最新更新日:2024/11/05 | |
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転勤・退職される教職員のご案内
この度、花山中学校から転勤・退職される教職員のご案内を申し上げます。
<退職> 音 楽 科 林 伴子 管理用務員 橋元 昭夫 <異動> 教 頭 乗 本 敏宏 社 会 科 大由里 昭彦 数 学 科 藤 本 麻美 理 科 川 崎 協一 英 語 科 木 村 智里 育 成 小 山 潤 指 導 員 梅 村 正男 スクールカウンセラー 那須田 律子 転退職される教職員の皆様の、今後のご活躍を、お祈り申し上げます。 本校教育の発展にご尽力頂いた方々に、感謝いたします。 ありがとうございました。 ご協力、ありがとうございました
『募金活動へのご協力、ありがとうございました!』
東日本大震災で被災された皆様に、中学生として何かできることはないかと始めた「募金活動」でした。 卒業生と在校生の生徒会本部役員が中心になって一緒に取り組みました。 準備期間が足りずたった1日の活動でしたが、下記のとおり皆様からたいへん多くの募金をいただきました。 集まりましたお金は、間違いなく被災された皆様のもとへお届けします。 集まった募金の金額 377.155円(18日現在) 「誰かのために」と始めた活動でしたが、多くの人の温かさにふれ、大切なものを学び、感じさせてもらうことができました。 ありがとうございました。 『東山を西に見て』
「善意が見える 善意に触れる」
宮城教育大学に西内なる男がいました。ソフトテニス(当時は軟式テニス)仲間の同級生で、身体も声も私と同様大きく、性格も似ていることからウマが合い、試合後のレセプションではいつも楽しく飲んで騒ぎ合った仲です。大学卒業後は共に中学校の教師になりました。その後は、年賀状の交換ぐらいの付き合いになったのですが、「運動しなくなり、体形はすっかりお相撲さんです。」といったコメントが面白く、年に一度のそれを楽しみにしていました。今年の年賀状でお互いが校長になったことを知りあいました。1月末に「京都へ修学旅行に行くついでに花山中学校を訪れたい」という旨の電話があり、4月12日の再会を心待ちにしていました。 11日の東日本大震災の報を知って案じたのが彼のことです。彼は今、郷里に家族を残して福島県須賀川市立小塩江中学校に単身赴任しています。18日(金)、彼の学校と電話がつながりました。懐かしい快活な声が返ってきました。家族は無事だったこと、学校は津波の影響でグチャグチャになり、とても授業どころではない事、友達の中には連絡のとれない者が多いことなどを聞きました。修学旅行は無期延期になったが、必ず会いに行くという彼の言葉に何とも言えない逞しさを感じました。「月並みなことしか言えへんけど、頑張れよ!」そう言って電話を切ろうとした瞬間、電話の向こうで号泣する声が聞こえました。「ありがとうね…、ホントありがと!」その声が今も耳に残っています。学校を預かる立場の者として、きっとギリギリの精神状態で頑張っているのでしょう。今回の震災が一気に身近なものになった瞬間でした。 その日は、朝から新旧生徒会本部役員の子らが中心になって募金活動を行いました。 登校時と朝学活時の活動に加え、3時からは卒業生中心で校区内の2か所で声を上げました。卒業後にも拘らず花山中の制服を着て頑張る子や、「この子がこれほど…!?」と思わせる位に声を張り上げる子、高校の召集帰りに合流する者もいました。登校時に財布からコインを全部出す生徒、保護者の方から預かった封筒から数枚の紙幣を出す生徒、生徒会企画のメッセージを熱心に書き込む生徒の姿に心が和みます。また、生徒たちの一生懸命な姿が道行く人の足を止めます。買物のおつりを入れてくださる方、自動車を止めて窓から手を伸ばされる方、わざわざ自転車で来てくれる卒業生も多くいました。 少し離れた所からこれらの光景を見ながら実に温かな気持ちになりました。 近頃、人の善意がなかなか目に見えませんが、この日はそれが見えました。人の善意に触れる機会を得たようにも思います。人のために始めた活動ではありましたが、いつの間にか大切なものを学ばせて頂いたようです。募金してくださる方々に対する「ありがとうございました」の声は、被災された方々の為の他に、もう一つの大切な意味があるように感じます。 『東山を西に見て』
「最後の学習の場」
卒業証書授与式の前日、予行後の講評で開口一番次のように言いました。「卒業式は、中学校でする最後の学習の場です。」そして、続けました。「数学や英語などの頭でする学習ではなくて、心を育てる学習の場です。心を育てるには感動が大切です。明日の感動のための要素は、しっかりとした聴く態度と大きな声の返事、力一杯の歌声です。担任の先生は、色々な思いを込めてみなさんの名前を呼ばれます。大きな声で返事をしてその思いに応えて欲しいと思います。また、精一杯の気持ちを込めて卒業の歌を合唱してください。明日は、感動的な式にしましょう。」卒業生と在校生代表の目がグッと私に注がれるのが分かりました。 「卒業証書授与」教頭先生の声で壇上に上がります。最前列で早くも眼にハンカチを当てている女子が私の目に入ります。卒業生の柔らかい目が私に向けられています。「はい!」と呼名に応える一人一人に声をかけながら証書を手渡します。「おめでとう」「よう頑張ったな」「春高バレー、楽しみにしてるぞ。」「甲子園へ行け!」「京大に合格しいや。」親元を離れて一人生活をする者には「身体に気をつけて。」などと言いました。「はい。」小さく返事をする生徒が多いです。「頑張ります。」「ありがとうございます。」という声も多く返ってきます。遣り取りのすべてに笑顔がありました。特に関わりの多かった生徒に証書を渡す瞬間には、様々な場面が一気に蘇ります。『よくぞ、ここまで…。』生徒の成長と先生方の取組の深さを思うとき感情が乱れます。気がつけば涙をこぼしていました。卒業証書授与の場面でのこんなに大きな感動は、担任をしていた頃以来です。 卒業生代表の答辞。3年間を振り返ります。学年が大きく揺れた2年生の頃のことを深く反省し、保護者や教職員への謝罪と感謝の言葉をつなぎます。この場面で会場はすすり泣きの声で一杯になりました。そして、卒業の歌『旅立ちの日に』の合唱。流れる涙を拭くこともせず、前(それは未来の方向です)を見て歌います。男女の掛け合いの場面では、歌声が大きくなりそれにつれて感動も大きくなりました。嬉しいことに、期待していた通りになりました。 我が家のことで恐縮ですが、式の前夜、トイレに起きたとき、下の息子の家族に宛てた手紙が食卓に置かれているのを発見しました。中学校の卒業にあたって、感謝の気持ちを綴ったものです。私に対しては、「僕が道を外れそうになった時、お父さんはいつもそれにすぐに気付いて叱ってくれた」というようなことが書かれてありました。妻には、甘えて我が儘を言ったり、きつい言葉を吐いたりした事を詫び、それをとりなしてくれた兄には敬愛の気持ちを書いていました。その後は、本校生徒の家庭でも同じようなことが行われていることを想像したり、そうあって欲しいことを念じたりして朝を迎えました。 4月から理想にし続けてきた通りの卒業式が挙げられました。生徒と教職員と保護者・地域の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。 さあ、明日はいよいよ今年度の修了式。 みんなで1・2年生に、感動的な今年度最後の学習の場をつくり上げたいものです。 卒業式 式辞 掲載中
第48回 卒業式 式辞を配布文書にて掲載しております。
『東山を西に見て』
「さあ、卒業式だ!」
いよいよ明日は卒業式。どんな気持ちでこの日を迎えるのかと何度も想像してきました。近頃とみに涙腺が弱くなったので、おセンチになるのではないかと思っていましたが、意外にさっぱりとした気分でいます。明日に向けた緊張感と、式予行での生徒たちの真剣なまなざしのせいかも知れません。 先週は違いました。10日(水)の「3年生を送る会」と11日(木)の「3年生のお別れ会」では、何度も涙をこぼしました。はじめは子どもたちに見られるのが嫌で、こらえたり気付かれないように涙を拭いたりしていましたが、途中からはそれもできなくなりました。明日の卒業式を前に、是非ともこれらの行事について書きとめておきたいと思います。 「3年生を送る会」。舞台中央から2人ずつ登場し、生徒会本部の子が作るアーチの中を進みます。この段階でなぜか目頭が熱くなります。各委員会の1・2年生が趣向を凝らして垂れ幕やくす玉、メッセージシートを作成しました。どれも短期間でよく完成させたなと思うほどの力作です。保健体育委員会はダンスを披露しました。AKB48の曲に続き、ソーランのときには3年生が飛び入り参加し一緒に躍りました。皆、笑いながら泣きました。 続いて学年の出し物。1年生は群読に続いて『最後のチャイム』の合唱です。男子が、照れることなく大きな声で言葉をつなぐ様子に心がふるえます。合唱の見事なハーモニーでコンクールを思い出しました。2年生はパネルメッセージと『栄光の架橋』の合唱。パネルメッセージは圧巻でした。卒業アルバムの表紙に揮毫された文字を知っていたかのような「輝」と「道」が特に印象に残ります。155人のチームワークに感動です。 それに応えるかのように、3年生も頑張りました。視線の隅でかつて厳しく叱ったことのある男子生徒が一生懸命に『未来へ』を歌う姿を見つけ、涙が止められませんでした。 「中学生の力を改めて知りました。小学生ではとてもここまでは出来ません。自分たちで作り上げる行事の凄さを初めて知りました。」参観に来ておられた教職大学院で学校経営を学ぶ現職の小学校教諭の感想です。 「3年生のお別れ会」。漫才やコントで大いに笑った後、順番にクラスの代表が担任と副担任の先生へ感謝の言葉を贈りました。それに応えて先生もスピーチをします。どれもこれも心に沁みる内容でした。それにしても、子どもは教師を本当によく見ていると感心させられました。先生方が話を始めると、元々後方にいたヤンチャ連中が、次々と更に後ろに下がっていきます。そう、仲間に涙を見られないようにです。 そして最後にサプライズ。「校長先生、前へどうぞ!」のアナウンス。代表生徒からのメッセージと私のスピーチの内容は、他のものと同じく内緒。その場に居合わせた者だけで共有すべき宝物だと思うからです。 さあ、卒業式です。厳粛に、そして爽やかに微笑んで挙行したのですが、果たしてできるでしょうか。 『東山を西に見て』
「ちょっと“ほっ”と一息」
4日(金)は朝から雪。市内北部にある私の家の屋根には5センチメ―トル以上真っ白なそれが積もっていました。依然として直径1センチメートルくらいの雪が降り続きます。『可哀想になあ。全員、遅れることなく試検会場に行けよ!』そう思いながらいつもの朝の散歩に出かけました。途中、自転車通勤を決心しました。車通りの多い道路に雪は積もっていないものの、バイクで走るとなるとやはり九条山は心配です。敢えて自転車を選んだのには別の訳もあります。私は子どもの頃から無意味な“願掛け”のようなことを好んでしました。この日は公立高校の試検日。『子どもたちが頑張るのだから、自分もあえてしんどい方を選択しよう。』雪の降る中、息を切らしながら自転車で九条山を越えることが私にできるせめてもの応援のように思えたのです。(笑) インクラインまで来ると、枝に雪をかぶった桜の木々が朝日に輝き、まるで満開の桜並木を見ているようでした。カメラを持っていない事を後悔しました。学校に到着すると、有酸素運動の甲斐あって気分は最高、身体もポカポカしていました。 私学入試のときと同じく、「全員無事に受検教室に入りました!」の声に“ほっ”と一息つきます。子どもたちの話題で会話の花が咲きます。その場に居合わせた先生方の胸の内はきっと同じだったはず。『全力尽くせ。』『落ち着いてやれ。』『合格せえよ。』などなど…。 週が明けて7日からは卒業前行事。卒業証書授与式の練習と並行して、球技大会や卒業生を送る会、卒業遠足などが計画されています。友達や先生との絆を確認し、さらに深める場面です。8日の球技大会では、3年生の明るく元気な声が午前中ずっと聞こえていました。体育館では女子のバスケット、グランドでは男子のサッカー、様々なプレーに歓声が上がり惜しみない拍手が贈られます。こういう場面での子どもたちの表情は実に柔らかいです。『4月からずっとこんな表情で過ごせていたらどんなに良かったか…』いやいや、そんなことは言うまい。私たちが望むような表情のときばかりが彼らの成長の時ではないのです。きっと子どもは、失敗と思えるようなことからも多くを学びます。険しい表情で居る時にも何かを学んでいたに違いないのですから。 グランドには保護者の方の姿も見えました。そういえば、昨日は3年生のPTA学年委員の皆様が、3年教職員と懇談をもたれました。その席で涙ながらに感謝の気持ちを述べられた方もおられたと聞き、大変嬉しく思っています。 卒業証書授与式まで一週間。これまで色んなことがあり、その時々に色んな事を感じさせてくれた3年生ですが、今となっては全てがよい思い出で、私を校長として成長させてもくれました。 入学式の時には、入学生の名前も顔も分かりませんでしたが今回は違います。私にとって初めてとなる卒業生一人一人の顔を思い浮かべながら式辞を書きたいと思っています。長くなり過ぎないよう、気をつけなければなりません。 『東山を西に見て』
「内側から育てる」
23年度の「学校教育の重点」の基本方針の中で、「規範意識の育成」という言葉が特に印象的に映ります。昨年度からよく耳にするようになり、今年度はいたる所で論議されるようにもなりました。角川の国語辞典によれば、「規範」とは「手本・模範」の意味で、「判断・評価または行為などのよるべき基準」とあります。「規範意識を育成する」ということからイメージすることを学校生活の中で具体的に考えてみました。しっかりと挨拶する。正しい言葉づかいや態度で人と接する。時間を守る。ルールを守る。自分の役割を果たす。人の嫌がることを言ったりしたりしない。始業時には学習の準備が整っている。授業中はノートをとって先生の話を静かに聴く。何となくがんじがらめで堅苦しい姿が想像されますが、どれもこれも言わば当たり前のことでもあります。 では、規範意識を育てるにはどうすれば良いのでしょう。「〜しなさい。」「〜するようにしましょう。」等、それらをストレートに表現する方法もあるのでしょうが、そうすると“教師がさせた”という感じが強くなります。これを外側からの働きかけとする一方で、生徒が内側から育つような働きかけもあります。時間やルールを守ったり、各自が自分の役割を果たせると、きっと生徒は心地よく感じると思います。また、宿題や予習や復習、学習の準備ができていれば、生徒はその1時間の授業をより充実させ、得をしたような気にもなるでしょう。この場合の教師の役割は、生徒が自ら『そうしたい』と思って行動するよう刺激を与えることなのです。 2月28日、2年生に転入生がありました。初めて学級に入る朝学活の場面を見に行きました。事前に座席が決めてあり、転入生は自己紹介の後すんなりと席に着きました。学活の間、担任の先生は「〜しなさい」というような言葉を一切発しません。クラスの子どもたちが自分たちで実に温かで秩序ある雰囲気を作り上げていました。明るく楽しいけれども規範がきちっと整った時間であったように思います。 高校生の頃だったでしょうか、礼儀のルーツは、他人の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さや丁寧さであると聞きました。それが新渡戸稲造著の『武士道』からの引用であることを知ったのはずっと後になってからです。先日、知人から寄せられたメールでも『武士道』について触れられており、「真の礼儀とは、相手に対する思いやりの心が表に現れたもの。礼儀の最高の姿は愛と変わらない」とありました。礼儀を教えるとき、「このように〜しましょう。」とそのやり方(尽くしかた)を教えるのではなく、相手に対する思いやりの心や相手を尊重する心を教えることの大切さを示唆してくれているようです。 「規範意識を育成する」方法が見えてきたようです。それはルールやマナー、言葉づかいや生活態度などの外側に現れた部分の指導ではなく、子どもの内側に働きかけ、子どもの心を育てることに違いありません。教育に携わる者として、今改めてそのことを確認したような気持ちです。来年度の本校教育の重点にしたいと思います。 『東山を西に見て』
「緊張感」
21日、公立高校の推薦入学・適正検査・特色選抜の判定結果の発表がありました。公立の入試制度も年々複雑になり、これらがどう違うのか、関係者以外にはなかなか理解も難しいところです。 子どもたちに結果を伝えるのは放課後です。3年生のフロアーには緊張感が満ちていました。順番を待つ子、結果を聞き歓喜の声をあげる子、落胆を隠せない子、先生に付き添われて力なく帰路につく子もいました。3年生とすれ違うたびに表情を観察します。「校長先生、合格しました!」嬉しい報告を聞いても、周囲に残念ながら不合格になった者がいると手放しで喜ぶことはできません。合格した子たちも私のそんな様子に敏感に気付いてくれていたように思います。そんな中で、残念な結果だった子が合格した友達を心から祝福している場面を見て、『大したものだ』と感心もしました。今回残念な思いをした子たちにも、もう一度チャンスがあります。3月4日の入学試検に向けて全力で取り組んでほしいと思います。 また、明日からは1・2年で今年度最終の定期テストが始まります。放課後、学校に残って勉強している生徒たちがいるというのでその様子を見に行きました。先生はおられるものの、みな自学自習しています。自分が分からない所だけを先生に質問するのでしょう。今月初めに閉講式を迎えた3年の土曜学習『花山夢現講座』を思い出すような光景に頼もしさを感じました。勉強は、最終的には一人でするものだとは思いますが、そうなる前に仲間と刺激、共鳴し合いながらするのも決して悪くはありません。 先日『東山を西に見て』を読んだ知人がメールを寄せてくれました。今、教師を目指して頑張っている人です。 ―略― 今年の教員採用試験を受験した帰り、下を向いてとぼとぼ帰っていたとき、試験会場近くの喫茶店のおばちゃんに、「暑い中、みんなスーツ着て、今日は何があんのん?」と声をかけてもらいました。私が「教員採用試験のテストでした。あまりできなかったです。」と答えたら、「先生が大変といわれているこんな時代に、あえて先生になろうと思ってる若い人がいることが、おばちゃんうれしいわ。なってください!!子どもは先生にかかってます。うちらの孫を、よろしくお願いします!」と言ってくださいました。「こちらこそ、よろしくお願いします。」と頭を下げて、帰りの電車で、号泣しました。こういう人たちの大事な孫、子供を預かっているんだ。学校の主役は子どもなんだと、このとき初めて実感できました。 ―略― いろんな人が夢を追いかけて頑張っています。そして、夢を掴むため、試験に向き合っています。どんな試験にも緊張感はつきものですが、それがなければ上手くはいきません。緊張感を見方につけて臨めることが大切です。経験した人もたくさんいるとは思いますが、是非とも緊張感を楽しんでほしいものです。 『東山を西に見て』
「親子の願いを受け止めて」
10日、私立高校の入学試験が本格的に始まりました。 本校の子どもたちはちゃんと受験できたのでしょうか。9時過ぎ、「全員、滞りなく受験会場に入りました。」進路指導主事から報告を受け、ほっと一息つく。その後、暫く職員室で3年生担当の先生方と話をしました。「Aが、とっても可愛らしい恰好でやってきた。」「Bは、めっちゃめちゃ早く集合場所に来た。」「Cは、試験会場でずっと一人ぼっちやし、きっと不安やろなあ。」など、一人一人の姿が目に浮かぶような会話の内容に、自然と顔がほころびます。 実は、うちの下の息子も当日は受験をしました。その朝は、いつもより早いので、珍しく彼と向かい合わせで話をしながら朝食をとりました。「“始め”の合図で答案用紙に飛びつくんやないで!」前日、本校生徒に語ったのと同じことを息子にも言って聞かせました。父親の言葉として聞いたのか教師のそれと受け止めたのか、妙に真剣に聞いていました。「こういう時にメールもらうのて、嬉しいもんやな。」唐突なその一言が強く印象に残りました。以下は、その後の会話です。「何やな、急に」「朝、お兄ちゃんからのメールが届いてた。」「なんて書いてあったんや。」「『ホームランは要らんぞ。』やて」「ええやん、それ。」まだ寝ている長男に一本取られました。食後、携帯電話をもってトイレに入りました。「大丈夫だ。落ち着いてやれば必ず合格する。心配ない!」そう送信しました。息子からすぐに返信。「ありがとー。がんばるゎ」普通の会話もメールで交換すると不思議なくらい新鮮です。 先日3年が道徳の授業で、保護者の方に「進路実現に不安を抱える子どもたちに、力や希望を与えるメッセージ」を依頼しました。興味深いよい企画だと届けられる文章を楽しみにしていたところ、学年通信『大樹』に掲載されていたのでその中からいくつかを拾ってみます。「〜お母さんは隣で見てるしかできないけど、いつもあなたの応援団ですよ!〜」「〜他人と比べる事なくマイペースでがんばって下さい。」「やりたい事をする為には、『やりたくない事』をしなければなりません。『やりたくない事』をする時は、その気持ちを忘れる位集中してください。〜」「〜でもね、偉そうに言っている親だって、同じ15歳の時を通ってきたんだよ。〜あなたは自分を信じて。私はあなたを信じてるから。この先どういう道を選んでも、あなたは私の息子です。」 自分のメール文が恥ずかしいですが、それにしても、言葉を文字に表した時の、その内容の深さに気づかされます。おそらく、読み返すたびに内容が深められるのでしょう。子どもたちは、文字に表された親の言葉を心に刻んでテストに臨んだことだと思います。 私立高校の合格発表がほぼ終わりました。受験もようやく半ばです。子どもの受験は親の受験でもあるのだと思います。子どもの願いと共に親の思いもしっかりと受け止め、誠意をもって指導に当たりたいものです。 |
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