 廊下を歩いていたら,一人の教員が話しかけてきました。 「少し話していいですか」 「いいですよ。どうぞ」 「学校の前で乳母車を押す母親を見ました」 「まさかぶつかったんじゃないでしょうね」 「先生。それは大丈夫です」 「よかった。失礼しました」 「母親の両側に小さな姉妹が乳母車をつかんで歩いていました」 街路樹のイチョウが葉を落とした,北風の吹く堀川通りを歩く母親と幼子たちを想像して,ふと高校時代に読んだ千家元麿の詩を思い出しました。 「そしたら,下のほうの子がつまずいて転んだんです。すると反対側にいた上の子が,母親の後ろを回って妹のところに行って,助け起こして,手を握って,その手を大きく振りながら,大きな声で歌いだしたんです」 ああ,そんな光景を見たのか。熱いものを感じます。 「感動しました。母親は何も言わずに,その親子は御池通りのほうに歩いていきました」 話してくれた教員の目は光っていました。笑うと,その光が頬を伝いました。 彼はうれしいときにうれしい顔をする,素直な人です。 お姉ちゃんもまた,そのようにしてもらったことがあったのでしょう。たぶん母親に。何度もあったのかもしれません。だから自然に振舞えたのでしょう。 子どもたちは,希望です。 今日で平常授業が終わりました。 2年生のアセンブリーがあり,実に普通のことを話しました。我ながらあきれるくらい普通のことです。しかし,生徒たちはじっと見つめて聞いてくれていました。ありがたいことです。内心はいざ知らず,と言うのを控えなければならないと思うほどの,まなざしの素直さ。 明日からは冬休み。ですが,まだいろいろとあるのが高校生の厳しい現実です。 からだに気をつけて。しっかりと,目の前のことを。もちろん,遠くを見つめつつ。 ひまわりの花言葉は,あこがれ。 明日はいよいよ,JAXAの白石紀子さんの日です。 33号(2011.12.20)……荒瀬克己 12月行事予定の訂正について
過日,アップしました12月行事予定において,17日の
1年保護者会の時間が間違っておりました。お詫びして 訂正いたします。 (誤) (正) 1年保護者会(10:30〜) → 1年保護者会(10:00〜) 3年生を激励する会(2011.12.13)
本日、カフェテリアにて「3年生を激励する会」がPTA主催で行われ、3年生にパン・クッキーと紅茶やジュースが振る舞われました。パンとクッキーは、白河総合支援学校の生徒が作ったものです。
(写真:カフェテリアの様子) “May I help you?”を日本語で
月蝕の翌々日。出張からの帰りに地下鉄から出てきてふと見たら,東の空に雲をまとって月が昇っていました。にじんだように見えるのは,私の技術のつたなさゆえです。
「耳が聞こえないと何に困ると思いますか?」 何人かの教職員が答えます。 「それも近いけど,聴覚に障害があると困るのはコミュニケーションです。一方,私のように目が見えないと,情報が入って来ません。人間が生きていくための情報は80パーセントぐらいが目によります。文字情報が入らないのは,移動も含めて本当に困ります」 「視覚障害者と話すときは,うなずいてもわかりませんよ。『はい』とか『いいえ』とかとはっきり言ってください」 「自分が見えていたころは,目の不自由な人への接し方がわからず,かわいそうな人とか不幸な人とかとしか思えませんでした」 「知らなかったら考えられない。ぜひ知ってください」 「網膜色素変性症が悪化して,私は40歳で見えなくなりました。自分の手を目に近づけてまだ見えているという状態がだんだんと見えなくなっていった。いまどんな感じかというと,全部灰色です。目が覚めても,朝か夜かはわからない。全部灰色。それまで勤めていた児童養護施設を退職し,京都ライトハウスで中途失明者生活訓練を受けました」 松永信也(まつながのぶや)さんのお話に引き込まれました。松永さんは,京都府視覚障害者協会副会長,京都市社会福祉審議会委員で,『風になってください』(2004年,法蔵館),『「見えない」世界で生きること』(2008年,角川学芸)という本も出しておられます。管理職研修でお話を聞いた副校長と教頭が,ぜひ校内研修にということで,先週あった教職員人権研修会にお招きしました。 「駅のプラットホームを歩くのは怖い。見えないから階段の場所がわからない。横断歩道も,音が鳴っても上からで,まっすぐには歩きづらい。音が鳴らない横断歩道では,車の音で見当をつけて歩いています」 「電車の中でも,バスの中でも,空いている席を教えてください。目をつぶって立ってみたらわかるはずですが,バランスをとるのにとても疲れますし,危ないです」 「どうか声をかけてください。白い杖を持っている人に。『お手伝いしましょうか』と。数少ないけれど盲導犬を連れている人にも。盲導犬は万能ではない。コンビニへ行けと言っても連れて行ってはくれません」 「私も見えていたときには声をかけられませんでした。断られたらどうしようと思ったから。声をかけたのに,もしも断る人がいたら,どうか『お気をつけて』と言ってください」 副校長は管理職研修で,「かけてくれる声は英語のほうが多い」と聞いたそうです。講演の中でも松永さんは,駅のプラットホームに安全柵をつけることも大事だが,人の声が聞きたいとおっしゃっていました。 “May I help you?”この言葉を,ぜひ日本語で。 「あるとき,生まれつき見えない女性が私に言いました。『松永さんは何色が好き?』 私は見えていたから色がわかるけど,この人にはわからないはずだから,どう答えたらよいかとためらっていると,『あのね,私の好きな色はピンク。小さいときに服を買ってもらって,みんなが可愛い,可愛いって言ってくれて,その色がピンクって聞いたから,ピンクがいちばん好き。だから,私の持ち物はピンクが多いんや』。その女性のうれしそうな声」 「花見に行くんですよ。花びらに手を触れさせてもらって,ああ桜や,柔らかい花びらやって,うれしくて」 「見えなくなるのはつらいけど,仕方がないとあきらめられる。あきらめるときは見えないことに向かい合うときです。見えないということを受けとめる。しかし,社会に参加できないのはとても悲しい」 昨日は東京に行っていました。東京駅から丸ノ内線で霞が関へ。丸ノ内線はワンマン運転しているためか,早くに安全柵が設置されたように思います。 東京の地下鉄は案内表示が行き届いています。改札口までの距離表示があちらこちらに。案内表示も途切れることなく,目的の場所まで導いてくれます。少し前になりますが,駅や地下通路に,「立ち止まって見ていただけないのが誇りです」といったようなポスターがありました。まさにそのとおり。一瞬で視覚に訴える見事さ。立ち止まらずに歩けます。このことは掛け値なしにすばらしい。 東京の生活に慣れた人が京都に来ると困るかも知れません。東京の人のみならず,地下鉄京都駅で降りて南口から近鉄京都駅に行こうとして,迷子になった人がいます。これは相当に「改善の余地あり」です。 東京でも京都でも,駅や町の表示はとても重要ですが,もちろんそれだけでは十分ではありません。それを補完する,いや,町を人間の住む場所にする,そのためには,人間の心や言葉が欠かせません。 松永さんのお話を聞いていろいろと思いがめぐりました。 人があたりまえに生きるというのはどういうことか。 そのために,社会はどうあることが求められるのか。 そこで人はどうすることが求められるのか。 東京駅の照明がずいぶん明るくなりました。まだすべてが点いているわけではありませんが,最近のことでしょうか,9か月前に比べるといろいろな光が戻ってきました。 これが被災地の復旧に比例しているのならば,と思います。 今朝5時過ぎ,外に出たら西の空のまだ高いところに皓々(こうこう)と冬の月。北の空を見ましたが,月光が空に映えて星は見えませんでした。 11月ごろには,ひっくり返った北斗七星がありました。そこからこぼれ落ちたような,小さなしずく。 北極星。 この星を見ると,背筋がしゃんとするような気がします。 32号(2011.12.13)……荒瀬克己 小・中・高等・総合支援学校 児童・生徒 ポスター発表会
小学校・中学校・高等学校・総合支援学校から100名あまりの児童・生徒が、それぞれの探究活動の成果をポスター形式で発表しました。
発表会は第1部と第2部それぞれ45分ずつ行われました。各部50名ほどの発表者が一斉にポスターの前で発表を始め、45分間の中で聞き手は自分の興味のあるテーマのポスター発表を自由にまわり、発表者は集まってきた聞き手に対してポスターを指し示しながら発表を行いました。発表途中で聞き手が質問し、それに発表者が応答しながら発表が進んでいくので、聞き手が変わるたびにちょっとずつ違った発表になっていきます。発表者だけでなく、それを聞く人が一緒になってそれぞれの発表が作り上げられていました。 発表会後は、発表した児童・生徒がグループに分かれ、自分が発表を行って、あるいは他の発表者の発表を聞いて感じたことなどを交流しました。「うなずいて聞いてもらえたのがとてもうれしかったので、今度はもっとうなずいてもらえるような発表をしたい」「話し手にあわせて話し方を変えることが大切だと気づいた」といった意見が多く、校種をこえた交流によって、年齢や経験の異なる相手に思いを伝える難しさと伝わる楽しさを改めて実感していました。 写真上・中:発表会の様子 写真下:交流会の様子 第4回 探究道場(2011.12.3)
本校は,スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受け,「課題を具体的に設定し,解決する力」を育成する教育の研究を進めてきました。この成果を普及すべく,本年度より中学生を対象とした探究的・発展的な特別講義・実習を『探究道場』として実施しています。
第4回目のテーマは「理科で探究II ミズから考える科学」。中学生約50名が参加し,水をテーマに探究活動を行いました。 3〜4人のグループに分かれ,前半では,理科年表のデータを参照したり,氷水の温度を測る実験をしたりすることで水がもつ特性を確認しました。後半では「もしも水にこれらの性質がなかったら…」というテーマでグループ内でディスカッションをし,そこで話し合った結果を全体に向けて発表。質問も飛び交い活発な議論が行われました。 今年の探究道場は合計4回実施,来年度も継続して行う予定です。詳細は決まり次第ホームページに掲載します。 写真上:全体の様子 写真中:グループでの取組の様子 下:発表の様子 とっておき
2011年1月22日,宇宙ステーション補給機「こうのとり」2号機(HTV2)を搭載したH-IIBロケット2号機が,種子島宇宙センターから打ち上げられました。(写真はJAXAホームページから)
週刊火曜日がまた遅配しました。 申し訳ありません。 その代わりと言ってはなんですが,とっておきのお知らせです。 12月21日(水)に,白石紀子さんをお迎えしてコミュニティカレッジ講演会を開きます。 白石紀子さんは,独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)のロケット発射指揮者で,写真のH-IIBロケット2号機の発射は,白石さんの指揮によるものです。 2009年9月に初めて打ち上げられたH-IIB ロケット試験機(1号機)は,国際宇宙ステーション(ISS)へ補給物資を届けるために開発された無人の宇宙船・HTV(こうのとり)を搭載していました。その発射の指揮にあたったのも白石さんです。 私は,2009年の発射に際して放送されたNHKニュースの特集で,白石さんを知りました。 JAXA初の女性発射指揮者。その指が,打ち上げ270秒前の「自動カウントダウンシーケンス開始」の発令ボタンを押す。数少ない発射可能なタイミングに向けて,さまざまなシーンで起こるトラブルを克服してきた150人のスタッフの期待が,その指にかかる。そのプレッシャーの中で厳しく求められる冷静で的確な判断と行動。そして,それをやってのけたあとの笑顔。 感動しました。 その白石さんが,12月21日に堀川高校で話してくださいます。 どうぞお越しください。 詳しくは,堀川高校HPの「コミュニティカレッジ」から「本年度開催予定」にお進みください。http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/horikawa/commun... 以前,的川泰宣(まとがわやすのり)さんにお会いしたことがあります。的川さんはJAXAの技術参与で名誉教授です。教育にも熱心で,「宇宙教育の父」と呼ばれている,とてもすてきな方です。横浜でシンポジウムがあって,そこでご一緒したのですが,その前日はロケットの発射で種子島におられたということでした。 控室で話していたときに「いやあ,きれいな,いい発射でした」と穏やかな笑顔でおっしゃいますので,「どんな発射が『きれい』とか『いい』とかなんですか」とお尋ねすると,「ははは,そりゃあ成功したらみんなですよ。それで,島の漁師さんたちと一緒に祝賀会でしたよ」と本当にうれしそうでした。 ちなみに,その会場にノーベル化学賞の田中耕一さんが来ておられて,終了後にお話しさせていただきましたが,それはさておき,ロケットの発射というものが,どれほどの周到な準備が必要で,どれほどの緊張が伴うものかということを,初めて想像しました。それまでロケット発射の成功や不成功は,ニュースの中の出来事でしかありませんでした。 目の前にいる人が関わっていて,そのほかにもいっぱいの関係者がいて,おびただしい時間と労力が注がれ,指示が飛び交い判断が重ねられ,地球の位置も天候も深く関係した,その先にロケットがあって,何もかもすべてがぴったり交わったとき,その巨体が閃光と轟音と白煙の中を上昇する。 アメリカのフロリダ州にあるNASAのケネディ宇宙センターに行ったときは確かに感動しました。しかし,実際にロケットに関わっている人と話すことの感動がまったく異なるものであることを,的川さんにお会いして知りました。 堀川高校の数学科の教員に,井尻達也という人がいます。実は,彼はJAXAに勤め,国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」の製作に深く関わっていましたが,自分の経験したことを高校生に伝えたいということで,教員を志しました。周囲の反対も強かったようですが,彼の意志はそれ以上に固く,惜しまれつつJAXAを後にして堀川にやって来ました。 堀川の教員たちはユニークな人が多くて,一緒に仕事をしていて実に楽しいのですが,彼もまた興味深い人物です。彼の話は何時間聴いていても飽きません。いろいろなことを教えてくれました。その話だけで何万字も書けるほど。 「自分で作ったものなのに,不具合が生じたからといって,宇宙へ直しに行くことができません。だから,不具合が生じないようにということが第一ですが,不具合の起こる可能性をゼロにすることはできませんから。そういう場合は,宇宙飛行士が直せるようにしておく必要があります」。 そうか,と思いました。彼の言葉は当然と言えば当然ですが,それを,「自分で育てた生徒なのに,うまくいかないことがあったからといって,その場へ助けに行くことができません。だから,うまくいかないことがないようにということが第一ですが,失敗の起こる可能性をゼロにすることはできませんから,そういう場合は,本人自身が乗り越えられるようにしておく必要があります」と置き換えてみるとどうでしょうか。私たちは当然のことができているか,ということを問われているように思いました。 さて,彼に会えたことでもまた,宇宙への思いが深まりました。ただ,しばらく前に子どもさんが生まれて,なかなか忙しいのでゆっくりと話す時間のないのが残念です。彼に数学を習っている生徒たちをうらやましく思います。 2年前に,白石紀子さんのことを話したら,すぐにメールを送ってくれました。白石さんからの返信は,まことに誠実な内容でした。その白石さんに会えて,直接お話を伺える。とても幸せです。 私は小学生のころ,大きくなったらロケットを作りたいと思っていました。少年雑誌の付録か何かで読んだ,アメリカの宇宙ロケット開発の指導者であるブラウン博士の話に引き込まれてしまったからです。ブラウン博士については後に伝記を読んで,いろいろと考えさせられましたが,それはともかく,博士は少年時代に,火薬を詰めたロケットを作って飛ばすのに夢中だったそうです。あるとき,点火したあとロケットが倒れてしまって,近所の鶏小屋だったか牛小屋だったかに突っ込んで,大騒ぎになってひどく叱られたというようなエピソードが載っていました。 これは子どもにとって,とても魅力的な話でした。母親が買い物に出たのを見計らって,すぐに家にあった花火の火薬を取り出し,ついでにマッチの頭のリンもいっぱい集めて,新聞紙で作ったロケット状の筒にそれらを詰め込み,残念ながら近所に鶏小屋も牛小屋もなかったので,うちの犬小屋に狙いをつけて点火したところ,わがロケットは,ブシュッ,ブワッと音を立てて,犬小屋をかすめて飛んで行きました。私は大変満足しました。犬小屋から何食わぬ顔で犬が出てきたので,思い切りなでてやりました。 しかし,しばらくして買い物から帰った母が燃えカスを見つけたのは誤算でした。問いただされ,顛末を白状させられ,こっぴどく叱られ,その日のおやつをもらうことはできませんでした。ブラウン博士と同じく私もひどく叱られましたが,その後ロケット開発に従事することにはなりませんでした。 <子どもたちへの注意> 火遊びは危険です。おとなの人がいないところでは,絶対にしないように。 前回の「本番」で曲の紹介が間違っていましたので,密かに訂正しました。申し訳ありません。 「バッハ,パルティータ2番ハ短調よりシンフォニア」と書くべきところ,「ハ短調」が「ハ単調」となっていました。記事を読んだピアニストに指摘してもらいました。 「本番」は消しゴムのない世界。自分の甘さを恥じます。 白石さんもまた,消しゴムのない世界に生きる方。 どんなお話を伺えるか,本当に楽しみです。 31号(2011.12.07)……荒瀬克己 12月,1月行事予定を掲載しました
遅くなりましたが,12月,1月の行事予定を掲載しました。
右の月間行事予定をクリックすると,それぞれの月の主な 行事予定をご覧になることができます。 |
|