最新更新日:2024/10/03 | |
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月
今日は木曜日ですので,「週刊火曜日」としては2日遅れのお届けとなります。いずれ紹介しますが,少々多忙にしていました。13日に予定どおりに出していたなら別の記事をご覧いただくはずでしたが,それは少し寝かせておくことにします。
1年生普通科の探究の課題で壁新聞をつくっているそうです。そうです,というのはいかにも頼りない話で恐縮ですが,生徒から聞いて知りました。昨日,その取材を受けました。事前にもらった伸びやかな手書きの依頼状には,「夏休みはどこに行ったか」,「印象に残っていることは」,また,「なぜ教師になったのか」,「生きがいや誇りは」,「いちばん大切にしている言葉は」という質問事項が並んでいました。 「どうぞよろしくお願いします」 「こちらこそ」 「ではまず,夏休みにどこへ行かれましたか?」 8月11日から15日までの土日を含めた5日間,学校には行きませんでした。その間に行ったところと言えば,比叡山延暦寺。夕暮れ時の根本中堂には光の群れ。お堂に座って読経を聴きました。 「そうそう,16日に近所のビルの屋上で大文字を見ました。鳥居以外は全部見えるんですよ。左大文字は相当角度がありますが。今年の送り火についてはいろいろと動きがあったでしょう。火が点くのを待つ間,少し緊張しました。ヘリコプターが高く遠く飛んでいて,そっちを見たら,大文字山と比叡山の間に薄暗い光があるのに気がついた。月かな,それにしても暗いなと思っていると,大の字の中心に火が上がって,しかしなかなか広がらなくて,いつもより文字の浮かび上がるのが遅いように感じて,ふっと視線を左に移したら,さっきの薄暗い光はやはり月でした。あまり時間は経っていないのに意外に昇っていて,黒い山並の上のぽっかりと開けた夜の空の闇に,漂うようにあります。それが,とても暗くて赤い月」 生徒はこちらをじっと見たままで,右手のペンだけがノートの上を走っています。 「それで17日なんやけど,名古屋・京都・大阪・神戸・堺,この五都市の高校の生徒指導の研究会が京都であって,私,そこに行ったんですね。記念講演があって,講師は高石ともや。知ってる?」 知りませんでした。高校1年生ですから無理もありません。当時のフォークソングの隆盛について説明し,北山修や加藤和彦について話し,「あの素晴らしい愛をもう一度」をくちずさんだら,「あ,その歌,知っています」。 当日のメモを取り出し,高石さんの話されたことを少し紹介しました。 講師紹介が私の役目でした。「受験生ブルース」も「思い出の赤いヤッケ」も,とても懐かしいというような紹介をして座ったら,開口一番「下のお名前は何とおっしゃいますか?」と高石さん。 「かつみ,です。己に克つ,と書きます」 「どなたがお付けになりましたか?」 「父だと聞いています」 生まれた時は単に哺乳類だが,名前が付けられたときに人間になる。こんな人になってほしいという願いや愛情によって人間になる。下の名前は,だから大切。誰かに愛されないと人間にならない。少年審判のときに,初めてフルネームで名前を呼ばれた少年がいたということをエバタ先生がおっしゃった。それまでは,オイとかソコノとかオマエとしか呼ばれていなかった。鳥取県皆生であった日本初のトライアスロン大会で優勝したときに,みんないろいろと言ってくれたが,エバタレイコさんは「ただ元気だけなら,ただの生き物よ」と言って,「私の車椅子のプロになりなさい。他の事を考えていたら私は仕事にならないから,あなたが私の車椅子を押しなさい」。「いろんなことを犠牲にして私のところに来ると,あなたにはいいことがある」。それで,40歳から車椅子押しのプロになった。エバタさんの言葉をいくつも聞きました。「節目に友あり。曲がり角に師あり」。「待っていてくれる人がいるから,人は希望を持って生きられるのよ」……。 エバタさんとは江幡玲子さん。1962年から20年間,警視庁心理鑑別技師。1982年に思春期問題研究所を設立。数々の相談や指導にあたり,執筆もされ,多くの人に慕われた人生を2004年に閉じる。 3月の震災前に,高石さんは奥さんを亡くされ,そのあと何もする気にならず,じっとしておられたそうです。生徒指導研究会でお会いしたのは8月17日。 「昨日が送り火だったので,私にとっては,今日からまた出発です」 あっという間の90分でした。昼食をご一緒しました。 「昨日,暗い,赤い月が出ていたのをご覧になりましたか?」 「ああ,そうでしたね。見ました」 思いを込めて名付けられた人たちが,あまりにも多く亡くなったこの半年。 文化祭でも震災の被災地支援の募金活動をしていた生徒会執行部員が朝玄関に立って,今度は台風12号の被害を受けた奈良県や和歌山県に送る募金を集めています。 五山の送り火も,赤い月も,見る人の目にどのように映ったことか。 「私,月には気づきませんでした」 生徒は残念そうに言いました。 「君の名前はどなたがお付けになったの?」 「おとうさん,あ,父です」 9月11日,日曜日の夜の府立植物園で月の観賞会がありました。自然科学部の生徒がお手伝いしました。今年の中秋の名月は12日でした。1日前の月は,小望月(こもちづき)。幾望(きぼう)とも呼ばれます。 2011.09.15……荒瀬克己 学校説明会
9月17日(土)に行いました普通科説明会に,430名あまりの方にご参加いただきました。在校生による学校生活や探究活動の紹介,パネルディスカッションなどに大きな拍手がおこりました。全体会後に個別相談や施設見学、探究公開ゼミなどを開催しました。アンケートにもたくさんの方にご協力いただきました。雨の中ご参加いただいたみなさま,ありがとうございます。
写真(普通科説明会の様子) 上:学校紹介 中:パネルディスカッション 下:探究公開ゼミ ありがとうございました
文化祭二日目,たくさんの方に来ていただきました。
現役生の保護者はもとより,卒業生も,卒業生の保護者のみなさんも。 今春卒業した新生10期生が,卒業記念としてアトリウムにスピーカーを寄贈してくれました。今回の文化祭がそのお披露目。東ブリッジの下にかかるバック幕は,5期生からの贈り物です。舞台としての整備が進み,特に音響が格段によくなったアトリウム。 そのアトリウムで3年生がパフォーマンスに燃えました。苦労した筋立て。凝った衣装や道具。入れ替わり立ち替わりの演技。最後はどのクラスも全員でダンス。狭い会場をいっぱいに使って踊る姿は若々しいエネルギーの爆発です。光る汗とまぶしい動き。そして迎えるフィナーレのはじけるような笑顔。来ていた卒業生の一人がつぶやきました。「ここまでくるのが大変やったなあ」。 順風満帆という言葉とは程遠い2か月。さまざまなぶつかりや意気消沈や苦しさを乗り越えて本番を迎え,夢中で演じきる30分。その最後の場面で,生徒たちはどんな思いになるのでしょうか。 他の日程はすべて終了して,3時30分から吹奏楽部のコンサート。60名の部員の演奏は圧巻です。アトリウムを囲む各階のブリッジや廊下も鈴なりの人だかり。演奏に合わせて始まるスウィング。引退する3年生一人ひとりの紹介が始まると,あちらこちらから声援。それに手を振って応える部員。 もらったプログラムに3年生部員の言葉が書いてありました。 「負けたら終わりでなく,やめたら終わり」 「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる」 「できないことはない。やらないだけである」 「一に努力,二に努力。不幸も何かの役に立つ!」 ウォルト・ディズニーの言葉やヘレン・ケラーの言葉もありました。みんな思い思いの言葉を連ねています。 「行きあたりばっちり」というのもありました。 言葉で支える,やわらかいこころ。 閉会式。生徒会長と文化部長のあいさつ。講評と各賞の発表。歓声が上がります。拍手が沸き起こります。そして恒例の「ありがとう」。 ………………… 昨日の開会式で,台風は去ったけど空は晴れないと言ってたが,さっきはまぶしい日が射した。賞をとったクラスも残念だったクラスもあるが,文化祭はいよいよクライマックスだ。 13期生いいか。12期生いいか。そして,11期生いいか。 いっぱい「ありがとう」を言いたい。堀川文化祭「ありがとう2011」。今年も心をこめてよろしく。 まず,今年は台風の影響で順延になりました。それだけでなくいろんな山あり谷あり。その中でさまざまに奮闘して開催にこぎつけてくれた生徒会執行部の諸君,本当に(とマイクを高々と上げると,アトリウムを震わせて) 「ありがとう」 いまも後片付けをしてくれている人がいる。野球部は長椅子を,陸上部はテントを用意してくれた。野球部は来週の秋季大会がんばってほしい。陸上部は近畿大会に4人出る。がんばってほしい。君たちの知らないところで文化祭を支えてくれたすべての人たちに 「ありがとう」 とりわけ,生徒部の先生たち 「ありがとう」 担任の先生や食堂のみなさんといった教職員編が続いて,次に。 君たちの取り組みを黙って見守る教室,講堂,アリーナ,廊下,階段,トイレ,5期生が卒業記念品でくれたバックカーテン,10期生のスピーカー,このアトリウムに 「ありがとう」 BIG BOXに 「ありがとう」 「わいわいサロン」で文化祭を盛り上げてくださったPTAのお母さん,お父さん 「ありがとう」 なかなか声に出して言えないけど,家族に。いろいろ言いたいだろうけど見守ってくれて,昨日来てくれて,今日も来てくれて,おかあさん,おとうさん,家族のみんな 「ありがとう」 他校の友だちも来てくれた。近所の方も。君たちに知ってほしい。卒業生の保護者の方が,月曜日に堀川へ行こうというメールを回してくださった。そんなふうに堀川を支えてくださるすべての方へ 「ありがとう」 先輩 「ありがとう」 出演したすべての諸君に,舞台裏で汗だくで頑張ったすべての諸君に,クラスのみんなに。言い争いもしたけど,ハプニングもあったけど,つらいこともあったけど,優しくしてくれて,厳しく言ってくれて,一緒にいてくれて 「ありがとう」 13期生に,「ありがとう」。12期生に,「ありがとう」。続いて11期生に,と言ったときにハプニングが起きました。3年生たちが,学年主任の名を呼び出したのです。そして拍手。何度か呼ばれておずおずとアトリウム中央に登場した学年主任に,声を揃えて, 「ありがとう」 クラッカーが鳴りました。きらきら光りながら舞う七色のリボン。 学年主任が3年生たちのいる1階を見つめ,2階を見上げ, 「ありがとう」 さあ続けよう。いま隣にいる友だちに いまここにいる自分に 今日という日に 明日が来ることに ありがとう 仲間たちに ありがとう ありがとう ………………… 生徒たちは最後に,いきものがかりの「ありがとう」を大合唱しました。1回で終わることなく2回歌いました。そのあと,We are the Horikawas! 私たちは堀川の仲間だ,という意味です。 文化祭が終わりました。アトリウムで肩を組んで歌っていた3年生たちが,床に散らばるクラッカーのリボンを拾い集めていました。 見えるものは,すべて見えないところで準備されている。また生徒たちから教わりました。 2011.09.06……荒瀬克己 写真左:9月6日,BIG BOXは青い空を背負って夏の終わりの夕日を受けていました。 写真中:文化祭が終わって日常に戻ったアトリウム。 写真右:アトリウムでフーコーの振り子だけが動いていました。 文化祭2日目の様子 その1
写真:3年生のパフォーマンス
文化祭2日目の様子 その2
写真:3年生のパフォーマンス
文化祭2日目の様子 その3文化祭初日の様子
写真 上:開会式 中:授業ダンス発表 下:茶道部 お茶席
文化祭初日の様子 その2明日5日は,3年生のパフォーマンスや,1・2年生・演劇部による演劇,吹奏楽部コンサートなど,4日に予定しておりました2日目のプログラムを実施いたします。詳しくはこちらをご覧ください。 https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/files/3006... https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/files/3006... 明日の月曜日に堀川へぜひ
暴風警報が解除になって,1日ずらした形で文化祭が始まりました。
文化部長が開会式のあいさつで,「文化祭ができただけでもよかった」。台風の被害と東日本大震災のことを思ったのでしょう。生徒会は,文化祭期間中も被災地への義捐金を受け付けています。 卒業生たちが大勢帰ってきてくれています。 「就職が決まりました」 「おめでとう。しっかりと働いてください」 「○○は大学院に行きますよ。今日は来られないんですが。来週会います」 「そう。よろしく言っておいて」 「先生,HP読んでいますよ」 「ありがとう」 「ぼくら,明日も来ますよ」 「閉会式の<ありがとう>までいますよ」 すぐには言葉が出ませんでした。 卒業生の保護者の方たちが,「月曜日に堀川へ行こう」というメールを回してくださっているという話も聞きました。 心から感謝します。 11期生最後の文化祭。本人たちが言うように3年生だけの文化祭ではありませんが,一生に二度とない高校最後の舞台をぜひご覧いただければ,と思います。 2011.09.04……荒瀬克己 誰もいないアトリウム
9月2日金曜日,台風12号の接近を警戒して文化祭の日程変更を決めました。3日土曜の予定を4日日曜に,4日の予定を5日月曜に,それぞれ順延しました。お越しになる予定を立てていただいていたみなさんにご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
この日程変更によって,文化祭2日目の日曜日にやる予定だった三年生のパフォーマンスは月曜に移動しました。 「高校三年生の文化祭は生涯に一度しかありません。こういうことを申し上げると誤解を受けるかもしれませんが,大学入試は毎年あります」と言うと,保護者からは苦笑や,うなずき。三年生たちの文化祭への熱い思いが,それほどに大きく強いからです。7月になるかならないかのころから始まる準備。企画段階でのやりとりやぶつかり。内容を決定した後もなかなかうまく運ばない練習。その中で経験する数々の苦労。それらすべてを呑み込み乗り越えて,日曜日の本番を迎えるはずでした。 それが,残念ながら台風の影響で月曜日に延びました。他の高校の友人は来られません。家族の方も来られなくなるかもしれません。2日のロングホームルームで順延の決定が伝えられると,落胆の声とともに,なんとか日曜日にパフォーマンスを持ってこられないかという強い要望が出ました。 堀川の文化祭は,順に行われる発表を残りの生徒全員で観る形をとっていません。いつ頃からそうなったのか知りませんが,ずいぶん以前から複数ある会場ごとの進行となっています。また,発表や展示をするのはクラスだけでなく,文化部・体育部も,クラスや学年を超えた有志や個人もあって,さらには模擬店の開店時間もそれぞれですから,プログラムはなかなか複雑です。観客は行きたいところを選んでその会場に足を運びます。 当然ながら,前評判の高い出し物に観客は集中します。三年生のパフォーマンスはどのクラスも大きな動員力を持っています。出番のない生徒のほか,保護者,卒業生,中学生,他校生,近所の方でアトリウムはごったがえします。ですからそれと時間が重なる講堂,小ホール,アリーナ,各教室などの演劇,映画,展示,演奏,発表は,宣伝に必死です。 さて,三年生の要望を受けて,生徒会執行部はプログラムの改編ができないかを検討しました。2日の昼過ぎからのことです。台風の接近による準備の遅れ,日程変更によるあちらこちらとの連絡調整を進める傍らで,一つひとつのプログラムと出演者の重なりが生じないか,移動が可能かどうかを丁寧に見ていました。 日程変更とともにプログラムの組み替えがあるかもしれないということで,全生徒に可能な限り待機するよう指示が出されました。授業が午前中で終わっているので,学園祭準備のために買い出しに行ったり校外の施設を借りて練習したりするクラスやグループがあるからです。 一方,練習の合間をぬって,三年生各クラスの文化委員も集まりました。出番が月曜に変更になるということを受けて,どうしたいか,どうするべきか,ということについて改めて意見交換をしました。 午後4時過ぎ,生徒会執行部がなんとか変更できるという結論を出します。同じころ,三年生文化委員の話も終わり,原案通りでプログラムの変更は求めないという結論を出しました。もちろん日曜にしたいという意見もあったそうですが,文化祭は三年生だけのものではないという判断が働いたということでした。立ち会った三年の学年主任は,「みなさんにご迷惑をおかけました。生徒会執行部に感謝します。11期生たちが考えた結果を尊重してやってください」。 学年主任3人と生徒部長で,予定変更はしないと確認しました。準備で忙しい生徒会長や文化部長に代わって,生徒部長が全館放送で経緯を説明し,「すばらしい文化祭にしてほしい」と結びました。 玄関でインフォメーションセンターの準備をしている生徒の中に,生徒会長がいました。 「会長,ご苦労さまでした」 「あ,いいえ」 少し痩せたように見える会長は,真剣なまなざしで黙々と動き続けていました。 この稿を書いているのは9月3日です。文化祭は明日と明後日。火曜は東京に出張しますので,「校長室から」はお届けできないかもしれません。文化祭については「学校の様子」をご覧ください。ただ心配なのは,台風の動きが遅いことです。場合によっては明日も開始を遅らせるか,また順延するかを考えなければならないかも知れません。 今回も長くなって恐縮ですが,文化祭のプログラム冊子に寄稿した文章を紹介します。 ………………… 君たちはどんな手続きを経たか 夏休みで帰ってくる卒業生が多い。 彼は今年二十歳。東京から戻ってきた。大学の授業のこと,学外での活動のこと,将来の夢……あれこれ話して,食事に行こうということになった。校長室を出てアトリウムへ。 11期生がパフォーマンスの練習をしていた。 「いいですね。これ,懐かしいというか,こういう経験はやり直そうとしても決してできないですから」 パフォーマンスでは一輪車に初めて乗った。何度も廊下で練習した。本番で失敗した。それでも最後まで笑顔で演じた。 成績発表のとき,三位,二位ときて,間違いなく一位でコールされると思ってたら,結果は他のクラスで,賞をとれなかった。思わず声が出た。女子生徒が泣き崩れた。自分も悲しくて仕方なかった。 在学中,苦労した卒業生も帰ってくる。 去年の文化祭に,同級生と誘い合わせてやってきた。彼もまた東京にいる。おみやげです,と言って缶コーヒーをくれた。 「本当に馬鹿だったなと思います。でも,仲間があったかかった。大学では一所懸命に勉強していますよ。ただ,なんというか,孤独です。もう一度高校一年に戻れたら,と思います」 どうして缶コーヒーを持ってきたのか,と尋ねたら, 「缶コーヒー飲んだんですよ。三年の文化祭が終わったすぐ後で。だから,文化祭というと缶コーヒーを思い出すんです」 4階のブリッジからアトリウムの練習風景を見ていた一年生がいた。何をしているのかと聞くと,「三年生の先輩たちはすごいな,と思って。私たちもあんなふうにできるんでしょうか」と言う。「できますよ」と答えて別れたが,階段を下りる前に振り返ったら,さっきと同じ姿勢でじっとアトリウムを見ていた。 今年は「ありがとう」を何回連発しようかと思案を重ねている。 毎年,文化祭の閉会式にBIG BOXは興奮のるつぼと化す。そのいちばん底に身を置いて見上げると,南館各階の廊下,A階段,東西各階のブリッジには,たわわに生った果実の如く君たちが身を乗り出している。感動的である。 私は君たちの姿を見て感動する。ただし,それは受け身の感動である。 しかし,君たちは私のように受け身では感動しがたいだろう。 感動には,そのための手続きが必要だ。 ひとつになる。高みをめざす。ひとりになる。 それぞれのやり方で,燃えよ。 ………………… 実は,冒頭の部分で「11期生」と書くべきところを「12期生」と書き間違えてしまいました。冊子が配布されたあと,読んだ教員から指摘を受けました。あってはならない失敗です。翌日,訂正と謝りの文章を出しました。ことほど左様に至らぬ校長ですが,生徒と教職員のおかげでなんとかやっています。 2011.09.03…… 荒瀬克己 |
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