京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/13
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6月3日(月)MBS放送 よんちゃんTV「ミルクボーイのおかんの代わりに学校行ってみました」(17:30頃)で本校が紹介されました! 「探究道場」第1回申込受付中。令和6年6月14日(金)17:00までです!

センター試験

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左:1月8日,東大寺二月堂からの夕焼け   右:二月堂の常夜灯。
ふっと「西方浄土」という言葉が浮かびました。


 小寒を過ぎ,寒さが本格的になってきました。そんな中,今度の土日は大学入試センター試験です。今年の堀川は2会場で,同志社大学新町校舎と京都教育大学。
 多くの学校がなさっていますが,堀川も当日は会場前で生徒たちの受験確認と本番直前の応援を行います。今年は初めて2会場になることもあり,3年生の学年主任は準備に余念がありません。その指揮のもと,例年ですと担任を中心に20人余りの教員が,200人ほどの生徒たちが入場するのを待ちます。
 待っているからよいという訳でもありませんが,普段の調子で本番に臨めるようにという,よく言えば師匠ないしはコーチの親心,実はやや甘めの取り組みです。いつもは「不親切」を心がけていますので,その場で驚く生徒もいます。本番で驚かせては意味ないじゃないかとも思いますが,恒例なので,3年生諸君,どうぞ落ち着いて,普段の力を発揮してください。
 同志社新町校舎は新生7期生以来5年目です。同志社のみなさん,毎年お騒がせして申し訳ありません。今年は,教育大のみなさんにもお世話になります。どうぞよろしくお願いします。
 当日の朝に生徒が体調を崩したり,交通機関の遅れで影響が出たりといった不測の事態に対応するために,学校で待機する連絡係もいます。追試験を含め,具体的な手続きは個々の対応となりますが,センター試験の制度上,在校生には学校が相当に関与します。
 いっぽう卒業生はというと,まったくの個人対応です。すべて自分でします。昨秋も受験用の調査書の交付申請に来た懐かしい顔に多く会いました。偶然に試験会場が同じになることがあります。そんな時は,少し照れくさそうです。
 卒業生諸君,この一年の取り組みの成果をいかんなく発揮してください。

 何年か前のことですが,京都府立医科大学が会場だった時,大学1年生の卒業生が後輩たちの応援に来てくれたことがあります。みぞれまじりの雪の降る寒い朝でした。
 この生徒は小さい時から子どもが好きで,幼稚園の先生か小児科の先生になりたいと思っていました。高校に入ってからもその思いを持ちつつ,しかし,しだいに別の進路を考えるようになっていきました。高校3年生の夏,思うように勉強がはかどらないで苦しんでいたときに,自分が何をしたかったのかということをあらためて考え直してみて,そのときに,医療に携わりたいという思いを新たにしたそうです。高3の秋,彼女は担任にその旨を伝えました。意志の強さを受け取った担任は,「それじゃあ,がんばってみるか」。

 一概には言えないだろうと思われるかも知れませんが,どういう生徒が合格しているかというと,次の7項目(順不同)に数多く該当する生徒です。
○学ぶことが好きで,多くのことに疑問をもつ
○いろいろなことに興味をもって取り組む,取り組もうとする
○楽しいことも楽しくないことも,なぜそうなのかを言語化できる,言語化しようとする
○よかったことを素直に喜べる,よくないことを他人のせいにしない
○自分の強みと弱みを知っている,知ろうとしている
○他人と一緒に楽しむ,楽しもうとする
○将来への志をもっている,もとうとしている

 簡単に言うと,「自分でやってみる」,「むやみに頼らない」ということになるでしょうか。これは塾や予備校に頼っているだけではだめだし,残念ながら,実は学校に頼っているだけでもだめだということです。
 なるほど,上の7項目に多く該当するような生徒なら合格するだろうが,そうでない生徒はどうするのか,と思われる方もいらっしゃるでしょう。そうですね,だからこそ「教育」が重要になります。
 堀川は「自立する十八歳」を育てることをめざしていますが,それは,近い話で言えば大学合格にもつながるものです。生徒が学ぶことで,周囲からの視点に言い換えれば,学ぼうとするきっかけを用意することで,さらに言うと,内発を促す外発をしかけることで,「自立する十八歳」を育てることができる,と私たちは考えています。まだまだ十分ではありませんが,生徒たちが近い進路にも,遠い進路にも,あるいは眼前の課題にも,自ら立ち向かっていく力を身につけてくれることを願って取り組んでいます。

 昨年末,医師になりたいという希望をもっている生徒が少し悩んでいる,と担任から聞きました。会ってみたら,小児科医になりたいとのこと。ふと,この子には彼女の話がいいかもしれないと思いました。先ほど紹介した医大生は,すでに研修医になっています。連絡をしたら,「ええっ! 私で役に立つでしょうか。うーん,ともかく伺います。でも時間がなかなか約束できなくって」。
 はたしてその当日,急患が入ったということで,遅刻する旨の電話がありました。会議室で待っている3年生のところに行ったら,本を開いて勉強していました。
 「少し遅れるそうです。医者は大変やね。悪いけど待っていてください」
 「はい」
 しばらくして,医者の卵の到着。寒いのに上気しています。「遅れてすみません」。その後1時間半ほど話してくれました。時折,廊下まで笑い声が聞こえていました。
 終わった後の立ち話。
 「どうでしたか?」
 「ありがとうございました。とても参考になりました」
 「えー,ほんと? 私ばっかりしゃべって,ごめんね」
 「いいえ」
 「この人は高校時代も思ったことをどんどん言う人やった。校則のコートの色がおかしいと言ったことも」
 「あれはおかしかったですよ。だって黒と紺はいいけど,グレーがだめやとか」
 「だから,その通りだと思ったからすぐに変更したやんか」

 その後,進路部長も交えて近所で食事をしました。
 「まじめな子ですね。とってもいい感じ。ところで先生,私いろいろ言いましたけど,結局,小児科には進まないんですよ」
 「どうして?」
 「小児科って,内科中の内科なんです。診察して検査して総合的に診療計画を立てる。そういう仕事は,本当に頭のいい人がやるべきなんです。私はそんなに頭がよくないし。悩みました」
 開けっぴろげに話してくれる表情に,悩みを何とか乗り越えた人の静かな落ち着きを感じました。
 「小児科医が少ないと言いますが,私の同期でも結構多くの人がめざすんです。でもぶち当たる壁の一つが親です。学校でもモンスターとかと言うでしょ。病院でもそうなんですよ。その対応に参ってしまう人が出てしまう。でも私は平気なんです。まあそりゃあ自分の子どもが病気なら,親は必死になるわなって思えますし,そういう親と話すのも苦にならないですから」
 「子どもは好きやけど,でも内科には向いていないように思うし,一時は医者をやめようと思ったこともありました」
 「他にもいろいろあって,1年くらいは死んだみたいになっていました。そんな中で,研修でやった外科の手術が結構得意で。私,家庭科が好きだったんですよ。裁縫とか料理とか得意で。手先が器用なんです。自信もあります。まだまだ技術を上げる必要は当然ありますが,子どもを主として診る形成外科医になりたいと思うようになりました。それから生き返って,必死で勉強して,ここに行きたいと思う病院に採用されたので,来年からそっちへ行くことになりました。子どもが怪我したり,生れつき何か障害があったりして外科手術をしないといけないとなると,子どもももちろんですが,親御さんもすごく心配じゃないですか。そういうときに役に立てる医師になりたいって思います。やっと自分の役立つ場所が見つけられて」
 一気に話す彼女を見ていると,高校3年生の7月,雨の西京極球場(現在の「わかさスタジアム」)のスタンドで,傘もささず柵にしがみつき,ずぶぬれになって同級生の応援をしていた姿が浮かびました。あの子が,こんなに大きくなった。
 「そうか,自分の場所を見つけたか」
 「はい,やっと」
 そう言ってサラダをほおばる彼女に,
 「ところで,君さっきからずっと話してくれてるけど,後輩へのアドバイスも長かったし,そんなに話し続けて疲れない?」
 「疲れますよお。眼の下なんかクマができてるし」

 今年は元旦から多くの神社仏閣へお参りしました。数多く祈りました。すべての誠実ないのちに,この大地に,幸いがもたらされますよう。

                      36号(2012.01.10)……荒瀬克己

グー・チョキ・パー

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昨年12月27日の,夕日を受けた富士。
この日,中教審高等学校教育部会で堀川の取り組みを紹介しました。
いつもながら,意余って力足らず。
その帰り,トンネルを抜けるとほのかにオレンジ色のかかった富士。
あわてて撮りましたので少し傾いていますが,いつも,富士は実に大きい。
  冠雪の富士越えていく鳥もあるべし  宜礼



 新しい年が明けました。
 今年は年賀状を一枚も書けていません。
 この場を借りて,早々にお送りいただいた皆さまに非礼をお詫びします。
 昨年までのご厚誼に感謝するとともに,この後も変わらぬご鞭撻をお願いいたします。

 転勤してきて1年目の教員と新年のあいさつを交わしたら,「もう今日から生徒が学校に来ていますね」と驚きの感想。部活も初練習ですが,自習室や図書館や進路資料室にも生徒が三々五々いて,廊下ではヒサシブリーとかオメデトーとかと,ひとしきり賑やかでした。

 校長室にいると,開け放した扉の前を通る教員たちが入ってきて,オメデトウゴザイマス,今年モドウゾヨロシクオ願イシマス。私も立ち上がって,ヨロシクオ願イシマス。
 進路部長がやってきて,しばらく話しました。これからの堀川のことやキャリア教育のことなど。お昼時になったので一緒に食事に。帰ってきてもそのまま話が続いて,「では,そろそろ」と退室する彼を見送って廊下に出たら,3年生の女子生徒がふたり。オメデトウゴザイマス。オメデトウゴザイマス。
 進路部長に数学の質問に来て,待っていたようでした。では3分後に,と言われたふたりは横の階段を上がって,自習室に行くのかと思いきや,そのまま階段の途中に立ったまま。ふと,じゃんけんをして勝ったほうが勝ち方の数だけ段を上がるゲームを思い出しました。
 それを話すと,
 「やりましたよ,よく」
 「グーはグ・リ・コで3段,チョキはチ・ヨ・コ・レ・エ・トで6段,パーはパ・イ・ナ・ツ・プ・ルで6段やったよね」
 「チョキかパーで勝たないと損やね」
 「でもグーでこまめに稼ぐことも大事やし」
 一緒に盛り上がっていると,進路部長が,「それ,どれを出すのがよいかという問題が東大入試にありましたよ」。
 すぐに問題を見せてくれました。

 1992年前期の理系の6番。
 A,Bの二人がじゃんけんをして,グーで勝てば3歩,チョキで勝てば5歩,パーで勝てば6歩進む遊びをしている。1回のじゃんけんでAの進む歩数からBの進む歩数を引いた値の期待値をEとする。
(1)Bがグー,チョキ,パーを出す確率がすべて等しいとする。Aがどのような確率でグー,チョキ,パーを出すならば,Eの値は最大となるか。
(2)省略(こちらは難問)

 「ええー! チョキはチ・ヨ・コ・レ・エ・トで6つなんとちがうの?」
 「チョ・コ・レ・エ・ト?」
 「チ・ヨ・コ・レー・ト?」
 進路部長から教わった私が,「東京では数え方が違うということやね。では解説しよう。つまりこの場合,答えは全部チョキ。なぜかと言うと,チョキでグーに勝ったら,(と言ってしまって)あれ? どういうこと? わからなくなった」。
 すかさず進路部長,「あとは自分で考えろ,ということですね」。
 生徒たちが上を向いて思案顔。そして笑って,
 「あ,そうか!」
 明るい声で,
 「先生,今度じゃんけんゲームしませんか」
 「いいね,5階まで使ってやろう。でも手が見えるかなあ」
 「そうか,相当差がついたら無理ですね」
 見上げる仕草に,子どもの無邪気さ。

 ふたりの内のひとりは,夏に別の生徒と一緒に明かりを消した進路資料室に座っていたことがありました。何をしているのかと尋ねると,
 「節電中です」
 「暗いと目が悪くなりますよ」
 「心の節電です」
 「え?」
 「ちょっと,いろいろと,ありまして」
 「電気は節約しましょうということだけど,心は節電しないほうがいいよ」
 「はい」
 思いが交錯する時をいくつも重ねて,生徒たちは大きくなっていきます。

 今日は薄暗く,寒さは厳しく,風は強く,さっきは雪が斜めに降っていました。
 明日は自然科学部を中心とした,希望者によるSSHフィールドワーク。舞鶴にある京都大学フィールド科学教育センター(舞鶴水産実験所)での研修と舞鶴引揚記念館の見学があります。天候が心配です。
 「8時に出発なので,7時半ごろに最終判断をします。舞鶴に電話をしたら,いまはみぞれ。本格的な冬将軍ではないようです」。
 みんな,気をつけて。

 2012年が始まりました。しかし,2011年が終わったわけではありません。変わることなく,この国に住む人間の叡智と誠実が厳しく問われています。
 明日のことを考え,今日を生きていくことの,切ないほどの大切さ。
 生徒たちと,教職員と,そのことを胸に刻んで,日々を重ねていきたいと思います。

                      35号(2012.01.04)……荒瀬克己

どうぞよいお年を

今回は週刊月曜日になりました。


 年の瀬。雪が舞う,底冷えの。
 いろいろなことを考えることになった,この年が行こうとしています。
 こんなことをやった,こんなことができた,と言えればよいのですが,残念なことに,そうではない1年が過ぎようとしています。

 講演会が続きました。12月17日には宇宙船地球号の山本敏晴さん。12月21日にはJAXAの白石紀子さん。写真や生徒の感想は,HPの「学校の様子」でご覧ください。

 山本さんのお話でもっとも興味深かったのは,アフリカで医師(看護師)を育てるということ。自分がそこにいなければどうにもならないというのでは,本当の国際協力にはならない。次につなぐという強い意志に,雷に打たれたような衝撃を受けました。

 白石さんのお話では,H-IIBロケットチームの150人に,1人たりとも必要のない人はいないということ。一緒に取り組むだれもが役割をもっている。そんなあたりまえで大切なことを忘れかけていたかもしれない,という思いになり,ちょっと慌てました。
 さらには,H-IIAロケット6号機のこと。白石さんが初めて発射指揮のアシスタントをした6号機は,発射後に固体ロケットが分離せず,危機回避のため指令により破壊されました。徹底した原因究明。設計変更と全体計画の見直し。そして製造された7号機。
 スタッフは,この7号機をRTF1号機と呼んだそうです。リターン・トゥ・フライト。失敗を乗り越えて,再び飛ばしたい。実用可能な,信頼性の高いロケットを開発する。それが実現されて,H-IIAロケットプロジェクトは解散し,民間移管へ。
 「さびしかったけど,『もう開発の必要がない。運用が始まるんだ』と思いました」

 最近の生徒との会話から。
 進路の話をいろいろとしていて,
 「先生は,十八歳のときに教師になろうと思ってたんですか?」
 「いや,思ってはいなかった。単純な発想だけど,法学部に行って法曹になろうと思ってた。でも,入れなかったから,あきらめてしまったんやね,結局」
 「いま十八歳に戻ったとしたら,やっぱり法学部を受けますか?」
 「え? うーん,いや,受けないと思う。いまなら,哲学をやってみたいと思う。あれ,さっき君,哲学って言ってたよね」
 哲学をしたいと思う十八歳。「君,本当にするのか」と思いながら,少しうらやましく感じました。

 <探究>で『宮澤賢治の詩におけるローマ字表記の意味』という論文を書いた生徒。
 「君は賢治の詩でどういったところが好き?」
 「あの,『春と修羅』で,本当におれが見えるのか,というところが」
 「君もそうか。あそこはいいね。小澤俊郎という,筑摩の校本賢治全集の編集をした先生から,賢治の詩はよくわからないけど,わかる所だけを読んでも,とってもいいんだと言われたことがある。気が楽になりましたよ。そうか,全部わからなくっていいんだって」
  ……
  草地の黄金をすぎてくるもの
  ことなくひとのかたちのもの
  けらをまとひおれを見るその農夫
  ほんたうにおれが見えるのか
  まばゆい気圏の海のそこに
  (かなしみは青々ふかく)
  ZYPRESSEN しづかにゆすれ
  鳥はまた青ぞらを截る
  (まことのことばはここになく
   修羅のなみだはつちにふる)
  ……

 放送部の女子生徒四人が,昨日の日曜日にあった全国高校駅伝大会の開会式と閉会式の司会をしました。今日の毎日新聞に大きく紹介されて,きれいに並んで澄まし顔。
 開会式では,「名前を間違えないのはもちろん,選手たちが『がんばろう』と気合が入るような声で読み上げたいと思います」。
 閉会式では,「おめでとうという思いを込めて,笑顔で務めます」。
 男子の最後に帰還したコザ高校の最終走者に,スタンドから大きな拍手。
 結果は揺るぎない事実。されど,走り切ったすべての選手たちが当然受けるべきものは,あたたかい声援と心からの賞賛。

 明日はまた東京です。中教審の高等学校教育部会。雪が少し心配ですが。

 今年もまた,さまざまな方々から,そして生徒から,力をもらいました。
 新しい年を,希望を失うことなく迎えたいと思います。
 みなさん,どうぞよいお年を。

                      34号(2011.12.26)……荒瀬克己

コミュニティカレッジ講演会(2011/12/17, 12/21)

12月17日にNPO法人「宇宙船地球号」の山本敏晴氏を、12月21日に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の白石紀子氏をそれぞれお迎えして、コミュニティカレッジ講演会を行いました。

以下は、生徒の感想からの抜粋です。

12月17日 山本敏晴氏
「今まで、自分は『環境問題に目を向ける』といってもどこか他人事のように考えていたけれど、誰一人として客観視していい問題ではないことが今回のお話でわかった。」
「日本・世界の現状を知ってショックでしたが、それは全て私たち人間の責任で、改善していかなければならないと思いました。国際協力師にならなくても、常に『国際協力』を意識して生活していきたいと思います。」

12月21日 白石紀子氏
「日本でこんなにたくさんのロケットが打ち上げられていたことに驚きました。また現場で活躍していらっしゃる方のお話だったせいか、技術が日々進化していることを実感し、すごいと思いました。日本人として、とても誇りに思うべきことだと感じました。」
「お話されているときの白石先生がすごくわくわくしてらっしゃるように見えて、本当に自分の仕事に誇りをもっていらっしゃるんだと感じました。」

写真上:山本敏晴氏の講演会の様子
写真中:白石紀子氏の講演会の様子
写真下:白石氏より堀川の生徒へ送られたメッセージ
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ひまわり

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 週間火曜日(水曜日?)を読んでくださった方から,丁寧なメールやご連絡をいただいています。心から感謝します。
 きちんとご返事ができていないのを心苦しく思っています。申し訳ありません。


 震災後,生徒会が「京都堀川ライオンズクラブ」と「堀川と堀川通りを美しくする会」のお世話になり,仙台市立仙台高校に激励のメッセージを送りました。天井から床までを超える長さの懸垂幕で,脇に「つらいことがあったら声に出して吐き出そう。みんなが味方」とあって「心はひとつ」と大書されています。言葉は生徒から募集したものを生徒会執行部がまとめました。
 先日,修学旅行で京都にやってきた仙台高校の生徒たちの訪問を受けました。飾られた懸垂幕の写真と,袋にいっぱいのひまわりの種を届けてくれました。応対した生徒会担当によると,付添いの先生が,ひまわりの種は放射線量を計測してあるので大丈夫だと説明なさったそうです。
 長さ1センチ,幅5ミリほどの黒い無数の種。この一粒ずつが,希望の種になることを祈ります。

 過日,高校の担任の古希を祝う会がありました。先生は,在職中に8回の卒業生を出しておられます。3年ごとに8回。最年長は私たちで,50代から30代までの卒業生が集まりました。
 その中に,毎日新聞の編集委員をしている後輩がいて,「赤ちゃんへの手紙」について教えてくれました。「未来への手紙プロジェクト」というそうです。
 送られてきた資料によると,「生まれてくる,あるいはすでに生まれた赤ちゃんに手紙を書こうという運動です。赤ちゃんが生まれたときの感動や喜びを文字にして残し,大きくなった赤ちゃん,つまり子どもに伝えようとする試みです。同時に児童虐待が5万件を超す今の時代,親が年月を経た自分自身に伝えるメッセージという意味も込めています。当たり前ですが,赤ちゃんは自分が生まれたときのことを書き残せませんので,ぜひ伝えてあげてください。自分が祝福されて生まれてきたという事実を,反抗期を迎えたときにも確認させてあげてください。そして親自身も将来,そのときの感動を思い出すことで子育ての悩みを緩和できるように願っています。ということで『未来への手紙』なのです。赤ちゃんが生まれたときには手紙を書く,ということが社会の習慣になることを目指しています」。
 春の初めに未曾有の災害があった今年,だれもが自分たち自身と自分たちの周りを見つめ,大切にしようとしています。7月から始まったこの運動にはスポンサーもつき,FMの放送や毎日新聞の掲載もあって,徐々に動き出しているようです。
 よいヒントをもらった気になりました。どこかで生徒たちに伝えたいと思っています。

 四条烏丸近くのすし屋に行ったら,卒業生が一人で三人の子どもを連れて来ていました。この店は,彼の同級生が夫と二人で切り盛りしています。
 「先生,ご無沙汰しています」
 「こちらこそ」
 「今日はヨメサンが外出しているもので」
 「何年生?」
 「……」
 女の子は恥ずかしそう。
 そこへいちばん小さな子が入ってきて,
 「みっつ」
 「そう。きみは,なんねんせい?」
 「1ねん。ぼくサッカーやってるねん」
 「へえ,そうか。いいなあ」
 「つよいで。レイソルとやったら,かつもん」
 「すごいなあ」
 「『あかつき』や」
 「そうか『あかつき』か」
 「しってるの?」
 「しってるよ。『あかつき』はつよいからなあ」
 「あのなあ,こうこうって,ちこく3かいで,1かいけっせきやろ」
 「え,なんでしってるの?」
 「しってるで。ちこく3かいで,1かいけっせきや」
 卒業生が割って入って,
 「なんで,おまえそんなこと知ってるんや?」
 卒業生は,もう44歳になったでしょうか。三年生のときに担任をしました。なかなかのやんちゃ坊主で,欠席も遅刻も周到に計算していました。彼はいま,京都市内に数軒の焼肉レストランをもつ実業家。おいしいという評判の店です。
 「先生,このままずっと堀川ですか?」
 「さあ。自分で決められへんからね」
 「娘はいま三年生で,あと6年で高校なんですが,そのとき堀川に,いはりますか?」
 「ははは。それは無理やねえ」
 仕事の話になって,まだ店を増やすのかと尋ねると,
 「ぼくは今のままで十分なんですが,若い社員の気持ちを考えると,いろいろとチャンスを広げておかないといけないかなと思いますね」
 「なるほど,トップは大変やね」
 話す間も,まとわりついてくる息子と娘たちに話しかけ,あいづちを打ち,食事をとらせる姿が板についていて微笑ましい。
 「いいおとうさんやね」
 「そうですか。ぼくは趣味もないし,子どもと一緒に遊んでいられたら……」
 幸せ,という言葉をビールと一緒に飲みこんだ横顔が頼もしく見えました。

 廊下を歩いていたら,一人の教員が話しかけてきました。
 「少し話していいですか」
 「いいですよ。どうぞ」
 「学校の前で乳母車を押す母親を見ました」
 「まさかぶつかったんじゃないでしょうね」
 「先生。それは大丈夫です」
 「よかった。失礼しました」
 「母親の両側に小さな姉妹が乳母車をつかんで歩いていました」
 街路樹のイチョウが葉を落とした,北風の吹く堀川通りを歩く母親と幼子たちを想像して,ふと高校時代に読んだ千家元麿の詩を思い出しました。
 「そしたら,下のほうの子がつまずいて転んだんです。すると反対側にいた上の子が,母親の後ろを回って妹のところに行って,助け起こして,手を握って,その手を大きく振りながら,大きな声で歌いだしたんです」
 ああ,そんな光景を見たのか。熱いものを感じます。
 「感動しました。母親は何も言わずに,その親子は御池通りのほうに歩いていきました」
 話してくれた教員の目は光っていました。笑うと,その光が頬を伝いました。
 彼はうれしいときにうれしい顔をする,素直な人です。
 お姉ちゃんもまた,そのようにしてもらったことがあったのでしょう。たぶん母親に。何度もあったのかもしれません。だから自然に振舞えたのでしょう。
 子どもたちは,希望です。

 今日で平常授業が終わりました。
 2年生のアセンブリーがあり,実に普通のことを話しました。我ながらあきれるくらい普通のことです。しかし,生徒たちはじっと見つめて聞いてくれていました。ありがたいことです。内心はいざ知らず,と言うのを控えなければならないと思うほどの,まなざしの素直さ。
 明日からは冬休み。ですが,まだいろいろとあるのが高校生の厳しい現実です。
 からだに気をつけて。しっかりと,目の前のことを。もちろん,遠くを見つめつつ。
 ひまわりの花言葉は,あこがれ。

 明日はいよいよ,JAXAの白石紀子さんの日です。

                      33号(2011.12.20)……荒瀬克己

感嘆符 12月行事予定の訂正について

 過日,アップしました12月行事予定において,17日の
1年保護者会の時間が間違っておりました。お詫びして
訂正いたします。

 (誤)           (正)
1年保護者会(10:30〜) → 1年保護者会(10:00〜)

3年生を激励する会(2011.12.13)

 本日、カフェテリアにて「3年生を激励する会」がPTA主催で行われ、3年生にパン・クッキーと紅茶やジュースが振る舞われました。パンとクッキーは、白河総合支援学校の生徒が作ったものです。

(写真:カフェテリアの様子)
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“May I help you?”を日本語で

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月蝕の翌々日。出張からの帰りに地下鉄から出てきてふと見たら,東の空に雲をまとって月が昇っていました。にじんだように見えるのは,私の技術のつたなさゆえです。



 「耳が聞こえないと何に困ると思いますか?」
 何人かの教職員が答えます。
 「それも近いけど,聴覚に障害があると困るのはコミュニケーションです。一方,私のように目が見えないと,情報が入って来ません。人間が生きていくための情報は80パーセントぐらいが目によります。文字情報が入らないのは,移動も含めて本当に困ります」

 「視覚障害者と話すときは,うなずいてもわかりませんよ。『はい』とか『いいえ』とかとはっきり言ってください」

 「自分が見えていたころは,目の不自由な人への接し方がわからず,かわいそうな人とか不幸な人とかとしか思えませんでした」

 「知らなかったら考えられない。ぜひ知ってください」

 「網膜色素変性症が悪化して,私は40歳で見えなくなりました。自分の手を目に近づけてまだ見えているという状態がだんだんと見えなくなっていった。いまどんな感じかというと,全部灰色です。目が覚めても,朝か夜かはわからない。全部灰色。それまで勤めていた児童養護施設を退職し,京都ライトハウスで中途失明者生活訓練を受けました」

 松永信也(まつながのぶや)さんのお話に引き込まれました。松永さんは,京都府視覚障害者協会副会長,京都市社会福祉審議会委員で,『風になってください』(2004年,法蔵館),『「見えない」世界で生きること』(2008年,角川学芸)という本も出しておられます。管理職研修でお話を聞いた副校長と教頭が,ぜひ校内研修にということで,先週あった教職員人権研修会にお招きしました。

 「駅のプラットホームを歩くのは怖い。見えないから階段の場所がわからない。横断歩道も,音が鳴っても上からで,まっすぐには歩きづらい。音が鳴らない横断歩道では,車の音で見当をつけて歩いています」

 「電車の中でも,バスの中でも,空いている席を教えてください。目をつぶって立ってみたらわかるはずですが,バランスをとるのにとても疲れますし,危ないです」

 「どうか声をかけてください。白い杖を持っている人に。『お手伝いしましょうか』と。数少ないけれど盲導犬を連れている人にも。盲導犬は万能ではない。コンビニへ行けと言っても連れて行ってはくれません」

 「私も見えていたときには声をかけられませんでした。断られたらどうしようと思ったから。声をかけたのに,もしも断る人がいたら,どうか『お気をつけて』と言ってください」

 副校長は管理職研修で,「かけてくれる声は英語のほうが多い」と聞いたそうです。講演の中でも松永さんは,駅のプラットホームに安全柵をつけることも大事だが,人の声が聞きたいとおっしゃっていました。
 “May I help you?”この言葉を,ぜひ日本語で。

 「あるとき,生まれつき見えない女性が私に言いました。『松永さんは何色が好き?』 私は見えていたから色がわかるけど,この人にはわからないはずだから,どう答えたらよいかとためらっていると,『あのね,私の好きな色はピンク。小さいときに服を買ってもらって,みんなが可愛い,可愛いって言ってくれて,その色がピンクって聞いたから,ピンクがいちばん好き。だから,私の持ち物はピンクが多いんや』。その女性のうれしそうな声」

 「花見に行くんですよ。花びらに手を触れさせてもらって,ああ桜や,柔らかい花びらやって,うれしくて」

 「見えなくなるのはつらいけど,仕方がないとあきらめられる。あきらめるときは見えないことに向かい合うときです。見えないということを受けとめる。しかし,社会に参加できないのはとても悲しい」

 昨日は東京に行っていました。東京駅から丸ノ内線で霞が関へ。丸ノ内線はワンマン運転しているためか,早くに安全柵が設置されたように思います。
 東京の地下鉄は案内表示が行き届いています。改札口までの距離表示があちらこちらに。案内表示も途切れることなく,目的の場所まで導いてくれます。少し前になりますが,駅や地下通路に,「立ち止まって見ていただけないのが誇りです」といったようなポスターがありました。まさにそのとおり。一瞬で視覚に訴える見事さ。立ち止まらずに歩けます。このことは掛け値なしにすばらしい。
 東京の生活に慣れた人が京都に来ると困るかも知れません。東京の人のみならず,地下鉄京都駅で降りて南口から近鉄京都駅に行こうとして,迷子になった人がいます。これは相当に「改善の余地あり」です。
 東京でも京都でも,駅や町の表示はとても重要ですが,もちろんそれだけでは十分ではありません。それを補完する,いや,町を人間の住む場所にする,そのためには,人間の心や言葉が欠かせません。
 松永さんのお話を聞いていろいろと思いがめぐりました。

 人があたりまえに生きるというのはどういうことか。
 そのために,社会はどうあることが求められるのか。
 そこで人はどうすることが求められるのか。

 東京駅の照明がずいぶん明るくなりました。まだすべてが点いているわけではありませんが,最近のことでしょうか,9か月前に比べるといろいろな光が戻ってきました。
 これが被災地の復旧に比例しているのならば,と思います。

 今朝5時過ぎ,外に出たら西の空のまだ高いところに皓々(こうこう)と冬の月。北の空を見ましたが,月光が空に映えて星は見えませんでした。
 11月ごろには,ひっくり返った北斗七星がありました。そこからこぼれ落ちたような,小さなしずく。
 北極星。
 この星を見ると,背筋がしゃんとするような気がします。

                      32号(2011.12.13)……荒瀬克己

小・中・高等・総合支援学校 児童・生徒 ポスター発表会

 小学校・中学校・高等学校・総合支援学校から100名あまりの児童・生徒が、それぞれの探究活動の成果をポスター形式で発表しました。
 発表会は第1部と第2部それぞれ45分ずつ行われました。各部50名ほどの発表者が一斉にポスターの前で発表を始め、45分間の中で聞き手は自分の興味のあるテーマのポスター発表を自由にまわり、発表者は集まってきた聞き手に対してポスターを指し示しながら発表を行いました。発表途中で聞き手が質問し、それに発表者が応答しながら発表が進んでいくので、聞き手が変わるたびにちょっとずつ違った発表になっていきます。発表者だけでなく、それを聞く人が一緒になってそれぞれの発表が作り上げられていました。
 発表会後は、発表した児童・生徒がグループに分かれ、自分が発表を行って、あるいは他の発表者の発表を聞いて感じたことなどを交流しました。「うなずいて聞いてもらえたのがとてもうれしかったので、今度はもっとうなずいてもらえるような発表をしたい」「話し手にあわせて話し方を変えることが大切だと気づいた」といった意見が多く、校種をこえた交流によって、年齢や経験の異なる相手に思いを伝える難しさと伝わる楽しさを改めて実感していました。


写真上・中:発表会の様子   写真下:交流会の様子
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第4回 探究道場(2011.12.3)

 本校は,スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受け,「課題を具体的に設定し,解決する力」を育成する教育の研究を進めてきました。この成果を普及すべく,本年度より中学生を対象とした探究的・発展的な特別講義・実習を『探究道場』として実施しています。
 第4回目のテーマは「理科で探究II ミズから考える科学」。中学生約50名が参加し,水をテーマに探究活動を行いました。
 3〜4人のグループに分かれ,前半では,理科年表のデータを参照したり,氷水の温度を測る実験をしたりすることで水がもつ特性を確認しました。後半では「もしも水にこれらの性質がなかったら…」というテーマでグループ内でディスカッションをし,そこで話し合った結果を全体に向けて発表。質問も飛び交い活発な議論が行われました。

 今年の探究道場は合計4回実施,来年度も継続して行う予定です。詳細は決まり次第ホームページに掲載します。
 

写真上:全体の様子  写真中:グループでの取組の様子 下:発表の様子
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行事予定
1/12 月曜振替授業
1/13 3年激励会(LHR時)
一斉清掃
1/14 1年土曜テスト
PST(9:30〜16:00)
大学入試センター試験
1/15 大学入試センター試験
2年:センターチャレンジ(校外)
1/16 3年:センター試験自己採点
京都市立堀川高等学校
〒604-8254
京都市中京区東堀川通錦小路上ル四坊堀川町622-2
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